時々日記:1999.9.17 - 9.30
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 あ〜れ・くぅぃじぃぃん
 1999.9.17 (Fri)
そうか、「料理の鉄人」今月で終わるんだ…。長く続いたよなぁ。確かにひとつのトレンドを生んだ番組ではあったし、ある意味で「料理人」のステータスを引き上げたのは確かだろう。いちばん覚えているのは「ジャガイモ」対決。鉄人は道場六三郎。初の同点・延長戦となり、すぐに延長戦テーマが発表されたのだが、そのテーマが「サツマイモ」だった…。(笑) 道場さん吹いてたぞ、あの時は。
後番組が気になるところだが、まさか「シザーズリーグ」(俺は「床屋の鉄人」と呼んでいる)が深夜から昇格、なんてあまりに…なコトはやりはしないだろうな。(笑)

夜中、突如として作曲モードに。以前から書きかけていた詞につけるメロディーの構成が突如浮かんだ。詞の内容もほぼ決まっているんだけど、前に作った曲は全体のメロディ構成と1番の詞が15分で完成しながら2番の詞を上げるのに1ヶ月かかった位だし、すぐには完成しないでしょうな。(^^;;)
 で、今度の詞、正直云ってかなりエッチな内容です。「これ実体験!?」て訊かれたら…、なんて答えよう。(^^;;;;)

 スケスケ…って言うと何だかいやらしい
 1999.9.18 (Sat)
今日の朝日新聞夕刊に「スケルトン」ブームの話が出ていた。ブームのきっかけは「iMac」だとしていたが、もっと以前からカメラやラジオ、携帯電話などの限定版で流行していたと思う。確かに、iMacのおかげ(特に5色登場後)でポップな色が流行になったとは思うんだけど。MGガンプラだって、1995年の発売から1年以内にたしかシースルーモデルが出てた筈。(最近はMGの限定Ver.でクロムメッキ版が続出してるけどね)…そういえば、ここ数年、服でもシースルー素材って流行じゃなかったっけ?
 「スケルトン」は「骸骨」の意味だから、本来は「透明な」という意味はない(AppleだってiMac・Power Mac G3/G4・iBookの筐体を「トランスルーセント」と言っている)。日本語で発音が「透ける」に通じる、ということが、この間違った使い方が広まった理由のひとつなのだろうな、やっぱ。

で、先程コンビニに行ったら「カップヌードル・スケルトン」が並んでいて、つい買ってしまった(^^;)。これ、買ってみたはいいけど、食べるの勿体ないなぁ。

 Xデーが甲子園になりそうなら…見に行くぞ!!
 1999.9.19 (Sun)
封印していた中日ドラゴンズネタを再び。ジャイアンツ・ベイスターズとの6連戦は、結局3勝3敗で「乗り切った」とみるべきだろう。対G戦で3連敗せず、ゲーム差を1縮められただけで済ませたのは大きい。特に2戦目を野口で敗れただけに、3戦目の山本昌の踏ん張りは賞賛されるべきだろう。彼は今シーズン、まだ7勝しかしていないが、3点以下の防御率を保っている点やサヨナラ勝ち9試合のうち5試合に彼が先発していること(つまり、サヨナラにできる状況にゲームを「作って」いる)はもっと評価されていいと思う。一方のGは、ここにきての高橋の故障離脱が今後大きく響きそうだ。

そしてYB3連戦。どうもYBはこのところ週前半カードに福盛・阿波野の「裏ローテ」、週後半カードに川村・斉藤隆・三浦の「表ローテ」できっちり回しており、しかも対G戦は週前半ばかり、対D戦は週後半が多いので、Gには4連敗してるのにDにはよく勝つ、という嫌がらせのような状況なので、かなり心配だったのだが。初戦に川村が下痢で登板回避したのも大きいが、2戦目に斉藤隆を打ち、大乱戦を制したことが大きい。3戦目は三浦に完封されたが、これは前年チャンピオンの意地とみるべきで、川上の復調で中継ぎ・抑え投手を1人も使わずに休ませられたことの方が大きく、今後を考えると収穫の多い敗戦といえる。とにかくこの3連戦、特に2戦目・3戦目は対照的な内容だが、どちらも勝敗に関係なく「いい試合だったなー」と思った。

