時々日記:2005.10.16-10.31 |
博多の落胆、千葉の歓喜 |
2005.10.17(Mon) |
■学生実験のTAのお仕事が今年も始まった。いってみれば院生の強制バイト。TA= Teaching Assistant。Tracking Attackerではない。(何だそれ) ということで、これから1ヶ月くらいは週に一度、ちょっと先生っぽい仕事が加わる。何年か担当していた実験内容から去年担当替えがあり、今年も同じものを担当するが、昨年のコツを思い出すのにちょっと時間がかかる。実験後には学生のレポートもチェックするのだけど、チェックすべきポイントも忘れかかっているし、自分が担当している実験の理論の説明と解説くらいは完璧にしておかないとなぁ。ずっと普段やっているわけではない内容のため、手順も含めてかなり頼りないのだが。 ■パ・リーグのプレーオフは逆転でマリーンズの優勝に決定。正直、第3戦で4-0とリードして9回を迎えながら大逆転負けを喰らった時に、これでマリーンズの優勝は90%ないと思っていた。9回2死まで追い込んでの逆転負け、しかも9回はじめから守護神(いかに劇場体質とはいえ)を予定通りに使って4点差をひっくり返されては、このプレーオフ期間内に小林雅はもう立ち直れないだろうし、勢いで一気に走ってきたところを最悪の形でいったん止められてしまうと、必要以上に優勝へのプレッシャーがかかってしまうだろうと。ましてベテラン選手も優勝経験のないチームだけに。そして予想通りの4戦目の敗戦で追いつめられて。 だから今日、今度は馬原を打って逆転し小林雅で抑えたというのは、このプレーオフ期間中にもチームが精神的な成長を遂げていたことを示すものだと思う。それも、今季限りで引退するファンタジスタ初芝の想い出作りのつもりだったような打席でのヒット(?)から始まった逆転劇。これは震えた。 ■セ・リーグの場合、長年優勝から遠ざかっていたチームがある年いきなり暴走して圧倒的な勢いで優勝すると、その年1年限りの祭りに終わることが時々あるが(85年のタイガースがいちばん典型的な例か)、パ・リーグの場合、ライオンズやホークスのようにいったん強くなると長い黄金時代を築くことが多いし、既に12年間も連覇のないセ・リーグと違いパ・リーグは連覇がよくあるし(90-94: L、95-96: BW、97-98: L、99-00:H)、今回はプレーオフでの勝ち上がりとはいえ、マリーンズは来年以降も強いだろうな。 特に内野陣の今江・西岡というまだ21、2歳の若手が順調すぎる成長で打撃も守備でも主軸になったことが大きい。これで今後マリーンズは10年間は三遊間が固定できる訳だし、黄金時代を築く要素として十分だろう。 思い起こすと、31年前の日本シリーズでオリオンズの相手だったのが、当時ジャイアンツの10連覇を阻止して20年ぶりに優勝したドラゴンズだった。そのドラゴンズは82年のライオンズ・99年のホークスと、チームが本拠地を大きく移転した新体制での初優勝の時のシリーズの対戦相手となり、そこで負け、彼等が黄金時代を開く端緒を開く踏み台となり続けてきた…(泣) だから、今回ドラゴンズが相手だったらマリーンズの黄金時代は間違いなかったんだが(笑) さてどうなるか。 ■まぁ、確かにホークスに対しては可哀想な思いもある。2年連続でシーズン1位通過でこの結果ではなぁ。たしかにシーズン終盤に城島の骨折離脱したことでプレーオフでは絶対的にホークス不利だろうと思っていたし、連敗したあの状況からここまで盛り返したのは流石の力だったが、やはり去年に続いて今年も松中がプレーオフで不調だったのが響いたなぁ、結局は。 彼はたしか日本シリーズの成績も良くなく、プレッシャーのかかる状況にはけっこう弱いようだ。対照的に大舞台に異常な強さをみせる城島を欠いたのはその点でも痛かった。 ■そして夜中、スポーツニュースでマリーンズ祝勝会のビールかけの大騒ぎをニュースで見た。