はじめまして        



明子は、帰る途中で買ってきた買い物袋をダイニングテーブルの上に置くと、忙しなく中身を取り出す。アキラはキッチンの入口で、母親の様子を眺めながら小さく息を吐いた。

「お母さん、お父さんと駅で待ち合わせしてるんでしょう?夕飯の支度なんかいいから、早く行かないと遅れるよ?」
「いいのよ。夕飯作るぐらいの時間はあるから。それより、ごめんなさいね。帰ってきたと思ったらまた出かけなくちゃならないなんて。」
「そんなこといいよ。気にしなくて。ボクはボクでちゃんとやってるから。」
「アキラさんがしっかりしてるから助かるわ。」

明子はそう言うとにっこり微笑んだ。久しぶりに見る母親の笑顔に、アキラもつられて微笑む。しっかりしているとは言え、アキラはまだ未成年で母親にしてみれば心配が無いわけではない。アキラは昔から我侭や文句を言ったことがなく、それがさらに心配を増幅させていた。
こんな広い家に一人ぼっちで、本当はすごく淋しいんじゃないだろうか。
自分をほうっておかれていると思っているんじゃないだろうか。
それでもつい息子の笑顔に甘えてしまっていた。たまに帰ったときぐらい夕飯をちゃんと作ってあげたい。
明子はそう思っていた。

「アキラさん、何か食べたいものある?今からじゃ手の込んだものは無理だけど、何かあるなら言ってみて?」
「食べたいもの?」

明子の言葉にアキラは顎に手を当てて暫く考えていたが、やがて何か思いついたように顔を上げた。

「そうだ。肉じゃががいいな。」
「肉じゃが?随分簡単なものを選んだわね。」
「うん。自分でもたまに作るんだけど、どうしてもお母さんが作った味にはならないんだよね。」

あの味が好きなんだ、と言った息子の言葉に明子は嬉しくなった。
やはり今回は夫についていくのはやめにしようか。たまには母親としてちゃんと息子の面倒を見てあげたい。

「心配しないで。」

突然のアキラの言葉に、自分の考えを見透かされたのかと驚いて明子は顔を上げた。
穏やかに微笑んでいるアキラは、また少し背が伸びたようでなんだか切ない気分になる。

「ボクは大丈夫だから。別に淋しくないよ。」

昔から変わらない。自分よりも親のことを考えてくれる優しい子。
それが少し物足りなくもあるのだけれど。



明子は買ってきた食品を入れようと冷凍庫を開けると、見慣れないものを発見した。
アイスキャンディの箱。
塔矢家では主人も息子もあまり甘いものは好まないため、冷凍庫にアイスが入ってることは滅多にない。
誰かに貰ったのだろうか。それにしては中身が数本しか残ってない。

アキラさんが食べたのかしら。
珍しいこともあるものね。

明子が息子を見ると視線に気付いたのかアキラが顔を向けた。

「どうかした?」
「アイスが入ってるから珍しいなぁと思って。アキラさんが食べたの?」

アキラはいきなり、あっ、と小さく叫んだかと思うと少し視線を彷徨わせそれから、うん、と呟いた。

「疲れた時、甘いものが食べたくなって。それで。」

アキラらしくない言い訳じみた言葉に、明子はますます不思議になる。
別に食べるなと言ってるわけではないのに。
明子はそんな息子の様子に気付かないふりをして、そう、と短く返した。
冷凍庫に仕舞わなきゃいけないものを全てしまうと、次に冷蔵庫を開ける。
アキラしかいない家の冷蔵庫は思ったとおりガラガラで、買い物してきて良かったと明子は思った。
食品をしまいながら何気なく見たドアポケットにまたもや珍しいものを発見して、明子が声をあげた。

「あら?」
「あッ!」

アキラは座ってた椅子から立ち上がると、慌てた様子で明子に近付く。
ドアポケットにしまわれていたそれはコーラのペットボトルだった。しかも、半分しかない。
明らかに塔矢家には不似合いなもの。

「たまにはいいかなぁって思ってそれで!」

明子はしゃがみこんだまま黙っている。アキラが不審に思い覗き込むと、明子の肩が小刻みに震えていた。
・・・笑っていたのだ。

「・・・・お母さん?」
「ごめんなさい。だって・・・進藤さんはよくいらっしゃるの?」
「え、えと・・・なんで?」

明子は笑いながらペットボトルをドアポケットから抜き取ると、アキラに差し出した。
ちょうどラベルのところにマジックで大きく“進藤ヒカル”と書かれてあった。
書いた人の性格まで伺えるような、のびのびと書かれた大きな字は、お世辞にも綺麗とは言えない。
アキラは溜息を吐くと観念したように頷いた。
心配することはないのかもしれない。小さい頃から友達と呼べるような子を一度も連れて来たことのないアキラにこんなに親しくしてくれる子ができたのだから。
少し照れているのか、憮然とした表情の息子を見て明子はもう一度笑った。


「塔矢ァ!この前の棋譜だけどさ、」

突然玄関の戸が開いた音がしたと思ったら、廊下をズカズカ歩いてくる人物。
アキラはしまった、と額に手を当てた。明子が立ち上がるのと同時にその人物はひょいと顔を覗かせた。
瞬間明子と目が合い、暫し固まる。

「こんにちは。進藤さん。いつもアキラがお世話になってます。」
「えっ!あっ!こちらこそ、いつもお世話されてます!!勝手にお邪魔してしまいましたっ!」

わたわたと慌てて妙な日本語を口走ってるヒカルに、アキラは深く溜息を吐いた。
明子が微笑むとヒカルもえへへと笑って頭をかいた。

「進藤さん、夕飯アキラとご一緒して下さるかしら?」
「喜んで!!」
「じゃ、二人分作るわね。」

元気なヒカルの声に明子はくすくす笑う。

「進藤、ボクの部屋に行っててくれないか。」
「あ、うん。」

ヒカルが出て行くと、アキラはもう一度深く溜息を吐いた。
明子はニコニコとその様子を眺めている。
意外だった。息子とは正反対の元気な少年が息子の親友なんて。どちらかというと、アキラの友達になれるような子は、アキラと同じような物静かなタイプかと思っていたから。

「すいません。」
「あら、何が?私嬉しいの。アキラさんに仲の良いお友達が出来て。進藤さんがいるなら淋しくないわね。私達も安心して出掛けられるわ。」
「ええ、彼が居るから淋しくはないです。むしろ、うるさいぐらい。」

そう言って二人は笑った。息子の幸せそうな顔に明子の不安も消えていく。
今日は息子と息子の友人の為に美味しい肉じゃがを作ろうと心に決めた。



「いってらっしゃーい!」

息子よりも大きな声でぶんぶん手を振っているヒカルに、明子は笑いながら出掛けて行った。
家の前に出て、明子が見えなくなるまで二人で立っていた。

「なんか淋しいな。」
「キミの親じゃないのになんでキミが淋しくなるんだ?」
「見送りってなんか淋しいよ。それにお前の淋しい気持ちが伝わってくるし。」
「それはキミが慰めてくれるんだろう?」
「ばぁか。」

ヒカルはぶっきらぼうにそう言うと、さっさと家の中に入って行ってしまった。
ちらりと見えたその顔が赤く見えたのは気のせいだろうか。
アキラは少し笑ってヒカルの後に続いた。


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