昨日は完封されたが、やっと打線も打ち始めたし。なんとなく、先週あたりに感じていた重苦しい雰囲気がなくなってきた感じだ。直接対決があって、1週間で0.5ゲームしか差が縮まらなかったわけで、しかもGとの直接対決はもうなく、YBとも残り2試合。苦手のカープとの残り試合はすべて広いナゴヤドーム。先発予想は対C3連戦が野口・山本昌・武田、後半の対T2連戦が前田・川上(ここ数試合の武田の疲労度を考えると、先の登板であまり投げていない前田と登板日を入れ替えるかも)。追うGだって今週は先発投手が足りず、しかも後半の相手はあのスワローズ。ここはやはり、ペタジーニ様に祈りを捧げることにしましょう。(笑)

 日記ではじめてガンプラ話をしよう
 1999.9.20 (Mon)
1/144のHG-UC「百式」リリース目前。事前の情報では、「継ぎ目が目立つ場所にある」とか「マッチョな体型で百式のスマートなイメージが損なわれている」とかマイナス評価ばかり聞いているけど、実際に出てくると「いーぢゃん、これ」という評価になるのではないかな?今回もカトキハジメがデザインしているから、さほど期待を裏切らない出来になると踏んでいるのだけど。逆に言えば、みんなの思い入れが強い分、厳しい声が増えるのかもしれない(過去のMGゲルググの時みたいに)。

まぁ値段を考えると、パーツ数に制約があるHGでは、MGのような継ぎ目がほとんど見えないパーツ構成はムリでしょう。確かに百式は全身メッキということで、継ぎ目を消す作業ができない以上、継ぎ目を目立たなくする配慮はできるだけして欲しいものだが。ま、それはMGの時に期待ということで。
 これは僕の友人に限ったことなのかもしれないが、僕の周囲でもっともMG発売を熱望されているのが百式のような気がする。僕自身「待って」いる一人だ。とりあえず新作が出りゃ、それ作ってますけど。その新作MGは10月始めに「アレックス」が出る予定。クリスの1/20フィギュアは付かないらしい…残念。(^^;)

夕方、さだ研の例会に顔を出す。浅尾くんに貸していたCDが帰ってきた。うーん、そういえば暫くさだまさし聴いていないな。それから、朝日くん・こばやしくん、院試合格おめでとう。こんどの宴会でたっぷりお祝いしましょ。

 あの日の記憶が…
 1999.9.21 (Tue)
台湾で起きた大地震のニュース映像を見て、4年半前、「1995.1.17」を思い出していた。京都は揺れが大きかったものの被害は少なかったが、あの日のことは鮮烈に覚えている。
 台北で明後日行われる予定のPUFFYや12月に予定されるCHAGE&ASKAのコンサートは中止か延期になるのだろう。現地の人々を元気づけるためにも、数年先になってもぜひ開催してもらいたい。小田和正さんが震災で中止になった前々回ツアーのライヴを今年6月「4年越しのツアーファイナル」として行ったように。

それにしても若乃花、明日から大丈夫だろうか。只でさえ満身創痍の上マスコミに色々言われて精神的にも追い込まれているだろうに。

 煮詰まる
 1999.9.22 (Wed)
理由は公私ともども、いろいろ。

…そうか、明日が祝日だということ、すっかり忘れていた。

 晴天を誉めるなら夕暮れを待て
 1999.9.23 (Thu)
久しぶりに朝から天気がいい。台風が九州に接近しているとはいうが。今日1日この天気が続くなら、溜まった洗濯物が乾いて助かるんだけど。
どうやら昼寝している間に降ったらしく、夕方外出したときには路面が濡れていた。お陰で洗濯物は乾かず。