勿論、今シーズンのマリーンズの強さは、6人も2桁勝利投手が出た強力な投手陣、西岡-今江の若い三遊間の成長、正捕手を固定せずに橋本・里崎を併用して競わせ成功させた常識外の采配などによるものなんだけど。 …初芝、小宮山、黒木、堀、… 優勝できてほんとに良かったなぁ…。 球場に客が来ずドラフト指名した選手に入団拒否されることもよくあった川崎球場時代や、あの18連敗をはじめとする暗黒時代を支えてきたベテラン選手たちがビールかけではしゃぎ回っている姿を見ると、涙が出てきた。逆転のきっかけを作った初芝なんか本当に最後のチャンスだったもんなぁ。彼等がみんな現役から去ってしまう前に優勝できて良かったと思う。園川などは間に合わなかったけど。 実は川崎時代も慢性的に弱かったのは80年代後半に入ってからの話で、リー兄弟や落合が揃う上に狭い本拠地球場でHRを量産するオリオンズ打線は強力だったし、投手陣も村田兆治を柱に揃っていた。 タイトルホルダーも数多く、特に首位打者は1人で5回獲った落合が去って以降でも4人出ている。その間にイチローが7年連続で獲っているから残り12機会のうちの4人(高沢・西村・平井・福浦)だからかなり高率で、伝統的に好打者を生み出すチームではある。これで何故ずっと低迷が続いていたのか分からない。 ということをまだチームに在籍していた頃の落合自身も言っていたな(笑) ■そもそも創設当時の毎日オリオンズは2リーグ分裂の経緯からいってもパ・リーグの盟主の立場にあった筈で、その通りに最初の日本シリーズを制したチームでもある。まぁタイガースから強引に選手を大量に引き抜いたり(てこた今回は55年ぶりの遺恨試合か?) 大毎時代には永田オーナー(幻の二冠馬トキノミノルのオーナーとしても知られる)の独裁に振り回されたり(悪い面ばかりではなかったが)、その後引き取り手がなくなった時に元首相・岸信介の要請で渋々ロッテが引き取った経緯があるが(この経緯がなかったら今頃「ロッテも外資企業ではないか」という問題が出ていたような気がする)、気がつけばパ・リーグで一番長くオーナーが長続きしているチームになった。去年は球界再編に強引に巻き込まれそうになったが、地元密着・ファン重視で現場とフロント、地元が一体となって頑張ってきたご褒美がやっと出たことになる。本当に良かった。 ■さて、個人的な感情でいえば、やはり日本シリーズはマリーンズを応援したい。勿論あのチームの応援も含めた雰囲気とネタキャラの多さが好きだからこそなんだが、タイガーズについてはドラゴンズに競り勝たれた悔しさや、シーズン中に公式サイトのBBSで他チーム、特に今シーズンはドラゴンズに対していわれのない中傷をしまくっている一部の馬鹿にわかファンの言動がイヤというのもあるけど、それ以外にも気になる点が一つあるからである。 また球界再編問題が浮上して揺れ始めているこんな時期に「1リーグ8球団が理想」と公言したり、自分もかつて会長を務めた筈の選手会の頑張りを非難する発言を続ける監督が率いるチームなどに優勝して欲しくない。もちろん選手には罪はないが、これが正直な思いである。 ■さて、明日のゼミが終わった後に名古屋へ向かう予定。 |
リベンジ達成 |
2005.10.18(Tue) |
■ゼミが終わった後、ささっと支度して新幹線で名古屋へ。改札を出るとすぐに駅西地下街の「矢場とん」エスカ店に直行。 前回(9/8)は地下街の臨時休業のために食べ損ねたが、今回はちゃんと開いており、無事にありつけた。わらじとんかつ定食に串カツ1本を追加して頼む。うまうま。 矢場とんの味噌カツは、味噌カツとしては正統派ではない、と言われることがある。確かによその店では、味噌だれはもっとドロッとしているものが多いし、ここまでカツ全体に味噌たれをかけてしみ込ませない。 