晴れのち雨、時々曇り 3
誰かが俺の手を握っている。ひどく暖かくて優しい手にはどこか覚えがあって。
瞼の裏に映る細く長い指先が優雅に動いて石を掴む。
ああ、そうだ。この手、塔矢の手だ。昨日手を繋いで眠ったんだっけ。塔矢ってばずっと握ってくれてたんだ。律儀なやつ。そんなとこが好きだったりするんだけど。
塔矢の手はぴくりとも動かないからきっとまだ夢の中なんだろう。俺はぼんやりした頭のままそろりと目を開けた。
「と・・!」
突然飛び込んできた塔矢のドアップに、思わず飛び出しそうになった言葉を慌てて飲み込んだ。
なんでこんな近くで寝てるんだ〜!!朝っぱらから心臓に悪いじゃね〜か!!
そんな俺には全然気付く様子もなく、目の前僅か数センチの場所で塔矢はすやすやと規則正しい寝息をたてている。昨日は二人ともちゃんと自分の布団の真ん中で寝てたはずなのに、今は俺も塔矢も布団の端っこで寄り添うように寝ていた。俺もかなり寝相が悪い方だけど塔矢もかなりなもんだよなぁ。でもこんな近くで塔矢の寝顔が見られるなんて俺ってラッキーかも。あどけないって言うのかな、すごくカワイイ。睫なんてすごく長くて女の子みたい。
なんて思ってたら塔矢の瞼がふるふる動いて、それからゆっくりと瞼が上がり青みがかった黒い瞳が覗いた。
うわ、起きちゃった。
俺は少し緊張しながら塔矢を見ていた。こんな時どんな顔をしたらいいのかわからないよ。
塔矢はぼんやりこっちを見ていたと思ったら、いきなりふわりと微笑んだ。それはまるで蕾の百合が花開いた瞬間を目の当たりにしたような、なんとも言えない美しさだった。つられて俺もふにゃりと笑う。そんな顔見せられたらでれっとしちゃうのはしょうがないのだ。そんな俺をどう思ったのか塔矢は唇を寄せると軽くキスをした。
「おはよう。」
唇が触れるか触れないかの位置で囁くように言われた言葉に、全身が熱くなる。なんかすごくえっちくさいんだけど。朝から変な気分になっちゃうじゃんか〜。いや、朝だからか。俺って健康な男なわけだし・・・ってか、そんなこと考えてる場合じゃなくて、え〜と、え〜と。
とりあえず俺は小さい小さい声でおはよう、と返すのになんとか成功した。塔矢はますます笑みを深くしてもう1度俺に近付く。ヤバイ。もう1回キスされたら俺元気になっちゃうかも。
「お前ら・・・。」
ハッ!
突然響いた第三者の声に俺と塔矢はビシリと固まった。忘れてた。もう一人居たんだった。もしや見られた?この状況・・・。
「めっちゃ寝相悪いんやな。進藤はともかく、塔矢も相当なもんや。」
良かったぁ。キスしてたの見られてなかったみたいだ。
俺がほっと息を吐くのと、塔矢がはぁと溜息吐くのは同時だった。寝てる姿勢のまま社の方を見ると布団に起き上がってう〜んと伸びをしてる姿が見えた。塔矢がむくりと起き上がる。
「今日は随分早起きだね。この前はボクが叩き起こすまで絶対起きなかったくせに。」
「あの時は疲れてたんや。」
「ああそう。今日は疲れも無く元気一杯なわけだね。それは良かった。」
「なんや。ご機嫌斜めやな。もしや塔矢って低血圧とか?女みたいに。」
「そういうわけじゃないけれど。他人が一緒だったせいかな。よく眠れなくてね。」
「だったら自分の部屋で一人で寝たら良かったやん。なぁ?進藤。」
俺に話をふるのはやめてくれ。
塔矢からなんだか不穏な空気が流れているのに、社は全然気付いてないようでのほほんとしたものだ。頼むから社、もう一言もしゃべるな。ほら見ろ。塔矢のあの笑顔はヤバイ時の笑顔だぞ!
