自分の部屋から勉強部屋へと続く長い回廊から、広い中庭が見える。
程よく手入れされた中庭の奥にはこの屋敷を囲う高い塀があり、それを隠すかのように木々が茂っていた。
不自然なまでに高い塀は屋敷を守るためというよりは、自分を閉じ込めている檻のような気がしてならない。
アキラはぼんやりと外を眺めた。
青い空はどこまでも高く、澄んでいる。


今日の授業は・・・数学と歴史と語学と地理と・・・・それから・・・。

・・・なんていい天気だろう。


ヒカルと初めて会った日もこんな日だった。
懐かしい記憶は色褪せることはない。

アキラは手に持っていた今日授業で使ういろいろな参考書や資料を手摺に置くと、庭へと降り立つ。
檻のような高い塀の一部が壊れていることを、アキラは知っていた。




久しぶりに一人で町へ出た。
町の中心部の喧騒を通り抜け、懐かしい道を辿る。
少しだけ変わった町並み、小さい頃よく歩いた石畳。そう、ここのパン屋の角を曲がると見える。
碁会所は今も昔も変わりがなかった。
昔ヒカルが覗いていたように自分も窓からそっと中を覗くと、前と同じように碁を打つ人達が居たが、
みんな見知らぬ顔だった。
何年もたっているから当たり前なのだけれど、どこか淋しさも拭いきれない。
アキラは小さく息を吐くとその場を後にした。

石畳の道は真っ直ぐ続く。
まるで自分の人生のように。選択肢の無い真っ直ぐな道は決して自分の選んだ道ではなく。
本当は自由に町を歩きたかった。意思のままに、自由に。
普通に学校に行って、友達と遊んだり、けんかしたり。
・・・・ヒカルと碁を打ったり。
しかし、それはとうの昔に諦めた夢だった。


やがて見えてきた小さな裁縫店に母の姿を見つけた。今も変わらずにあそこで働いている。
国から援助金がたくさん出たはずなのに、何かしてないと淋しくてしょうがないのだろう。
そう思うと胸の奥がキリキリ痛んだ。
遠くからでもわかる、少し痩せた横顔。
家を出る時、母はなんと言ったのだったか。

「いってらっしゃい。」

彼女の笑顔とともに贈られた言葉が暖かく蘇る。

「貴女はたった一人選ばれた子供なの。なんて素晴らしいことでしょう。お母さんとても自慢に思うわ。」

そう言いながらも、前夜にたった一人で泣いていた母にアキラは気付いていた。
決して涙を見せたことのない母の背中はとても小さく見えた。


「どうかなさいましたか?」
通りかかった品のよさそうな御婦人に突然声をかけられて、視線を移すと頬からぱたぱたと雫が落ちた。
その時初めて自分が泣いてることに気付いた。
心配そうに見つめる婦人は母と同じぐらいの年齢だろうか。服装や物腰から裕福そうな暮らしが伺える。
「いえ、なんでもないです。」
手の甲で涙を拭うと婦人はカバンからレースのついた白いハンカチを取り出し、アキラに差し出した。
「お持ちなさい。」
彼女は静かに微笑むとその場を後にした。
ハンカチからは母と同じ香りがして、「ありがとう。」と呟いた言葉は婦人に届く前に霧散した。



気がつくと海の見える公園にきていた。広大な海に浮かぶ作りかけの橋が遥か彼方まで続いている。
海に囲まれたこの国には諸外国への連絡通路が船しかなかった。
この国の一大事業となるこの橋が完成すれば、国交も今まで以上にスムーズに運び国に富をもたらすことは
間違いない。
国民全員の期待がこの橋に注がれている。

ボクにとってはただの・・・・だというのに。

アキラは近くにあったベンチに腰を下ろして、ぼんやりとその大きな橋を眺めた。
青い空と青い海の間に向かって真っ直ぐ伸びる白い端がまるでどこかの楽園へと続いている、そんな錯覚を
思わせる。

「余所の国から来なさったのかい?」

どのくらいそうしてたのか、いつの間にか横に座っていた老婆に話し掛けられた。
いかにも日向ぼっこをしにきたというようなのんびりとした感じの老婆だ。
「ええ、まぁ。」
アキラが言いにくそうに口篭ったが、老婆は気にしてないようで話し続ける。

「橋の落成記念の祭典を見に来なさったのかい?」
「・・・え?」
「残念だったねぇ。この橋来年の12月にならないと完成しないんだよ。来年来なさったら良かったのに。きっと
素晴らしい祭典が見られたよ。」
「いえ、ボクは祭典には興味ないですし・・・。」
「おやまぁ。100年に一度の祭典はすごく盛大なのに。それにね、その為に国民の中から選ばれたたった一人の
お子が見られるよ。噂に寄るとすごく聡明で美しい少年だそうでね。私はその子を見るのが今から楽しみでなら
ないよ。」
「見極める為に、ですか。この国の未来をその子に任せられるものかどうかを。」

一段低く言ったアキラに老婆はまじまじと顔を眺めた。

「まさか、私らにそんな権限はないよ。第一神に選ばれたお子を誰が疑うものかね。あなたは余所の国から来な
さったから知らないんだよ。この国の誰もがそのお子を何よりも尊い存在だと思っていることを。」
「尊い・・・・。」

アキラが繰り返すと老婆は満足げに頷いた。


違う。
そんなんじゃない。
神に選ばれたわけじゃない。
たまたま、だ。
みんなが期待しても応えられない。
なぜなら、ボクはたった一個のちっぽけなただの人間だからだ。


「私は毎日ここに来て橋が完成する様を見ているのが好きなんだよ。毎日少しずつ少しずつ出来上がっていく様を
見るのがね。この橋が完成すればこの国はもっともっと豊かになるだろう。私らの暮らしもずっと楽になるよ。」

そう言うと老婆は立ち上がり、昼だよ、と告げて行ってしまった。
アキラは目の前の地平線まで延びる白く大きな橋を眺めた。
この橋の完成を望んでないのは多分この国の中では自分一人だろう。

小さい頃父と見に来た橋は完成には程遠い姿で、それでも「大きい大きい!」とはしゃいだ。
自分を抱き上げて微笑んだ父はもういない。
あの時の感動も今はない。
あるのは白く巨大な塊と、それに今にも押し潰されそうな自分だけだ。


アキラはいつまでも目の前の白い怪物を眺めていた。



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