Family
塔矢行洋は滅多な事では動じない。
もともと彼は根っからのB型体質で直情型の短気だったのだが、その性格をこうまで変えてしまったのは愛妻明子によるものだと行洋は思っている。
「でも、アキラさん一人残していくのはやっぱり心配だわ。」
その「でも」はどこから来ているのだ?行洋は心の中で問わずにはいられない。
明子がこういう話し方をするのは今に始まった事ではない。
彼女は自分の頭の中で考えたことの続きを普通に声を出して話し始めるので、いきなり文章が接続詞から始まることがよくある。
行洋は長年連れ添い慣れてしまっているので敢えて聞き返すことはしないのだが、以前「行洋さんどう思う?」から始まった時はさすがに「何がだね?」と聞き返してしまった。
行洋は黙って明子が入れてくれた食後のお茶をすすった。このお茶は誰から頂いたものだったか、なんとか言う有名なお茶だった気がするが思い出せないな等と行洋が考えていると
「大丈夫ですよ。もう子供じゃありませんから。」
彼の自慢の息子が彼独特の笑顔で応えた。
「だから、心配なのよ。もし夜中に誰か知らない人がやってきて妊娠でもしたら・・・!」
うぉい!
行洋は明子に突っ込みたくなるのを必死で堪えた。そんな行洋には気付かず明子は話し続ける。
「知らない人ならまだしも、緒方さん当たりすごく危ない気がするのよ。何かあったらあの方に責任とって頂かなくては。でもお母さんあの方を息子だなんて思いたくないわ。」
緒方君はこんなことを言われているなんて夢にも思っていないだろう。でも、私も緒方君を息子だなんて呼びたくは無い、というかその前にアキラは男だと言うことを忘れてはいないかね?明子さん。
明子は昔から女の子を欲しがっていた。しかし妊娠した子が男の子だとわかると少し落胆したようだが、生まれてきた我が子の予想外に美しい顔を見た途端、そんなことはどうでもよくなってしまったらしい。
彼女はにこにこと生まれて間もないアキラを腕に抱きながら「この子はお嫁には出さないわ。」と言った。
この言葉を聞いた行洋は慌てて近くに居た看護士に我が子の性別を確認してしまったという笑えない話がある。
行洋が頭の中でぐるぐる考えていると彼の自慢の息子が口を開いた。
「やだなぁお母さん。ボクが妊娠なんてするわけないでしょう。妊娠させることはあっても。」
ビシッと固まってしまった行洋の存在に二人は気付かない。
明子はしばらく息子の美しい顔をまじまじと眺めていたが、やがて、そうね、と笑い出した。
「やだわ。アキラさんあまりに美しいからお母さんたまに娘だと勘違いしてしまうのよ。」
ケタケタと笑い出す明子にアキラはニッコリ微笑む。
二人を見ている行洋は思う。
笑い事じゃないだろう!
「でも、アキラさんが男の子だからって安心は出来ないわ!今は男の子も危ないって言うし。何かあったら・・・もし緒方さんあたりに何かされそうになったら包丁でぐっさりやっておしまいなさい!」
「あはは。そうですね、叩き切ってやります。」
アキラは極上の微笑を浮かべて物騒な事を言う。
近い将来のことを思うと一瞬気が遠くなった行洋を現実に引き戻したのは、まだ続く二人の会話だった。
「男の子も危ないなんてイヤな世の中ね。行洋さん知ってる?男の子同士でもちゃんとできるのよ。」
口に含んだ誰から貰ったか思い出せないがかなり良いものらしいお茶を噴出さなかった行洋を褒めてあげたい。
慌てて飲み込んだ行洋の喉が「うむ。」と鳴ったのを明子は行洋の言葉だと受け取り、満足したように頷く。
「お母さん詳しいんですね。」
「お母さん女子高だったのよ!自慢じゃないけど詳しいわよ。なんでも聞いてね。」
明子がうふふと少女のように微笑む隣で行洋は思う。
そんなこと大事な息子に教えんでもよろしい!
