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丘珠空港の沿革



飛行場の歴史年表「東区の拓殖史」より丘珠空港1980告示リスト

飛行場の歴史年表

・明治02年    開拓使の設置
・明治03年    旧酒田県(山形県)の移民が「庚午二の村(丘珠)」に入植
・明治04年    庚午二の村を「丘珠村」と改称
・明治07年    茨戸丘珠街道開通
・明治30年   タマネギ栽培定着化の兆し
・明治35年   元村、苗穂村、丘珠村、雁来村の戸長役場が「札幌村(ほぼ東区の領域)
・昭和02年   北海タイムス社が現在の北24条西部地区に元祖札幌飛行場を開設
・昭和17年09月 旧陸軍が飛行場開設。丘珠飛行場、札幌第一飛行場、札幌新飛行場などの名称
・昭和19年05月 札幌丘珠飛行場完成。陸軍飛行第54戦隊等駐屯。航空機約60機(隼、97戦、呑龍)
・昭和20年08月 終戦
・昭和20年09月 米軍が接収。空挺降下演習に使用
・昭和21年〜25年 米軍空挺部隊等が演習場として使用
・昭和22年05月 逓信省航空保安部千歳支部丘珠出張所を設置
・昭和27年03月 米軍の接収解除
・昭和27年07月 航空庁を改組。航空局(内局)となる。
・昭和29年01月 陸上自衛隊丘珠分屯地発足。北部方面航空隊/特科団航空隊/第5航空隊を新編
・昭和29年04月 陸上自衛隊が移駐
・昭和29年10月 丘珠分屯地として発足
・昭和30年03月 「札幌村」が琴似町、篠路村とともに札幌市に合併され「札幌市丘珠町」となる。
・昭和31年06月 旅客機の運航を開始。北日本航空 丘珠〜女満別を運航開始
・昭和33年12月 「札幌飛行場」となる(防衛庁告示第162号)
・昭和34年06月 北日本航空 丘珠〜稚内を運航開始
・昭和35年08月 北日本航空 丘珠〜函館を運航開始
・昭和35年10月 北日本航空 丘珠〜釧路を運航開始
・昭和36年11月 公共用飛行場(札幌飛行場)に指定される(航空法第56条の5)
・昭和36年12月 供用飛行場としての供用を開始
・昭和38年03月 タワー(飛行場管制)の運用開始
・昭和38年07月 北日本航空 丘珠〜八戸〜東京を運航開始
・昭和39年04月 日東、富士、北日本の3社合併で日本国内航空設立
・昭和39年03月 第307航空整備中隊を第307航空野整備隊に改編
・昭和39年06月 日本国内航空 丘珠〜秋田〜新潟を運航開始
・昭和39年08月 札幌NDB供用開始
・昭和39年12月 日本国内航空 丘珠〜帯広を運航開始。ターミナルビル完成
・昭和40年03月 日本国内航空 丘珠〜東京便の運航を開始。道内の中心拠点となる
・昭和41年07月 全日本空輸 丘珠〜仙台を運航開始
・昭和42年10月 地方航空局設置。名称を運輸省東京航空局丘珠空港事務所と改称
・昭和42年11月 滑走路延長(1,000mから1,400メートルへ)
・昭和43年03月 北部方面ヘリコプター隊新編
・昭和41年07月 全日本空輸 丘珠〜仙台を運航開始
・昭和45年06月 全日本航空 丘珠〜新潟を運航開始
