敦賀松本零士ロード:999編→ヤマト編はこちら。
※写真をクリックすると別ウインドウで大きな写真が出ます。

 敦賀駅前
敦賀駅を降り立つと、駅前にあるのが大魔神のような像とこの像。
 後述するように、敦賀にある「999」銅像群の鉄郎は映画版がモデルになっているが、この像の鉄郎だけは漫画・TV版で、設置されている場所も大通りの歩道上ではないし公式サイトでもこの像だけ説明がない。もしかしたらこの像だけは他の像と別の時期に建てられたものなのかもしれない。
 鉄郎の足元に見える白っぽいものはスイッチで、このスイッチを押すと音楽が流れるようになっている模様だが、帰宅後に他のサイトで知ったので試しておらず、今も動作するかどうかは不明。背後のステンレスの螺旋状構造物に999が乗っているが、この999には展望車がある。実はTV版全編および漫画版の途中(映画版が公開される頃)までは展望車が連結されていない。ということはこの像のモデルは漫画版…?ということになるが、実際には世間のイメージなんて三者がごっちゃになっている筈だから、製作者もたいして拘らずに造った気がする。

 銀河鉄道999
 みかけは大昔の蒸気機関車だが、中身は耐エネルギ−無限電磁バリヤーに守られた、超近代化宇宙列車。メガロポリスステーションから鉄郎とメーテルを乗せ、星の海へと旅立った。
駅前から伸びるメインストリートの東側の歩道を駅から敦賀気比神宮に向かって歩いていくと最初にあるのがこれ。「銀河鉄道999」のロゴは映画版のもの。裏側から見ると、999が空へ飛び立つ時に走行する線路の末端部分の処理が再現されている。
 機関車の正面の煙室扉やナンバープレートがなぜか存在せずに吹き抜けとした造形になっているので形式名が分からなくなっているが、「999」を牽引するのは日本史上最大・最速を誇った蒸気機関車C62であり、TV版では50号機、漫画および映画版では48号機。C62は戦時中に大量生産された大型貨物機D52のボイラーを再利用して終戦後に作られたため名目上は「改造」機であるが、再利用したのはボイラーのみであり、しかもそのボイラーも後年別のD52から派生したものに交換している。実際に生産(改造)されたのは49両なので、TV版の50号機は存在しない。実物の48号機は終始常磐線で運用されて一生を終え、保存もされなかった。
 なぜ松本御大がC62を999牽引機にしたのかは不明だが、おそらくC51・C53・C59・C62と続いた「つばめ」等花形列車牽引機の系譜の最後を飾った蒸気機関車としての認識かと思われる。また、48号機のナンバープレートの本物を御大が所持しているらしい。TV版放送開始時には国鉄に気を遣って実際には存在しない50号機にしたが、映画公開時には国鉄もキャンペーンに一役買ってミステリー列車を走らせるなど協力的だったため48号機の登場になった模様。
 大型機ゆえ走行した路線は少なく、登場時すでに電化完成していた東海道本線の東半分では走行していない。「つばめ」先頭に立ったのは東海道線の浜松以西。あとは山陽・呉線、東北・常磐線、晩年の函館本線くらいで、敦賀駅のある北陸線では走行実績はない。今も保存されているのは1号機〜3号機・17号機・26号機など数少ないが、デフレクタに「つばめ」マークが貼られて人気の2号機が動態で保存され今も京都・梅小路蒸気機関車館で勇姿を見ることができる。以前、品川駅の臨時ホームを利用して「999」イベントが行われた時に、わざわざ品川まで2号機を出張させて展示したことがあった(客車は113系電車のボックスシートを999客車に見立てたもので、廃車目前の103系・113系電車の外観を茶色に塗ったものだったが)