またライオンズ負けた…。これでほぼ確定かな。日本シリーズで松坂を見てみたかったし、ドラゴンズにしてみりゃ82年・88年の借りを返す機会だと思ったんだけど。

 こんにゃくいも。
 1999.9.24 (Fri)
あしたは早朝から友人を京都案内の予定。天気は…大丈夫かいな。

で、台風。九州で被害が出ているようだ。豊橋で発生した竜巻で新幹線もストップ。京都市内の公立学校はお休みだったらしい(勿論、大学には関係ない話だが)。昼中、さほど風雨が強いとも思わなかったけどね。夕方になって少し強いのが来た。
 台風で思い出すのは、浪人している頃に大きな台風が来たとき、実家の母屋(築100年を優に越す)の雨戸に閂(かんぬき)をかけていたこと。そんな角材が窓の上に置いてあるなんて知らなかった。それを使うのは(その時点で)15年ぶり、といっていたな。その前は「伊勢湾台風」の時だったそうで…。 その後、俺が京都に行ってから、あの閂は使われたのだろうか?(一度、強風で店の看板が倒壊したことはあったが)

今日、槇原敬之が保釈された模様。91年のブレイク以来ずっと聴き続けてきただけに、今回の事件にはいろいろと思うところもあるのだが。とにかく、事の次第をきちんとした形でファンに対しては説明して欲しい。それが、熱心な運動でファンクラブ存続を決めさせた人たちへの責任、というか義務だろう。
 ところで、タイトルの意味が分かるのは…、きっとさだ研の関係者。(笑)

 いま、紫野
 1999.9.25 (Sat)
今日は早朝8時少し前、四条烏丸で待ち合わせ。地下鉄で蹴上まで行き、ここからひたすら徒歩。天気も良く、暑くなりそう。インクラインを登り、発電所を抜けて疎水沿いに歩き、水路閣(水道橋)から南禅寺に入る。境内を散歩後、そのまま哲学の道をずっと歩いて銀閣寺道へ(銀閣には寄らない)

ここからバスで移動、大徳寺へ。大徳寺の塔柱(たっちゅう、付属の小寺)高桐院(細川家の菩提寺。 あの元首相もいずれ此処で眠る…筈)を拝観。庭など、とても雰囲気のいい寺。 時間が早くて人もいないので、のんびり庭を眺める。
 高桐院を出て、少し歩くと今宮神社。ここは門前の「あぶり餅」が有名。その前に参拝。絵馬を見て面白いものを探す。今回一番ウケたのは、「志望校に合格できますように。ステキな彼氏が見つかりますように」とごく普通の願い事が書いてあったあと、最後に書かれたお願い事が「GLAYの人気が落ちませんように」とあった絵馬。うーむ。
 参拝を終えて、「一和」であぶり餅を食べる。 なお、俺、ここであぶり餅食べるの、今年に入って5回目です。(^^;)しかも1週間前にも別の友人を連れてきて喰ってるし。(^^;;)

再び大徳寺境内に戻り、枯山水の庭園が有名な大仙院へ。山地から急流を下り、大海へ流れる様子を枯山水で表現している。まだデビュー間もない頃の中森明菜がここで修行(?)した時の雑誌記事の掲示が涙を誘う…、かもしれない。(^^;;)
< 大徳寺を出て、バスで上賀茂神社へ。参拝後、ここの名物「やき餅」を買う。(今日は餅めぐりツアーか?(^^;)) このあと付近で食事。頼んだ「天むす」がとてもスパイシーな「天むす」で衝撃を受けた。(^^;;)

