ABSOLUTE COSMOS ENFORCER
彼らはその頭文字を取ってACEとも、または特務執行官とも呼ばれる。
彼らは人類圏の秩序を維持するために生まれた者たちであり、
人類最大の脅威である【カオスレイダー】に対抗する任務を背負った者たちである。
「……失敗した?」
ダイゴ=オザキは眉間にわずかなシワを寄せて、男の報告を聞いていた。
『……はっ。思わぬ邪魔が入りまして……』
スクリーンの向こうにいるオールバックの男は、聞き取りづらい声で、言葉を返す。
直接顔を合わせているわけでないものの、明らかに萎縮した様子だ。
口から紫煙を吐き出し、ダイゴは無造作に足を机上に投げ出した。
「言い訳は聞かん。手段は任せると言ったはずだ。にも関わらず、第三者の介入で容易く失敗するなどあっていいと思うのか?」
『……申し訳ありません。しかし……その男、ただの人間ではなく……』
「言い訳は聞かんと言ったはずだ。今一度チャンスをやる……今度はしくじるな」
『……は、はっ……』
男はいまだなにかを言いたげだったが、弁解の余地がないことは自覚しているのだろう。
わざわざスクリーンのこちらにいるダイゴに頭を下げ、ふつりと通信を切った。
わずかに闇が立ち込めた部屋の中で、ダイゴは再び大きく紫煙を吐く。
「……ただの人間ではない、か……」
つぶやきながら、彼はスクリーン上に浮かぶフォルダをタッチした。今の男より送られてきていた画像ファイルである。
展開すると、複数の男たちが一人の青年を取り囲んでいる光景が表れる。
恐らくは口封じでもするつもりなのだろう。しかし、野卑な笑いを浮かべる男たちを身ながら、中央にいる青年は怖れる様子もない。
やがて、一人の男が襲いかかったと思った瞬間、その男が逆に数メートルほど吹き飛ばされた。
「……なるほどな。この力……普通の人間ではあり得ないか……」
渾身の力を込めた攻撃なら、大の男が弾け飛ぶことに納得はできる。
だが、青年は明らかに手を抜いたと思われる無造作な裏拳のみで男を吹き飛ばしたのだ。
続けて襲いかかってくる男たちを、彼は素早い動きで捌き、薙ぎ倒していく。目にも留まらないとは、まさにこのことだろう。
その俊敏さや躍動感、柔軟性は機械によって生み出されるものではない。すなわちアンドロイドやサイボーグの類ではないということだ。
その事実が、ダイゴの頭にひとつの結論を導く。
「……恐らくは人の姿をした生体兵器か……どこの企業のものかはわからんが、興味深い存在だな……」
青年――ソルドの姿を見ながら、ダイゴは密かに歪んだ笑みを浮かべていた。
APOLLON
―― ABSOLUTE COSMOS ENFORCER ――
FILE 2 MY BROTHER, MY SISTER…… 〜兄妹の絆は悲しみの中に〜(3)
喧騒に包まれた空間で、ソルドは微妙に居心地の悪さを味わっていた。
窓の外には闇が訪れている。しかし、街を照らす数々の光は、今が夜であることを感じさせないほどだ。
行き交う人々は思い思いにおしゃべりを交わしながら、右に左にと交差していく。
そして室内にもまた、数多くの人が溢れている。
肉の焼ける匂いや香草の香りが立ち込め、各所では店員たちの挨拶の声が入り乱れて飛んでいた。
「……ねぇ、ホントにそんなんでいいの? 別に遠慮することはなかったんだけど?」
対面に座りながら、少女――ミュスカは彼に問いかける。
彼女の前にはかなり大きなチョコレートパフェが置かれている。対するソルドの目の前に置かれているのは、ティーカップに入った緑色の液体だ。
湯気をたてて香ってくるのは、香ばしい緑茶の香りである。
「ああ、構わん」
不思議そうな少女をちらりと見やりながら、彼は淡々と返答した。
そのままカップに口をつけて、茶を喉に運ぶ。
一瞬、彼の眉が不快そうに歪んだのは、それがお世辞にもおいしいと言えなかったからだろうか。
幸いにもミュスカが、それに気付いた様子はない。
「まぁ、アンタがいいって言うなら、いいんだけどさ……なんかオッサン臭いなぁと思って」
あっけらかんとした口調で、彼女は率直な意見を口にする。
生命を助けられたお礼ということでやってきたディナーカフェだが、ソルドの好みはまったく関係なく、自分が来たかっただけなのかもしれない。
