携帯電話        



初めて携帯を買った。
前々から欲しいとは思っていたけど、月々貰っていたお小遣いでは到底賄えるものではなく
親に買って貰うというのも、碁のことでさんざん迷惑かけた身としては言い出しにくかった。
今では自分もプロになり、お金も少しずつだが入るようになって、やっと携帯を買う余裕も出てきた。

厚い説明書に驚きつつ、パラパラ捲って基本操作だけなんとか覚えると説明書を閉じた。
明日は手合いがある。塔矢もくるはずだから明日塔矢の携帯の番号を聞こう。
碁会所で打つことは増えて、それなりに言い合いもするけれど囲碁以外の塔矢のことを俺は何も
知らない。電話番号やメールアドレスはおろか、どんなところに住んでいるのかさえ知らなかった。
俺も敢えて聞くこともなかったが、塔矢も自分から言うことはなかったし、聞いてくることもなかった。
囲碁だけの関係は最近なんだかとても物足りなく、もうちょっと前進してもいいのにと思っていた。
自分的にライバルという言葉は友達という言葉よりも特別な響きを持っていたから。



さて、どうしよう。

改まって電話番号を聞く、なんてことはなんだか気恥ずかしい。
別に好きな女の子とかに聞くわけでもないのに、なんでこんなに緊張してるのか自分でもわからない。

さりげなく聞けばいいじゃん。普通にさ、普通に。

なんてことを考えてるうちに棋院に辿り付いてしまった。
ちょうど来ていたエレベーターに一人で乗り込み、来るまでに何度となくしていたシュミレーションを
再度行う。

とりあえず、会ったらニッコリ笑って、と。
「よぅ塔矢!俺携帯買ったんだ〜。お前の番号教えてくれよ。」

手を上げてニッコリ笑った俺は思わず固まってしまった。
いつの間にか目的の階についたエレベーターのドアが開いていたのだ。
ちょうどエレベーターの前に居たらしい和谷が驚いた顔をして俺を見ている。

「あ〜・・・・えっとぅ・・。」

俺はばつが悪くなって上げていた右手で頭をポリポリと掻いた。

「何?進藤携帯買ったの?」
「え?あ、うん。」

和谷の言葉にヘラヘラ笑って携帯を見せると、新しいやつじゃんコレ、等と言いながらしばらくあちこち
眺めて俺に返した。

「俺の番号教えるからさ、進藤の番号も教えろよ。あ、あとメルアドもな。」
「うん。あー、でも俺登録の仕方わかんねぇや。」
「なんだ、説明書読んでねぇの?しょうがねぇなぁ。いいよ、俺が登録してやる。」

それから暫く和谷と番号のやり取りをしていると、伊角さんがやってきた。
そのうち冴木さんや越智もやってきて、みんなで騒ぎながら番号を交換しあった。
空だったアドレス帳の中身がどんどん増えていく。

ふと視線に気がついて顔を上げるといつの間に来ていたのか、塔矢が訝しげにこちらを見ていた。
一瞬合った視線はついと外され、塔矢は俺達の和の横を通り過ぎる。
俺は思わず声を上げた。

「塔矢!!」
「・・・何?」
「あの、あの俺さ携帯買ったんだ。今みんなの番号聞いてたんだけど、ついでに塔矢の番号も教えてよ。」

シュミレーション通りにっこり微笑んで見せたが、塔矢の反応は想像してたものと大分違っていた。
立ち止まった塔矢の眉間が不機嫌に寄せられ、俺の顔をじろりと睨む。
俺はなんでそんな顔をするのかわからずに、少し驚いて塔矢の顔を見た。

「ついで・・・?」

あ!!

