「風が優しくなったね。冬ももう終わりかな。これから、どんどん暖かくなっていくんだと思うとわくわくしない?」
アキラの言葉に返事はない。ただ黙って前方を見ている瞳が思い出したように瞬きを繰り返す。
それだけがこの人形は生きていることの証。
アキラは車椅子を押す手を止めると前方に回ってずれてしまったヒカルのひざ掛けを直した。
跪いたままヒカルの顔を覗きむ。相変わらず表情のない白い顔にそっと手をあてると、指先からヒカルの熱が
伝わってくる。その熱はじわじわとアキラの身体を侵食し、心の奥底にあった氷の塊までも解かしていく。
「芦原さんがね、ボク達兄弟みたいだって。おかしいよね。全然似てないのに。髪の色だってボクは闇のように
真っ黒な色なのに、キミは太陽みたいにキラキラしててすごく綺麗だし・・・でも、兄弟って言われるのも悪くない
かな。ねぇ、ヒカル。ボクがキミを守ってあげる。だからずっとボクの側に居て。どこにも行かないで。」
ヒカルは何も言わない。それでも自分の言葉は確かにヒカルに届いているとアキラは確信している。
ヒカルの膝に頬を乗せると静かに瞳を閉じた。
このままでいい。キミの存在だけ感じられればいい。
ひっそりと、囁くように優しく言葉は紡がれた。
「身体・・・元気になって良かった・・・。」
ヒカルの風邪が完治してからの1ヵ月でアキラは変わった。
ヒカルを車椅子に乗せ、どこにでも連れていった。毎日の勉強や習い事、食事や芦原と碁を楽しむ時も
傍らにはヒカルを置いた。片時も離れずいつも一緒に。
「あ〜あ。なんか俺お役御免って感じだなぁ〜。」
「もともと大した役でもなかったろうが。」
「ああ、ひどいよ!緒方さん!」
芦原がぷぅと頬を膨らませるのを緒方は楽しそうに眺める。芦原はテーブルに頬杖をつきながら庭で
ヒカルの車椅子を押しているアキラを見た。何やら楽しそうに話している。
緒方はその様子をちらりと見てまたテーブルに広げた書類に目を通し始める。
今まで仕事は自分の部屋でしていた緒方だったが、最近はアキラの姿の見える所でしていることが多い。
なんだかんだ言ってアキラのことを誰よりも気にかけていることを芦原は知っている。
「なぁんかホントに話してるみたいだなぁ。」
「そうだな。」
「楽しいのかな。返事返ってこない相手に話し掛けてさ。」
「返ってくるかもしれないよ。」
緒方とは違う声に芦原が振り向くと、いつのまにきたのか白川が立っていた。
白川はにっこり微笑んで、すぐに庭先へと視線を移す。
「返ってくるかもしれないって、何がですか?」
「あの人形。失くした魂取り戻すかもね。」
「ええ!?あの人形生き返るの!?」
「生き返るって・・・・死んでるわけじゃないんだから。まぁ、もしかしたらって話。そういう症例もあるってことだよ。
確立は5%にも満たないって話だけどね。」
白川が苦笑しながら話すのを緒方も書類を捲る手を止めて見た。
二人に見つめられて、白川がまた微笑う。
「ああいう人形はね、魂がないわけじゃないんだ。自分の身体の奥底にそっと隠れているんだよ。
だからああいう風に誰かが献身的につくしてくれたら、もしかしたらヒョッコリ顔を覗かせてくれるかも知れないね。」
「そしたらあの人形しゃべれるようになるんですか?」
「だから、もしかして、の話だよ。しかし、アキラくん随分明るい表情を見せるようになったなぁ。あの人形のおかげ
なのかな?」
「俺のおかげじゃないことは確かですよ。」
アキラの相談役であるものの、あまりアキラに相談らしい相談を受けたこともない芦原がぷうとまた膨れるのを見て
緒方と白川は声を上げて笑った。
* * * * * *
高い門を前にして二人の少年が佇んでいる。
一人は勝気そうな瞳に強い光を宿した少年。赤茶色の髪がつんと立っている。
そしてもう一人は彼とは対照的な穏やかな光を身に纏った少年。年もいくらか上なのだろう、随分落ち着いて
見える。二人は長い道のりを歩いてきたと思わせる踵の磨り減った靴と薄汚れたマント、肩には荷物の入った袋を
下げていた。
「やっと見つけた。」
「ああ。しかし、随分と高い門だな。周りの塀も高いし・・。」
二人は目の前の門を見上げる。高く聳え立つそれはまるで要塞のようだ。
勝気そうな目をした少年がキッと前を見据える。
「何はともあれここまで来たんだ!行くよ、伊角さん!」
「そうだな、行こう。」
二人は力強く一歩を踏み出した。
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