 少年 星野鉄郎
 未来の地球では機械人間が生身の人間を支配していた。宇宙に憧れる少年・星野鉄郎は母を機械伯爵に殺された孤児である。彼は機械人間になり、永遠の命を持つことを誓う。
駅前の像と異なり、ここから出てくる鉄郎は映画版。漫画およびTV版の星野鉄郎は10歳くらいの設定で顔も松本作品お約束のブサ顔男だが、映画版では東映やりんたろう監督の「青春映画にしたい」という意向から15歳の設定となったせいか割と2枚目な顔立ちになった。松本作品の美男子キャラの顔立ちにブサ顔キャラの鼻だけつけたような(というか鼻だけ元のまま残った)感じ。
 像で鉄郎が眺めているのは壁に貼られたお尋ね者の貼り紙。お尋ね者はもちろんキャプテンハーロック。実際に登場するのは映画中盤だが、こういう形で冒頭から「大宇宙で自由に生きる者」としてハーロックとエメラルダスは知らぬ者のない若者の憧れとして描かれている。

 メーテルとの出会い
 999号は無料で機械の体をくれる星へ向かう銀河鉄道である。機械人間から999号のパスを盗み、追い詰められた鉄郎は、死んだ母に生き写しのメーテルに助けられる。しかし気を失いパスを落としてしまう。
はい、メーテル登場です。近年になって「メーテルレジェンド」その他の作品が発表され、長い間謎とされてきた少女時代などの生い立ちが明らかになってきた(「999」映画公開時の設定とは明らかに異なる設定も含まれるが)。なぜメーテルが鉄郎の母親にそっくりなのかは映画の終盤に理由が明かされるが、そういう理由付けがなくとも松本作品の美女がほとんど皆同じ顔である以上、そっくりでも別に無理はない(「ヤマト」でもスターシャが妹サーシャと森雪を間違えていたな)。鉄郎の母親とは無関係な少女時代も、そして映画2作目でもメーテルは別に変わらなかったものなぁ。
 余談だが、りょーかん個人としては映画2作目「さよなら銀河鉄道999」で、惑星ラーメタルの駅ホームに姿を現した時のメーテルの姿が最も美しいと思う。そこで流れる音楽もまた良いんだ、これが(「さよなら」のサントラ盤自体が傑作です)

 母との記憶
 メーテルはドリームセンサーを使って気を失っている鉄郎の過去を調べる。彼は母を殺した機械伯爵への復讐のために、機械の体になる必要があったのである。
鉄郎の辛い過去をメーテルが調べる話は映画版のみに存在するプロット。漫画版とTV版では機械伯爵に鉄郎の母親を殺された直後にメーテルに助けられて999のパスを貰うからである。
 さらに言えば、映画版中盤で重要な話となる「機械伯爵を倒して復讐を遂げる」話は、実は漫画版・TV版では999で地球を出発する前にあっさり遂げている(当然、コスモドラグーンを所持する以前)。従って、鉄郎が「機械の体をタダでくれる星」に行く目的が「母親の敵である機械伯爵への復讐のため」である映画版の方が明確にされている。

 旅立ち
 人はみな、星の海を見ながら思い描いた希望を追い求めて、果てしなく長い旅に出る。終わることない永遠の流れの中で、果てしなく続くレールの上を、夢と希望と野心そして若さを乗せて列車は走る。いま、汽笛が新しい若者の旅立ちの訪れを告げる。
車掌さん登場。あの目をこういう表現でやってきたか(笑)。この車掌の謎も「さよなら銀河鉄道999」まで明かされることがなかったが、それでも今なお謎の多いキャラクター。後付けの作品とはいえ「メーテルレジェンド」ではメーテルの少女時代から車掌は既にこのスタイルだからなぁ。それにしても、ここの説明文だけ単なるストーリーの説明でなく何だか松本御大が書いた文章っぽいよなぁ(笑)