その証拠にパフェを頬張る姿が嬉しそうな上、食べ方が手慣れている。
もっとも、ソルドの好みを満たす店となると明らかにミュスカの嗜好には合わないだろうから、間違ったチョイスではない。
今のソルドにとっても長居をするべき場所でなかったから、居心地の良さを求める必要はなかった。
「で、君自身、あの男たちに狙われた理由に心当たりはないのか?」
「え? うん……まぁ、ないかな。でも、ほら! あたしって可愛いから! 狙いたくなる男って多いんじゃない?」
「……あまり茶化すな。真面目な話だ」
「だって、知らないもんは知らないんだもん」
神妙な表情で彼は問いかけるが、ミュスカは変わらぬ口調で答えるだけだ。
ただ、一瞬だけ考えるような仕草を見せたのが、気になった点である。
しかし、詮索するより早く、今度は彼女からソルドに語りかけてきた。
「それより、あたしはアンタのことが聞きたいんだけどなぁ。この辺じゃあまり見かけない格好だよね?」
「む……」
「でも、旅行者にしちゃずいぶん軽装だし、その頭もずいぶんド派手。それって地毛なの?」
「……作り物ではないつもりだが?」
「へ〜、そういうカラーって、どっかの流行りなのかな?」
「……別にそんなことはあるまい」
ミュスカのペースに巻き込まれて返答している自分に、思わずため息をつく。
最初に会った時から会話にせよ行動にせよ、一連のアドバンテージは目の前の少女に握られっぱなしである。
これでは正直埒が明かない。ソルドは改めて厳しい表情を作った。
「ともかく、私のことはどうでもよかろう」
「ん〜ん、全然そんなことないし! で、アンタって……あ?」
そんな雰囲気を感じ取ったのか、ミュスカが再び話を戻そうとした時、彼女のカバンの中から携帯の着信音が流れてきた。
曲が途切れずに流れ続けていることから、メールではなく電話であることは明らかだ。
「……出なくていいのか?」
「……別にいいの。出たところで仕方ないから」
「仕方がない?」
「そ、薄情な兄貴からの電話だし」
「……お兄さんだと? ならばなおのこと、出なくてはいかんだろう」
思わずソルドの表情が気色ばんだ。家族からの連絡をまるで無視するという少女の姿に、驚きを隠せない様子だ。
しかし、それは彼女に限ったことでなく、実は日常どこにでも見られる光景である。
遺伝子操作、人工受胎、クローニングという生体産業の盛んな時代――父母の存在すら知らぬまま、施設で生まれ育つ人間たちは少なくない。
家族の繋がりに価値を見出す人間が、今どれほどいるのだろう。ミュスカの態度に同意や無関心を示す者こそ多かれ、憤りを感じる者は稀である。
それをよくわかっているのか、ソルドの反応に少女は訝しさを隠せない様子だった。
「……別にいいって言ってるじゃん。どうせ今日もまた帰らないとか、そんな話なんだから。毎日毎日ウザいんだよね」
「決め付けてはいかんな。もしかしたら君を心配してのことかもしれんし、なにか急な用事かもしれん」
「そんなこと、あるわけないじゃん」
「しかし、無視して良い理由にはなるまい」
ソルドの口調は一貫して厳しい。
その瞳には、彼が普段カオスレイダーに見せるものとは違う意味での鋭い輝きがあった。
お世辞にも好意的とは呼べぬ眼差しに、ミュスカも少し表情を硬くする。
「詳しい事情は知らんが、仮にも血の繋がった家族だろう? うざったく感じられても、それはひとえに君のことを思うがゆえだ。打算なしに信じられる……それが家族の絆というものではな……」
「ああ、もういいったらいいの!! 説教じみたこと言わないでよね!!」
諭すようなソルドの言葉を制し、少女は不機嫌そうにテーブルを叩いた。
パフェのスプーンが卓上に落ち、カラランという甲高い音をたてる。
その剣幕に驚いたのか、周囲の客たちも会話をやめて二人に視線を向ける。
刹那の静寂が、辺りを包んだ。
「……なんかしらけちゃった。一応、これで礼はしたから……あたし、もう帰るね」
「待て。まだ話は……」
バツが悪くなったのかミュスカは立ち上がると、無造作にカバンを掴んで席を立った。
そのまま後追いで立ち上がったソルドを残し、衆目から逃れるように駆け出していく。
ただ一瞬、彼を一瞥した瞳にわずかな愁いが覗いたように見えたのは、気のせいだったろうか?