「あ〜!なんか腹減った!!朝飯にしようぜ!!」
俺は勢いよく起き上がるとキビキビと布団をたたみ始めた。
結局その場はなんとか治まり、終始和やかムード・・というわけにはいかなかったけれど、とりあえず無事に朝食を済ませ、後は3人で囲碁三昧だった。
「ほな、お邪魔しました。」
社は靴を履き終えてこちらに向き直るとペコリと頭を下げた。
3人で思う存分碁を打って、その後のかなり白熱した検討に俺はすごく満足していた。充実した時間はあっという間に過ぎて、陽はもう傾きかけている。もう少し3人で検討したかったけれど、社の新幹線の時間もあって今日のところはお開きになった。ちょっと残念・・・。
「突然泊めてもらって悪かったな。おおきに。助かったわ。」
「今度来る時は遅くても3日前には連絡するように。」
塔矢の言葉に社は笑いながら、そうするわ、と答えた。
「また、打とうな!」
「ああ、またな!二人とも囲碁ばっかりやなく、私生活も頑張りや!特に塔矢、近況報告楽しみにしてるわ!」
「・・・余計なお世話だ。」
塔矢がぼそりと呟くと、社は面白そうに笑って帰っていった。俺達は社のいなくなった玄関で、暫くぼんやり立っていた。
やっと塔矢と二人きりになれたというのに、この淋しさはなんだろう。
「見送りってなんか淋しいよな・・・。」
「・・・そうだね。」
塔矢も最初はあんなに邪魔にしていたくせに、今は少し淋しそうな顔をしている。
「台風一過って感じだったけど。」
「台風一過って言えば昔、俺台風一家かと思っててさ〜、ファミリーかよ!みたいな。」
部屋へと続く廊下を歩きながら、しんみりした雰囲気を和ませようかと言った言葉だったけど、相手は塔矢だった。ちょっとくだらなさすぎだったかな。なんて思っていたら意外と塔矢は笑っていて。
「バカ進藤。」
笑いながら俺を引き寄せると柔らかく唇を重ねてきた。下唇を舐められて思わず口を開けると、すぐに塔矢の熱い舌が入り込んできて、俺のと絡めると吸い上げる。なんでこいつこんなにキスがうまいんだろう。
キスをしながら塔矢の手が、着ていたTシャツの上から這うように段々と降りてくる。やがて裾から入り込んだ右手が、直に腰に触れたと思ったらさらに引き寄せられ、下半身が密着する。
「とう・・・や、ここ廊下・・・。」
「誰も見てないよ。」
唇が触れ合った状態で囁かれて、塔矢の吐息が流れてくる感覚に身体が震えた。すぐ側に部屋への入口があるというのに、それすらも待てないような塔矢に、やっぱ廊下でっていうのはまずいだろう、と思いながらも嬉しい気持ちも確かにあって。ああ、でも俺これ以上進んだら立ってられないよ。
窓から差し込む西日が俺達を柔らかく包み込み、全てをオレンジ色に染める。
きっと明日もいい天気だろう。
ピンポーン
そんな中鳴り響く昨日に引き続き無粋なインターホン。俺の首筋に唇を寄せていた塔矢の動きが一瞬止まる。だがそれは本当に一瞬で、またすぐに再開した。首筋にきつく吸い付かれ、身体の奥から何かがぞくりと這い上がる。
ピンポーン
2回目のインターホンの音にもう塔矢は反応しなかった。まるで何も聞こえてないように俺の胸を弄る左手に慌てたのは俺の方で。
「塔矢、誰か来た・・・。」
「そうだね。」
「出なくて・・・いいの、か。」
「誰も居ないと思って諦めるさ。」
「でも、社・・・かも・・・。」
「違うよ。」
「塔矢・・・あっ!」
胸の突起を摘まれて思わず上擦った声が出た。まずい。ここは廊下で、玄関からは見えないけれど声が聞こえたら大変だ。俺は慌てて自分の口を塞ごうと上げた手を、塔矢の手がやんわり掴んだ。
「大丈夫。聞こえない。」
俺の考えてることがわかるのか、塔矢は俺の耳元でそんなことを囁いて耳朶を口に含んだ。ねっとりとした感覚とぴちゃりとした水音に身体がどんどん熱くなっていく。俺は少しでも熱を冷まそうと大きく深呼吸した。
「お〜い!アキラ〜!居ないのか〜!?」
ガラリと玄関の引き戸が開く音と同時に聞こえてきたのは、覚えのある間延びした声。
その声を聞いた途端、塔矢の身体から力が抜けた。がっくりと俺の肩に頭を乗せた塔矢が消え入りそうなほど小さく、ふざけるな、と呟く。
なんてタイミングの悪い。しかも、その声の主は勝手に上がりこんだようで床を歩く音が聞こえてくる。
うわわ、この状況やばいって。俺はぐったりしてる塔矢を自分から離して、少し乱れた服を直し身体の火照りを冷ますべく大きく深呼吸をした。その間も塔矢は項垂れたまま動かない。おいおい、大丈夫かよ?
