■今日は、かみさんと犬3号とで安比に行ってきました。
目当てのドッグランには他に犬が居なく、3号は残り香を探してやたらマーキングに忙しく、それだけで十分疲れたようです。
そこでのアタシの昼飯は、山菜とろろ冷やし蕎麦でした。
帰りに、大更の道の駅に寄って、どっちかを今夜の夕食用にと、葛巻のジンギスカンと鍋用ホルモンを購入して帰宅。
![](SDIM0016.jpg)
■「iPhoneはお金持ちしか所有出来ないっぽい」にゃ〜るほどね。
勘違いしてたかもなあ・・・。
■しっかしなあ、荒む心を持った人間が増えているってことなんだろうけど、たまったもんじゃないね。
自暴自棄のはけ口を他人に向けるって「限りなく怒!」
場所が場所なもんで、被害者の方々に知った名前があったらどうしよう、なんて内心思っちゃいました。
■フト考えると、物心ついて以来、自分で撮った写真は、銀塩時代は99%がサービス版サイズでしか見てなかったのよ。
ニコンのF3だ、ツアイスレンズだ、って言ったところで、所詮サービス版じゃあホントの違いが分かる訳ないのにね。
これがデジカメの時代になって、ディスプレイサイズが大きさの上限になって、iMacを手に入れた今は24inchだもんね。半裁サイズってこれくらいだっけ?
細かい画質に目をつぶれば、42inchのテレビでも見ることが出来るし。
24inchで銀塩カメラで撮った写真のスキャナ画像を見ると、ISO400のフィルムでは粒子が荒すぎて見られたもんじゃないことを今更確認してしてるんだけど、サービスサイズのプリントでしか見ないなら、そんなに目立たないからそれでも良かったんだろうね。
それ以上に、画面が大きくなるのに比例して、伝わる写真の情報量も大きくなるのを実感している訳ですよ。そうなると、今まで撮った写真を、オレホントによく見てたのか、結局撮りっぱなしだったかもなあと、つい思うわけです。
デジタル化って、デリケートな部分を失って利便性だけを求めているという印象があるけど、事写真の世界ではちょっと違っていて、普通に大きい画面で写真を鑑賞できることで、普通の人でも写真が伝えるより多くの情報を得有られるのは、デジタルのおかげなんだなあと思うのであった。