実はりょーかん、小学生の頃からの年季の入った競馬ファンである(といっても馬券に血眼になるタイプのギャンブラーではなく、純粋にスポーツとしてのレースファンなのだが)。
ハマるきっかけになったのは、たまたまテレビで見た'83年の菊花賞。1番人気のかかったその馬は、レース中盤まで最後尾につけていたが、第3コーナーの上り坂で一気に加速したかと思うと第4コーナまでに全馬まとめて抜き去り先頭でゴール、19年ぶり戦後2頭目の三冠馬を達成した。この馬こそあのミスターシービーである。
この豪快な追い込みを目の当たりにしてすっかり競馬の面白さにハマった訳だが、その後、この翌年に登場した史上最強馬シンボリルドルフ('84)や牝馬三冠メジロラモーヌ('86)の雄姿、オグリキャップと武豊騎手の登場('87)に始まる競馬ブームの過熱ぶりを今に至るまで眺めてきた。かれこれ15年にもなる訳だ。
さて、ミスタートウジンという馬がいる。'89年(平成元年)の皐月賞に出走しているから、オグリキャップ・スーパークリークの世代の1歳下、メジロマックイーン・メジロライアン・メジロパーマー・アイネスフウジン等のいた世代の1歳上に当たる。競馬ブームがひとつの頂点に達した時代の馬である。
で、このミスタートウジン何が凄いかというと、実はこの馬、現在13歳(1998年現在)にしていまだ中央競馬所属の現役競走馬なのである。大抵の競走馬は長くても9歳までには引退する。GIを勝つような馬はもっと競走生命が短く6〜7歳までには引退、1997年のクラシック二冠馬サニーブライアンのように、故障のため4歳で引退する馬だって多い。地方(公営)競馬所属馬やタフなアラブ種ならともかく、勝てなくなれば地方に移籍する例の多い中央競馬に13歳で在籍しているという事実は、ひたすら物凄い。
とにかくミスタートウジンの戦歴もまた、物凄いのひとことに尽きる。
他の馬と同様、3歳の秋にデビューした。おそらく現在、地方も含めて現役競走馬唯一の「昭和時代に走った馬」だろう。この年、世間の注目は、未登録のためクラシックに出走できなかった公営笠松競馬出身の「白い怪物」オグリキャップ(4歳)が古馬相手に勝ちまくり、秋には当時の最強馬タマモクロス(5歳)との「芦毛対決」で世間が湧き、デビュー2年目の武豊騎手がスーパークリークで菊花賞を勝って史上最速のクラシック制覇を果たすなど、現在の競馬ブームが始まった時代なのである。
デビュー2戦目で初勝利、その後4戦で2着3回のあとまた1勝を挙げて4歳春、クラシック初戦の皐月賞に出走した。つまりその時点で既にそれだけの成績を挙げていた訳だ。まぁ結果は13着と惨敗したんだけど。結局4歳時は1勝しか挙げられなかったが、5歳初戦で9ヶ月ぶりに勝つ。この頃から「どうも芝よりダート(砂場)が良さそうだ」ということで(勝ち鞍はすべてダート)、ダート戦を中心に活躍することになる。中でも'90年5月の摩耶S(ステークス)から94年12月のウインターSまでダート戦では42戦連続で一ケタ着順を外さず7勝2着8回という成績を挙げている。しかも故障無し。この間に勝った武蔵野S・平安Sは、当時はただのオープン戦だったが、現在は重賞に格上げされている(もっともミスタートウジン自身は、現在に至るまで遂に一度も重賞を勝っていないが)。
ミスタートウジンとほぼ同時期にナリタハヤブサという「ダートの鬼」がおり、また後年登場するライブリマウントや「砂の女王」ホクトベガなどとともに、地方競馬との交流レースに積極的に参戦してダート競馬を盛り上げたことが、ここ数年のダート重賞の増加、地方・中央統一グレードの設定、そして中央競馬初のダートGI(フェブラリーS)創設に至ったといっていい。重賞勝ちこそないものの、その功績は大きな馬なのだ。
しかし、流石に年齢的な衰えが来たのか(…って当たり前だ!!
ふつー7歳でも高齢だぞ)10歳となった95年頃から2ケタ着順に沈むことが多くなる。以後、一度も馬券には絡んでいない。そして11歳となった96年7月、89戦目(!!!)となるKBC杯10着後に骨折が判明。年齢的にも上積みは考えにくく、このまま引退、と誰もが考えていた。
しかし骨折から1年半後の98年2月の銀嶺Sで、ミスタートウジンは再びレースに戻ってきた。そして90戦目を8着で終える。一緒に走った若い馬の中には、その父親がミスタートウジンとレースをしたことがあるという馬もいた。復帰2戦目は重賞マーチS、しかしこれは流石にキツかったようで最下位に沈んだ(この時の4着が地方に移籍した9歳馬のメジロモネで、現天皇賞馬メジロブライトの兄)。そして遂に次走での引退が決断される。
引退レースとなった地方競馬・高知での黒船賞。ここで彼は最後の直線で猛然と追い込み、4着に入賞した。しかも3着の6歳馬ストーンステッパー(1997年には「ダート3強」の1頭に数えられていた程の馬である)をもう少しで差し切ろうかという大健闘を見せたのだ。
これを花道にミスタートウジンは引退、中央競馬の競馬場で、誘導馬として余生を送ることも決まっていた。
…ところが、である。
この2週後に中山で行われた日経賞(天皇賞・春のステップレース)で、最低人気しかも障害レース馬の9歳馬・テンジンショウグンが、天皇賞を目指す重賞常連組の馬達を差し置いて勝ってしまい、前代未聞の21万馬券を演出した辺りから妙な雰囲気になってきた。このところ7歳以上の高齢馬の健闘が目立っている。不況・リストラで中高年世代にとって辛い時勢の中、老兵の頑張る姿が共感を呼んだのだろうか(ほんまか)。なにより高知でのレース内容が良かった。そしてオーナーの強い要望もあって、遂にミスタートウジン引退撤回・現役続行が発表されたのだ。
4月のオアシスSでは7着に健闘したものの、レース後に全治3ヶ月の骨折が判明したため、秋競馬までお休みということになるが、逆にいい休養になったとも考えられ、冬に無事復帰した。このままいけば、おそらく通算100戦出走を達成することになりそうな勢いである。
嗚呼ミスタートウジンよ、いったい何処まで貴方は走るのか。
(うーん今回はヨタ話に終始してしまった…前回のアカデミックな雰囲気は何処へ…)
(追記:その後もミスタートウジンは走り続け、1999年にはG1・フェブラリーSにも出走。100戦目を2001年のフェブラリーSで飾り引退する予定だったが、この年から変更された出走優先順位規定により除外対象第1位で出られず、調教中の故障により99戦で引退。オーナーの持つ牧場で種牡馬となった。おそらく少ないであろう産駒からとんでもない仔が出てくることを期待したい。200戦走る馬とか20歳まで走る馬とか(笑)。
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