やがて廊下の角からひょこっと顔を覗かせたのは塔矢門下の芦原弘幸。
「なんだ〜居るんじゃ〜ん。インターホン鳴らしても出てこないから、居ないのかと思ったよ〜。」
いつもの能天気な顔で塔矢に近付いてくる。俺は塔矢の様子が心配になってそっと顔を伺うと、芦原に向けられていたのは予想外に穏やかな笑顔だった。当たり前か。社に対する時のように不機嫌な顔はできまい。一応彼は兄弟子に当たるのだから。
「こんにちは。インターホンの音全然聞こえませんでした。芦原さんが図々しく入って来なかったら、ずっと気付かなかったかもしれませんね。」
「え〜。インターホン故障かなぁ?直した方がいいよ。」
「そうですね。で、今日は何か御用ですか?こんな時間に。」
・・・・コワイ。
塔矢はニコニコとしながら彼お得意の嫌味を言っても、芦原は全然気付いてないようだ。天然は恐ろしい。不本意ながら俺も天然だとよく言われるけれど、彼には適いそうもないと思う。イヤ、適わなくて全然構わないんだけど。
「あれ?進藤くん来てたんだ〜?調度良かった。実は秋刀魚を貰ってさ〜、夕飯にどうかと思って。まだだろ?夕飯。」
そう言うと芦原さんは、手に持ってた袋を俺たちの前に差し出した。俺が覗くと、確かに秋刀魚が3匹入っている。
「実は緒方さんも誘ったんだけど、忙しいって断られてさ。でも、進藤くんが居るなら1匹あまらせなくて調度良かったな。」
「はははは。それは本当に調度良かったですね。」
緒方さんが来なくて本当に良かった、という意味をありありと含ませての塔矢の言葉。きっとニコニコしていれば何を言っても許される、と塔矢は思ってるに違いない。そんなことにも全然頓着しない芦原さんはそうだねぇ、なんてのほほんとしたものだ。
「よし!飯の支度をしよう!アキラも進藤くんも手伝えよ!」
マイペース芦原さんは、秋刀魚の入った袋をぶんぶんふり回してキッチンへと消えていった。二人きりになった廊下で塔矢が大きな溜息を吐く。
「・・・ごめん。」
「なんでお前が謝るんだよ。」
「だってせっかくキミと・・・。」
塔矢の言葉に自然に顔が熱くなる。うん。俺だってすごく残念だよ。せっかくの甘い雰囲気もどっかいっちゃったよな。
俺が笑うと塔矢がこつんと額をつけてきた。少しの間見詰め合って、どちらともなく唇を寄せる。
「ほら〜!二人とも早く来いよ〜!」
奥から聞こえてきた声に二人でびくりと身体を震わせた。むぅ。あくまでも邪魔するつもりだな・・・。
なんて彼はそんなことこれっぽっちも思ってやしないんだろうけど。
塔矢は心底疲れたような顔をして力なく行こうか、と呟いた。
結局夕飯の支度は一人張り切っている芦原さんと、無理矢理手伝わされてる塔矢がメインになって行われた。料理なんてもちろんしたこともない俺に与えられた仕事は、秋刀魚に添える大根おろしを作ることで、俺は一人居間のテーブルの上でシャリシャリと大根をおろしていた。居間と繋がってる台所からは、二人の話し声が聞こえてくるんだけど、傍から聞いてると塔矢の不機嫌さが丸分かりなんだよな。言い方は穏やかなのに話す内容のあちらこちらに棘が含まれていて、俺の方がうわぁ〜と焦るほどで。それなのに芦原さんは気にする風でもなく・・・こんなに鈍い人もなかなか居ないだろう。ってか、わかってて知らん振りしてるのか?だったらかなりの大物かも。