バスを乗り継いで、立命館大学構内を通り抜けて等持院(足利将軍家の 菩提寺)へ。ここも庭がいい。しばし庭を眺める。歩いて、竜安寺へ。枯山水の庭園が超有名。もっとも、ここは修学旅行生や外国人だらけで、とてもゆっくり庭を眺められる状況ではない。人を眺める。(^^;)  更に歩いて、仁和寺へ。学校の古文の授業あたりでよく出てきましたね。
 天気はもう良過ぎ。日差しも雲の形もすっかり真夏。暑い〜。
 このあと、嵐電・阪急乗り継ぎで四条河原町へ。ここから歩いて、祇園らしいお茶屋が並ぶ花見小路 を歩き、その奥にあるJRAのWINS京都を眺めつつ(^^;)臨済宗の総本山・建仁寺を通り抜け(東福寺・大徳寺・相国寺・南禅寺など臨済禅各派の大本山とされる大きな寺は、境内自由というところが多い)六波羅密寺を参詣。ここは、口から6体の仏が出ている「空也上人像」と「平清盛像」が超有名。俺、今年になってから既に6回ほど人を此処に案内しているんですけど。(^^;;;)

六波羅密寺をあとにして、途中の六道珍皇寺で鐘をついてみたりしつつ 清水寺へ続く坂道を行く。途中、五条坂との合流点から店だらけ人だらけ。 清水の舞台を抜けて、縁結びで有名な地主神社を参拝。やはり此処でも 絵馬を眺める。(^^;) 枚数も、切実な願い事も、ここが一番多かった。やっぱ恋愛のお願い事が一番、なのかなぁ。
 このあと、ようやく真夏のような陽が落ちかけて灯りが点き始めた 産寧坂(三年坂)・二年坂を下っていく。ここの夕暮れ時の風情が 私は好きなんです。ひたすら歩いて、円山公園へ。 この頃にはほぼ日が暮れている。更に歩いて、白川沿いの祇園を 散歩。ここの雰囲気も如何にも京都なところです。 鴨川沿いに三條大橋まで歩き、橋を渡った後、先斗町(ぽんとちょう)を 歩く。ここも風情のあるところ。
 18:30過ぎ、四条まで歩いたところで、このあと大阪へ向かう友人とお別れ。
 …という、11時間の京都巡り。またも歩きまくりで密度濃く回ってます。明日はきっと下半身が筋肉痛。(^^;)

 遠い夜空に谺(こだま)する
 1999.9.26 (Sun)
朝、近所のローソンに出かけ「ホークスクーポン」をもらう。クーポンの有効期限は「1999年パ・リーグ優勝チーム決定日を含め11日間」。優勝決定直後、一気に(事前に用意していた)札や幟を出して準備したのだろう。例に出ていたのが「1999年9月25日(土)に優勝チームが決定した場合、10月5日(火)」だから、まさにドンピシャだった訳だ。
 ところで、気になったのがクーポンの文面。「福岡ダイエーホークスご声援ありがとうございました」とあって、有効期限も上のような表記だし、どこにも「福岡ダイエーホークス優勝記念」という言葉がない。これ、もしダイエーが優勝を逃しても、このセールをやるつもりだったのでは…?考えてみれば、クーポン対象商品は事前に普段より多めに仕入れ・配送する筈だし、その辺りの流通的な事情を考えると不思議な話ではない。
 なお、中日優勝の際には、名古屋に本拠を持つユニーの系列:サークルKが何かやるらしい。合併が決まっているサンクスでも何かやるのかな?

