■2000年有馬記念:テイエムオペラオー (和田 竜二) |
| これでテイエムオペラオーは空前の大記録「年間無敗・重賞8連勝・GI年間5連勝」を達成したが、レースは最悪。スタートから密集した馬群の中に埋まってしまい後方待機にならざるを得ず、第4コーナーを回ってもまだ後方。中山の直線の短さを考えるとどう考えても間に合わない。「流石に今回はダメか…」と誰もが思った瞬間に飛んできたのだ。結果はG1 4戦連続のメイショウドトウとの1-2。 最強世代と目された1つ上の世代が相次いで引退し、同世代にもほとんどライバルがおらず、無敗を続けながらもどの程度強いのか疑問に思われていた部分もあったが、末脚の確かさと一度先頭に出たら絶対に抜かせない勝負根性を改めて見せつけた今回のレースこそ「本当に強い」と感じさせてくれた。 |
■2000年ダービー:アグネスフライト (河内 洋) |
| 武豊のダービー3連覇を阻止したのは兄弟子・河内洋の執念だった。祖母アグネスレディー・母アグネスフローラにも騎乗しクラシックを勝ってきた河内が17回目の挑戦でダービーを制覇。ゴール前直線の壮絶なデッドヒートの末、三冠を目指したエアシャカールをハナ差で差し切ったところがゴール。このあとも名勝負として語り継がれるレースになるだろうと思う。 |
■1997年朝日杯3歳S:グラスワンダー (的場 均) |
| フジテレビの三宅アナが思わず「マルゼンスキーの再来ッッ!!」と叫んだ中継が印象に残る。この後どこまで勝ち続けるのか興味のある処だったが故障、秋の復帰後は不調。エルコンドルパサーの主戦でもあった的場騎手は結局グラスワンダーを選択したが、乗り替わりのエルコンドルパサーがJCを制し「あ〜あ」と思った矢先、グラスワンダーは有馬記念で復活、的場さんの選択が間違っていなかったことが証明されて嬉しかった。宝塚記念もスペシャルウィークを完封、凱旋門賞でエルコンドルを破ったモンジューをJCで討つ!!!…と思ったら回避、がっくり。有馬でスペシャルに勝ったけど、6歳になって大不振のまま引退していったのは惜しまれる。 |
■1997年秋天皇賞:エアグルーヴ (武 豊) |
| 一昨年もっとも戦慄したレース。バブルガムフェローと馬体を併せながらの叩き合いは迫力があった。(もっともあの状況のためにバブの岡部騎手が鞭を使えなかったらしいが)あれを見て「バブルが嬉しそうにエアグルーブに寄っていった」と言った人もいたけど、やはりバブルが色気を出していたのか?(^^; まぁ次のJCぢゃパドックでピルサドスキーがもっと凄い表現してたし(^^;;) オンナは怖い、という月並みな感想しかないか…。 |
■1996年菊花賞:ダンスインザダーク (武 豊) |
| どう見ても「こら、あかんわ」という位置から見せた伝説の鬼脚はいま思い出しても震える。(4角で後方にいて菊を買ったのはダンスだけだそうだ)ダービーの無念を晴らす快勝だったが、このレース後に屈腱炎を発症して引退。残念だったが、あの鬼脚で全ての能力を使いきったと考えれば納得する部分もある。 それにしても武豊騎乗で、重賞勝ちの直後に故障というパターンは昔のヤマニングローバルや昨年のエリモダンディーなど結構多い気がするんだが、これは馬の能力を最大限に引き出した結果、能力の限界を超えてしまうほどの凄まじい騎乗技術を彼が持っているからなのだろうか? 98年の天皇賞・秋のサイレンススズカの悲劇を見て、改めてそう思った。
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■1994年菊花賞:ナリタブライアン (南井 克己) |
| あのプリティキャストの息子スティールキャストの大逃げにも動ぜず終わってみれば7馬身差、1年前に兄が作ったレコード更新の圧勝。距離延長ごとに着差を拡げていった強さ。三冠をいずれも圧勝、しかも他馬との差を着実に広げていった様は、どの三冠馬よりも強かった。あのルドルフだって皐月賞はデッドヒートだったしね。三冠すべて危なげなく圧勝、というのはブライアンだけなのだ。 |
■1993年有馬記念:トウカイテイオー (田原 成貴) |
| オグリキャップと同じ奇跡がまた有馬記念で起きるとは…。ビワハヤヒデは自分の競馬をしているのだから、それに真っ向勝負をして勝ったトウカイテイオーを誉めるしかない。1年休養の鉄砲でグランプリ制覇。その影でナイスネイチャ3年連続有馬3着の不滅の大記録達成も忘れてはならない。(^^;
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■1993年菊花賞:ビワハヤヒデ (岡部 幸雄) |
| 朝日杯3歳S、皐月賞、ダービーとことごとく2着。実力を認められながら大レースで勝てなかった4歳春までのイメージを、神戸新聞杯圧勝でメンコと共に取り払って挑み、レコード勝ちの圧勝。これも、同期にナリタタイシン・ウイニングチケットという素晴らしいライバルがいたからこそ、あのドラマは完成した筈である。99年の「4歳クラシック組3強」テイエムオペラオー・アドマイヤベガ・ナリタトップロードも1冠ずつ分け合う形となり、古馬になってどういうレースをするか楽しみだったが…。
