パンドラ
進藤に電話したのは塔矢アキラよりも話しやすそうだったからだ。
塔矢には北斗杯の予選の時にチラリとあったが、言葉を交わしたわけやなかったし、
タメとは言ってもなんだか近寄りがたい雰囲気やったし。
正直、北斗杯前の練習手合いのことだって、塔矢が了解するかどうか半信半疑だった。
それを自分の家でどうか、とまで言ってくれてちょっと見直したというか、実はすごく気さくでいいヤツ
なんやないやろか、なんて思ったりもした。
なんにせよ、大会のまでの3日間で塔矢がどんなヤツなのかわかろうというものだ。
少し前を歩く進藤を見ると、塔矢から渡されたという地図を見ながら「うー。」とか「あー。」とか唸っている。
まさか迷ったんやないやろな。
でも、東京人を差し置いて関西人が「地図寄越せ。」と偉そうに言うのもどうかと思い、とりあえずヤツの
後をついて行った。
「なぁ。塔矢アキラってどんなヤツ?」
進藤は地図から顔を上げると「よし!間違いない!」等と独り言を言っている。
おいおい、人の話聞いとんのかいな。
「え?何?塔矢?」
「ああ。まぁ噂はいろいろ聞いてんやけどな。会ったのはこの間が初めてやったし。どんなヤツなん?」
「どんなヤツって・・・・・うーん。すっげぇ怒りやすいよ。でもって、すっげぇ世話やき。」
「はぁ?なんやそら。」
「塔矢と話してるとさ、最後には必ず怒り出すんだよなー。塔矢が俺に対してにこにこ対応したのなんて
初対面の時だけだぜ。それからずーっと怒ってんの。」
「意味わからん。塔矢アキラは短気だなんて噂聞いたことないんやけど。」
でもって、世話やき?イメージわかんなぁ。
俺がこの前初めて会った時の印象は
「これが塔矢アキラか。噂には聞いとったけど、えらい別嬪さんやなぁ。」
だった。
あんな顔で天才棋士なんて不公平な気もする。まぁ囲碁なんて顔でするもんやないけど。
とても短気とか、世話やきとかいうイメージではないような。
「短気って言うか・・・うーん。」
進藤は再びうーん、と唸って何やら考えていたが、いきなり、「この前さ、」と話を続けた。
「この前塔矢と大手合終わってから一緒に飯食いに行ったんだよ。ラーメン嫌だって言うから普通の
ファミレス行ってさ。で、俺頼んだものと別にサラダを注文してさ、『キミは野菜もとった方がいい。』とか
『自己管理も棋士の仕事のうちだ。』とか始まっちゃって。な?世話やきだろ?」
まぁ確かに。
「ふーん。で?」
「だからさ、『お前って俺の母さんみたい。』って言ったら怒っちゃってさー。『ボクはキミのお母さんじゃ
ない!!』ってさ。まぁそれもそうかと思って『んじゃお父さん。』って言ったらますます怒って。
な?怒りっぽいだろ?」
・・・・そりゃ怒るで。
何が悲しゅうて同い年の男に親呼ばわりされなあかんねん。
ボケボケやなこの男。
でもそんな気もしとったわ。なんせ駅降りて地図も見ずに歩き始める進藤に「わかるんか?」と言ったら
「どうせデカイ家なんだからわかんだろ。」と返されて「わかるわけないやろ!!」と突っ込んだところや。
あんな落ち着いた囲碁を打つヤツが普段はこんなボケボケの天然さんで、天下の塔矢アキラもいいように
ふりまわされてんのとちゃうか、と思ったらなんだか塔矢が気の毒になってきた。
・・・っていうか、ここどこやねん。
進藤、ほんまにこの道合うてるんか??