それは、元々どて煮の味噌だれに串カツをどぼーんと浸けたものがこの店のルーツだからだそうで、そこから始まって後から串以外の豚カツに拡張された経緯から、あの独特の味噌だれが成立し、カラリと揚がった豚カツのサクサク感を無駄にするようなぶっかけ方になる訳である。 ■矢場とんを有名にしたもうひとつの理由は、かつてナゴヤ球場で串カツが販売されていたこと。ビール片手に、フランクフルトではなく味噌串カツを頬張りながら が、ナゴヤドーム移転時に矢場とんが撤退してしまい、特定店名のないフードコートのメニューに味噌カツはあるらしいが、やはり矢場とんの串カツがいいという人は多いと思うんだよなぁ。 ドーム側が自前の儲けを優先させて出店させなかったのかどうかは知らないが、ドームで有名どころの名物メニューを食べながら観戦できるようになったら、最近減り気味の入場客も戻ってくるかもしれないし、遠方から遠征してくるファンも増えるかもしれないと思う。ゲーム内容だけで客が満足する時代じゃないんだし。 だから矢場とんのカムバックと風来坊・山ちゃんの出店はぜひドーム側に考えてもらいたい(流石に蓬莱軒はドームには合わないだろうが…)。というか、そういうことをしてでも客を満足させようという努力を見せて欲しいものである。大きく話が逸れた。 ■金山で従姉のクルマに拾ってもらう手筈となり、その待ち時間の間に「世界の山ちゃん」で手羽先をテイクアウトで買っておくように頼まれまして。 …はい、その注文の出来上がりを待っている間に、堪えきれずに生中1杯と手羽先1人前(5本)を追加で頼み、その場で喰いました。ごぶごぶごぶごぶばりばりぼりぼり。 よって、きょう一晩で9月のリベンジを完遂。 …アホや…俺は… |
とこしへ |
2005.10.19(Wed) |
■コンサートの時間より早めに出掛けて、大須で買い物。当初、iBookの内臓HDDを大容量に交換しようと思っていたのだが、思った以上に費用がかかるので、検討し直した結果、160GB・7200rpmの外付けHDDを購入。その他ついでに頼まれたモノを色々と。 そのあと名古屋唯一の「一風堂」本町通り店で遅い昼食。ここの店でしか出ていない「からか麺」を注文。とんこつラーメンに辛い肉味噌が乗っているもので、汗が噴き出た。時間的余裕があったので矢場町まで歩き、Apple Store名古屋栄にも立ち寄ったが、まだ新iPodやiMacは店頭に並んでおらず。
■そのあと地下鉄で金山へ移動、名古屋市民会館へ。 ロビーでみみなと会い、席に向かうと2つ隣の席がSinさんだった(笑) |
公聴会 |
2005.10.20(Thu) |
■午前中に名古屋から京都に戻り、午後からは論文博士の学位申請の公聴会を聴きに行った。うちの研究室の助手の先生は修士卒でいったん就職した後に呼び戻され助手となったため、助手を勤めながら論文で博士号を取る準備をされていた。博士後期課程で取るよりも投稿論文の掲載本数などの点で内規の条件が厳しいのだけど、研究職についた人(官公庁・一般企業ともに)で後から論博で学位を取る人はけっこう多い。 で、昨日がその公聴会で、これが持ち時間1時間。ふだんの学会発表などでは15〜30分だから、かなり長い。それでも学位論文の内容を全部こまかく話すには時間が足りないから、ポイントをうまくまとめて、専門外の人にもある程度分かるように説明する必要がある。 1時間の時間配分は特に規定はないが、数年前に50分ほど口頭説明に使い、教授陣からの質疑応答に5分ほどしか割けなかった人がいて大顰蹙だったらしい(汗笑) だいたい話すのに30〜40分、残りを質疑応答、次の発表者との交替にかける準備時間を5分、というのが目安になりそう。 自分もそのうちやる事になる訳だが、30分以上ずっと話すというだけで既に気が遠くなりそうだし、それも学会のような見知らぬ人も多い中ならともかく、聴いている人の9割がうちの専攻の先生方、という状況は想像すると胃が痛くなるどころではない。学会発表以上に容赦のない質疑にはたして答えられるんか、俺。 ■ところで、学位論文の審査は隔月で行われるため、今回学位申請した人は助手の先生だけでなく他にも何人かいたのだけど、ちょうど先生の発表の直前と直後に発表順番になっていた申請者は、2人とも僕の学部時代に同期だった女性だった。 1人は博士課程で指導認定を受けたあと学位を取らずにそのまま大学の付属研究所で研修員などの立場で研究を続けてきた人で、もう一人は修士卒で一般企業に就職した後、転職してから学位を取ろうと考えたようだ(ここ数年になって学会誌で名前を見かけるようになったので、最初はどういう理由かよく分からなかったのだが)。 2人と直接会うのも久しぶりで(1人は今年2月にうちの研究室の教授が急逝された時に通夜に参列してくれたので顔は合わせたが)、それぞれ発表が終わった後に声をかけて少し話した。2人とも学位論文を英語で書いたため、その苦労もあったようだ(僕は日本語で書くことになっているので、その点の心配はないが…)。 ■このあと学位が認められた後も、論文を印刷・製本して関係者に進呈したり諸手続など色々と続くのだが「印刷費が意外に高くて困った」とこぼしていた。え?自腹? …もしかして俺もですか?(しかも俺の論文、フルカラー印刷でないとダメなページが多数… 高くつくだろうなぁ…) |
12年前へ | |||||||||||
2005.10.22(Sat) | |||||||||||
■夕方から大阪の南港に出掛けるため京阪出町柳駅に出たら、ものすごい混雑ぶり。…そうだった、今日は鞍馬の火祭だった。 例年この日はたいへんな混雑で、出町柳から鞍馬に向かう叡山電車が小型車の2両編成のため京阪からの乗り継ぎ客をさばくには無理があり、出町柳では長い待ち行列ができ、叡電の途中駅からはろくに乗車すらできない、という年に一度の賑わい。もしかしたら叡電はこの日一日で年間収益のほとんどを稼いでいるんとちゃうか(笑) まして今年は祭の当日が土曜日。ということは昼間の時代祭も例年より人出が多かったのかな。 去年は僕も妹・従妹と3人で火祭を観に行ったが、駅に並んだのはもっと遅い時間だった筈。今の段階でこの混雑からすると、今年は例年以上の人出になりそうだな… そんな人混みの列を逆方向に抜けて改札を通り、おけいはん特急で大阪へ。 今日はFC限定イベント「CHAGE博2005〜タイムマシンにおねがい(仮)」。はたして月の石やマンモスは出るのだろうか!?(ないって…) ■北浜で地下鉄堺筋線に乗り換え、一駅で乗り換えて中央線で大阪港方面へ。以前は大阪港以遠は第3セクターの「OTS線」だったため料金が割高だったが現在は市営地下鉄の一部にされたため料金はかなり安くなった。地下鉄線としては現状では大阪港からコスモスクエアまで一駅延長しただけだが、今後海底トンネルでUSJ方面に抜けるとか。そのコスモスクエアで下車。 大阪の南港はひとむかし前の東京・お台場のような雰囲気で、雑草の生い茂る未開発地と、いかにも最近の設計といった印象の高層ビルが奇妙なバランスで同居する地域である。地下鉄とニュートラムの乗換駅であるコスモスクエアで下車、しばらく歩くとZepp大阪へ。 ■今回のイベントは名古屋・大阪・福岡・東京・仙台・札幌と全国のZeppを会場にして行われるFC会員限定イベントになっている(チケットも会員1人につき1枚しか取れない)。 イベントの日程発表から当日までの日程が通常のコンサートに比べて短く、FC会報での告知からネット/電話での申し込みの後に届く抽選結果通知書+払込票がそのままチケット代わりとなり(通常なら払込のあと改めてチケットが郵送される)、当日に会場前のテントでFC会員証と通知書を渡すと認証作業を行い正式チケット+ブロック指定券に引き換えてもらうシステムだった。おかげでチケットは全員がオリジナルデザインのものが手に入るということにもなるのだが。 チケット引換の後、運河もしくは川沿いに並んで開場待ち。これが寒い中40分ほど待たされることに。ヒマだからみんな携帯でネットを見ていたようで、待っている間に日本シリーズが始まり、タイガースが初回のチャンスを潰す一方でマリーンズが先制し、そこらじゅうで溜息が漏れていた。さすがに関西の風景である(苦笑) やっと入場後、ワンドリンクを交換して会場へ。今日は1階オールスタンディング。そういえばコンサートホールやアリーナ会場でなくライヴハウスに出掛けるのっていつ以来だっけ。
