時々日記:2005.12.1-12.15

 交渉決裂(笑)
 2005.12.14(Wed)
イーグルスの本来のマスコットキャラクターよりもむしろ絶大な人気を得てしまったカラスコが契約問題でモメているらしい(笑)。スワローズへの移籍やプロレス転向をちらつかせているとか。
 で、こんな記事がスポーツ新聞各紙に出ていた訳だが。これ、もう記者も楽しんで書いてるよな(笑) そもそもカラスコのキャラクター設定自体が今迄になかったタイプではあるが。
 こういう記事がスポーツ新聞に出るのって、ほとんどプロレスのノリだよなぁ。最近だと「ハッスル」絡みとか。それが野球関連で出てくるのは面白い。てか、このカラスコ、実際に新日本やみちのくプロレスのリングにも上がって闘ったし(笑)

仙台ではカラスコを利用したゴミ拾いキャンペーンも行ったが、この主旨やイベント内容がなかなか面白くて、今迄にない動きだと思う。
 親会社やオーナーはバタバタしているし、チーム自体もまだ当分ドタバタが続きそうだが、こういう地味ながら話題作りや地域密着ファンサービスに新機軸を打ち出しているのは好感が持てるし、いずれ千葉のような人気を維持できるようになっていくのだろう。こういうところはセ・リーグの球団も見習って欲しいところ。
 そういえば、このカラスコの中の人、数年前までタイガースのトラッキーをやっていた人で、アクロバティックなアクションで人気を得ていたのだが突如クビになったらしく、今は仙台に移って活躍している訳だが、こういうのも人材だと思うんだけどな。なんでタイガースは手放したんだろう。

 頭痛
 2005.12.12(Mon)
京都に戻ってきて早々、朝からひどい頭痛。 風邪が酷くなった気配もなく、体温を測っても特に高いわけでもなく、とりあえず頭痛薬を飲んだが治まらず。

寝直して昼過ぎに起きたが、まだ頭痛は治らない。
 薬のせいかボーッとした頭のまま、一昨日に録ってまだ見ていなかった「逃亡者 木島丈一郎」を見た。うーむ、爆処理の班長が最高(笑)
 しかも番組最後に出た案内で「交渉人 真下正義」DVDのプレミアム版(4枚組限定生産)の、これまで内容秘密とされてきたDisc4の内容が「木島」本編と分かったら、そりゃもう買うしかねーだろ(笑) (いや元々「真下」DVDは買うつもりだったんだが、2枚組のスタンダード版のつもりだった)

…ということで、早速アマゾンで「ポチッとな」状態。アホすぎ。

 試験運用開始
 2005.12.11(Sun)
ぷららが試験サービスを始めたブログ「Broach」でアカウントを取得。無事に自サイトと同じディレクトリ名で取れた。
 ただし、ここをどう使っていくかはまだ考慮中。将来的に従来の自力でのhtml編集による日記と置き換えることになるのかどうか、まだ迷っている。使い勝手次第では、当面、最新分の日記をここで書くようになるかもしれないが、このBroachって現状では携帯電話に対応してないんだよな(将来的には対応予定らしいが)。
 となると、当面は現状のようにmixiでこまごまと書いたものを後から自力でhtmlにまとめてアップするのもたいして手間は変わらない、ということになってしまうしなぁ。

これまでブログを自分のサイトで使わなかったのは自分なりにいくつか理由はあって、既に何度かこの日記等にも書いてきたが、自分でデザインをいじるには面倒なところが多かったり使えるタグに制限があったりとサービス内容に何かしら不満があること、今年8月以降mixiに参加して、出先から携帯やPCで気軽に日記を書いたり更新する環境は手に入ったため、mixiで書いた文章をまとめ直しリンクや写真の編集をして自分でhtmlを編集し自サイトに日記としてアップする、という状態で十分に満足しているからである(逆に「手軽に日記をこまごまとアップする」楽しさと便利さはブログの利点でもあり、それに気付いた部分もあるけど)。今回ブログのアカウントを取得したのも「ぷらら」がブログサービスを試験的に始めたからアカウントを取っておこう、という程度のきっかけにすぎない。
 従来から無料ブログのサービスはいくつか存在したし、僕がサイト管理に関わっている風呂さんのサイトでも、ライブ情報などをご自身の手で気軽に随時更新できるようにブログの利用を奨め、そのアカウント取得や独自のデザイン変更など準備を全て行ったのは僕である。また、従来はBBSすら存在しなかった(敢えて置かなかった。理由は省略)公楽荘友の会サイトにもブログを導入し、こちらは管理者用パスワードを幹事に教えて複数メンバーが新規記事を書き込めるようにしている。
 僕自身も、HarbotやPostPetの関係でSo-netのIDは持っているため、So-netブログもすぐに始められる状態にあり、杉下涼という人に依頼して裏ブログを立ち上げてみたりしたが(笑) ちょっと彼はまだ方向性を見つけられていないようだ(^^;;) →なお裏ブログの入口はこちら