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■1990年有馬記念:オグリキャップ (武 豊) |
| タイムの遅さをどうこう言う声もあるが、結局ライアンもホワイトストーンも抜かせなかったのだから、オグリキャップが凄かったと言うしかない筈。騎手でなく馬に向けてコールが起きたのはこれが唯一のような気がする。とにかくあの「オグリ」の大合唱に感動した方も多かろう。懐かしいなぁ。 |
■1985年春天皇賞:シンボリルドルフ (岡部 幸雄) |
| ミスターシービー&吉永騎手一世一代の秘策も皇帝の前には無駄だった。当たり前のように圧勝し、シービーは遂に一度も後輩三冠馬に勝てないままこのレースを最後に引退する。あの圧倒的な強さが災いしたか、人気はシービーには遙かに及ばなかったルドルフだが、あの春天での強さは脱帽するしかなかった…。なんで秋天ギャロップダイナに負けたんだろう。いまだに謎だ。 |
■1983年菊花賞:ミスターシービー (吉永 正人) |
| 淀の第3コーナーで加速、はタブーの筈らしい。というのはここで加速すると勢いが付きすぎて第4コーナーで大きく外に振られてしまうことが多いかららしいんだが、シービーは例によって最後方を進んで第3コーナーで加速、そのまま上り坂でゴボウ抜きして先頭に立ち圧勝した。ダービーも驚異的なレースではあったが、今なら降着処分ものの荒っぽいレース運び、2着のメジロモンスニーにかなり食い下がられた点、父トウショウボーイの血統を考えると「よく3000mをこの戦法で持ったな」という実感から、菊花賞がシービーのベストレースと思う。
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◆ミスターシービー(83皐月賞・ダービー・菊花賞、84秋天皇賞) |
| とにかくこの馬の菊花賞を見て競馬にハマった訳だから。極端な追い込み作戦で三冠と天皇賞を勝ったのだから凄い。最後方から追い込んで抜き去ったダービー(今だったら降着になりそうな荒っぽいレースではあるが)、淀の3コーナーで加速という信じ難いレースで勝った菊花賞。ルドルフ登場後の挫折。全てが劇的でありすぎた。産駒に頑張って欲しいが、初年度のヤマニングローバル以降パッとせず1999年に種牡馬を引退。余生に幸多きことを祈りたい…と思っていたら2000年末に死去。想い出の多い馬だけにもっと長生きして欲しかった。 |
◆メジロマックイーン(90菊花賞、91/92春天皇賞、93宝塚記念) |
| メジロの執念が産んだともいえる最強馬(けど年度代表馬には1度もなれなかった)。祖父メジロアサマ・父メジロティターンともに芦毛の天皇賞馬だが、どちらかというと一発屋的なキャラクターだったし、半兄メジロデュレンも菊と有馬を勝っているが安定感はなかったのに対して、この3代目は菊花賞を勝って以後1番人気を譲ったのが92年の春天(1番人気はトウカイテイオー)だけ、連対を外したのは91年秋の2戦(降着の秋天とJC)のみという超安定度。 確かに人気はヤネ(武豊、ただし菊は内田)が持っていって、同期の従兄弟(厳密にはそう言っちゃいけないんだけど)ライアンや1つ後輩のトウカイテイオーの方が人気はあったが、風格はマックイーンが飛び抜けていた気がする。産駒も父に似て出世が遅いのでは、という心配を吹き飛ばして、ライアンに続いて初年度から4歳戦で活躍、重賞勝ち(エイダイクイン)も出しているのは流石。芦毛の活躍馬が多いのは嬉しいところ。 |
◆ナリタブライアン(93朝日杯3歳S、94皐月賞・ダービー・菊花賞・有馬記念) |
| もし5歳春に故障しなかったら…、やはり春天・宝塚・秋天・JC・有馬も楽勝して9冠馬になっていたのだろうか。あの4歳時の圧倒的な着差を思い出す度にそう考えてしまう。距離延長の度に着差を広げて勝ち進んだクラシック。確かに史上最強馬はシンボリルドルフに違いないが、4歳時に限って言えばナリタブライアンが最強だと思う。 ことし4歳の全弟ビワタケヒデにも注目していたんだが…、重賞を勝って菊には間に合いそうなので楽しみにしていた矢先、入ってきた突然の悲報、8歳での早すぎる死。脚を故障して菊花賞を回避したタケヒデが急遽引退・種牡馬入りしたのもこの影響か。たった2世代だがブライアン産駒、そしてタケヒデ産駒に期待しよう。
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◆メジロブライト(98春天皇賞) |
