誰にだって訪れるさ どうしたって悪い日は 地雷と番犬と腰に機関銃 ドイツ製でもダメでしょう |
開会式・イタリアの魂 |
2006.2.11(Sat) |
■部屋の灯りやテレビをつけたまま爆睡してしまって、ふと目が覚めたらオリンピックの開会式だった。
開会宣言でイタリア大統領(やはりベルルスコーニ首相は来なかったのかな?)がスピーチの中で「ジャンニ・アニエリの魂が…」と述べていたところに「やっぱ、トリノだなぁ」と思った。 ■ジャンニ・アニエリ (Giovanni Carlo Francesco Agnelli) はフィアット創業者ジョヴァンニ・アニエリの孫(区別のために"ジャンニ"と呼ばれた。ロナウドとロナウジーニョみたいなもの)で、フィアットを自動車だけでなく様々な分野にわたる国際企業に育て上げ、経営不振だったランチアやアルファロメオ、フェラーリを次々と傘下に収め(というか今イタリアにランボルギーニ以外でフィアット傘下でない自動車メーカーってあるのか?)、また60年近い間セリエAユヴェントスの名誉会長を務めた人である。 トリノはフィアットのお膝元。いってみれば今回のオリンピックは日本で言えば豊田市で開催しているようなものだ(まったく余談だが、トリノと名古屋は昨年に姉妹都市提携を結んだばかり)。だからといって日本じゃ開会宣言で「豊田佐吉の魂が…」とは言わないだろうし、長野オリンピックでも「堤義明の魂」とは言わなかった筈で(←まだ生きてるって)、そのあたりがヨーロッパらしいというかイタリアらしいというか。 アニエリはことにフェラーリに対する愛情が強く、メーカーとしてはさほど収益のないフェラーリがF1マシン開発やドライバー契約にあれだけ湯水のように金を使えたのはフィアットグループの支援があったからで、同じく傘下のランチアやアルファロメオのレース活動は不振になるとあっさり止めてしまったことを思うと、フェラーリだけが如何に特別扱いされているか分かる。彼が82歳で亡くなった2003年のフェラーリのF1マシンの形式名には"F2003-GA"と彼の頭文字が付けられた。 非常に高いカリスマ性を持ち、また大変な伊達男としてイタリアでは有名だったそうで、70歳を過ぎてもなお雑誌の「抱かれたい男」アンケートで常に上位に入っていたというから凄い。(別に「金持ちだから」という理由ではないだろう、多分) ■現在のフィアット会長ルカ・ディ・モンテツェモーロは名前から分かるように貴族の出で、しかもイタリア最大の財閥の会長だからイタリアを代表するセレブとして人気は非常に高いそうだが(やはり「抱かれたい男」上位常連だそうな)、実は彼はジャンニ・アニエリの血をうけた息子だという話はよく出ており、それを信じる人も多いらしい。 モンテツェモーロは70年代にフェラーリが低迷していた頃、26歳の若さで監督に抜擢されてニキ・ラウダ(2度チャンピオン獲得)とともに復活の立役者となった。その後90年のFIFAワールドカップ・イタリア大会では事務局長として成功に導き、その直後に再び低迷していたフェラーリに社長として呼び戻され、シューマッハ獲得に成功したF1でも、また品質向上を徹底させて市販車業績でも見事に復活させている。 もちろん彼自身の能力が非常に高いのは間違いないが、フィアットが今もなお同族経営を維持していること(なにしろ「ゴッドファーザー」の国だからなぁ)や彼が最初にフェラーリ監督に抜擢された経緯を考えると、上記の噂も信じてしまいそうではある。 ■ジャンニの(公式の)子息は彼より先に亡くなっており、その死後に会長をついだ弟ウンベルトが就任後まもなく死去してしまったためモンテツェモーロがフィアット会長に就任して、今度はグループ全体の再建にあたっている。 オリンピック開会式でも一瞬だけその姿が映っていたが、さすがにNHKのアナウンサーは誰だか分からなかったみたいだな。F1好きならたいてい分かった筈だが。 ■開会式では本物のフェラーリのF1マシンが出てきてタイヤ交換とノーズコーンを取り付けて、最後は氷上でスピンターンを決めていたが、F1マシンなんてプロしか運転できない代物だから乗ってたのもたぶんフェラーリのドライバーだろうけど、流石にシューマッハ乗せる訳にはいかんだろし(笑) レギュラーは2人ともイタリア人じゃないけど、テストドライバーにはイタリア人がいるから、その中の誰かだろうなぁ。