9月20日        




指導碁の仕事を終え、外に出たところで時間を確認すると18時を少し回っていた。
今から碁会所に急いで行っても18時半は過ぎるだろう。進藤との待ち合わせに30分の遅刻だ。進藤のことだから時間通りには来ないだろうが、それでも遅れていくのは嫌だった。

携帯で碁会所に電話して、市河さんに進藤への遅れる旨の伝言を託し、碁会所へと急いだ。
駅から走ってきたせいで上がってしまった息を整え、何気ない様子で碁会所の中へ入ると市河さんがいつもと同じ明るい顔で出迎えてくれた。
ぐるりと辺りを見渡すと、角の方に見慣れた後姿をすぐに見つけた。進藤は棋譜を並べているのか碁盤に石を並べているようだ。
ボクは近付いてぎょっとした。
進藤の向かいに側、ボクの座るはずだったその席には先客が座って居たのだ。首に赤いリボンをつけた大きな熊のぬいぐるみが。
進藤はボクに気付かないようで、次々石を並べていく。その姿はまるでその熊のぬいぐるみと対局してるように見えて妙だ。
ボクがぬいぐるみを凝視していると、やっと気付いたのか進藤が顔を上げた。

「あれ、塔矢来てたんだ?気付かなかった。」
「ああ、遅れてすまなかった。それで・・・・そのぬいぐるみは何?」
「あ、悪い。今どけるからさ。」
「そうじゃなくて、」

進藤はぬいぐるみを持ち上げると自分の膝の上に乗せた。自分より少し小さいだけのぬいぐるみを抱える進藤は、まるで子供のようだ。

「貰ったんだ。緒方先生から。」
「え?緒方さん??なんで?」
「緒方先生も人から貰ったんだってさ。あの車の助手席にこいつ乗ってたんだぜ。なんだかおかしかったよ。似合わないっていうか。」

そう言った進藤はその光景を思い出したのか、楽しそうに笑っている。そんな進藤を横目に、ボクは彼の向かい側に腰を下ろした。

「でも、なぜ緒方さんがキミに?」
「俺の誕生日だからだろ。」
「え?」
「棋院でたまたま会ってさ、今日俺の誕生日なんだって言ったらさ、調度いいってこれくれたんだけど、ぬいぐるみなんか貰ってもなぁ。ここに来るまでも恥ずかしかったぜ。男がこんなでっかいぬいぐるみ抱えて歩いてんだもんな。」
「誕生日?今日?」
「そう、言ってなかったっけ?」
「聞いてない。」
「じゃ、言ってなかったかも。別にいいじゃん。打とうぜ。」

進藤はぬいぐるみを大事そうに抱えながら、今まで並べていた石を片付け始めた。
ボクはなんだか胸の奥からもやもやとしたものが這い上がってくるのを感じていた。

「どうして言ってくれなかったんだ。」
「わざわざ言うほどのもんじゃないだろ。それに俺別にお前からプレゼントとか欲しいわけじゃないし。」
「キミはいつもそうだ。ボクには何も言ってくれない。」
「何怒ってんだよ?」
「今日は帰るよ。せっかくの誕生日なんだからキミも家に帰ったら?」

勢いよく立ち上がったせいで椅子が大きな音を立てたが、そんな事はどうでも良かった。
驚いた顔で見ている進藤を置いてボクはさっさと碁会所を後にした。


ひどく頭にきた。
進藤はいつもそうなのだ。こうして碁会所でしょっちゅう打っているのに、自分のことは何も言わない。その日あった出来事を少し話すぐらいで、ボクは彼がどこに住んでるのかさえ知らない。

彼のことを何も知らない。

そりゃボクだって自分の誕生日を特別だと思った事もないけれど、それでも進藤には言ってほしかったと思う。あんな話のついでのように言うんじゃなくて、ちゃんと。ほとんど毎日顔を会わせているんだから。
だいたい、プレゼントなんかいらないとか言いながら、あの嬉しそうな顔はなんだ。
大事そうに大きな熊のぬいぐるみを抱えた進藤を思い出したら、また腹がたった。
ボクだって知ってたら何か用意できた。気の利いたものはあげられなかったかも知れないけれど、お祝いの言葉ぐらい・・
そこまで考えてふと足が止まった。
急に立ち止まったものだから後を歩いていた人が迷惑そうな顔をして通り過ぎていく。

