卒園児の父母の声を紹介します。

1 2010年3月卒園 Hちゃん、2014年3月卒園 Rちゃんのお母さんより
2 2006年転園 Kちゃん、2014年3月卒園 Tちゃんのお母さんより
3 卒園文集から 2014年3月卒園 Aちゃんのご両親
4 卒園文集から 2015年3月卒園 Tちゃんのご両親
Hちゃん、Rちゃんのお母さんより


子どもの家の良いところ

・毎日の散歩と伸び伸びとした外遊び。

・布オムツにおまる、1才台でパンツ、和式トイレ使用

・安心安全で旬な食材を使用した給食。3才からのお箸。

・園長や保育士により保育内容が変わらない。

・保育士と子供達、子供達同士の信頼関係が確立している。
(引っ掻きや噛みつきがない)

・保育士と保護者の距離が近く、子供の事、育児の事を相談しやすい。保護者会を土曜に開催し、参加率が高い。

・保護者の保育に関わる意識が高い。保護者同士の関係がいい。

Kちゃん、Tちゃんのお母さんより


私が子どもの家をいいと思う所(変わらず続けていって欲しいところ)は、

・散歩の時に、たくさん歩く。

・自然と触れ合う遊び。

・布オムツの利用と、1歳からのパンツデビュー。

・例えば豆の筋取りだったり、野菜の種をとったりと、食事の用意の手伝いを一緒にさせてくれる。

・旬のものを使った安全な手作り給食。

・保育士が働く親によりそってくれる。強要しない。

・父母間の交流があり、信頼関係を作ることができる。

サービスを提供する側と、してもらう側という割り切った関係ではなく、

大きな家族として共に育っていける所が共同保育所子どもの家の魅力だと思います。

すべての家族の駆け込み寺、そして育児の楽しさと豊かな縁があるから


(2014年3月卒園−Aちゃんのご両親)


 Aは生後3ヶ月から3歳10ヶ月までの3年7ヶ月を子どもの家で過ごしました。延長保育を目一杯の7:30〜19:00まで1日のほとんどすべての時間をここで過ごした訳です。

 Aの成長はそのまま子どもの家の日々と重なります。子どもの家のノートはなんと9冊になりました。9冊のノートからAの成長を拾ってみました。

2010年9月16日(0歳3ヶ月) 入所、同日子どもの家で寝返り成功

     9月28日(0歳3ヶ月) 子どもの家での哺乳瓶拒否(一週間程度継続)

    10月18日(0歳4ヶ月) 子どもの家で離乳食スタート

    12月2日(0歳4ヶ月) 父送りデビュー

    12月13日(0歳6ヶ月) みえこ先生に一目惚れ

           …中略…

     5月29日(3歳0ヶ月) おっぱいを卒業

    10月17日(3歳4ヶ月) 父初めての泊まり出張

    11月17日(3歳5ヶ月) 我が家の新入り猫(♂)にティガと名付ける

2014年1月16日(3歳7ヶ月) おそらく最後のノート(9冊目)突入

 こうして寝返りから始まり、離乳食、トイレトレーニングなどAの成長は、ほとんど子どもの家にお任せでした。赤ちゃんの頃から自我、感受性、不安感が強く、常に誰かに抱っこされていないと泣きわめいたり、特定の人に執着したり、逆に慣れない人は徹底的に拒否(赤ちゃんの頃は同じエレベーターに別の人が乗っているだけで大泣きしていました)する等、手間がかかる子でした。でも子どもの家ではそれを「わがまま」ではなく「個性」として受け入れてくれました。まだ朝の見送り時に大泣きすることもありますが、おかげさまで現在はすっかり理解力や表現力、行動力がつき、一度も泣かない日もあるかも(笑)。とにかく本当に成長しました。

■母と子どもの家

 Aが産まれる前までは、子どもなんて放っておいても育つだろうし、すぐにでも仕事復帰したいし、と大して保育園のことなんて深く考えずにいました。もしAが手のかからない赤ちゃんだったらおそらく適当な保育園に預けていたと思います。しかし神様はそんな自分勝手な私に試練を与えました(笑)。

 ◇「良い子でした」…じんましん!