多分バドエルかな。 あのマシン、たぶん去年のF2005だろうと思うが、流石にマールボロとボーダフォンのスポンサーロゴは貼ってなかったな…って当たり前か(^^;) タイヤもブリヂストンのものだろうし(ロゴは出てないが)。 けどあの赤って、市販車に使われているフェラーリ本来の深みのある赤(モンザレッド)ではなく、96年のシューマッハ加入時にマールボロの出資額が増えたために今のはマールボロのカラーである蛍光入りの赤色なのよね。だからあまり好きじゃない。 ■タバコ広告が全面禁止となるため続々とF1チームが長年のスポンサーだったタバコと縁が切っていく風潮があり、ここ10年のマクラーレンの一応の冠スポンサーだったウエストが今年から撤退、ベネトン→ルノーを支えてきたマイルドセブンも今年限りといわれている。ティレルを買収しBARを立ち上げた親会社BAT(ラッキーストライク・555)もチーム株式を全てホンダに売却し、スポンサーとしても今年限りだそうだし、キャメルやロスマンズなど長年タバコに支えられてきたウイリアムズは去年までエンジン供給元だったBMWがタバコ嫌いのため(市販車でも灰皿はオプション)ここ数年はタバコのスポンサーはなく、ベンソン&ヘッジズがついてたジョーダンは金額が年々減った上にとうとうチームが売却されて消滅してしまった。 そんな風潮の中、長年にわたってモータースポーツ全体を支えてきたマールボロは、10年前にマクラーレンを捨ててスポンサー先をフェラーリ1チームに絞り、シューマッハ獲得によって最強時代を謳歌してきたが、ここにきてフェラーリはもうひとつの大口スポンサーだったボーダフォンを捨て、マールボロだけが大口スポンサーとして残ることになった。これ、方針を誤ったんとちゃうかなぁ。タバコ広告が禁止されてもフェラーリだけは特例で認められるだろうという傲慢な読みかもしれないが。 企業カラーが赤のボーダフォンは、恐らくマールボロ撤退後を睨んで数年前からフェラーリへのスポンサーをしてきた筈で、裏切られた思いもあるだろう。この発表直後にボーダフォンは来年からマクラーレンの冠スポンサーになることが決定。これまでのマシンもグラデーションをかけたり抜群に綺麗な塗装仕上がりのマシンだったが、今年からは塗装がクロムメッキ風にピカピカしたものになってまさに銀色で、去年までのものより赤色部分の面積が増えており、これは来年からのボーダフォン参入の準備なのかな。そして来年は昨年の王者アロンソも移籍してくる。 マクラーレンはジョニーウォーカーなどのスポンサーも新たに付けており、これで資金力では完全にフェラーリを上回った筈。ただでさえアニエリ死後は(業績不調な)フィアットからの支援も減っている上に、今迄の大口スポインサーが抜けてライバルに回った痛手はかなり大きい筈だ。問題はマクラーレンのニューマシンがテストで不調を伝えられていることやオフにスタッフの引き抜きが相次いだことだが、このチームに長期低迷は考えられず、資金があるのだからシューマッハが引退するであろう数年後にはどうなっていることか。話がそれた。 ■それにしてもトリノの開会式。 花火が走りまくって聖火が点火するのは凄かったけど、あれ、聖火台の火ってほんとに最終ランナーが持ってた火種が届いたものなの? |
背中の羽根をそっと風の中であずけて |
2006.2.7(Tue) |
■昼過ぎに紀子さまご懐妊のニュースが流れて、テレビは大騒ぎだったようだが。しかし予定時期が首相の退任時期と重なるだけに政治は色々と混乱しそうですな。 ■その後に妹から連絡があり、このところ体調が良くなくて(先日の大伯父のこともあった後だけに早めに診て貰えと親に言われたらしい)病院で診て貰ったら、こちらも懐妊判明だったそうで。予定日も、やんごとなき方とほぼ同じ時期らしい。 そういえば、妹の結婚式は黒田さんとほぼ同時期だったな…単なる偶然だが。披露宴で「緑寿庵清水」の金平糖も配ったしな。 ■そんな訳で、今年9月にはとうとう僕も「伯父さん」になるらしい。ま、既にオッサンではありますけど。 うーむ、寅さん状態というか、北杜夫の「ぼくのおじさん」に出てくるしょーもない叔父さん程度の存在にしかなれそうにないが。 |
発表会 |
2006.2.6(Mon) |