「本日は"CHAGE博2005〜タイムマシンにおねがい"にお越し頂きまして誠にありがとうございます。開演に先立ちましてご案内申し上げます。公演中のカメラ・レコーダー・体重計・レイザーラモンHGの使用は固く、かたく、か・た・く お断りしております…」 …等とお姉さんの色っぽい声で案内が入り、そのあとバックのメンバーが入場。ステージ上には机とマイクが運び込まれ、スクリーンに「Midnight in OSAKA 1993.10.22」 と映し出されて、メンバーが演奏を始めたのは「Bittersweet Samba」。 つまり今日はCHAGEが深夜放送のパーソナリティとしてラジオとリスナーを玩具に遊んでいた時代に戻り、当時のラジオ番組のノリを持ち込んだライヴにするという趣向。チケットの抽選結果通知書に同封してあったアンケートを返信した人からのリクエスト等をもとに番組を進行、かける曲はもちろん生演奏、途中のCMも生、という形で、しっかりジングルも何種類か用意してあった。 リクエストのFAXを読みながら3曲演ったあとに生CM。事前に観客から希望者を募集して選ばれた3人の女性が筆書きでカタカナで氏名を書かれたゼッケンを胸につけアシスタントとして度々登場し、CMも生で商品説明を行うもので、脇でCHAGEさんウケまくり。 ■そのあとの2曲がまた予想外のところで続いた後に生CMのあと、いきなり番組内コーナーの作りで「空耳アワー」へ。「CHAGE博なんだから、"世界が俺を呼んでいる"ということでまとめてみました」と洋楽の曲で「チャゲ」と聞こえる空耳特集。俺的にはクイーンの曲で「チャゲ、…バナナ取って」が一番ウケたかな。 そのあと、ハワイ滞在中に現地でかなりヒットしていて気に入ったという「涙そうそう」ハワイ語バージョンをウクレレで。歌い回しがオリジナルのメロディーとはけっこう違う。 背景には現地で撮った写真がスライドショーで流れる。「遠い街から」のあとようやく愛知万博でも発表された「missing pages」の話と予告編に。「missing pages」完成直後のイベントだけにそれに関連した話や映像でもっと時間を取るのかと思ったら意外にもかなり短かった。作品自体が25分の短編で予告編もものすごく短いのも確かだけど。 「crossroad」のあと、スクリーンには11月発売予定のASKAの新ソロアルバム「SCENE III」のCM映像が流れた。今回は「CHAGEのイベント」と分かっていて来ている人ばかりでも、やっぱASKA様の映像が出ると「キャー」なのね、みんな(^^;;) CHAGEさんによると今回のアルバムは「ニューヨークでミックスをやっていた」らしい。 そのあとメンバー紹介。ほとんどC&Aツアーのメンバー(Elder Street Boys)で、唯一、ギターが鈴川さんの代わりにMULTIMAXの時にツアーで弾いていた関さんという布陣。 アシスタント3人も含めて全員にホワイトボードを持たせて大喜利のようなネタをやらせるというものだった(笑) こういうところまで含めて、C&AやMULTIMAXではできない、またライヴハウスの規模だからこそ可能なノリのイベントということで、なんだか本人達がものすごく楽しくやっているのが伝わってくるライヴだった。 アンコールで「箱の中身は何だろう」を唄っているとステージに怪しげな箱が出てきて、中を開けてみると…紙飛行機が(笑)。ということで最後はみんなで紙飛行機投げまくって盛り上がる、MULTIMAXやCHAGEソロでお馴染みのお約束。 ■終演後、また地下鉄を乗り継いで、今度は淀屋橋からおけいはんに乗車。出町柳に着くと23時を回っていたが、、まだ火祭からの帰り客が叡電から出てきていた。そのためか、通常なら23時閉店のロッテリアがまだ開いており、夕食もとっていなかったので優勝記念半額セール中のえびバーガーその他を買って帰宅。 |