再びざわめきを取り戻した店内で意味もなく立ち尽くしながら、ソルドは小さくため息をついた。
(ふむ……どうやら怒らせてしまったか。どうも、ああいう娘は扱いに困る)
辺りの人間たちは別れ話だなんだのと、無責任なことを言っている。
しかし、彼にとっての気がかりは周囲の反応などではなく、ましてミュスカの機嫌を損ねたことでもなかった。
(……しかし、結局狙われた理由はわからずじまいだったか。任務を優先しなければならんのは事実だが……放っておくわけにもいかんな。少し調べてみるとしよう……)
残った茶を一気に飲み干すと、彼は悠然と席をあとにした。
闇の中に水の音が響いている。
鉄の臭いに紛れ、漂っているのは長年に渡り染み付いた異臭であろう。
空洞は時に垂直に伸び、時に大地と平行になる。小動物がやっと一匹通れるかと思えるほどの狭い空間が無限とも思えるほど続いている。
警備が厳重なビルであろうと堅固な要塞であろうと、人の住む場所なら敷設せずにはいられないもの――すなわち下水配管の内部である。
並の人間なら侵入することもできないその空間を、無数の光の粒子が突き進んでいる。それらは水の流れに逆らいながらも澱むことなく進んでいった。
やがて、闇に差し込むいくつかの光が現れる。
ひどく細く、それでいて力強い輝き――同じ光同士が引き合うかのように、粒子はその内のひとつへと導かれていった。
そこは用途の割には美しい空間であった。
床に張られた大理石の床が、白色照明の光を受けてつやつやと煌めく。
周囲を満たすのは、わずかな芳香剤の香り。ハーブを思わせるその匂いは、リラックスした空間を演出するのに一役買っている。
ふと、動き始めた自動洗浄システムが、辺りに水音を響かせた。
「……毎度のこととはいえ、こういう侵入の仕方は気が滅入るわ」
洗面台の排水口から現れた光の粒子は、徐々にまとまり一人の人間の姿を形作る。
やがて実体化した青髪の女性――ルナルは、心底参ったようにため息をついた。
実際に汚れることがないとはいえ、下水管を通っての侵入というのは気分の良いものではない。
ましてや出てきた場所がトイレでは、ぼやきたくなるのも当然だろう。いくら清潔で手入れの行き届いたところであってもだ。
(ま、警戒厳重なところを避けようと思えば、必然的にこうなってしまうんだけど……)
もちろん彼女がトイレに実体化したのは偶然でなく、意図したものである。
警戒厳重な建物であっても、トイレに監視の目を光らせることはまずあり得ないからだ。最もプライベートを確保しやすい場所だからこそ、侵入にも最適というわけである。
もちろん下水配管からの侵入を可能とするのはACEとしての能力あればこそで、並の人間には発想自体浮かばないことは言うまでもない。
(さて……それじゃさっさとお仕事を片付けましょうか)
周囲の様子を窺いながら、ルナルはドアを押し開ける。
服のデータをリライトし、ビジネススーツへと変換して通路へと出た。
巨大企業とはいえ一般的な就業時間は過ぎているから、人の姿はまばらなものだ。
何人かの男性社員とすれ違うと、ふと口笛を鳴らしていったのが聞こえる。
どんな格好をしていても、ルナルの美貌はやはり人の目を惹いてしまう。女性として他者の評価に値するのは嬉しいことだが、あいにく潜入という任務に不都合があるのは確かだ。
(……あまり人目につき過ぎると、ろくなことにならない。ここのホストコンピュータにアクセスできる端末は……あそこね)
あらかじめ得てきた建物のデータを基に、彼女は早足で歩みを進める。
目指すその先には【第一資料室】と書かれた札が掲げられていた。