二人の会話を聞きながらそんなことを考えてたら、気がついた時には大根1本まるまるおろしていた・・・。俺も人のこと言えない大ボケ野郎だったことを思わぬ形で証明してしまった。呆れ顔の芦原さんと、苦笑した塔矢と、山のような大根おろし。
勿体無いから秋刀魚の上に大根おろしを山盛りかけたら、メインが大根なのか秋刀魚なのかわからなくなってしまった。ハハ。
でも、芦原さんの持ってきた秋刀魚は確かに新鮮で、油ものっててとても美味かった。
「進藤くんはまだ帰らないの?帰るなら一緒に駅まで行こうか。」
片付けも終わり、居間のテーブルでまったりお茶を飲んでいた俺は、芦原さんの言葉に時計を見るともう既に7時を回っていた。明日は仕事も入ってるし、俺もそろそろ帰らなくちゃ。塔矢も明日は仕事だし長居するのも悪いよな。
立ち上がった芦原さんに続いて腰を浮かせると、隣に座っていた塔矢にぎゅっと手を握られた。塔矢を見ると澄ました顔でお茶を飲みながら、チラリとこちらに視線を向けた。
「ボク達これから昼間やってた検討の続きするんで。」
「あ、そーなの?二人とも勉強熱心だねぇ。感心しちゃうよ。俺もうかうかしてたら抜かれちゃうな〜。」
塔矢の嘘に疑いも持たず、芦原さんはへらへら笑って帰って行った。単純で能天気で悩みなんか1つもないんだろうなぁ、と思うとちょっと羨ましい気もする。
「帰りたかった?」
塔矢は自分の部屋の障子を閉めると、胡座をかいて座っている俺の前に正座をして座った。いきなりの改まった格好に俺もつられて正座をする。
部屋の真ん中で、男が向かい合って正座してるのもなんだかとっても滑稽なんだけど。まぁ、誰がいるわけでもないからいいか。
「別に。でも、もうこんな時間だしそろそろ帰らなくちゃいけないな。明日からまた仕事だしさ。お前も迷惑だろ?」
「迷惑だなんてそんなことは全然ない!」
「そっか。なら良かった。」
にぱと笑ったら塔矢は一瞬困ったような顔をして、でもすぐに笑顔になった。そっと俺の手を取る。
「ずっとなんて言わないから、後少しだけ・・・せめて8時まで一緒に居てくれないか。」
「8時まででいいのか?」
「じゃあ、9時まで。」
二人で顔を見合わせて笑う。こんな風に柔らかく笑う塔矢を最近知った。だってちょっと前までは俺には怒る姿しか見せてくれなかったから。その時を思えばすごい進歩だ。
あ〜あ、明日も休みだったら良かったのに。楽しい時間はあっという間で、今日と言う日が終わってしまうのが惜しい。もっと時間があれば。例えばそう、1日が48時間あったならもっともっと一緒に居られたのに。
そんなことを考えたらキリがないのは分かってるんだけどさ。
「進藤・・。」
塔矢が俺をゆっくりと引き寄せる。俺は身体の力を抜いて塔矢の胸にストンと収まった。塔矢からふわりといい匂いがして、うっとり目を閉じると上から優しいキスが降りてくる。啄ばむようだったキスが、やがて熱いものへと変化していく。
キスをしながら塔矢がゆっくりと俺に体重をかけていき、俺も重力には逆らわずそのまま畳の上に横たわる。塔矢の性格を象徴してるような真っ直ぐな髪が、俺の頬をさらさら掠めて少しくすぐったいよ。
このまま塔矢としちゃったら明日大変だろうな。でもそれでもいい。もうどうなってもいい。塔矢となら俺・・・。
――――――――俺・・・。
ピンポーン
ハイ?