三冠馬 |
2005.10.23(Sun) |
■やはりディープインパクトに「まさか」はなかった。確かに今日のレース運びも決して万全ではない。皐月賞やダービーで見せたゲート出の悪さこそ見せず、意外にもスタートは絶好だったが妙にかかってしまい最初のスタンド前では首が高く口を割っている状態。これではスタミナをロスしてしまう。 事前に武豊騎手が懸念していたらしいが、この馬、頭が良すぎて、通常のレースなら3コーナーを過ぎたところでペースアップして4コーナーから爆発、というのをきちんと覚えているが為に、3コーナー以降を2度回る菊花賞では1度目の3コーナーを過ぎたところで自分にゴーサインを出してしまったらしい。それを必死でなだめる武豊、というのが真相だったようだ。だから直線を過ぎたところで今日のレースがどういうものなのかディープインパクトも理解ができて落ち着いたらしい。そこからは完璧。横山典弘とアドマイヤジャパンはロスなく完璧な騎乗で最後まで粘ったがやはりディープインパクトの敵ではなかった。勝ちタイムは奇しくも11年前のナリタブライアンが出したもの(当時はレコード)と同一である。 単勝支持率は78%を超え、グレード制が導入されてから初のGIで単勝元返し。実は過去の三冠馬のほとんどはダービーが最高支持率で菊花賞ではダービーより落ちていることが多い。他に敵がなさすぎたこと、シンザンやミスターシービーの場合は夏負けで体調を崩しており事前にかなり不安視されていたことなど理由はあるだろうけど、この菊花賞における単勝支持率が最も驚異的なのかもしれない。 ■しかし思い起こすとこのタイミングでの三冠馬誕生はあまりにも…、という感慨がある。21年前に初めて無敗のまま三冠を達成したシンボリルドルフに騎乗していた岡部幸雄騎手が引退した年に、当時の岡部さんと同じ年齢になった武豊騎手が騎乗したディープインパクトが達成。3年前に死去した大種牡馬サンデーサイレンスは産駒が既に全クラシックどころか8大競争、というよりほぼ全てのGI競争を制しており、同一馬による牝馬三冠もスティルインラブで達成しているが、これで牡馬三冠もついに達成した。 また、岡部さんが持つ記録のほとんどを既に塗り替えてきた武豊騎手も、かつては「ダービーだけは勝てない」と言われながらいつの間にか史上初の連勝を含むダービー最多勝(4勝)記録保持者となって、残りは三冠馬騎手くらいかな…と思っていたらこれで達成。2000年のエアシャカールで逃した三冠も5年で獲ってしまった。この人、あと目指す記録って何が残ってるんだろう…。 ■ディープインパクトは蹄が異常に薄くて蹄鉄の釘が打てないという、昔だったらろくに走ることすらできなかったかもしれない馬である。最新の装蹄技術を用いて、釘でなく接着剤による蹄鉄の固定という新しい方法を本格的に導入した最初の馬となった。ミスターシービーも蹄が弱く当時の最新技術だった軽合金製の兼用蹄鉄(レース用と普段用を兼用)を導入したし、もっと遡れば有名なシンザン鉄(稽古用に蹄を保護するガードを付けた蹄鉄)の例もある。こうした最新技術の導入が彼等を三冠馬に押し上げた面もあろう。 ■94年のナリタブライアン以降、サニーブライアン(97)・セイウンスカイ(98)・エアシャカール(00)・ネオユニヴァース(03)と二冠馬が誕生し、またアグネスタキオン(01)が皐月賞を勝った時に誰もが三冠馬誕生を信じた。が、セイウンスカイとエアシャカールはダービーで敗けて菊花賞を迎える時には既に三冠挑戦資格がなく、ネオユニヴァースは菊で3着に敗れ、サニーブライアンとアグネスタキオンは故障で出走すら叶わなかった。