桜
棋院の近くに割と大きな公園がある。駅と棋院との調度真中にあるそれは近道したいときに通り抜けるのに調度いい。
普段は遠回りでも公園の中を通らず行くアキラだったが、その日は予想外に遅くなってしまい早く家に帰りたかった。
日はとうに落ちてしまい、薄暗くなった公園に足を踏み入れる。誰もいない公園はひんやりとしてなんだか心細い気がする。
「そういえば、この公園には大きな桜の木があったな。」
なぜか1本だけある桜の木はそろそろ散り始める頃だろうか。
やがて見えてきたそれは思った通り、時期の終わりを告げていた。はらはらと落ちる桜の花が夜の闇と重なって一層憐れだ。
もう少しいい時期に見たかったという少しの後悔。
外の喧騒から取り残されたようなその一角にその人物は居た。あまりにその場所に溶け込んでいたので気付かずに
通り過ぎるところだった。
「・・・進藤?」
ベンチに座ってただぼんやりと桜の花を眺めていたのは自分と同じ年の少年。出会った頃より幾分頬の輪郭も鋭利には
なったが少年の域はまだ出ていない。
アキラは少し迷ったが結局声をかけず通り過ぎた。
あまりに普段の彼とはかけ離れていて声をかけるような雰囲気ではなかった。
いや、違う。
ヒカルはたまにああいう顔をする。ただぼんやりと空を見つめて何かを探しているような。
そんな表情を見るたびに胸の奥がぎしぎし軋んだ。
だから声をかけなかった。自分の奥にあるものに気付きたくなかったのだ。
それでもその日、桜の最期を見届けているような進藤の表情が胸から消えることはなかった。
電話が鳴ったのは夜の11時を少しまわった頃だった。
たまたま電話をとったのが自分で良かったとアキラは思った。
「こんな時間にごめんなさい。ヒカルそちらにお邪魔してないかしら。」
電話の主はヒカルの母親のものだった。まだ帰らないのよ、と心配そうな声にアキラはあのヒカルの姿を思い出した。
電話を切るとコートを掴んで家を出た。両親には気付かれないようにそっと。
居る。
そう思った。ヒカルはまだあそこに居る。
そう思うと相変わらず胸の奥がぎしぎし軋んだ。
「進藤!」
アキラが思った通りヒカルはまだ落ちる桜の花を見ていた。自分が見かけたあの時間からずっと居たのかと思うと
ひどく腹立たしくなった。何が彼をそうさせているのか彼が何を思っているのかアキラには少しも理解できず、それがまた
彼のイライラを増幅させた。
「何をやってるんだキミは!!今何時だと思ってる!?」
肩で息をしながらも捲し立てるアキラをヒカルはただぽかんと眺めていた。
「塔矢・・・・どうしたんだ?」
「キミのお母さんからさっき電話があって心配してたぞ!いつまでこんなところに座ってるつもりだ!?」
「え?今、何時?」
「11時25分!」
「あ〜もうそんな時間なんだ〜。」
間延びした言い方にアキラの力も抜けてしまい、ヒカルの隣に座ると大きく溜息をついた。
「塔矢、オレがここにいるってよくわかったな。」
「・・・わかるよ。」
アキラはもう一度溜息をつくと目の前の桜の木を眺める。相変わらずはらはらと桜の花が舞ってくる。
夜の闇の中に鮮やかなピンクの花びらが浮かび上がって綺麗だな、と思う。
「実は棋院からの帰りここを通ったんだ。ここに座って桜の木を眺めてるキミを見たよ。・・声はかけなかったけど。」
「そうか、全然気付かなかった。」
「だろうね。」
「桜・・・見てたんだ。もうすぐ散ってしまうなぁって。」
ヒカルを見るとまたぼんやり桜の木を眺めている。
「去年の今頃は幸せだったなぁって思うよ。あの時は全然気付かなかったけどさ。」
「今は幸せじゃない?」
アキラの言葉にヒカルはふるふると首をふった。
「今も多分幸せなんだと思う。でもやっぱり去年とは違ってて、オレこの1年で淋しいって言葉の意味を初めて知った気がする。
なんか自分に穴が空いちゃって何かで埋めたかったんだけど、全然埋まらなくて・・・ああ、何言ってるんだろ。自分でもわけ
わかんなくなってきた。」
ヒカルは苦笑いをするとそのまま俯いて動かなくなってしまった。ヒカルの頭にもはらはらと桜の花弁が静かに落ちてくる。
「別に・・無理して埋める必要無いんじゃないのか。傷は癒えるものだよ。時間はかかるかもしれないけどね。」
アキラは手を伸ばすとヒカルの頭に落ちた桜の花弁をすくい上げた。ヒカルは相変わらず俯いたままでじっと何かが
通り過ぎるのを待っているようで、アキラの胸が切なく痛んだ。
「進藤、キミが何を思っているのかボクにはわからないけど、淋しいというのなら気のすむまで傍にいてあげるよ。
それじゃだめだろうか。」
ヒカルはゆっくりと顔をあげると、隣に座るアキラを見た。泣いているのかと思ったその瞳に涙の痕は無かった。
「もう、いいんだ。塔矢がオレを見付けてくれたから、それでいいんだ。帰ろう。」
「進藤・・。」
「サンキュ塔矢。お前の言葉すごく嬉しかった。」
笑ったヒカルの顔はいつものヒカルの顔で、アキラは少し安心した。
立ち上がり並んで歩いて行く二人の後で、残された桜がまるで微笑んでいるようにさらさらと揺れていた。
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