■今日から専攻の修論発表会が始まった。うちの研究室のM2の発表は明日。学部生の卒論発表は更に約10日後で、ちょうど今は修羅場である。 僕も数年前に修論の発表をした訳だが、たまたま発表当日が区切りの誕生日でもあった。院に進学後に方向性に煮詰まって当初のテーマを途中で一度棄て大転換したり、体を壊して休学したりと色々紆余曲折があって、数年間余計にかかった挙句ようやくの発表だったから、それなりに感慨深かった。 そう遠くない時期にある筈の学位論文の公聴会は修論発表どころじゃない訳で、今から色々と思いやられるな…。まだ見えていない部分も多いが、地道な準備が続く。 ■そんな訳で今日またひとつ齢を重ねた訳だが、齢相応の人間にはなかなか成長できていないなぁ…。 |
さだまさしバトン |
2006.2.5(Sun) |
■が檸檬さんから回ってきました。 しかし設問数が20って多いな。つうか、全部「さだまさしの曲」で答えなきゃならんというのが正直なところタイヘンかも。こういう設問に対しては、ふつう様々なアーティストの曲が最初に思い浮かぶ訳で…。 Q1: とりあえず無条件に好きな曲を3曲あげて? 「前夜」 (「夢の轍」収録, 1982) 「安曇野」 (「風のおもかげ」収録, 1983) 「まんまる」 (「ADVANTAGE」収録, 1985) うん、見事なまでに俺のいちばん好きな時期(1982〜1987頃)の曲ばかりになった(笑) Q2: 元気になりたいとき聴きたい曲は? 「ふ」 (「季節の栖」収録, 1999) なぜだろう。この曲が最初に思い浮かんだ。服部孝之アレンジが流石の一曲。 Q3: 失恋したときに聴きたい曲は? 「道の途中で(ON THE WAY)」 (「Glass Age」収録, 1984) まぁ状況次第ではあると思うんですが。この曲か、あるいは「Song for a friend」かな。「敗戦投手」も捨てがたいが(←違) Q4: 眠るときに聴きたい曲は? 「夜想曲」 (「夢回帰線II」収録, 1990) 「流星雨」でもいいかな。弦を使ったゆったりとした曲想のものになりがちだが。 Q5: 一人でドライブ中に聴きたい曲は? 「時差〜蒼空に25¢〜」 (「夢回帰線」収録, 1987) 多分この質問には「きみのふるさと」を挙げる人が多そうだけど。「なつかしい海」もいいかな。 Q6: 恋人とドライブ中に聴きたい曲は? うーん、さだまさしは聴かないと思う。では答えにならないから、夜のドライブを 「ふたつならんだ星〜アルビレオ〜」 (「恋文」収録, 2004)あたりで。 Q7: 故郷を思い出す曲と言えば?? 「駅舎」 (シングル, 1981) 「ひき潮」や「交響楽」も考えたけど。僕個人は大都市近郊の生まれで帰省に時間のかかる訳でもないため、さだまさしの「故郷」感と合致するような部分は少ないだろうな。 Q8: 卒業式に聴きたい曲は? 「花咲きぬ」 (「Wonderful Love」c/w, 1996) これはちょっと穴狙い。今時この人以外に文語体の歌詞なんて書けないだろうし。 Q9: 結婚式で使いたい、または使った曲は? 「未来」 (「ほのぼの」収録, 1992) さて使う日があるんでしょうかね…。「CONGRATULATIONS」もいいかな。勿論この曲を唄われる「馬の骨」側の立場を希望。あみだくじ側は… Q10: 自分の子供に聴かせたい曲は? 「夢一匁」 (「自分症候群」収録, 1985) 「回転木馬」を聴かせるような立場にはなりたくないですね(汗) Q11: カラオケで盛り上がりたいときに歌う曲は? そもそもカラオケでさだまさしなぞ歌いませんっ(笑) あれは自分で弾いて歌うもんでしょう。 …ではやはり答えにならんのだけど、もし全曲について可能なのであれば 「時代はずれ」 (シングル, 1988) これもさだまさしを聴く仲間内限定のノリではあるだろうけど。 まず大前提として、普通のカラオケボックスで歌唱可能なさだの曲ってある程度限られる筈。以前の上京中にMCの連中と入った店で「 Q12: 落ち込んでいる友達を励ますとき贈りたい曲は? 「デイジー」 (シングル, 1987/「夢ばかりみていた」収録, 1990) 歌詞の内容的には微妙に違うんだろうけど、これを最初に思った。「勇気を出して」はベタだしなぁ。 Q13: 「青春」と聞いて思い出す曲は? 「雨の夜と淋しい午後は」 (「夢の吹く頃」収録, 1989) あるいは「十六夜」。