・昭和46年05月 東亜国内航空が運航開始(日本国内航空と東亜航空の合併で東亜国内航空となる)
・昭和47年01月 GCA運用開始。全日本空輸の定期便が千歳に移転
・昭和47年04月 札幌市が政令指定都市になり東区誕生。「東区丘珠町」に改名
・昭和49年08月 「丘珠獅子舞」を札幌市無形文化財第1号に指定。
・昭和49年08月 日本近距離航空 運航開始(丘珠〜稚内〜利尻)。丘珠駐屯地業務隊新編
・昭和49年10月 日本近距離航空 路線追加(丘珠〜函館〜奥尻、丘珠〜紋別、丘珠〜中標津)
・昭和49年12月 東亜国内航空が千歳に移転
・昭和52年07月 滑走路方位変更(15/33を14/32)防衛庁告示第134号
・昭和53年03月 第307航空野整備隊を北部方面航空野整備隊に改編
・昭和56年03月 稚内、中標津線開設
・昭和56年04月 丘珠第一地区区画整理事業始まる
・昭和56年04月 当別航空無線標識所を丘珠空港事務所に統合。先任航空管制技術官を設置
・昭和56年06月 札幌VOR/DME供用開始。当別航空無線標識所を廃止
・昭和56年07月 紋別線開設
・昭和59年06月 函館線開設
・昭和60年04月 日本近距離航空がエアーニッポンに社名変更。CAB組織に先任航空管制官配置
・昭和60年06月 モーターグライダーGROB機(2機)定置(JA2339、JA2340)が丘珠空港に仲間入り。通年運用開始
・昭和63年12月 地下鉄東豊線開通
・平成02年00月 第三セクター「丘珠空港ビル」を設立。4月、エアーニッポン丘珠〜釧路を運航開始
・平成03年03月 札幌市消防航空隊発足
・平成04年02月 新ターミナルビル完成。東区マスコットキャラクター「タッピ-」誕生。
・平成05年07月 新庁舎完成
・平成06年03月 北部方面航空隊を改編(各師団飛行隊を各師団長の隷下)
・平成06年12月 PAPI(進入角指示灯)設置
・平成07年00月 道と札幌市がジェット化推進の方針を示す。サッポロさとらんどオープン
・平成08年00月 地元住民の反発などでジェット化断念。3月、北海道警察航空隊新格納庫完成。
・平成08年07月 北海道防災へり「はまなす」編成。
・平成09年00月 札幌コミュニティドーム(つどーむ)がオープン
・平成11年00月 「丘珠空港周辺のまちづくり構想」の策定。1月、滑走路延長決定(1500メートル)
・平成11年11月 エアーニッポンネットワーク 丘珠-中標津を運行開始
・平成13年00月 空港周辺の緩衝緑地の整備に着手
・平成14年00月 モエレ沼公園が2002年度グッドデザイン大賞を受賞
・平成15年00月  HACが運行開始。4月、エアーニッポンネットワーク 丘珠-稚内を運行開始
・平成15年08月 北海道エアシステム 丘珠-函館、丘珠-釧路を運行開始
・平成15年09月 エアーニッポンネットワーク 丘珠-女満別を運行開始
・平成16年03月 滑走路延長(旧1,400、新1500メートル)、エプロン拡張、駐車場拡張、供用開始
・平成21年03月 エアーニッポンネットワークの新千歳への路線移転を表明。9月、日航がHAC株の譲渡方針を道に提示