資料室と名の付いた場所ではあったが、実際はコンピュータ端末が数台並ぶだけの殺風景な部屋だった。
室内もさほどに広くなく、十歩も歩けば壁にぶつかってしまうほどである。
幸いなことに利用者はいない。極秘データを探るにはおあつらえ向きだ。
(……生体認証クリア……パスワード……クリア……アクセスレベル……5までクリア……これ以上は厳しいか……)
意識を端末とリンクさせ、ルナルはホストへの侵入を図る。
電子化された意識が幾重にも張り巡らされたセキュリティを通過していく。
ただ、さすがに最重要機密へのアクセス権限を得るには時間がかかりそうだった。
仕方なく現在の段階で閲覧可能なデータを漁っていく。それでも相当のレベルまで潜り込んだはずなので、有益な情報が得られる可能性は高い。
(軌道エレベーター研究施設……研究内容はトップシークレットか。相当重要な研究を行っていたようね。施設主任は、アイダス=キルト博士……アイダス=キルト……?)
ルナルはメモリーを辿り、その名前を見つけ出す。
十代で博士号を取り、バイオテクノロジーの分野では百年に一度の天才と言われた人物。
一昨年に発表された【植物の光合成における発生エネルギーの生体転用理論】は、良くも悪くも学界の話題を集めた。
植物の細胞を動物に転用し、光合成を行って活動エネルギーを得るという理論。つまりは光と水と二酸化炭素があれば、その他の栄養補給がいらなくなる人間も作れるという話だったはずだ。
しかし、あまりに突飛な発想は当時の学界に煙たがられ、物笑いの種にしかされなかったようである。
それ以降、彼の消息は不明となっていた。
(……まさかアマンド・バイオテックに身を置いていたなんて……)
どのような経緯で、両者が手を取り合ったかはわからない。恐らくなにかの利害が一致したのかもしれない。
ただ、それが人類の発展に貢献する正しい科学のあり方に繋がるとは、ルナルには到底思えなかった。
(……荒唐無稽な理論を唱える科学者と、よからぬ噂の絶えない巨大企業……そして謎のカオスレイダー……ますますもって怪しくなってきたわ。せめて研究内容の一部でもわかればいいんだけど)
データの検索対象を変え、ルナルは改めてアクセスを試みる。
アイダス=キルトのパーソナルデータを洗い始めた彼女は、そこに彼の日記を発見した。
(……日付は一昨年の3月から……アマンド・バイオテックに身を寄せてから書き始めたもののようね。人の日記を覗くのは趣味じゃないけど……)
今は情報が必要である。
ここまでくれば個人のプライバシーなどあってないようなものだが、少し良心の呵責を覚えるのは仕方のないところか。
『ここ最近は妹と会うことも少なくなった。仕事の忙しさを理由にしたくないが、外出もまともにできないのは正直キツイ』
『電話しても、ほとんど出てくれないのはどういうわけだろう? なにもなければいいが……』
『妹にメールするのは、本日11回目……ウザイと思われてるだろうか? それにしたって返事くらいしたっていいだろうに』
『嫌われているのか。それとも別の理由でもあるのか。まさか、男でもできたか?』
内容は研究者らしくないありふれたものだ。
意外とまともだと思う反面、端々に見える妹への感情がシスコンっぽくもある。
もっとも、ルナルとしても兄にベッタリなわけだから、共感できないことはない。
正直、ソルドにもこのくらい自分をかまって欲しいくらいだ。
(……いけない、いけない……)
ふと、任務を忘れてしまった自分を叱咤しながら、彼女は日記を読み進める。
すると、気になる一文が見つかった。
『【S3】の状態は良好。この調子なら、あと一ヶ月もあれば先方の条件を満たせるかもしれない。カンヅメ生活ともオサラバだ。久々に家でのんびりしたい』
