キス
冬の雨は冷たい。
今にも雪に変わりそうなそんなギリギリのところで降っているそんな雨だった。
『傘持ってきて良かったですね。』
すっかり自分の一部になってしまったような美しい人が言うのにヒカルは「うん。」と小さく返した。
棋院からの帰り道、近道した公園は人影もなく一層寒々しい。どんより重たい雲が地上まで降りてきたように回りが煙って見える。
そんな中に溶け込んでしまいそうな影を1つ見つけてヒカルは息を呑んだ。
遥か前方を歩くその影はそのまま自分達の距離に思えて、ヒカルは切なくなった。歩いても歩いても縮まらない距離。
それとも少しは近付いているのかな。
『あれは塔矢アキラではないですか?』
「そうだな。」
『傘無いみたいですね。ヒカル、入れてあげましょうよ。』
「・・・やだよ。」
『なんでですか!大事なライバルが風邪ひいてしまいますよ!』
「だって、話すこと無いし・・・。」
『そんなこと言ってる場合ですか!早く早く!』
「ああ、もう。わかったよ。」
ヒカルは大きく溜息をつくと前方を歩くアキラに近付く。
佐為は塔矢アキラをすごく気に入っているようで、少しでも悪く言ったりするとすぐ窘められる。
『生涯のライバルなんてそうそう見つかるものではありませんよ。ヒカルは塔矢と出会えた奇跡に感謝しなくてはね。』
佐為の言葉はもっともで、でもなんだか釈然としなくてヒカルは複雑な気持ちになる。
ライバルだと思ってるのはオレだけできっと塔矢はそんなこと思ってやしないよ。最初に出会った頃の笑顔は佐為に向けられたものであって自分にではない。現にオレの本当の実力を知ってからはオレに笑顔なんて向けたこと無いじゃないか。
『ヒカルは塔矢の笑顔が欲しいのですね。』
佐為が優しく微笑むのにヒカルは否定できなかった。
いきなり雨が当たらなくなったのを不思議に思ったアキラが顔を上げると綺麗な水色の傘が見えた。
「傘無いんだろ。駅まで入っていけば。」
アキラに傘を差し向けつつぶっきらぼうに言い放つヒカルを、アキラはまじまじと見つめた。
「何。」
「いや、ありがとう。」
アキラの言葉にヒカルは応えず無言で歩き始めるのに、アキラも慌てて並ぶ。
その横で佐為も何も言わずついてくる。
二人の吐き出す息が白いものへと変わり、気温が一段と低くなったことを知らせていた。
温度は低いはずなのに触れ合った肩がものすごく熱いのはなぜだろう。
公園の出口が見えてきた頃、アキラはヒカルの右肩が濡れているのに気付いてヒカルの持っている傘を右側へと押しやった。
「キミが風邪ひいてしまう。」
「そんな簡単にひかねぇよ。」
「ボクのせいで風邪なんかひかれたら困る。」
「大丈夫だって。」
「そんなことわからないだろう。」
突然始まった二人の押し問答に佐為は飽きれた顔をしてその様子を見ていた。
二人とも意地になって1つの傘をあっちにやったりこっちにやったりしていたが、やがてバサッという音とともにアキラの手からカバンが地面に落ちた。
驚いた二人は同時にカバンを拾おうと屈んだものだから、思い切り額をぶつけてしまった。
「痛い・・・・。」
お互いの額をさすりながら二人はしゃがみこんだ。その様子に佐為が噴出す。
「石頭。」と、ヒカルが言えば「どっちが。」とアキラが返す。
雨がいつの間にか雪になっていた。シトシトという音がサラサラと乾いた音になって傘を抱えてしゃがみこんだ二人を隔離する。
「カバン濡れちゃったな。」
ヒカルが顔をあげるとアキラの端正な顔が近くて心臓がトクリと鳴った。アキラは何も言わずただヒカルを見ていた。
あまりに真剣なアキラの眼差しにヒカルも目を逸らす事ができない。
やがてアキラの顔がさらに近付き、ヒカルのそれと静かに重なった。
・・・ナニ?
ヒカルは瞬きをすることも忘れ、目の前の顔を呆然と見ていた。暖かい唇。アキラの息が静かに流れ込んでくる。
30秒とも1分とも感じられたそれは一瞬だったのかもしれない。
アキラはゆっくりと唇を話すと「もうここでいいよ。」と一言だけ言いカバンを掴んで走って行ってしまった。
傘に隠れて中の二人の様子が伺うことが出来なかった佐為は、突然走って行ってしまったアキラを不思議そうに眺めていた。
ヒカルはその場にしゃがみこんだまま動かない。
「何かあったのですか?」
佐為の言葉にヒカルは初めてアキラにキスされたのだと気付いた。
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