 永遠の星の海へ
 メーテルは、自分を連れて行くことを条件に、鉄郎にパスを提供した。メーテルは誰かに指令を受けているような気配もあったが、999号に乗りたい鉄郎は一も二もなく承知し、二人の旅は始まった。
駅前から伸びる大通りを歩いていくと大きな交差点に辿り着き、氣比神宮に行くにはここから右折するのだが、大通り自体も、そして松本零士ロードも同様に右折する。そして、この像は交差点の歩道にある。
 ゴダイゴの曲(よく知られたあの曲ではなく挿入歌「TAKING OFF」の方)をバックに地球を出発するシーン。この時代の作画スタッフは実際に蒸気機関車を見ている人ばかりだったためにC62が走り始める際の細かな挙動をきちんとアニメに描いていた。丁度この頃に山口線で運転開始された「SLやまぐち号」を映像に撮って研究もしたらしい。が、後年になって作られた映画「エターナルファンタジー」や最近の「メーテルレジェンド」などの映像ではスタッフが実物のSLを知らず、また現存する蒸気機関車を見て研究することもなかったらしく描写が最低と酷評されている模様。

 迷いの星
 冥王星には大氷河が広がり、氷の下には無数の死体が並ぶ。氷の墓の管理人で、機械の体を持つシャドウは、鉄郎をずっとそばに置きたくて凍えさせるが、あわやというところでメーテルが助けてくれる。
この像だけは他のものに比べてかなり小さい。厚い氷を鏡面磨き出しのステンレスで表現している。

 ガラスのクレア
 ある日,食堂車に乗った二人は、クリスタルガラスの体のクレアというウエイトレスと知り合う。彼女は元の体に戻りたくて働いてお金を貯めているのだ。彼女の元の体は冥王星にあり、ときどき立ち寄り会いに行くという。
ガラスのクレア。漫画版では物語序盤に出てきてすぐに鉄郎を守るために死んでしまい、TV版でもほぼ同様の経過を辿るが、映画版では終点に到着するまで生きているが、やはり鉄郎を救うために自らを犠牲にして散っていく。TV版と映画版で声優が異なり、映画版は「ヤマト」の森雪でお馴染みの麻上洋子。最近は講談師(一龍斎春水)としての活動が多いそうな。
 クレアが散った後に残った涙滴型のガラス破片を鉄郎は大切にするのだけど、ところが現在進行中(といっていいのか?)の漫画版(エターナル編)ではあっさり復活しているんだよなぁ。どう解釈したらいいもんだか。

 エメラルダス
 999号の針路をクイーンエメラルダス号が横切り鉄郎は時間城のある星が知りたい一心で、それに発砲した。乗り込んできたエメラルダスは鉄郎の銃を見て驚く。彼女はその銃の持ち主を捜していたのだ。そして時間城の場所をおしえる。
エメラルダス、来ました。「私はエメラルダス…私の艦を撃ったのは誰?」「命を粗末にする愚か者…フッ、まだ子供ですね、あなた」 カッコよすぎです。
 実は漫画版・TV版ではエメラルダス(とハーロック)はほとんど登場しない。映画版「999」はそれまでに既に発表されていた松本作品の漫画「キャプテンハーロック」や「クイーンエメラルダス」で謎として描かれていた事柄に対して答えをつけたという側面もあったようだ。
 また、この映画が公開された当時、エメラルダスとメーテルは古い友人関係とされていたが、最近の作品では双子の姉妹(エメラルダスが姉)でありラーメタルの女王ラー・アンドロメダ・プロメシューム(=1000年女王・雪野弥生)の娘、という設定になっている。このへんの経緯は「メーテルレジェンド」で描かれている。
 1983年夏に「クイーンエメラルダス」は映画公開される予定だったが、既に松本アニメはブームを過ぎており、前年に公開された「わが青春のアルカディア」およびその続編であるTVシリーズ「無限軌道SSX」が不調に終わった余波を食らって制作が中止されてしまう。エメラルダスが主人公のアニメ作品が登場したのはそれから十数年後、OVA作品としてであった。