『昨日、良好と書いた【S3】だが、活性化がやや不自然に思える……何事も起こらねばいいが』
日記はここで終わっていた。
研究に関することは記さない主義――もしくは記してはいけなかったのかもしれないが、最後の二日分に関しては、感情の変化もあってか内容も饒舌なものとなっていた。
(【S3】……恐らくはこれが彼の研究していたものの名称。わかったのはこれだけか……)
端末とのリンクを解除したルナルは、小さくため息をついた。
リスクの割に得られた情報が少なすぎたのだから、無理もない。これではあまり潜入の意味はなかったが、必要以上の長居は無用である。
ちょうど複数の足音が近づいてきたのを聞き取った彼女は、足早に資料室をあとにした。
ミュスカと別れたソルドは、人気のない路地裏に潜み【クロト】との通信を行っていた。
『……この少女のパーソナルデータを検索すればよろしいのですか?』
「ああ。今回の事件と直接関わりはないかもしれないが、気になったものでな」
ソルドから提供された画像を見つめる【クロト】は、複雑な表情をしていた。
眉をわずかにひそめ、少し俯いた様子で言葉を続ける。
その口調は淡々としているようでいて、不機嫌そうでもある。
『ソルド……確かに【私たち】には様々なデータバンクにアクセスできる権限があります。しかし、確証もない予感だけを理由に一個人のパーソナルデータを引き出すことに賛成はしかねます』
「……行き過ぎた行為であることは承知している。だが、彼女が生命を狙われたのは事実だ」
『仮に生命を狙われたのが事実としても、現状、オリンポスの関与すべきことではありません』
「カオスレイダーの関与がないとは言い切れないだろう。疑わしきは調査すべきではないか?」
『非効率的です』
「そこを押して頼みたいのだがな……」
『……私の判断として、それは許可できかねます』
思わず溜め息が漏れるのを、ソルドは抑えきれなかった。取りつく島がないとは、このことか。
確かに捜査のためといえ、むやみに個人情報を引き出すのは推奨された行為ではない。
ただの誘拐事件ならオリンポスの管轄ではないわけだし、疑わしいという理由ですべての刑事事件に関わっていては、膨大な時間と労力を削られることになる。
【クロト】の意見は正論であり、この場合ソルドが職権濫用していると見なされても仕方がないところだ。
『フフッ……姉貴はねぇ、ソルドが他の女のことを考えるのがイヤなんだよねぇ〜〜♪』
しばしの間があったのち、光の中でもうひとつの声が静寂を破る。
見るといつの間にか【クロト】の脇に似た顔立ちの少女がたたずんでいる。
ただ、瞳はやや大きく、どちらかといえば活発な印象だ。
「む?【ラケシス】か?」
『お久しぶりじゃんモテ男! 相変わらずニクイね〜〜♪』
『ら、【ラケシス】!! 急になにを言っているの!! そもそもなぜあなたが……!!』
【ラケシス】と呼ばれた少女は二人を交互に見比べながら、甲高い声ではやし立てる。
かたや【クロト】は先ほどまでと違い、目に見えてあたふたした様子だった。
『なぜって、交代の時間だからに決まってるじゃん。ふふ〜〜ん♪ 動揺してそんなことも忘れちゃったんだぁ?』
『え? え? も、もうそんな時間……?』
『堅物姉貴にしては、珍しいほどうっかりだね。これも愛深きゆえかな? 事件に関係ないからダメとかいかにももっともらしい理由だけど、やきもち焼いてるのミエミエじゃん。そして意地悪しちゃうこの女心っ!! も〜たまんないねっっ!!』
『ち、ち、ちょ、【ラケシス】!! ごご誤解を招くような言動は……!!』