行洋は自分の湯飲み茶碗を握り締めた。その茶碗にはかわいい文字で“行洋さん”と書かれてある。若い頃明子と二人で作ったものである。もちろん明子の湯飲み茶碗には行洋の文字で“明子さん”と書かれてあったのだが、早々に明子が割ってしまい今は行洋を一人置いて友達とTDLに行った時に買ってきたというミニーマウスの絵が書かれている湯飲みを使っている。
因みに息子のアキラの湯飲みはミッキーマウスである。アキラと明子の湯飲みは明らかにペアであるのに対し、自分に買ってきたのがドナルドダックだったということに行洋は複雑な気持ちになった。
未だに愛用されている“行洋さん”と書かれた茶碗は行洋が握り締めてもびくともしなかった。
「大丈夫です。ちゃんと知ってますから。」
なんで知っているんだ!?
アキラの発言にしかし、行洋は恐ろしくて聞けない。
「アキラさん、もしそういう人が居たらちゃんとお母さんに教えてね。お母さんその人が例え前髪が金髪でも囲碁をやる人でも驚かないから。」
それを聞いたアキラの顔が薄っすらと赤くなった気がして、行洋は気のせいだと自分に言い聞かせた。
昔、アキラが嬉しそうに「ライバルを見つけました。」と言っていた姿を思い出す。
あれからすぐに落胆したように暗い顔をしていたアキラがプロになって奮起している姿を行洋は嬉しく思っていた。
このまま真っ直ぐ進んで欲しい。途中でどんな障害があってもこの子なら乗り越えられるはずだ。
最高のライバルを得たこの子なら神の一手も極められるかもしれないと、そう思っている。
しかし、それは囲碁での話。
私の育て方が間違ってたのだろうか。囲碁にしか興味を持たない子になってしまった。
類いまれなる容姿を持ちながら、女の子の話など出てきたのは碁会所の受付をやってくれている市河さんぐらいだ。
彼女はダメだ、年がいきすぎている。いや、別に女の子に興味を持って欲しいとかそういうことではなく、私が言いたいのは進藤君は男の子だということだ!
くわ!と行洋が目を見開いたが、この仲の良い母子は気付いていない。
「その・・・好きな人はいます。明るくて元気でかわいくて碁もうまいし・・・前髪金髪だけど。」
「今度その人連れていらっしゃいな。お母さんも彼とゆっくりお話したいわ。」
「ハイ!」
赤くなった息子の極上の笑顔に行洋は眩暈がした。
明子が息子の好きな人を“彼”と呼んだことや、アキラがそれを否定しないことなどどうでも良かった。
行洋の背筋を悪寒が、イヤ予感が走った。とてつもなく嫌な予感である。しかも良い事にしろ悪い事にしろ良く当たる。
行洋の先読みの力は囲碁だけではなく、こんな時にも発揮されている。自分の能力が疎ましくなる瞬間だ。
ままままままままままままさか、進藤君と致しちゃったんじゃないだろうね!?
もしそうなら私は進藤君のご両親になんとお詫びしたら良いのか、いや、私達が不在になったことで一線を超えてしまったとしたら・・・・・行けない、アキラを一人残しては!
「行洋さん?なんか顔色が悪いみたいだけど。」
「やはり・・・アキラ一人を残していくのは心配だな。」
ぼそりと呟いた言葉に彼の聡明な息子は明るく応えた。
「大丈夫ですよ。ボク頑張りますから。お父さんも中国楽しんできて下さい。」
愛らしい息子の顔からは自分への絶大な尊敬と信用が伺えて、行洋は何も言えなくなってしまう。
暫く言葉を探して頭を巡らせていたが結局頷くことしかできなかった。
行洋が立ち上がると背後から「おやすみなさい。」とアキラの声がして、行洋は小さく「おやすみ。」と呟いた。
その日、こんなことで取り乱してしまいそうになる自分にまだまだだな、と思いつつ行洋は眠りについたのだった。
もちろん神頼みは忘れずに。
ああ神様、うちのアキラが進藤君を妊娠させるようなことがありませんように。
根本的に間違っている行洋の願いが聞き届けられることはないだろう。
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