 生まれてきたAはいわゆるかんの強い気難しい子で、べビーベッドで寝てくれることは皆無、ベビーカーは拒否、一日中機嫌が悪く、泣くかおっぱいを飲むか吐くかで、イメージしていた「午睡する赤ちゃんの様子を見守る」的な生活とは真逆の日々が続きました。両方の両親ともに遠方で仕事を持っており、誰にもサポートをもらえない毎日に、私は別の意味で早く保育園に預けたい気持ちでいっぱいになりました。

 最初に預けた保育園はそんな手間がかかるAを慣らし保育で「良い子でした。吐き戻しもありませんでした」と言いました。でも明らかに声は枯れているし、服もはき戻しで濡れていました。そして3日目にAに原因不明のじんましんが出てしまいました。生後3ヶ月とはいえ、感受性が強いAにとっては耐えられない環境なのだと判断し、子どもの家に駆け込みました。空きはなかったのですが、見るに見かねて無理矢理に受け入れていただきました。

 子どもの家でのAの毎日は最初に紹介したとおり、まったく心配のないものでした。自分が安心して子どもを任せられるということがどれだけ大切なことか。

 旧園舎のあの古い玄関に上がり込んで、オムツを替えたり、おっぱいを飲ませたり、自分のペースで気持ちの切り替えをできたことは本当に大きかったです。職場にも恵まれていました。仕事に集中できない自分を歯がゆく思う私に「そういう時期は思っているより短いもの。仕事は仕事と割り切って、子ども中心にできる範囲でやってくれれば十分だから」と子どもの熱やら下痢やらで休む私を当たり前のように受け入れてくれました。

 仕事と育児の日々に慣れた2011年の年明け頃から保育園で知り合ったお友だち家族としょっちゅう遊ぶようになりました。平日は時には旧園舎で、時にはお互いの自宅で一緒に夕食を食べ、休日には一緒に買い物に出かけたり、お互いの家に遊びに行ったり、キャンプや旅行をしたり。最初は機嫌が悪い赤ちゃんだったAと二人きりになりたくない一心でしたが、Aも徐々に成長して子どもたち同士で遊べるようになると、どんどん子育ても楽しいと思えるようになりました。

 ◇子どもの家から教わり、つながった縁が

 そして子どもの家を通じて知り合ったお友だちのママたちに影響を受けて、子ども服づくりを始めたのも私にとっては大きな変化でした。それまでたったひとりの子どもだからと、輸入もののおしゃれな子ども服を買っていたのですが、自分で好みの子ども服を作れるという魅力。そして子どもの家のバザーに貢献したいという気持ちもあり、高校の授業以来触った事もなかったミシンを2台も購入してAの洋服を作るようになりました。すっかりソーイングにハマってしまい、今ではAの洋服は下着くらいしか買いません。子どもの家のイベント等でも販売させていただいて、少しはミシンの元が取れたかなと思っています。

 そんな子どもの家を通じた楽しい毎日もあと少し。Aも大きくなってだんだん手もかからなくなり、私の仕事もだんだんと以前のように忙しくなってきました。以前ほどはお友だち家族との時間もソーイングの時間も取れませんが、子どもの家から教わった育児の楽しさと子どもの家を通じて得た縁は、この先も私の人生を豊かにしてくれると思います。

 これからも子どもの家には、すべての家族の駆け込み寺であると同時に、育児の楽しさと豊かな縁のある場所であり続けることを願います。


■父と子どもの家

 Aの抱っこ好きは相変わらずで、というか、未だに父といると歩こうとしません。でも、保育園の行き帰りに抱っこしながら、顔の距離10cmでする話が楽しみです。

 今でも思い出すのは、東日本大震災の時。職場が遠い父母はその日帰れず。Aは子どもの家で朝まで預かっていただき、あのときは本当に助かりました。余震も治まったころ、今度は台風で電車が動かず、職場が遠いことのデメリットを痛感しました。

 育児では、母乳をあげている状態をうらやましく思っていました(大変なこともあると思いますが)。母乳が終わったら、育児の主導権を奪えると思っていたのですが、待てども待てども授乳は終わらず、とうとう3歳の誕生日まで…。

 もうすぐ4歳になるAはずいぶんお兄さんになりました。こんなに立派に成長したのも子どもの家のおかげです。長い間本当にありがとうございました。

たかが一年、されど一年

(2015年3月卒園―Tちゃんのお母さんより)


Tが子どもの家に来てからたった一年しか経っていなかったことに、改めてびっくりしています。

思いつくままに、一年を振り返ってみます。


■歩くこと
毎朝、東海神から子どもの家まで、Tと手をつないで歩くこと。今ではとても幸せな時間ですが、最初はこれが一番の心配の種でした。子どもの家に通い始めてから2週間くらいは、電車を降りるやいなや「おんぶおんぶ!だっこだっこ!」で、職場に着く頃にはすっかり腰が痛くなっていました…。帰りもその調子で、東海神までの所要時間は40分かかることも。こんな日が続いたら私が倒れる〜と心が折れそうなときもありましたが、そんな時、連絡帳に書いてあった言葉が励みになりました。