こういった経緯で、自分的にはまだ試行錯誤段階であり、自分のサイトにブログを使うことはずっと考えていなかった訳で、また、この「ぷらら」のブログ自体がまだ試験期間中でサービス内容の変更は今後ありうるだろうし、携帯電話の件や、現状では本文中の文字色・サイズ変更すらできない点も含めて現在の仕様にはまだ満足できる状態ではない(12/19追記:今日から文字色・サイズ変更が可能になったため、既に本文中に埋め込んであった<font>タグが反映されるようになった)
 ま、個人的にこれまでブログに惹かれなかった理由のひとつである「本文の表示幅が一定でウインドウサイズに追従しない」デザインが多数であるという点については自分でテンプレートを編集すればなんとかなる訳で(編集を許可するブログサービスであれば、の話)、実際にこれまでも風呂さんや公楽荘のブログは自分で編集したし、ここも元々のテンプレートをもとに自力で編集してデザインをいじってある。Harbotのエサも組み込めたし。
 だから、今後ここが日記のメインになるかどうかは、画像などのファイルの組み込みやすさや携帯電話対応などの使い勝手の改良次第、というところですな。

 さて、この先どうなりますことやら。

 ふたたび
 2005.12.10(Sat)
京都に戻った。また頑張ろう。

 I wanna Go To A Place...
 2005.12.8(Thu)
Y高校
また一人でチャリ…もとい、ケッタで外出。(注:自転車のこと) ついでに母校の近くまで足をのばした。
 僕がこの高校に通っていた頃は、このアングルでこんな風景を撮ることはできなかった。写真で見えているのは校舎の裏手にあたり、かつてはこの校舎の手前や写真を撮っている場所はすべて木の生い茂った山だった。
 僕が京都へ移った後、裏手の山が切り拓かれて区画整理が始まり、縦横に広い道路が通り、また校舎の隣の山地も崩されて高校の第2グラウンドが作られ、かつての丘陵沿いに階段状に校舎が建ち裏手に緑の山が控える、という風景は一変し、やや小高い丘に校舎が並んでいる、といった風情になった。
 いま現在、写真右方に見えている体育館では、アスベスト除去のため内部に足場が組まれ工事中。二学期の終業式、どこでやるんだろう。

新しい道路が高校の裏手に開通したため、知多半島北部を東西に抜ける国道155号線の指定もそちらに移り、以前は高校の正門が面している狭い道路(旧155号線)を大型トラックが頻繁に通行していて、このため事故も多かったが、今はすっかり交通量も減ったらしい。近所の店もすっかり変わり、新しい道路沿いに見慣れない店やコンビニが立ち並ぶ。
 また、高校の最寄り駅である名鉄河和線の高横須賀駅も高架化され、この付帯工事で近辺の区画整理も進み、狭い道路も一部区間では歩道が拡幅された。そもそも僕が高校に通っていた頃は、名鉄常滑線からの最寄り駅である尾張横須賀駅の高架工事もまだ始まっていなかった頃のことで、高架工事の準備として仮線と仮駅に移ったのが僕の浪人中のことであった。

僕が高校1年の夏、1学年上の生徒が電車に乗るため踏切を無理に渡って事故死した。いま思うと、高横須賀駅高架化の話はこの事故の後から急に進んだのではないかという気がする。尾張横須賀駅の方はずいぶん以前から工事計画が公表されながら周囲の反対運動もあってなかなか進まなかったのに、高横須賀駅の工事計画の話は僕がいた頃にはまったく聞いていなかったから、かなり急に進んだものと推測される。
 その翌年の冬、当時まだ途中までしか完成していなかった(現在、高校の裏手を通る区間が未開通だった)道路を自転車で通学中だった同級生の女の子が大型トラックにはねられ命を落とした。僕は当時、生徒会の執行部にいたのだが、一緒に執行部で役員を務めていた女の子2人が彼女と親友で、その知らせを受けた日の彼女たちの慟哭を今も忘れることができない。

それから6年後、たまたま1人と電話で話す機会があった。彼女は数週間後に結婚を控えている時で、その時ふと彼女が、今でも時々あの亡くなった子のことを思い出すのよ、と話した後に、感慨深そうに口にした言葉がある。

「こうして大学を出て就職して結婚して、やがて子供を産んだりして、私たちはどんどん変わっていくけど、あの子だけはずっと高校生の時のままなんだよね」

 もう何年も前の、そんな出来事をふと突然思い出した。
 それから彼女とは連絡を取ったことはないが、今頃どうしているだろうか。

好む好まざるに関わらず、生きていく限り、人は変わっていかざるを得ない。
 ただ言えることは、生きている限り、人は何かを為し得る機会を持ち続けられるのだと思う。
 あたりまえで単純なことだけど。