今、インターホンがなりませんでしたでしょうか。
塔矢は俺の脚の間に身体を割り込ませ、俺の上に圧し掛かるとTシャツを捲り上げた。どうも来客にはシカトを決め込んだようだ。塔矢の熱い掌の感触にぞくりと肌が粟立つ。
こんな時間にやってくる客なんてろくでもない客に違いない・・・よな。
なんだかとても嫌な予感がするのは多分気のせい。
ピンポーン
2回目の呼出音。
塔矢が俺のジーンズのベルトに手をかけた。
「塔矢・・・・。」
「何?」
「あのさ・・・。」
「ボクは絶対出ないよ。大丈夫。今度は鍵かけてあるし、そのうち諦めるさ。」
ならいいか。誰も出なくて鍵もかかってたら留守だと思って帰るだろう。
しかし、その考えは甘かった。
突然鳴ったガラリという音。明らかに玄関の引き戸が開けられた音だ。
流石の塔矢もその音に動きが止まった。二人で顔を見合わせる。
「ただいま〜!アキラさ〜ん!?」
華やかなその声はもしかしてもしなくても
「お母さんッ!?」
だよな。やっぱ。
塔矢はガバッと起き上がると、パタパタとこちらに歩いてくる足音に慌てて障子を開けた。
俺も急いで起き上がり、捲れたTシャツを直し外されかけたベルトを元に戻した。その間約3秒。
「アキラさん、ただいま。」
「あ、おかえりなさい。でも、お母さん帰国は明日のはずじゃ・・・。」
「うふふ。ビックリした?お父さんの用事が早く片付いたから帰ってきたのよ。」
「ああ・・・そう。」
あからさまに落胆している息子を気に止める様子もなく、塔矢の後からひょこっと頭を出した俺に気付くとあら!と声を上げた。俺は2〜3回しか会った事はないけれど、相変わらず綺麗な人だ。最初塔矢は父親似かと思ってたけど、今はどちらかと言うと母親似なんじゃないかな、と思う。
「進藤さん、いらしてたの?やだわ、私ったら大きな声出しちゃって、驚いたでしょう?」
彼女はそういうと少女のように笑った。笑顔もどことなく塔矢と似ている。
「お父さんは?」
「お父さん棋院に用事があるんですって。もうすぐ来ると思うけど。そうだわ、あなた達ご飯は食べたの?」
「さっき芦原さんが秋刀魚持ってきてくれて3人で食べたよ。」
「まぁ、良かったわね。じゃあお茶でもどうかしら。今入れてくるわね。」
「あの、俺もう帰りますから。こんな時間だし。」
「えっ。」
台所に行きかけた塔矢のお母さんに慌てて声をかけると、先に反応したのは塔矢の方だった。
思わず苦笑する。
塔矢や塔矢のお母さんには悪いけど、先生居なくて良かった。あの威圧感は嫌いじゃないんだけど、やっぱり緊張する。その塔矢先生ももうすぐ戻るだろうし、久しぶりの家族水入らずに俺が居ちゃ邪魔だよな。
俺は部屋に戻るとディパックを背負った。
「・・・帰るの?」
「うん。長居しちゃって悪かったな。」
「そんなこっちこそ・・・。」
お気に入りのスニーカーに足を通して振り返ると、塔矢が情けない顔をして立っていた。
そんな顔すんなよ。俺だって・・・すごく残念だよ・・・。
でも、明日だって会えるし、明後日だって会えるんだ。だから大丈夫。
その時奥からパタパタパタと足音がした。
「進藤さん、よろしかったらこれお持ちになって。」
そう言うと塔矢のお母さんが白い紙袋を差し出した。
「韓国海苔なの。お土産買ってる暇もあまりなくって。進藤さん韓国海苔はお好きかしら。」
「うわぁ、ありがとうございます!俺、韓国海苔好きです!」
「そう、良かったわ。アキラさんも大好きなのよ。ね。」
「え、あ、うん。」
「それじゃ、お邪魔しました。塔矢また明日!」
「ああ。気をつけて。」