『子どもの家のお散歩では、とにかくたくさん歩きます。Tくんも、歩くことがきっと好きになります。いつかきっと自分で歩く楽しさがわかりますよ』

本当にその通りで、気づけばおんぶを求めなくなり、20分で着くようになりました。

手をつなぐのを嫌がって、振りほどいて走り出してしまう時期は困りましたが、今ではちゃんと手をつないでくれるし、歩いて15分、走ったら10分。走るのも速くなって、ついていくのが大変です。
 あ:「待ってよ〜」 T:「もう〜!またー?」


■トイレのこと
離乳食や断乳についてはある程度予習したとおりに進められたのですが、トイレのこととなるとなかなか見極めや声掛けがうまくいかず、本を読んでも実行するのは難しいものでした。

昨年の4月、子どもの家のうさぎグループは4人に激減…。子どもの家にとってはまさにピンチのときでしたが、私は、今こそ、Tのお兄さんパンツデビューにふさわしいとき!なんて幸運、と密かに思っていました。そして、先生方のお導きのとおり、おしっこはあっさりとできるようになりました!難しかったのはうんちです。トイレに座ること自体が怖かったらしく、うんちが出るタイミングは分かっているのですが、いざその段になると「かみかみにするー!」と紙おむつを所望…。あんまり焦るばかり、声を掛ける方もつい急かすような言葉を言ってしまっていたことに反省。一回、トイレでうんちを頑張ってやってみよう!と思ってチャレンジしてくれたことがありました。でも、少し出たらすぐ怖くなって泣き出してしまい…。そんなことがあった次の日、連絡帳では、『失敗したことや「また教えてね」ということには一切触れずに、Tくんが知らせてくれたことをたくさん誉めてあげてくださいね』と書いてあり…。しまったー!もう言ってもうた…とまた反省…。そのときどきに、一番適切な言葉をかけるというのがなかなか難しいことですね。でも、子どもの家で先生たちが子どもたちに接する姿を見て、「そうやって言えばいいのか〜!」と思わされる場面がたくさんありました。

まぁ、家に帰ると実行できないことが多いんですが…。


■大人の不調
昨年5月、夫が急に入院。それまで至って普通に生活していた我が家にとっては、まさに青天の霹靂。出先で具合が悪くなりそのまま入院だったため、翌日Tを子どもの家に預けて、私は病院に直行。自宅近くの病院に転院の手続きをして、それから約2週間の入院になることを告げられました。夫の入院支度を整えてから、これから仕事とTの送迎と病院のお見舞いと…どうやってやり繰りしていこう…と考えながらぼんやりTをお迎え。着いた時、はやぴーとかおちゃんが「父ちゃん、どうだった?」と心配していてくれ。一人でどうやって乗り切ろうかとあれこれ考えていたけど、とりあえずTのことは、安心して任せられる場所があったことに気づいて安堵したら、張り詰めていた気持ちがほぐれて涙が溢れました。こっそり子どもたちのおやつの残りを頂いて、そういえば食事をまともにとっていなかったことを思い出し、また泣けて…。それから退院までの間、Tも寂しいながらも頑張りきれたのは、ひとえに、子どもの家の愛情に包まれていたからに他なりません。双方実家が遠い核家族である我が家の心の支えでもあり、第二の家庭のような、安心できる場所。それが、子どもの家なんです。

一方、昨年秋から、いろんな体調不良が私に降りかかり。副鼻腔炎やら偏頭痛やら脂漏性湿疹…。一つが良くなりかけると次の不調、という感じで、ずっとすっきりしない日が続きました。先生方にも心配をお掛けしました。ちょっとしたことでイライラしてしまうことも多く、Tにも声を荒げて対応して泣かせてしまったり…悪循環だなぁ〜と反省していましたが、そんな時もやっぱり、昼間だけは、泰知が思う存分Tらしくいられる場所がちゃんとあったことに、ひたすら感謝です。


■ 子どもの家のこと
(1)子どもの家の大好きなところ

・先生方一人ひとりが、みんなちがってみんないい。(Tは子どもの家で実に4園めですが、朝預けたときの先生が誰であっても、後ろ髪を引かれることなく、何も心配することなく仕事に行けたのはここが初めてです。)