| 4歳時の成績は父同様に期待先行でクラシックを一つも勝てず。しかもダービー3着とくれば「イマイチ君」の王道である。ステイヤーズS→AJCCを快勝してもみんな不安視。だってこの2レースを勝つのもイマイチ君の王道だから。(ホワ●トストーンとかステージ●ャンプとか…)同期のドーベルとも比較されてしまうし(86年4歳同期のラモーヌとデュレンのようなものか?) しかし阪神大賞典で大接戦の上シルクジャスティスを下して「これは本物か!?」と思わせ始め、その勢いでついに天皇賞・春を快勝、G1馬に。宝塚記念と秋天はアクシデント続きで無念だったが、有馬記念・春天と善戦。巨体ゆえ脚部不安を抱え実質的に5歳春で終わってしまった父ライアンよりも長く活躍を見せてくれたが、父と同じ屈腱炎で2000年秋に引退、種牡馬に。アロースタッドでは祖父アンバーシャダイ・父メジロライアンとの3世代同居だそうで(笑)。 |
◆メジロドーベル(96阪神3歳牝馬S、97オークス・秋華賞、98/99エリザベス女王杯) |
| ブライトもそうだが、ライアン産駒を応援する人の多くの心情の中にはどこかに「父の無念を…!!」という想いがあるのだろう。その辺りが同じマル父でもルドルフ産駒(トウカイテイオーなど)とは違う応援になっている気がする。そしてドーベルは父が勝てなかったクラシックを勝った孝行娘。 今年の春は結果を残せなかったが秋、3世代オークス馬対決となったエリザベス女王杯で遂にエアグルーヴを破り、ラモーヌとともに持っていた自らの牝馬G1最多勝記録を更新した。99年もエリザベス女王杯を連覇、これを花道に引退。これからは母親として勝負だ。最近はクラシック牝馬の仔がクラシックで活躍することも多いので期待。 |
◆トウカイテイオー(91皐月賞・ダービー、92ジャパンカップ、93有馬記念) |
| 実は、彼の偉大な父シンボリルドルフは完璧すぎた上、好きだったミスターシービーが一度も勝てなかったので好きでなかったんだけど、その息子は度重なる悲運やその後の劇的な勝利でファンの支持を集めた訳で、父とはまったく異なる形で愛された。ルックスも綺麗だったし。そういえばあの頃、ルドルフに乗っていた岡部騎手が大阪杯から乗ることに決まっただけで、みんな父を思いだして感激していましたな。今年から産駒が走り始めたが、パーソロン系はどうも一子相伝的に超大物が現れる傾向にあるので(メジロアサマ-メジロティターン-メジロマックイーン、サクラショウリ-サクラスターオー、シンボリルドルフ-トウカイテイオー)1頭は物凄い産駒が現れる…筈である(ほんまか)。 |
◆ミホシンザン(84皐月賞・菊花賞、86春天皇賞) |
| 三冠馬の息子が三冠に挑む。しかも2年連続で三冠馬が出た直後だっただけに、ダービー直前の故障は無念だった(これはトウカイテイオーにも言えるが)。菊花賞、天皇賞を勝っているだけに余計にその想いは強い。息子で無念を晴らして欲しいところだが、マイシンザン位しか活躍馬が出ていない辺りが気がかり。ただ、シンザンもクラシックを勝った産駒(ミナガワマンナ・ミホシンザン)は種牡馬晩年の産駒だったから、これからに期待しよう。…と思ってたら種牡馬引退、だと!? |
◆ライスシャワー(92菊花賞、93/95春天皇賞) |
| この馬、どちらかというと4〜5歳時の「関東の刺客」とか「レコードブレーカー」(記録破りではなく、文字通り記録達成を阻止すること(^^;)といった悪役イメージが強いが、あの2度目の春天の前頃から急に善玉風になってしまい、その勢いからか春天も勝ってヒーローになってしまった。そしてファン投票1位で迎えた、淀開催の宝塚記念…。最後がああいう形だっただけに「悲劇の名馬」という捉え方をされることが多いが、僕の中では今も輝ける悪役である。
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◆ダイタクヘリオス(91/92マイルCS) |
| マイルCSを連覇したのは確かに凄いんだけど、あのムラのある戦績や走り方を見ると「名馬か?」と聞かれれると少々考え込んでしまう(^^;)。が、よしだみほファンとしては「一度でいいからダイイチルビーと交配させてやって…」と思う。そんなに血統の格に差があるの? 初年度産駒のダイタクヤマトが7歳で大波乱のスプリンターズSを制しG1種牡馬になったんだし。そのダイタクヤマトもメジロダーリングと同じレースを走る機会が多く関係を噂されている(笑)が、どうもこの親子は名門のお嬢様が好きらしい(笑)。 |
◆ミスタートウジン |
| ご存知、15歳まで中央競馬で現役で頑張った怪物。おそらく地方も含めて最後の「昭和時代に走った競走馬(昭和63年に3歳デビュー。平成元年の皐月賞に出走)」である。現役後半はアイドルホースだったかも。(笑)重賞になる前の平安S・武蔵野Sを勝ったダート巧者。通算100戦出走目前の99戦で故障もあって引退。100戦目に希望していたG1・フェブラリーSが除外になっていなければ…。種牡馬になった今後に期待しよう。20歳まで走る馬とか200戦走る馬とか。(^^;) |