「寒・・・。」
外に出ると冷たい風が頬を突き刺した。
手に持った紙袋が歩くたびにカサカサなって、少しだけ沈んだ気分の俺を励ます。
なんだか慌しい一日だった。二人っきりになれたのなんてちょっとだけだったけど、それでも楽しかった。
ふと空を見上げると満点の星。
「うわぁ・・・。」
宝石箱ひっくり返したような夜空。冷え込んでいるせいで、空気が澄んでるのかも知れない。こんなにはっきりと見える星なんて久しぶりだ。そういえば、佐為が居なくなってしまってからは、空を見上げることなんてしなくなってしまっていた。
『ほらほら、ヒカル。朧ろ気ですが星が見えますよ。』
『私が居た頃はもう少しはっきり見えていたんですけどねぇ。』
佐為・・・俺頑張ってるよ。今すごく幸せなんだ。
俺は少しの間足を泊めてキラキラ光る星達を眺めていた。
「進藤!」
突然後から声をかけられて驚いて振り向くと、ジャケットを羽織った塔矢が走ってきたのか、息を切らして立っていた。
「塔矢。どうしたんだ?」
「駅まで送っていくよ。」
「いいよ。女の子じゃないんだし。寒いから風邪ひくぞ。」
「ボクが送りたいんだ。」
強い意志を持った瞳で見つめられて、きっと何を言っても無駄なんだろうと思いつつ、嬉しい気持ちも確かにあって。俺が頷くと塔矢はほっとしたような顔をした。
二人で肩を並べて歩く。
「さっき何してたんだ?」
「さっき?」
「道路の真ん中でぼんやりしてただろう。」
「ああ、星見てたんだ。」
「星?」
ほら。
俺が空を指差すと塔矢も空を見上げた。
「すごいな。」
「だろ?最近ずっと前だけ見て走ってたから、余裕なかったのな。空見上げることなんて全然無かった。これでも、昔はよく見てたんだけどなぁ。」
言いながら俺はいつも一緒に居た、風流な幽霊に思いを馳せた。
急に時間の流れがゆったりしたものへと変化する。何も焦る事はないのかもしれない。だって、俺達にはこれからまだまだ長い時間があるのだから。
塔矢にも俺の気持ちが通じたのだろうか。そっと手を伸ばすと俺の指に自分の指を絡める。
ここら辺は閑静な住宅街だから、こんな時間には人も歩いてない。まぁ歩いていても暗いし、俺達の手元なんか気にもしないだろうが。
「今日は楽しかったな。予定外だったけど社と久しぶりに会えたし。」
「芦原さんの秋刀魚も美味しかったしね。」
「それにお土産貰ったし。」
俺が塔矢のお母さんにもらった韓国海苔の入った紙袋を持ち上げると、二人で顔を見合わせて笑った。
「俺、昨日と今日とでお前から“好き”をたくさん貰った気がするよ。」
「ボクはキミと過ごして今まで以上にキミが好きになった。」
さらりとすごい事を言われて、途端に顔に熱が集中する。暗くて良かった。俺きっと真っ赤な顔してるから。小さく「俺もだよ」って言ったら、「良かった」と返ってきた。
それから暫く二人で歩いて。普段とは考えられないぐらいゆっくりと、手を繋ぎながら。周りには誰も居なくてまるで二人で違う世界にきたようなそんな不思議な感覚。
「なぁ、今度休みが重なったら二人で旅行しようよ。」
「旅行?どこへ?」
「どこでもいいんだ。海の見える温泉とか。あ、そうだ、いきなり社んとこに押しかけるとか。」
「アハハ、それいいね。」
「だろ?」
「ボクはどこでもいいよ。キミが一緒なら。でも、出来れば今度は・・・」
塔矢は俺の耳に口元を寄せるとこう囁いた。
“邪魔の入らない所がいいな。もっとキミを知りたいから。”
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