一向に辿り付かない塔矢の家に俺はとうとうこのボケボケの天然さんから地図を奪い取り、それを見て
叫んだ。
「全然道違うやんけー!!!」
* * * *
御立派な塔矢家に着いてからずっと十秒碁をやっていたが、3人とも疲れが見え始め少し休憩しよう
ということになった。
進藤は立ち上がると、「俺風呂入ってくる。」と部屋を後にした。その後を塔矢が慌てて追う。
「場所わかるか?」
「わかるよ、さっき教えてくれたじゃん。大丈夫だって、いちいち付いてこなくても。」
開け放たれた障子から廊下で話してる二人の会話が聞こえてきた。
進藤が来るとき言ってた“世話やき”なところ当たってるかもしれへんな。とっても意外なんやけど。
やがて戻ってきた塔矢は随分前にいれてもうすっかり冷めてしまったお茶を啜った。
静寂が辺りを包み、なんともいえない雰囲気の中とっても落ち着かなくなって、なんか会話ないやろか、
と頭を巡らしたが何も浮かんでこない。
そもそも俺は塔矢に会うのはこれが3回目で、囲碁以外にどんな趣味があるのかとかなんも知らんし、
第一こいつ趣味とかあるんかいな?
進藤は塔矢と飯食ったりしてるみたいやけど、どんな会話してるんやろ?
そこらへんも聞いとけば良かったな。
等と俺がぐるぐる考えてる間も塔矢はこの静寂を気にする様子もなく、ぼんやり障子の方を眺めている。
まるで主人の帰りを待ってる犬みたいやな。
「進藤とはよく打つん?」
「え?・・ああ、たまに。」
「進藤って碁打ってないと、雰囲気違うやんな。なんつーか、天然ボケっつーか。いい加減っつーか。
ま、俺も結構いい加減やねんけどな。」
「ああ、まぁそう言えばそうかもしれないけど・・・・・・まぁ、そうだな。」
俺が話し掛けるとやっとこちらを向いた塔矢は、進藤をフォローしようとしたようだが何も思いつかな
かったらしい。
少し困ったように笑った。
「自分、振り回されて大変やな。」
「そんなことない。」
今度はきっぱりと言い放つ塔矢に何か感じたが、その何かを突き止める前に進藤が戻ってきて
結局深くは考えずに頭の隅に追いやった。
「塔矢ん家って、家もでかいけど風呂もでかいのな。」
進藤はタオルを肩にかけたままどっかり座った。
髪の毛から拭き取れてない雫がポタポタと落ちている。
「髪ちゃんと拭かないと風邪ひくぞ。」
塔矢は進藤に近付くとタオルを取って進藤の頭をごしごし拭き始める。
進藤が「そーでした。体調管理も仕事のうちでした。」と言うと「分かってるじゃないか。」と返す塔矢に
後はされるがままに任せている。
進藤はチラリと俺を見ると「ほらな、世話やきだろ。」と塔矢にバレないいように声には出さず、口だけを
動かして俺に伝えてきた。
塔矢にとって進藤は弟みたいな存在なんやろか、まどーでもえーけどな。
「俺次風呂入ってくるで。」
「ああ。場所は?」
「わかってるよ。」
俺はカバンから下着を取り出していると、進藤が「なんか眠くなってきた。」と呟いてるのが聞こえてきた。
「寝るんなら布団敷くから。」
「いーよ。また、碁打つだろ?塔矢少しだけ胸貸してよ。」
部屋を出るとき、塔矢の胸に凭れて今にも眠りそうな進藤と、困ったような顔をしている塔矢の顔が
見えた。
仲がいいのか悪いのか、ようわからんやつらやな、そう思いながら俺は風呂場に向かった。
30分後、風呂から戻ってきた俺の目に映ったのは、さっきと寸分違わぬ姿でじっとしている塔矢と
塔矢の胸にもたれて、すっかり夢の世界に行ってしまった進藤だった。
少し違うのは塔矢の手が進藤の胸の辺りで組まれていることだ。
いくら世話やきでもそこまでしてやることないやろ。
俺は二人に近付くと進藤を蹴飛ばしてやった。
「ほら、起きろ進藤!いつまでも甘えてるんやないで!」
「なんだよ〜!せっかく気持ちよく寝てたのに〜。」
「やかましいわ!あんま塔矢に迷惑かけんなや。そんなんされてたら塔矢風呂入られへんやろ。」
がしがしと自分の頭を拭きながら言ってやると、進藤はぶつぶつ言いながら塔矢の胸から頭を離した。