『ん〜♪ 個人的にはもう少しこの修羅場的展開を見てたかったんだけど、残念ながらお時間来ちゃったみたいよ? そいじゃあとはこの可愛い妹に任せてオヤスミオヤスミ〜〜♪』
『ら、ら、【ラケシス】ッ!!』
余人が口を挟む間もない会話は、一方的に終わりを告げたようだ。
薄れるように【クロト】の姿は消えていき、光の中には【ラケシス】だけとなる。
「…………慌しいことだな。いつもこんな感じか?」
『そんなわけないでしょ。本当はもっと姉妹同士で語らいながら引き継ぐところなんだけど、タイミングが悪かったってところかな?』
「……そうか。悪いことをしたか?」
『別にぃ〜〜。久々に面白いものも見れたし、あたし的には満足だったり?』
やや疲れたようなソルドの言葉に、【ラケシス】は軽いウインクで答えた。
同じセントラルの電脳人格と思えないほど、彼女と【クロト】は正反対である。
正直、ソルドとしては苦手な相手の一人だった。
『さて……堅物姉貴はああ言ってたけど、そのミュスカって女の子の一件、放っておくにも寝覚めが悪いってところ?』
「まぁ……そうだな」
『誘拐って穏やかじゃないものねぇ。ま、面白いものを見せてくれたお礼ってことで、特別にこの【ラケシス】ちゃんがデータを洗っちゃおう♪』
「すまんな。恩にきる」
とはいえ、現状では【クロト】より話が通りやすかったようである。
このタイミングでオペレーターの引継ぎが行われたのは、ある意味で僥倖だったのか。
手慣れた様子で【ラケシス】は、ミュスカのパーソナルデータを引き出していく。
その瞳には当初猫のような輝きが宿っていたが、浮かび上がってきたデータスクリーンを見つめていた彼女は、ややあって怪訝そうに眉をひそめた。
『ん〜〜〜〜…………ん……? あれ、これって……』
「……どうした?」
『……意外と当たってたかもね。ソルドの勘。この子、無関係じゃなさそうな感じよ』
「……なに?」
思わず鋭い問いを発したソルドに、【ラケシス】は一枚のスクリーンを向けてくる。
そこに書かれていたのは、ミュスカという少女の家族構成についてだった。
「……ミュスカ=キルト。両親は交通事故にて死亡。現在肉親は兄が一人……名前はアイダス=キルト。バイオテクノロジーの世界的権威にして、過去【植物の光合成における発生エネルギーの生体転用理論】で学界の話題をさらった人物。しかし、荒唐無稽な理論ゆえに学界から煙たがられ、現在は行方不明となっている……か」
『ついさっき、ルナルからもアクセスがあってね……そのアイダス博士はアマンド・バイオテック・コーポレーションに身を置いていたみたい。例の【S−121】ケースに関連する施設で、うさんくさい研究に没頭していたみたいよ』
「……なるほどな。しかし、こんな繋がりがあろうとは予想外だ」
ソルドは意外さを隠し切れない様子でつぶやいた。
かけ離れたふたつの事件がこうも容易く繋がると、神の悪戯めいたものを感じてしまう。
『ま、現実は小説よりもご都合主義って言うじゃない? そうすると彼女を襲った連中に監視がついてたってのも、割と納得できる話よねぇ』
「……それを言うなら、事実は小説よりも奇なりだろう。とにかく彼女の拉致はアマンド・バイオテック絡みということか。しかし、なんのために……なぜ彼女をさらう必要がある?」
『さぁ、そこまではねぇ? でも、相手がこのまま引き下がるとも思えないし、急いだほうがいいんじゃないの?』
「……確かにゆっくり考えている暇はないか。すまんが【ラケシス】、これで通信を切るぞ」
『はいはい〜。そんじゃ頑張ってきてね♪』
あくまで気楽な【ラケシス】の声と裏腹に、ソルドは焦燥を募らせていた。