 僕にもまだ、戦う場所も理由も力も、その機会も残されている筈だ。

 だから、戦う。いつか永遠に斃れるまでは。

 尾張横須賀旧街
 2005.12.5(Mon)
自転車を借りて、久しぶりに一人で外出、近所をうろつく。寒かった。
 実家周辺の、むかし小さい頃に馴染んでいたお店のほとんどが店を閉じてしまい、駐車場や一般住宅ばかりになってしまった。どうも寂しいものである。コンビニは増えたし、このあたりは交通の便は非常によいところなので大きなマンションは増えたのだが、店が少なくなったため、ちょっとした買い物をするにもクルマが必要な場所になってしまったな。ま、もともと皆クルマでものを買いに行く地域ではあるけど。

小学校に通う時に通っていた道は交通安全上の配慮からクルマの多い表通りではなく、かつてのメインストリートで今はすっかり裏道という雰囲気の道だったが、この通りに面して、あの「ゆかり」で有名な坂角総本舗の創業地であり今も「本店」を名乗る古い木造の大きな店舗がある(坂角サイトの「沿革」の写真を参照)。
 この店構えは僕が小さい頃からずっと変わらなかったが、今日ひさしぶりに通ったら新しい建物になっていて、内装の工事が進められている最中だった。びっくりすると同時に、少し寂しい思いもした。  もっとも、真新しい檜の柱や部材が見える割には外観は昔の建物とまったく同じ形なので「伝統を意識して昔の設計と同じにして建て替えたのかな」と思っていたのだが。

帰宅後に母親にこの話をすると、驚くことを教えてくれた。なんとこの本店、元の建物を壊さずに、いちど隣の空き地にそのまま移動させて、もとの敷地に耐震基礎工事を施した後、もういちど建物を元の位置に戻し、その上で老朽化した部材を取り替えて改装しているんだそうな。
 つまり外観こそ新品に取り替えたものの、内部の柱や構造材はそのままであり、しかもこんなに手間のかかる耐震工事をしていたら新築よりよほど経費がかかっているだろう。こだわりかなぁ。それだけ創業地を大事にしているということだろうけど。
 この本店、昔は「ゆかり」製造時の失敗品(割れたヤツ)を袋に詰めて安く売ってくれたりしていたけど、数年前に工場設備を更新したため今は「割れ煎」が出なくなったらしい。

 今も昔も変わりなく
 2005.12.3(Sat)
実家のある市の広報をなにげに見ていたら、イベントお知らせの記事を見て驚いた。
「常田富士雄と京都フィルハーモニー室内合奏団 コンサート」

…あの常田富士雄さんである。「まんが日本昔ばなし」でお馴染みの、
 「むかーし、むかしのー、ことじゃったー。浅草にー、そりゃー性悪な狸がー、おって、のー」
 というフレーズで有名な(↑そんな話はねぇよ) 常田富士雄さんである。
 それがオーケストラと組んでコンサートって、いったい何?

案内記事を読むと、どうもオーケストラの演奏+常田さんの語り、ということらしい。
 え? じゃぁオーケストラであの音楽を演奏して常田さんが「むかーし、むかしの、ことじゃったー…」とやるのか? 無駄に豪華というか、かなり謎なコンサートのような。
 コンサートは2月だがチケット発売は今週末で、母親はチケットを買いに行くつもりのようだ(行くんかいっ!!) コンサート後、どんなだったか尋ねてみよう。

 大熊猫
 2005.12.2(Fri)
実家ではいつも朝方はAMラジオが流れていて、それを聴きながら朝食をとり母親が掃除や洗濯で忙しくしているのだが。
 今朝、朝食中にそのラジオで聴き「へぇ〜」と思わずテーブルを10回ほど叩いたことが。パンダ(ジャイアントパンダ)は最近のDNA解析の結果、クマの近縁であると分かり分類も変更(食肉目クマ科)されているんだそうな。(いやとっくに既知だという方がいたらスミマセン。俺的には初めて知ったので)
 僕が小さかった頃、パンダは分類上「アライグマのなかま」と動物図鑑にも出ていたし、長い間そういうものだと思いこんでいた(一時どこかの動物学者が有袋目ではないかと唱えていた気がするが、それは流石にナイだろと思いつつ)。
 まぁ確かにあの姿はアライグマよりもクマの方がよほど近いんだし、納得はできるものだが。ん?じゃ腹黒レッサーパンダはどちら? 流石にあれはアライグマか。

…と思っていま調べたら、レッサーパンダはDNA解析により最も近縁はアライグマと分かり、けどやや距離はあるので最新学説では独立した「食肉目レッサーパンダ科」となっている模様。ぱっと見では、大熊猫と小熊猫の類似点って食物くらいだよなぁ、と思うんだが、中国でも「大」と「小」でやはり同類と昔からみなされていたのね。本来どちらも希少種なんだけど、その風貌や政治的な背景が絡んで?どうしても日本では大熊猫の方に注目が集まりがちだった。今年、例の小熊猫の直立ポーズが話題になるまでは。
 アライグマ(Common Raccoon)は基本的に北米生息で、一方レッサーパンダ(Red Panda)はアジアだから、それぞれに分化したのはけっこう前のことになるのかな。それにしてはかなり類似点も多くて、なんでこうも種名も学名も違うのか不思議ではある。単に動物学的に発見されたタイミングの問題かなぁ。