世代的には違うんだが気分的には「昔物語」もありかと。 Q14: あなたの中でBest spring Song 「桜散る」 (「Glass Age」収録, 1984) 「夢しだれ」「修二会」(これも春の歌だよな)など色々迷うところだけど。 Q15: では夏の歌は? 「水底の町」 (「夢回帰線II」収録, 1990) 暑い夏の夕暮れ前一瞬の強い陽射し。なんとなくそんな印象がある。 そのほかには「長崎から」や「甲子園」も印象深い。 Q16: では秋の歌は? 「October〜リリー・カサブランカ〜」 (「家族の肖像」収録, 1991) これは即答。収録アルバムのコンセプトとはまるで合ってない気がするが名曲。 レコーディング時に、あのピアノ主体なアレンジとはまるで異なるポップなアレンジ(同じく服部孝之編曲)で同時に録音されていたらしいが未公表。いつか聴いてみたい気もする。 Q17: では冬の歌だったらどうですか?? 「雪の朝」 (「わすれもの」収録, 1974) うわ、よく見てみたらここまで70年代の曲が1つも入ってなかった(苦笑) ほとんど80年代〜90年代前半の曲ばかり。俺の好みが相当に偏っている証拠というべきか? 「雪の朝」はこの貧乏くささがたまらんというか(汗)。他のアーティストであればこの状況設定ならもっと色気のある歌にするだろうと思うんだけど、それがほぼ皆無てのもある意味凄い。 Q18: Best アルバムは? 「夢の轍」 (1982) 1枚に絞れ、と言われたらこれかなぁ。ここから「夢回帰線」(1987)までの作品はどれも好きなところで、僕の好みはこの時代にほぼ集中している。ソロ1枚目の「帰去来」(1976)のある意味過激なところもたいへん好きですが。 Q19: 好きなトークのネタは? 20周年記念コンサート「逢ひみての」第4夜、「親父の一番長い日」の前振りで、花嫁の父親の心境について語るかと思いきや突如すき焼きと具の生麩の話を延々とやった後、一呼吸置いて「花嫁を送り出す父親というのは…」とやって大爆笑を取ったトーク あの繋ぎ方は神業。ライヴ盤や映像にもなったあの模様を生で観ていた幸せ。 同じ日に伝説の大ネタ「妖怪かっとびジジイ」もやったし大抵の人はこちらを推すだろうけど、僕はこちらを推したい。 Q20: このバトンを回す人! お好きな方がどうぞ。 とか言いつつ、ブロガーな知人では是非シャオ氏を指名したいですな。既に誰かから指名されてるかもしれないけど。 「タイヘン」とか文句垂れておきながら人に回すのもアレですが、暇な時によろしくです。 |
心配事 |
2006.2.2(Thu) |
■朝方までiBookのセットアップを行って、そのあと流石に爆睡。起きたら昼近くだったような。 夕方には京都に戻ったが、そこへ「大伯父が倒れた」と連絡が。日展を観に伯母と二人で名古屋に向かう電車の中で意識をなくし、金山駅から救急車で運ばれたらしい。その連絡を受けた段階では状況はまったく不明。 ■僕は父方・母方ともに親の兄弟姉妹が多く、おじ・おばが沢山いて、しかも大半が実家からさほど離れていないところに住んでいるためお互いの行き来も多いのだが、倒れた伯父は母親の兄姉のうちの長兄で、定年退職するまで小学校の校長を務め、(業者とのつながりで安く入手できたためか)僕が小学生の頃には学研の「学習」「科学」を毎月持ってきてくれていた。「電子ブロック」の追加パーツも伯父経由で入手していたな。僕の母親が兄弟のなかで齢の離れた末っ子だったため子供の僕ら兄妹も可愛がられた部分もあったと思う。 退職後は市の施設などで美術を教えたり悠々自適で、年末にワインを届けに実家に来てくれた時には元気そうだったのになぁ、と愕然。 ■その後、入院先に駆けつけた母親から連絡があり、脳梗塞、それも重度でかなり危ないらしく、助かっても完全回復は難しいという。心配な日が続く。 日頃から血圧が高かったそうで、たいへんな酒飲みだったということもあるが、元々これは母方の遺伝的な体質でもあるらしく(祖父もそうだったという)、僕自身も体型がヤバくなる以前から血圧は高めで、今もちょっと体調を悪くすると異常に高くなるし健康診断では毎年引っかかる。よほど気をつけないと。 ■心配事や気にかかる事が増えていく。「お前自身が人の心配をしていられる立場か」と言われそうだが、お世話になった人や大切な人が良くない状況にあったら、やはり自分の状況に関係なく気にかかる訳で。 たしかに色々あってこちらも体調はずっと良くないが、ここで倒れてはいられない。 |