昼、京都駅で友人と待ち合わせ。昨日と打って変わって今日は晴天ながら湿度も低く、すっかり秋の空。それにしても昨日の暑さは何だったんだ…。

夕方、帰宅して「見えるラジオ」をチェックすると「9回表、阪神ジョンソンの逆転3ラン」…。慌ててパソコンの電源を入れ、中日の公式HPのスコアボード生中継を見る(阪神が優勝争いに絡んでいないしデーゲームなので関西ではラジオ中継すらない)
 この時点で9回裏、1アウト(福留三振)。リロードすると「ゴメス ヒット」。この時点ではまだ諦めモード濃厚。もいちどリロードすると「立浪 ヒット」これで1死1,2塁。ちょっと期待が膨らむ。「ここで山崎が打てば、とりあえずこの回で同点に持ち込めるかな…」と思いつつリロードするといきなり「試合終了」の文字が目に飛び込む。「げ、まさかゲッツー!?」と思ってスコアを見れば…、9回裏に「3X」が。山崎の劇的なサヨナラ3ラン、5−4でサヨナラ勝ち。驚き・喜びを通り越してしばらく呆然とする。直後に名古屋の友人から電話。内容は勿論、いまの試合の話題。盛り上がる。

テレビのスポーツニュースで見ると、成程、物凄い当たりのホームランだ(7回の、一旦は勝ち越しとなった福留のホームランも滅多に見られない凄い弾道だが)。打った直後の山崎の派手なガッツポーズも凄かった。きっと明日の新聞を飾るだろう。これ、この先ずっと記憶に残るシーンになりそうだ。優勝するチームというのは、シーズン終盤に1度や2度、神懸かり的な勝ちを収めるものだと思うが、今日のゲームがまさにそれだろう。いよいよマジックは「5」だ。

 龍の叫びを耳にして
 1999.9.27 (Mon)
昨日の興奮いまだ醒めず。関西のスポーツ紙も、一面こそ飾らなかったものの山崎のバンザイ・シーンをカラーで掲載しているようだ。ホークスの王監督も、出演番組によっては「相手は中日」を認める発言をしていた。「ON日本シリーズ対決」を言わされながらも、実際はD戦にしか偵察隊を出していない訳だし。そろそろ在京メディアも公平に報道しなさい。

「ニュースステーション」に王監督と工藤投手が出演。久米宏が工藤に「地元のチームとやるのはどういう気分ですか?」と訊いて工藤が「いや、まだ決まった訳じゃないから…」と言いかけたところに久米サン「いえ、決まってるんです」と断言。以後、王監督も含めてDの話ばかり、Gの話は一切ナシ。きっと名古屋では拍手喝采だったに違いない。

 物語は此処で手渡されるチケット
 1999.9.28 (Tue)
チケット・セゾンが10月末日をもって終了、ソニーと組んでインターネットによる新たなチケット予約システムを始めるらしい。具体的にはどんなシステムになるのだろう。
 そういえば1年ほど前、ファミリーマートがセゾングループから売却された影響なのか、ファミマのチケットセゾンのチケット発行サービスが中止・チケットぴあ取り扱いに切り替わり、セゾンの発行カウンターが近所になくなってしまって以来、セゾンでチケットを取ったことがなかったな。一時は「ぴあ」より予約の電話が繋がりやすかったので、頻繁に利用したものだったが。ファミマ撤退により発券カウンターが激減したことも、新システム設立への動きを加速させたのかもしれない。

上原がついにKOされ(予感は先週の登板時からあったが)G終戦。Dはゴメスの一発で決着、野口完封。マジック3。

 シャーク・ノーズ
 1999.9.29 (Wed)
先日、東海道新幹線の"初代" 0系の東海道からの引退(撤退)が取り上げられて報道されていたが、実は"2代目"の2階建車組み込みタイプ100系も、この秋から廃車が始まっている。
 国鉄時代最末期の1985年に試作編成が登場、0系をシャープにしたマスク(この形状をシャーク・ノーズと呼ぶ)はいかにも「ニュー・新幹線」的で新時代到来を感じさせるもので、大人気となった(一部では「目つきの悪い新幹線」と呼ばれたなぁ(笑))。以後10年近く新幹線の「顔」として活躍した訳だが、「のぞみ」登場に伴い300系・500系・700系といった新型が続々と登場して花形の位置を奪われ、最近は「こだま」運用が多くなっている。