塔矢の呟きに自分の失敗を悟ったが、時既に遅し。

「今まで知らなくても必要なかったんだから、今更教えなくても支障はないだろう。」

塔矢は吐き捨てるようにそう言うと、さっさと言ってしまった。
「な〜んでぇ。教えるぐらいいいじゃんか、なぁ進藤。」
後ろで和谷がなんか言ってたが既に石化してる俺の耳には入ってこなかった。



手合いが終わり辺りを見回す頃には、塔矢の姿は既になかった。
俺はがっくりしたまま、トボトボと棋院を出た。
こんなはずじゃなかったのに。何も考えずに言ってしまうのは少し直さなければいけない。
いつもそれで失敗するのだ。
そういうところは小さい頃から少しも変わらない。

2回目に塔矢に会った時も、何も考えずに口に出した言葉でひどく怒らせてしまったっけ。

思えばあの時から怒られてばっかりで、俺に笑いかけてくれたことなんかあっただろうか。
思い浮かべる塔矢の顔はいつも不機嫌に眉を寄せている。

はぁ。

俺は本日何度めかの溜息を吐きながら角を曲がると、目の前に突然現れた人物に心臓が
止まりかけた。
ずっと頭に思い描いていた人物が、思い描いていた通りの不機嫌な顔をして、腕を組みながら
壁に寄りかかっている。

「塔矢・・・。」

呟いた言葉に返事はなく、ただ俺の顔をじろりと睨め付ける。
俺は次にかける言葉も見つからず、どうしよう、と視線を下げると塔矢の足が近付いてくるのが
見えて、慌ててまた視線を上げた。
塔矢の掌と何か白いものが見えたと思った途端、額に走った衝撃。

ビタン!

「痛ッ!!」

思い切り額を塔矢の掌で叩かれ、俺は目を白黒させながら目の前の人物を見た。
何が何だかわけがわからず、茫然としている俺にさっさと踵を返すとすたすたと前方を歩いていく。

なんなんだ・・・・?

その時、額からひらひらと紙が落ちてきて俺は咄嗟にそれを掴んだ。
システム手帳の1枚を破ったと思われるその紙には、綺麗な字で携帯番号とメールアドレスが
書かれていた。

「あ・・。」

俺は慌てて塔矢を追いかけた。たいして開いてなかった距離はすぐに縮まったが、俺はなんて声を
かけたらいいのか迷っていると、彼は振り向きもせずに口を開いた。

「キミにとってボクは誰かのついで(・・・)なんだろうけど、無いよりはマシかと思って。」

ぶっきらぼうに言い放つ塔矢の後を歩きながら、ごめん、と言葉を返した。

「本当は・・・お前に1番最初に聞こうと思って、でも今更改まってなんて聞けばいいのかわかんなくて
そうこうしてるうちにあんなことになっちゃうし、だからその・・ついでじゃないんだ。俺お前のこと何も
知らないし、これを機会にいろんなことを話せたらいいなって思ってたんだ。お前は迷惑かもしれない
けど・・・。」

何言ってんだか自分でもよくわかんねぇな、とぼんやり思っているといつのまにか立ち止まった塔矢が
俺を見ていた。
バカみてぇとか思ってんのかな。そうだよな。きっとこいつには俺の事だって碁のことにしか興味ねぇよな。
そう思うと自然に視線が沈んでいく。
しかし、塔矢の言葉は意外なものだった。

「ボクもずっとそう思っていた。でも、キミはボクの碁のことにしか興味なさそうだし、友達もたくさんいる
みたいだし、挙句の果てについでとか言われて、正直ショックだった。ボクはずっとキミの1番になりたいと思っていたから。」
「え?」

「キミの番号教えてくれる?」

ふわりと微笑われて心臓が小さく跳ねた。なんだか顔が熱いのは気のせいだろうか。
俺は携帯を取り出し、自分の番号を確認し塔矢に告げると、塔矢は自分の携帯にそれを登録した。

「キミはボクの番号登録した?」
「実はまだ操作の仕方わかんなくて、家に帰ったら説明書見ながら登録するよ。」

番号は教えてもらったし、とさっき貰った紙をひらひらさせると塔矢は、入れてあげる、と手を差し
出したので素直に渡した。なんか塔矢との距離が1歩どころじゃなく近付いた気がして嬉しかった。

これからいろんな話たくさんしような。

そう言うと彼も嬉しそうに笑った。



まさかその時、アドレス帳にみんなが入れてくれた番号を塔矢に全削除されていたなんて
俺は気付きもせずに、ただ嬉しかった。



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