そういえばボクは、進藤におめでとうの一言も言っていない。

贈る物は何も無くても言葉ぐらいかけれたはずなのに、緒方さんにプレゼント貰って嬉しそうな進藤の顔を見たら頭に来てしまって、そのまま出てきてしまった。
なんだか緒方さんに先を越されたようで悔しかったのだ。
おめでとう、と言えば良かった。
今日が進藤の誕生日だと分かった時に素直に「おめでとう。」と言えば良かった。
そう思った途端、後悔の念ががどっと押し寄せてきくる。
最近こういうことが多い。
つい余計なことを言ってしまったり、相手のことを何も考えずに行動してしまったり。
他の人にはそんなことしたりしない。親にだって。
どうしていつも進藤にばっかりそんな態度をとってしまうんだろう。
でも、答えは薄々気がついていた。
彼はボクにとって特別なのだ。

ボクは止まってしまった足をまたのろのろと動かし始めた。
何気なく前を見るとかわいらしい小さな看板が見えた。ガラス張りのこじんまりとした小さなお店の中にはかわいらしいケーキがいくつも並んでいる。
ドアを開けるとドアについてた鈴がカランと涼しげな音をたてた。



駅の前でケーキの入った白い箱を持ちながら、進藤を待った。碁会所から自分の家まで帰るには、この駅を通らなければいけない。
たくさんの人が駅に吸い込まれていくのを眺めながら進藤を待った。この中から進藤を見つけ出せる自信はあった。
30分もたたないうちに進藤は姿を見せた。
大きなぬいぐるみを抱えて歩く姿に、回りの人がちらちらと進藤を見ている。
進藤は少し項垂れてトボトボと歩いていた。ボクは彼に近付くと彼の腕を軽く掴んで、駅入口右側にある広いスペースへと連れて行った。掴んでいた腕を離すと、進藤は驚いた顔をしてボクを見ていた。
大きく息を吸い込む。

「さっきは・・・すまなかった。勝手に出てきてしまって。」

ボクの言葉に、進藤は大きな瞳をさらに見開いてまじまじとボクを凝視していたが、ふっと表情を綻ばせた。進藤の表情にボクは肩の力を抜いた。

「それで・・ボクはキミにお祝いの言葉も言ってなかったと思って・・・その、誕生日おめでとう。」
「うん。サンキュ。」
「キミが甘いもの好きなのかわからなかったけれど、良かったらこれ。」

進藤にケーキの箱を差し出すと、彼は受け取ってにぱっと笑った。
その顔は抱えた熊に負けないぐらいかわいらしく思えて、ボクは息を飲んだ。

「俺、ケーキ好き。」
「そう、良かった。」
「一緒に食おう。」
「え?」

どこで?と聞く前に、進藤は抱えてた大きな熊のぬいぐるみをボクに押し付けた。思わず受け止めてしまったボクは、スタスタ歩き出した進藤を慌てて追いかけた。

「今日、碁打つ約束してたのにお前さっさと碁会所出て行っちゃうし、今更戻れないじゃん。だからお前ん家で打とう。で、ついでにお祝いしてくれよ。ほら、ケーキもあるし。」
「それはいいけど、ご両親がお祝いしようとキミの帰りを待っているんじゃないのか?」
「今日は塔矢にお祝いしてもらうから遅くなるって言ってきた。」
「えっ?」

ポカンとしているボクに、進藤は悪戯が成功した子供のように笑った。
彼も本当はボクに祝って欲しかったのだろうか。そう思うと自然に顔が綻ぶ。

こうやってこれからも彼を少しずつ、少しずつ知っていけたらいいと思う。
そして、ボクのことも少しずつ知っていってほしいと思う。
そんなボクの思いが通じたのだろうか。前を歩く進藤が突然振り返ると口を開いた。



「なぁ、お前の誕生日はいつ?」


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