・ごはん!!ゆっきーのごはんを食べさせたくてここに決めたのですが、これは本当によかったです。おかげさまでTは味覚や嗅覚が敏感になり、先日も野菜ジュース入りのドーナツをあげようとしたら、「これはいろんな味がするからいらない」、味噌汁の味噌が少し多かったかな〜と思いつつ出すと、「今日の味噌汁は辛すぎるよ」、加工品ばかりの夕飯が続くと「Tはこういうのは好きじゃない」…ダメ出しをされることが多くなりました…。手抜きに厳しく、母はつらい…。

・布おむつ&トレパンなしのお兄さんパンツデビュー。布おむつは、やってみたくて準備したものの、楽な方に流れて断念してしまっていたので、子どもの家でもう一回準備したものが使える!と喜びましたが…。当然、準備していたおむつカバーは新生児用、結局新たに買い足しました。が、Tのお尻には布がよく合っていたようです。

・お散歩コースの充実。ポニーのケンタくん、海老川など、ちょっと遠いかな?と思えるところまで、歩かせて連れて行ってくれます。ちょっと前までは、海神山もTの大好きなお散歩コースだったのですが、あの節分以来、「海神山」はTの前ではすっかりNGワードに…。嗚呼、聞くも涙の海神山…。

・子どもの家の子どもたち。一年間一緒に姿を見てきたお友だちは、本当に可愛い。私のことも皆「あーちゃん」と呼んでくれ、仲よくしてくれるのも嬉しかったです。
中でも、Hちゃん、Yちゃん、Kちゃんと先生たちで過ごした小さな家族みたいなあの4月は、忘れられません。Yちゃんが長いお休みの後登園してきたときは、あまりの嬉しさに涙が出ました。

・連絡帳♪これまでの3園では、「よく食べました」「よく遊びました」というような内容が多かったのですが、子どもの家の連絡帳は、誰が書いた日も、日中の光景がよく思い描けて、子どもへの温かい眼差しが感じられて、大事な宝物になりました。

(2)子どもの家でできなかったこと
・職場近くの園なので、登園時間は遅くお迎え時間は早いため、うさぎグループのお母さん達となかなか会うことがなく、会話する時間がなかったことが残念でした。

・Tが子どもの家に来たのは2月で、諸先輩方はもう卒園に向けて動き出しているときでした。子どもの家のイベントも、まず卒園式(しかも私は仕事)だったので、保護者の動き方(大人の飲み会?やバザーのこと等)を見る機会がなく、続いてきた伝統のようなものを引き継げなかったこと。(でも、Aちゃんのお母さんから、『4月にTちゃんファミリーが残ってくれたことがどれだけ心強かったか』と言ってもらえたことがありがたく、また次の4月も残る人に、何かを伝えられたらいいなと思います。)


■最後に
 Tが2歳から3歳になるときに、子どもの家に出会えてここで過ごせたことは、本当に素晴らしい時間でした。なんて濃密で、穏やかで、幸福な時間だったんでしょう。心から、ありがとうございました。これからも、子どもの家が悩める親たちの拠りどころであり続けられるように、できることを続けていきたいと思います。

子どもの家の子ども
(2015年3月卒園―Tちゃんのお父さんより)

子どもの家との出会いはあーちゃんの涙から始まった。O家が船橋市に越してきて約2か月、Tはすでに2つの保育園を経験してきたが、親も子も満足できず、途方に暮れながら新たな保育園を探していたとき、園長と話をして感銘を受けてのことだった。

電車通学の経験が無い私たちは、当時2歳の息子に片道1時間弱の通園を強いることを心配していたが、それよりも園への期待が大きかった。入園して一週間、Tが朝泣かなくなった。すっかり胃袋も掴まれたようで、早くも楽しそうだ。一ヶ月後、認可保育園の合格通知が届く。我々夫婦の意見は一致していた。念のため、Tに聞いてみる。

母「お家に近くて、お庭も広くて、お友だちもいっぱいいる新しい保育園に行きたい?」

T「ううん、Tはこどものいえのこだよ!」

親子3人揃って迷いはなかった。3月に卒園する1歳年上の子どもや親御さんたちを見ていて、卒園までお世話になろうとさらに思いを強めた。

一年後、現在。Tは元気に情緒豊かな子に育ってくれました。子どもの家から受けた恩恵は計り知れません。自我が芽生え、人格形成に重要な時期に子どもの家で過ごせたことはとても貴重な財産だと思う、Tにとっても親にとっても。一年前、子どもの家を選んで本当に良かったと思います。まだまだこの恵まれた環境に甘えていたいけど、もう卒業なんです。

あっという間だったね、でもすごい楽しかったよね。え?Tは10歳まで子どもの家にいる?そんなボス猿みたいにならないで(笑)