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「東区の拓殖史」より

 丘珠飛行場ができる以前は、札幌には、現在の北区北24条西6丁目を中心に旧北海タイムスが設置した「札幌飛行場」があった。
 昭和16年12月、太平洋戦争が始まり、日本は戦時色一色となる。すでにこの前年、札幌飛行場は会社経営による航空事業を停止。国の統制下におかれており、戦争が深まるにつれ、ここだけは不十分となったため、新しい飛行場の建設が急務となった。軍は、八雲、計根別、札幌に新飛行場を設置することとし、札幌では、丘珠の玉葱畑に目をつけた。平地であり造成しやすいからである。
昭和17年4月、当時の公定価格の約3倍近い価格で250ヘクタールが買収された。軍との買収価格を決めるに当たっては、地主代表として宮口興作らが玉葱畑の特殊事情を説き、ねばり強く交渉した。買収用地関係者は次のとおり。
  丘珠39戸(立退き23戸)、烈々布27戸(立退き19戸)、篠路2戸(立退き1戸)

 立ち退き者は一人を除いて、すべて白石、琴似など他に農地を求め農業を続けた。
「なにしろ、軍の命令でしたからね。反あたり110円で強制的に買い上げられました。畑の中で抱き合って無く農民の姿が目に浮かびます。また、この代替地の価格が高く、買収価格の約 9倍の反当たり千円です。そうしたら、公定価格を上回る取引をしたという理由で父の宅次郎が留置場に一日留められました。」と橋場友一さん(東区北17条東16丁目)は振り返る。
 昭和18年4月から始まった飛行場の建設には、各公区市民及び中学生などの勤労奉仕、さらには下請け会社に朝鮮人多数が働かされていた。約1年後の19年5月に、滑走路、格納庫、兵舎などが完成し、同時に陸軍飛行台54戦車隊約3千人と隼、97戦、呑龍約60機が駐とんし、敗戦になるまで来たの守りとして機能した。この飛行台54戦隊は、昭和16年9月、千葉県柏市に創設され、中国各地を転戦した優秀な部隊。札幌を基地として本道及び北千島方面の防空に任じた。
 昭和20年8月、敗戦を迎えるや日本軍に代わって約3千名のアメリカ兵が駐留。残っていた日本軍の数十機は、10機ぐらいづつ積み上げては、ガソリンをつけて焼き払ったという。
 昭和22年、キャンプ・マコマナイが完成し、駐留軍はここに移り、去った後は札幌財務局の管理したに置かれた。飛行場用地は旧地主に優先的に貸し付けされたが、この米軍との交渉には天使病院が尽力した。昭和29年には、農業引火委が事務を進め、旧地主や零細農家に250町歩のうち約180町歩が解放される。
 昭和32年5月には期成生会が発足し、国の民間空港整備計画の適用を受けるべく活発な運動を展開し始めた。これには「空の玄関」の老舗を自負する千歳市も陳情合戦に加わってきた。翌34年、運輸省航空局が「丘珠飛行場整備3カ年計画案」を発表し、両市の争いに火がついた。これによると、丘珠空港を将来は千歳にかわって、民間空港のセンターにしようというのだ。  しかし、これも丘珠飛行場は、ローカル空港の基地として、千歳は幹線飛行場と性格づけが決まっていく。(「東区の拓殖史(丘珠飛行場)」より)

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丘珠空港1980

 昭和55年(1980年)の月刊誌「翼」3月号に「丘珠空港ホットラインニュース」としてCAB職員による次のようなリポートが掲載されました。そのころの丘珠空港が懐かしく記されています。驚いたことにグライダーも相当活発に飛んでいたんですね。非常にのんびりした丘珠風景のスケッチです。

 丘珠空港は、人口130万都市札幌の中心から北東約9Km、バス利用でも30分ぐらいの所で、市街地の中にあると言っても良い程地理的に恵まれた空港で、現在は日本近距離航空がDH6で道内の定期運行をしており、又小型機のメッカとして年間離着陸回数も1万回を越える小・中型機の離着陸には理想的な空港として栄えている。
 でも皆さんお気づきでしたか? 空港ロビーにある水道や洗面所の蛇口の上に必ず「非飲料用」と書いてあったのを! おそらく気がつかないでお飲みになった方もあると思いますが、実は、この街中にある一見近代的空港も、市街化調整区域のため水道が引かれておらず、過去30年に亘り井戸水をポンプアップし、浄化して使用していたのです。
 ところが、ここ数年前から臭気がひどく、また砂のようなものが入り始めたため、関係機関により調査した結果、アンモニア性窒素と砂が混入していることが解った。昔はともかく、今どき街中でアンモニア性窒素が土中に含まれているのは珍しいが、それはどうも丘珠地区が今でも全国有数のタマネギ生産地であるという空港付近の地理的環境も多少影響していることが解った。そのため、つい最近までは空港内のある会社はポリタンクで、またある会社は職員がポット等に飲料水を詰めて毎日持参したものです。また、H航空のように航空写真を事業ないようとしている会社は、現像後の水洗いをするとき砂のため写真表面に粒子ができ、非常に困った問題まで起きた程です。
 そこで航空関係者は地元関係機関に水道を引いてもらうべく強力に働きかけたが、地元当局としても空港用地が市街化調整区域であるため、ここ10年以内に水道を引く予定はないとのことで、この問題はペンディングになるかと思われた。
 しかし、昨年5月頃、空港地域前の地主さん達が建売住宅を建てるため、空港前道路に水道本管を引くことになったので、それを機会に空港内にも支管を引くことになり、昨年11月やっと念願の水道を引くことが出来た。空港関係者も先ずは人並みに水道の水が飲めて、長生きできると一安心。