常時200km/hを越す高速走行を行う新幹線車両は、30年以上使われることが多い在来線車両に比べると寿命がかなり短い。逆算すれば、確かに100系初期車は寿命が近づいているのも確かだが、それ以上に運用上のネックとなったのが皮肉にも最大の特徴である「2階建車」ではないだろうか。
 特に、西日本所有の2階車4両組み込み編成「グランドひかり」以外の食堂車組み込み編成は、今度のダイヤ改正で定期運用から外されてしまった。「こだま」ではどのみち使われない訳だし、300系以降の車両には食堂車はおろかビュッフェやカフェテリアすらなく、食堂車サービスはいずれ消える運命にあるのは確かなのだが、やはり寂しいことだ。今後、定期運用で残る100系も、いずれカフェテリア部分を客席に改造するのではないだろうか。

昨晩でGは完全に緊張が切れた様子で連敗。Dは連夜のゴメスの大活躍で逆転、大勝。ついにマジック1。
 さあ、明日だ。

 天に吼える
 1999.9.30 (Thu)
優勝の瞬間を迎えようとしている今、この11年間を思い出してみた。

 思えば、星野監督は1986年オフに就任した時から、今のような投手王国を築きあげたかったのだろう。
 だから、毎年のようにドラフト上位で有望な投手を獲り続けた。
 しかし、その殆どは、この優勝の瞬間を迎えることなくチームを去っている。
 近藤真一、西村英嗣、鎌仲政昭、上原晃、与田剛、松永幸男、小島弘務、森田幸一、佐々木健一、佐藤秀樹、平田洋、…。

 ある者は今は他球団でプレーを続け、ある者は既に現役を退き、ドラゴンズのスタッフとして支えている。
 あるいは野球界を離れた人もいるだろう。
 勿論、投手ばかりでなく、優勝を味わうことなくチームを去った野手も数多い。
 彼等は、この瞬間をどのような想いで迎えるのだろうか。

 11年の間、何度も優勝に手が届きそうな位置まで辿り着きながら、届かなかった。
 あの88年の優勝の翌年から、チームの大黒柱となったのは宿敵・ジャイアンツから来た炎の男・西本聖。
 彼が奮迅の働きをした2年の間に、山本昌・今中慎二の左腕2本柱がエースに成長。
 「あと一人、2桁勝てる右のエースがいたら…」と、何度思ったことだろう。
 杉下茂・権藤博・星野仙一・小松辰雄と引き継がれてきた、ドラゴンズのエースナンバー「20」。
 この背番号を引き継ぐために誰もが納得するだけの才能と実績を兼ね備えた右腕は、なかなか現れなかった。

 「平成」に入って昨年までの10年間、2位が5回。
 1994年・1996年にはナゴヤ球場で直接対決に敗れてジャイアンツに目の前で優勝を決められる屈辱。
 いつも、あと一歩「何か」が足りなかった。

 ドーム元年。星野監督に悲しい御不幸があり、エース・今中の故障。最下位に終わった。
 あのとき、「この先、優勝なんて何年先のことだろう」と絶望的な気分にすらなった。

 しかし、ここからドラゴンズの真の「変身」が始まったのだ、と思う。
 走れる野手の強化。投手陣の整備。
 ベイスターズに競り負けた1998年オフも、その姿勢に変わりはなかった。

 そして今年の開幕からの快進撃。
 勝つために必要なのは「ミラクル」や「マジック」ではなく、しっかりとしたチーム作り、つまり「ロジック」。
 そのことを改めて教えてくれたシーズンだった。
 しっかりした野球をやっていたからこそ、終盤になって神懸かり的な「ミラクル」も連発したのだ。

 11年間待ち望んだ優勝の瞬間。その瞬間は、あまりにも呆気なかった。
 しかし、その価値に変わりがある筈がない。
 中日ドラゴンズ、11年ぶり5回目のセントラル・リーグ優勝。
 ありがとう。次は45年ぶり日本一だ。