ブライアン以前でも二冠馬で3レースとも出られたのはミホノブルボン(92、菊2着)くらいで、ミホシンザン(85)やサクラスターオー(87)・トウカイテイオー(91)のように故障で出られなかった方が圧倒的に多い。もっと昔まで見ればヒカルイマイ(71)やカブラヤオー(75)のように春を圧倒的な力で二冠を獲りながら菊花賞には出ることすら叶わなかった馬は多いし、タニノムーティエ(70) のように致命的な病気を患い出走したものの敗戦覚悟の玉砕だった馬もいた。とにかく「無事に夏を過ごして3つのレース全てに出る」だけでも大変なのだし、その上で3つとも勝つことがどれだけ奇跡的なことか。こうして再び三冠馬誕生の瞬間を見られたのは素直に嬉しい。 ディープインパクトは僕が最初にテレビで見たミスターシービー以降4頭目の牡馬三冠馬になるが、この11年の間にシンザンもシービーもナリタブライアンさえもこの世を去り、生き残った三冠馬はシンボリルドルフただ1頭になってしまった。戦前に達成した初代の三冠馬セントライトは骨格標本が岩手大学に残っているという話だったが、長年の間に行方不明になってしまっていることが先日のテレビ番組で判明(JRAがきちんと探して引き取り競馬博物館で保存すべきと思うんだが…)。そこへ11年ぶりに現れた三冠馬。このあとどういうレースに出てどのような結果を残していくのか、やはり興味は尽きないし、無事なら今後2年はこの馬を中心に競馬は回っていくのだろう。 |
33-4 |
2005.10.26(Wed) |
■ううむ、ほんとに4連勝で終わってしまったな…。 もっとも今日は過去3戦とまったく違い、1点差で最終回までもつれる接戦ではあったが、ほとんど危なげない試合内容。そして9回裏、期待通り(?)に小林雅の一人劇場が始まった…と思いきや矢野のバント失敗を今江の好判断で併殺、これで劇場も一瞬で閉幕してしまった。 その矢野が今日2併殺に牽制球アウトで勝機を一人で壊したにも関わらず敢闘賞というのは、ほとんど嫌味に近いな。まぁこの4試合の内容ではタイガースから1人表彰選手を出すこと自体にかなり無理があるし、確かに矢野だけが毎試合ヒットを重ねて一人気を吐いてはいたが、今日の内容だけでなく、捕手として4試合で33失点の責任は大きいだろうと思うんだが。 ■一方、最終回だけでなく守備でも西岡とともに度々好プレイを見せてきた今江のシリーズMVPは当然の働き。彼の、いかにも野球小僧といった雰囲気はとても好感が持てる。ともに関西人で年齢も近いがキャラ的には好対照な西岡とともに今季のレギュラーシーズン・ポストシーズンを通して一気にスーパースターに駆け上がった。今後10年以上マリーンズの軸になる2人だろう。 しかし今シリーズで3本塁打を放ち、ロースコアの戦いになった今日の試合では結果的に全打点を稼いだ李スンヨプの活躍をシリーズ前に誰が予想できただろう…。左は全く打てないと言われていたのに始まってみれば左投手から2HR。まったく勢いというのは恐ろしい。 ■というわけで、マリーンズ(←オリオンズ)が31年ぶりの日本一。千葉移転後、マリーンズに名称変更後では初の優勝&日本一となった。慶祝。 外国人監督の優勝も史上初だが、…えーと、バレンタイン、優勝インタビューで「最初に日本に呼んでくれた広岡氏に感謝する」って言ってませんでした? (^^;;;;) 勝った者の余裕だなぁ。 さて次に長期ブランクを埋めるのはファイターズの25年ぶり優勝か、ドラゴンズの52年ぶり日本一か。(←これを激しく願望) …あ、タイガースも日本一は既に20年経ってるのか。 ■ところで今ふと気になったんだが、道頓堀の戎橋の近くのロッテリア、明日になったら廃墟になっていたりしないだろうな…(汗) |
帰省 |
2005.10.29(Sat) |