◇本空港には、わが国に唯一機のビーチクラフト・デューク(伊藤組所有)が定置されている。
◇北海道石狩郡当別町にある当別航空無線標識所が昭和56年4月1日から札幌NDBの近くに新設され運用開始となる。
<月間着陸回数>
昨年1年間の総離着陸回数は10,306回。定期便が2,246回、グライダーが1,562回、小型機その他が6,498回だっった。ピークは8月の1,409回だった。(丘珠空港事務所=塚田昇氏)

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告示リスト


防衛庁告示運輸省告示
◆1)昭和33年12月3日(防告第167号)
着陸帯等級 e−6級
滑走路  1000×80m(コンクリート)
誘導路  1530×20m(コンクリート)
標点の位置 430553N1412306E
方 位 146〜326磁方位

◆2)昭和33年12月3日(防告第168号)
着陸帯  1400×300m
進入表面 1/50、 移転表面 1/70
水平表面 半径1500m

◆3)昭和42年11月22日(防告第254号)
(防告第167号の一部変更)
標点位置 430655N1412304E
着陸帯等級 d-4級、標高8m
滑走路  1400×30m(アスフ)
誘導路         (アスフ)
方 位 145〜325 磁方位
着陸帯の長さ1620mに改める
水平表面半径2000mに改める

◆4)昭和42年11月22日(防告第256号)
航空燈火の告示(以下略)
RWY,TWY,THR,TKOF目標

◆5)昭和52年7月27日(防告第134号)
飛行場施設の変更
1)防告第167号の一部変更
(滑走路方位の変更144〜324 磁方位)
2)防告第256号の一部変更
(航空燈の性能に関する変更)
(以下略)

◆6)昭和58年4月1日(防告第59号)
飛行場施設の変更
1)防告第167号の一部変更(エプロン)
2)防告第256号の一部変更(VASIS等)

◆7)平成6年12月7日(防告第255号)
飛行場施設の変更
1)防告第256号の一部変更(PAPIの設置)

◆8)平成10年11月5日(防告第184号)
飛行場施設の変更
1)防告第167号の一部変更(エプロン)
2)防告第256号の一部変更(航空燈火)
◆1)昭和36年11月27日(運告第407号)
(公共の用に供すべき施設の指定))
標点の位置 4307N14123E
着陸帯   1620×300m
滑走路   1000×80m(コンク)
誘導路   1530×20m(コンク)
方 位   146〜326(磁方位)

◆2)昭和43年10月9日(運告第333号)
管制業務に関する告示
◎「4月から10月までは7時から21時まで、11月から3月までは19時まで、ただし1時間以上前に要求があれば運用する」に改める。

◆3)昭和44年6月19日(運告第167号)
(公共の用に供すべき施設の指定))
標点の位置 4307N14123E
着陸帯   1620×300m
滑走路   1400×30m(アスフ)
誘導路   1530×20m(アスフ)
供用開始  1昭和36年12月10日

4)昭和50年10月6日(運告第463号)
札幌飛行場管制圏の告示
◎標点(4307N14123E)
半径9qの円内の直上空域1200m以下


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