 時間城
 機械伯爵がやって来るというトレーダー分岐点。鉄郎は同じ志を持つ男トチローに出会う。宇宙病で亡くなる彼の遺志を胸に、鉄郎は、ついに時間城に乗り込み機械伯爵をたおした。
惑星ヘビーメルダー(トレーダー分岐点)に時間城があるという設定は映画版・漫画版・TV版ともに共通だが、前述したように漫画版・TV版では機械伯爵は鉄郎が地球を旅立つ前に倒しているため、城の主は映画版と漫画版・TV版では異なる。映画版では機械伯爵、漫画版・TV版では「キャプテン・ハーロック」を名乗る機械化人で、どうやら昔はメーテルと関係のあった人間らしい。本物のキャプテンハーロックが盛り場で鉄郎を助ける(方法は違うが)のは同じ。また、リューズという機械化人の女性が時間城にいて、時間の進行を早めて自身も含めた機械の劣化を促し鉄郎を手助けして死んでいくのも共通する。

 友の眠る星
 トチローは息を引取ったが、彼の心は親友の乗るアルカディア号の心となった。その船とは、鉄郎の憧れのキャプテンハーロックのものだった。トチローの墓をお返しにハーロックは鉄郎の危機を救う。
ハーロックである。宇宙の海は俺の海である。敦賀の海も俺の海なのかどうかは知らんが。で、話の展開としてはこの一つ前の像と順序が入れ替わってる気がするが、まぁいいか。
 トチローが何故ハーロックと離れ離れになって死ぬことになったのか僕はよく知らないのだが(どこかにその経緯を描いた作品がありそうな気もする)。トチローが最後を迎えた時、起居していた戦艦はその形から推測すると恐らくデスシャドウ号であろう。「999」から3年後に公開された「わが青春のアルカディア」においてアルカディア号以前にハーロックが乗っていた艦であり、この「999」のガンフロンティアのシーンは後日「無限軌道SSX」で使い回されたという話もある。
 像の、トチローの墓の下にめり込んで一部が見えているのは、言わずと知れた戦艦アルカディア号の艦首。TV「宇宙海賊キャプテンハーロック」のアルカディア号から艦首部分のデザインと塗色を一新して(艦橋など大半の部分はほぼ同一)この映画版「999」から登場し、現在に至るまで定着した。巨大な髑髏の艦首を持つこちらもカッコいいが、TV版のアルカディア号に当時シビレた者としてはどうしてもあちらに思い入れが行ってしまうなぁ。どちらもスタジオぬえのデザインであり、「ヤマト」の戦艦アンドロメダとともにスタジオぬえデザインの傑作として双璧だろうと思う。なおTV版アルカディア号のデザインは最近では「デスシャドウ2世」という設定になっているらしい。当然、後付け設定だが。

 プロメシューム
 終着駅メーテルは機械帝国であり、あらゆるものが生きた人間から作られていて、鉄郎も女王プロメシュームの前でネジにされそうになる。そこでメーテルがプロメシュームの娘であると知る。
終着駅の名はメーテル。そこで鉄郎が真相を知り「汚いぞぉぉぉ!!!」とメーテルを張り倒した後手術台に連行されて…というくだりです。
 女王プロメシュームはこのあと「さよなら銀河鉄道999」にも出てくる。そして「さよなら〜」でプロメシュームとメーテルの故郷として出てきたラーメタルという星が「1000年女王」にも登場し、その主人公である雪野弥生のラーメタル名がラー・アンドロメダ・プロメシュームであることが明らかになって以降、「999」と「1000年女王」の位置関係が色々と想像されてきたわけだが、近年になって「メーテルレジェンド」によって多くの謎が明らかにされた。その「メーテルレジェンド」では「1000年女王」で雪野弥生を演じていた潘恵子がプロメシュームを演じており、彼女が機械化人に転じていく様子も描かれている。ということは、メーテルの父であるドクター・バンとはやはり雨森始なのか?
 それにしても雪野弥生と雨森始、メーテルと鉄郎、エメラルダスとトチロー…と、この母娘は男の趣味がほとんど同じらしい(^^;;) いーのか、これで?