■朝から雨。また頭痛が再発してる…。 昼過ぎに新幹線で名古屋へ。 名古屋からは名鉄に乗って実家へ。名鉄名古屋駅は現在、線路の路盤高さを下げてホームと車両の床面の段差をなくす工事が進行中(ホームの嵩上げ工事と結果は同じになる)で、ホームから眺めるとまるでレールが枕木から浮き上がっているように見える。 ホームの壁には航空会社の巨大な広告、柱はすべて何故かiPod nanoの広告で埋められていた。乗った電車も1年前にはありえなかったステンレス車体の銀色電車。カーテンのない窓は首都圏ではお馴染みのUVカットのグリーンガラスで、見慣れた筈の車窓の風景まで違うものに見える気がした。まさに隔世の感。 ■で、実家に帰っていちばん驚いたこと。 …父親が携帯電話を持ってる!! これは俺的にかなりのオドロキであった。ま、仕事柄出先からうち(実家)に電話をする機会が多く、最近は街中の公衆電話が激減したことが理由ではあるけど。 妹の部屋は既に引っ越して空になったか…と思いきや以前と全く変わらず。結婚後も彼の仕事の都合上(某自動車メーカーのF1開発スタッフ)長期の海外出張が多いため、周囲に知人もいない環境で一人で過ごすというのも何なので、当面その間は実家に帰ることが多くなるらしく、なんと新婚旅行の直後から早速そうなるらしい(^^;) もてぎで缶詰にされるとかで。(…と書くと、どちらのメーカーか分かるな/笑) ■てな訳で今日は実家に父方の親戚が集まり食事会。伯父さんがレミー・マルタンを持ってきてくれたので、まだ飲める状態にあった3人(当然、俺含む)であっつー間に半分以上空けてしまいました(^^;) いや美味いわ流石に。 みんな帰った後も家族4人で特に感慨に浸ることもなく。ここ暫く準備で忙しすぎて、ずっと感慨に浸る余裕もなかったそうだが、それでも前夜くらいはやはり何か特別な気分にでもなるのかな、と考えていたのだけど全くナシ(苦笑) さて、明日うちの両親は涙を見せるのだろうか。 |
親父の一番長い日 |
2005.10.30(Sun) |
■「偉い兄貴になりたくて…」というのは確か「男はつらいよ」の主題歌の一節だったと思うが。 寅さん、ちゅらさんの兄、シャア、「北の国から」の純。「ダメな兄貴としっかり者の妹」という組み合わせが多いのは実際にそういう例が多いせいだからかどうかは知らないが、少なくともウチの場合はまさしくその通りだった。 僕が母親の胎内に忘れてきた様々な素養を全部引き受けて彼女が生まれてきたからなのか、単にマヌケな兄貴の様子をつぶさに見て反面教師として育ったからなのか。 高校も大学も僕の後輩にあたる(学部まで同じ)が、兄と違って浪人もせずに京大に入り、僕と同じアパートの別の部屋に住んでいた。当然ながら話す機会も多かったし、割と仲の良い兄妹の部類には入るのかもしれない。 で、これまた兄と違って4年できっちり卒業して大学院にも行かず就職し、実家に戻った。その段階で僕は彼女に頭が上がる筈がないのだ。 ■そんな妹の結婚式。けっきょく両親は一度も涙を見せなかったのだが。 妹の涙を見たのは、いったい何年ぶりだっただろう…。 両親に宛てた手紙を読んでいる時に、ふいに妹の声が乱れた。彼女の普段の性格や式前日の様子を知っている者にはかなり意外(後で訊くと母も意外だったらしい/汗)だったが、両親ともに涙をこぼす処迄はいかなかったもののやはりグッときたそうで、正直云うと僕も目許がヤバくなりそうで、デジカメで彼女の様子を撮りつつ、つい上を向いてしまった。 式も披露宴も滞りなく終え、新婦の(不肖の)兄は披露宴の間、デジカメで色々と撮りつつ、その合間に各テーブルを挨拶して回り、そこでこちら側の親戚からは容赦のないお言葉を頂き、そんな中でも料理はしっかり食べていた。 ■宴も終わり、礼服から着替え、タクシーで帰宅する両親を見送った後、新幹線に乗って1人また京都へ。もう少しだけ、僕にはあの地でやらなければならない事が残っている。その「少し」を遂げるまでがまた遠いのだけど。 |