2001年4月25日 586号 河島英五の思い出 佐藤 高雄


 河島英五さんガ亡くなった。
 20年程前だろうか。彼が、バイクで東北のライブツアーをしたとき、酒田から新潟県山北町まで案内したことがある。当時鶴岡中継所の石川さんのミツビシミラージュで先行し、彼がバイクでついてくる。途中ダンプを追い越したら、対向車がきて、彼を危ない目に合わせてしまった。彼は驚いたはずだが、そのことについては、なにも言わなかった。
 その夜、新潟県朝日町でコンサートがあり、彼はバイクを置き、全員車に乗り合いで出かけた。
 その帰り道、またしてもダンプ。2台ほど抜いたら、挟まれるような感じになり、怖くなった私は、ダンプに道をゆずって後退した。その時、彼から「君、運転代れ」と声がかかった。
 彼がハンドルを握ると、すごいパワードライブ。一気にダンプを数台パスし、「追い越すときは、スカッと抜かなくちゃ。君のようにうじうじ抜くと、ダンプが怒るんや」と。
 田中角栄の頃だったか、やたらダンプが走っていた。 後年、彼がコンサートで鶴岡に来たとき「あのときの車は、快調ですか」と声をかけられた。よく覚えていたものである。
 蝶ネクタイよりジーパンが、コンサートホールよりライブハウスが似合うナイスガイだった。
 スケールの大きい、人間臭いライブが、もう聞けないのかと思うと、何やら寂しい。

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