 限りある命のための戦い
 鉄郎を見守り続けていたハーロックは、エメラルダスと共に機械帝国と戦う鉄郎を援護した。さらにクレアの活躍によってプロメシュームと機械帝国を滅ぼすことが出来た。
アルカディア号とクイーン・エメラルダス号が完全な立体で作り起こされ、炎上する機械化母星はレリーフで表現。なんとなくこの一連の銅像の造形って、食玩フィギュアを巨大化したもののような印象があるのだが気のせいか(笑)
 この映画版「999」が公開された1979年夏の段階ではTVシリーズも漫画版もまだまだ旅の途中であり(TVシリーズ終了は1981年3月、「アンドロメダ編」と呼ばれる漫画版の「少年キング」連載終了は1981年のTV版終了よりさらに後)、機械化帝国および女王の正体や旅の結末などをTV版・漫画版よりも2年近くも早く映画版で見せることになったが、「これからも旅は続く」とか中途半端なことをやらずにきちんと結末を見せたのは凄いことだと思う。また、その後TV版・漫画版でも展開は異なるものの機械化母星および女王プロメシュームの崩壊やメーテルと鉄郎の別れなどの基本事項は変えずに結末を迎えている。それぞれ話としてはパラレルでありつつ最後まで首尾一貫していた、というのはたいしたものだと思うのである。凄いぞ松本御大。

 別離
 地球へと戻った鉄郎。そしてメーテルとも別れる時が来た。メーテルは昔の体に戻るために冥王星に旅立ち、少年とメーテルとの旅は終わった。
有名なシーンですね。出発間際、鉄郎の唇にキスをして「私はあなたの想い出の中だけにいる女、私はあなたの少年の日の心の中にいた青春の幻影…」と言い残して999に乗り込み、発車した999を鉄郎が「メーテルうぅぅぁッ!!」と叫びつつ列車と一緒にホームを走っていく。叫びながらホームを列車と一緒に走るというのは、ひとをホームで見送るときにネタとして何度かやったな(笑)

 この、別れ際にメーテルが鉄郎にキスをするシーンが「少年時代の、大人の女性に対する憧れ」の象徴的なシーンであるとすれば、対照的に「オジサンになった大人の男の、可憐な少女に対する純粋な愛情」の象徴として僕がいつも思い出すのがご存知「ルパンIII世・カリオストロの城」のラストで「私も一緒に行きたい」と言うクラリスをルパンが思わず抱きしめそうになりつつ思いとどまり「バカなこと言うんじゃないよ」と諭し、おでこにキスして去っていくシーン。
 この2作品、実は同じ1979年の公開(「カリ城」は年末の公開だからほとんど翌年といった方がいいけど)である。当時はまだ宮崎駿監督は世間的な評価は得ておらず「カリ城」も関係者の評価こそ高かったが興行的には大失敗だった(今となっては信じがたいが)。一方の「999」はアニメどころか日本映画で年間1位の興行成績(アニメ史上初)という記録的大ヒットを打ち立てた。当時の評価が全く異なっていたのが今となっては不思議である。

 青春の幻影
「青春の幻影」とメーテルは自分を指してそう言った。だが、彼女は現実に存在していた。鉄郎の隣に。唇に残る温もりがそれを物語っている。
そして去りゆく999を見送る鉄郎。映画では故・城達也のナレーションが流れたあと、ゴダイゴの曲とともにエンディングクレジットが流れていく。映画版2作は城達也のナレーションがいい雰囲気を作っていた。そしてメーテルは冥王星で昔の体に…結局は戻らず、ここから2年後という設定で2作目「さよなら銀河鉄道999」が作られることになるのだが(笑)。
 さて、この銅像、よく見ると線路が途中で切れて999も無い。どうやら心ないアホが引きちぎって持っていってしまったようなのだ。早い修復を望む。

 ここまで歩いてくると、もう少しで氣比神宮。

→ヤマト編はこちら。