あのままミュスカを一人にしたのは、結果として間違った選択だったと言える。
彼女の拉致がアマンド・バイオテックの差し金なら、すでに次の手を打っているだろう。
セントラルとのアクセスを打ち切った彼は、豹のごとく駆け出していた。
家への帰途に着きながら、ミュスカ=キルトは憮然とした表情を崩さなかった。
外灯の類があまりないせいか辺りは割と薄暗く、街のネオンやレーザーもこの路上までは充分な光を届けていない。
年頃の少女が一人歩きするには危険な雰囲気がある。ミュスカにとっては慣れ親しんだ道かもしれないが、先ほど襲われたことを思えば恐怖が先立ってしかるべきだ。
しかし、幸か不幸か苛立ちを隠せない少女の頭には、現状の危機に対する意識は希薄だった。
「……なによ……」
苛立ちの原因は、言わずもがなである。見ず知らずの自分を助けたばかりか、説教までしてきた青年に対する怒りだ。
もちろん感謝をしてないわけではなかったが、それ以上に関わって欲しくない部分にまで関わろうとされるのは迷惑だった。
せわしなく携帯端末をもてあそびながら、しかし彼女はなぜ不愉快な気分になっているのか説明できないでいる。
いや、本当は気付いていたことだったかもしれない――。
「……? またなの……!?」
落ち着かない心を持て余す少女の耳を打ったのは、端末からのメール音だった。
いつもと同じ曲が流れたことから送り主が誰かはわかったが、今日は電話も含めてずいぶんと頻繁だと思う。
スクリーンを開いて履歴を確認してみると、一時間に数通ほどメールが入っていた。
彼女が気付かないうちにも、何回か来ていたらしい。
「……ホント、なんだってのよ!」
憤りに任せて、彼女は最新のメールを開いてみた。
さすがに文句のひとつでも返してやろうかと思った矢先、その表情が驚きに凍りつく。
『逃げろ』
文章ですらないたった一行のメールである。そこには妙に切迫した雰囲気があった。
嫌な予感に駆り立てられたミュスカは、他のメールも開いてみる。
『助けてくれ』
『恐ろしい』
『逃げろ』
『助けて……』
「……な、なんなのよ……これ……!」
支離滅裂な単語のメール群に、少女の怒りはどこかへ吹き飛んでいた。
代わりに襲ってきたのは忘れていた不安と恐怖。
いったい、兄の身になにが起こっているのだろう? なぜこんなメールを、送ってきたのだろうか?
考えても考えても、思考がまとまらない。いつの間にか足が止まり、小刻みな震えが全身を駆け巡っていた。
手元から落ちた端末は足下で乾いた音をたて、明滅する光が訴えるように同じ文字を少女の網膜へと焼き付け続けた。
「……おやおや。お嬢さん、夜道でぼーっと突っ立っているのは感心しませんな」
「…………え?」
ほんのわずかに感じられた時間は、実際よほどに長かったのだろうか。
突然、背後からかけられた声に振り向くと、そこには黒いスーツに身を包んだオールバックの男がたたずんでいた。
しかし、注意を促す口調と裏腹に、見下ろす瞳には凍てついた光がある。
「……幸い人気がない場所だけに、こちらも助かりましたがね……」
言葉すら失った少女が呆然と見つめていると、男はすかさずその口にハンカチを押し付けた。
貫くような強い刺激臭が鼻腔を駆け抜け、次いで意識が闇の底へと引きずりこまれていく。
(!!あ……あ……お……お兄……ちゃん……)
少女の右手はなにかを求めるように宙をさまよったが、やがて緩やかに力を失っていった。
〜TO BE CONTINUED〜
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