続けてくふたりのままがいつの日か思うかたちになる |
2006.2.1(Wed) |
■韓国のメーカーから出た携帯電話でこんなのがあるそうだが…、最初は何かの合成画像かと思った(苦笑) うーむ、ある意味ここまでやれるのは凄いな。流石かの国というべきか。もっともApple自体が携帯を作るのだったら、もっと別のアプローチでまとめてくるだろうとは思うけど。 ■今夜は名古屋でASKAのコンサートを聴くため夕方に新幹線で移動。京都駅に向かうため地下鉄に乗ると、普段に比べて大学生や制服姿の高校生が少なく、かわりに大きめの鞄を持った私服の受験生らしき姿が目立った。 そうか、今日から2月。いよいよ私大の入試が始まったんだなと実感。 荷物が大きいのは地方から泊まり掛けで受験に来ているからで、ちょうど入試が終わった時間帯に乗り合わせたらしい。 ずいぶんと前には自分にもそんな時期があって、あちこち遠出して幾つか受けたんだよなぁ…。 その結果、いまだに京都に居たりするんだが(汗) ■新幹線に乗ると、やはり受験生らしき姿を多く見かけた。みんな頑張れ。 ■名古屋で新幹線を降りて金山で従妹と待ち合わせ、地下鉄に乗って日比野から会場のセンチュリーホールへ。入口付近では愛知厚生年金会館の廃止反対署名運動をやっていた。そんなことになっているのか。 18:30過ぎに開演。まだ3月中旬までツアーが続くので表だってのネタバレは控えるが(曲目を知りたい方は下方を参照)、げげっいきなり最初からその曲で始めるんですかとかASKAさんトークのテンションが変ですとか(しかもソロだから隣で暴走を止める人がいない…)アンコールの1曲目にいきなり何歌ってんですかとか(注:C&Aの曲ですらない)うわ最後はその曲で締めますかとか、いや色々ありました。 ■今回は今迄のソロツアーとはバンドメンバーがギターの古川さんとドラムの江口さん以外は全員入れ替わり、これまでのASKAバンドの要だった松本晃彦さんも参加しておらず(さすがに多忙なんだろうな…)、チャゲアスのバックで長くキーボードを務める澤近さんやギターの鈴川さんが入り、またメンバーにバイオリン(クラッシャー木村さん:ちなみに女性です)が入ったために、既存の曲も大きくアレンジを変えたものが結構あって驚きだった。勿論コーラスも今迄とは違う。 また、ピアノの澤近さんがコードを弾いてASKAさんがそれにメロディーを付けてルララ〜で唄い、そこへ澤近さんが続けて新しいコードを…という繰り返しのバトルで即興で曲を作っていくというとんでもないことをやってみたり。これ、このツアーで毎回やってるのかな? これがカッコ良かったのだ。 途中のトークの暴走ぶりも妙だったところで、六本木の外国人のお姉ちゃんがいるクラブが好きでメンバーと連れ立ってよく出かけるなんて話までしていたが(もちろん理由はあるんだけど)、それって数年前に週刊誌に書かれていたことを自ら認めてるじゃねぇか(汗) この話で客席にざわざわと微妙な笑いが拡がり「はいっ! 引かない引かない!!」と何度も言う姿とか、チャゲアスではまずありえないものなぁ。 また、ある曲の「詞の内容が解りにくい」と言われ続けたため今回サブタイトルをつけることになり、それは「療養所・西陽のあたる、穏やかな風に吹かれて」らしい…。最初は「サナトリウム」と読ませたかったらしいし。(さて一体どの曲でしょう) 喉の調子もかなり良くて、濃い3時間でした。 ■終演後、電車を乗り継いで従姉宅へ(名古屋まで来たけど実家には立ち寄らず)。従姉が近々NYに出かけるため携行用に新しくiBookを買ったのでそのセットアップを依頼されたため。 これ、PowerPC搭載iBookの最終モデルになるのかな。僕の持っているiBookがG4化されて最初のもので800MHz、最大メモリ搭載で640MB、無線LANはオプションだったが、今のiBookは1.33GHzでメモリも1.5GBは積めるし、HDDも10GBほど増えている。無線LANもBluetoothも標準搭載、で値段は同じ。いいなぁ。 流石に疲れていたので仮眠を取った後、夜中に起きて夜更かしで作業。明日の昼過ぎには京都に戻る…予定で。 |