塔矢は一瞬とても残念そうな顔をしたが、すぐ普通の顔に戻って「風呂入ってくる。」と部屋を出て
行った。
俺はなんで塔矢がそんな顔をしたのか、という理由を根っからの世話好き、ということで片付けた。
* * * *
その日はほとんど徹夜で碁を打ち、朝方になって少しだけ眠った。
塔矢に「御飯だよ。」と起こされて、律儀なやっちゃ、と思ったが口には出さなかった。
寝起きでも食欲はあった。
進藤のお母んが持たせてくれたという弁当の昨日食べた残りをバクバク食いながら、
いいなぁこんなお母ん、と再度思う。
「進藤、食べないのか?」
塔矢の声にその時初めて隣に座っていた進藤を見た。
進藤は左手で顎の辺りを押さえている。
「物食べると沁みるんだ。」
「何で?」
「昨日歯磨きした時にさ、歯ブラシで突いちゃって。」
「歯ブラシで突く?なんで?なんや意味わからん。」
「下の歯の裏側を磨いてたら、勢いあまって歯ブラシで歯茎突いちゃった。よくあるだろ?」
そう言って進藤は下唇をめくって見せた。
「アホか!そんなアホなことしたヤツ聞いたことないで。っていうか、飯食ってる時に見せんでもええ。」
「え?ならねぇ?いつの間にか外れた歯ブラシで突いちゃうこと。俺わりとしょっちゅうやるんだよね。
勢いあまって頬っぺた磨いたりとか。」
「お前ホントボケボケさんやな。っていうか磨く力強すぎるんちゃうん?」
「そうなのかなぁ。」
進藤がまた顎の辺りを摩っていると、今まで向かいで黙って聞いていた塔矢が身を乗り出して言った。
「見せて。」
見せてって・・・お前ら、だから食事中に何やっとんねん。
俺は呆れながらも飯をかきこんで、口をもぐもぐ動かしながら二人の様子を伺った。
進藤が下唇をぺろんと捲ってそれを塔矢がじっと覗き込み「ふーん。白くなってる。」と呟くと下唇を
捲ってるせいでうまくしゃべれない進藤が「ひゃっぱり?」とわかのわかんない言葉をしゃべった。
ほんまお前はボケボケさんや。
でもって、いつまで見てんねん。
しかし、その言葉が俺の口から漏れることはなかった。
この世話好きで短気な塔矢アキラはさらに身を乗り出すと、ボケボケの天然さんのその白くなってると
思われる箇所を、
・・・舐めた。
ちょっと待て〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜いッ!!!
何やっとんじゃ己ら!!
「ッて〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!」
先に声をあげたのは進藤だった。
「だから、触ると痛いんだって言ってるだろ!!」
「そんなの唾つけとけば治るよ。」
平然と答えて箸を持ち直すと何事も無かったようにまた食事を始めた塔矢に、いや、問題はそこや
ないやろ!!という突っ込みも出来ずに俺は固まったまま「あばば、」とわけのわからない音を発した。
そんな俺に気付きもしない塔矢は、「ヒリヒリする〜。」とむくれている進藤にニッコリ微笑む。
あ、俺塔矢が進藤に笑顔を向けたとこ初めて見るわ。
とか思ってる場合やない。
やっと正気に返った俺は、
「お前らおかしいで!!」
普通友達でもそんなことしいひんで!
ちゃんと言葉には出来たものの、二人に同時に視線を向けられて「う。」と言葉を詰まらせた俺に二人は
同時に口を開いた。
「どこが?」
息のぴったり合ってるような二人に、俺は。
なんか。
これじゃまるで・・・・。
すごく怖いことを想像してしまいぶるぶると頭を振った。
これ以上深く考えたら浮上できんかもしれん。それは困る。北斗杯を前にそれは困る。
俺は自分が今感じたものを、心の奥深くに置いてある開かずの箱に入れて周りをぐるぐる紐で縛った。
二度と開けないように。
塔矢が短気で世話好きということは進藤に対してのみ、ということを知ったのは、北斗杯も終わって
しばらくたってからのことだった。
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