時々日記:2005.5.16-5.31

 Subway Super Express (今日は鉄ヲタな話です)
 2005.5.18(Wed)
つい先日、久々の前面展望席&喫茶サービス復活の新型車両"VSE"がデビューしたばかりの小田急ロマンスカーだが、なんと代々木上原から東京地下鉄千代田線に乗り入れて湯島発着のロマンスカーが2008年に登場するらしい。しかも現行の20mボギー車であるEXEを転用するのではなく、地下鉄線内走行基準を満たした新型車両を造るんだとか。
 このニュースリリースには「町田・相模大野方面」と書いてあるので、どうやらこれはJRの湘南新宿ラインのグリーン車への対抗策かな?という感じだな。小田急が「ホームウェイ」という愛称で走らせている特急になる。そうなると平日夕方の箱根直通はないかもしれない。湯島発着というのは、たしか湯島と根津の間に折り返し線があるからで、通常の地下鉄千代田線乗り入れで小田急側の折り返し駅である綾瀬は現状で手一杯で、夕方にこれ以上の本数を増やせない事情があるのだろう。車両はどうせ専用の新型を作るんだし、それを平日夕方しか使わないのも勿体ないので、休日に綾瀬から箱根直通を走らせたら意外に利用客がありそうな気もするけど。それこそEXEみたいに分割して半分は江ノ島に向かわせてもいいかもしれない。

小田急ロマンスカーといえばいわゆるSE車シリーズ。その歴史について詳細はいろんなサイトに出ているだろうから省略するが、1996年に登場したEXEは(JR乗入れ用に共通規格で作られたRSEを除いて)小田急ロマンスカーの伝統である連接構造・前面展望席・"_SE"の名前・赤系の塗装、といった処をすべて取りやめて一般的な20mボギー車とし、観光よりも通勤客の着席通勤の需要を重視したコンセプトの設計だったが、かなり力を入れて作った割には「ロマンスカーらしくない」と不評を買い失敗だったらしく、小田急の広告やWebでも看板はいつの間にかEXEから1代前のHiSEに戻されてしまった。
 そのHiSEは展望席以外の一般客室が全室ハイデッキ構造のために、リニューアル時に義務づけられたバリアフリー対応改造が難しく、LSEより後から登場した看板車両なのに早々に引退することになってしまい、それで登場したのが今度のVSEということになる。EXEは10両編成で6+4両に分割できることから従来車両ではできなかった箱根+江ノ島併結特急などに使われているが、カラーリングも不評だしいずれ小田急ロマンスカーらしい色に塗り替えられてしまうかな。もっともVSEも「従来色を引き継いだ」と説明されているもののパターンは別物で、朱色のラインは極端に細く全体はほとんど真っ白だし、床下機器を覆うスカートも真っ白なので、ぱっと見ると九州新幹線のようにも見えてしまうが(^^;;)
 地下鉄線内を通る車両には難燃構造や事故時の避難用に規定された装備が必要で、このため大抵は先頭車両正面に扉を付ける必要があるため、おそらくLSE・VSEのような展望席車両にはできないだろうし、小田急ロマンスカー伝統の連接車構造も使わずEXEやRSEのような20mボギー構造になるだろう。EXEを改造せず敢えて新造する位だから気合いも入っているだろうしVSE並みの内外装にしてくるものと思うが、運用面の効率を考えるとRSEやEXEの代用または置き換えに使えるようなものにしてしまう可能性もあるか。

しかし東京地下鉄が通勤車両でなく座席指定特急の乗り入れを認めるというのは、今後、東京メトロに乗り入れている他社にも影響が出るかもしれない。東武は既に日光特急のJR新宿乗り入れが決まっているが、半蔵門線経由で大手町や渋谷に乗り入れ可能なら利点はあるだろうし、西武も有楽町あたりまで乗り入れる価値はありそう。
 東京メトロではないが、京成スカイライナーは現行車両の設計時から都営地下鉄京急乗り入れを考慮してあり、先頭車は流線型ながら正面に非常扉を備えている他、性能的にも地下鉄線内を走行可能になっている。いつでも成田-羽田直通に使えるように準備してあるが実現しないまま新造から十数年が過ぎているが、これがきっかけで都営地下鉄との交渉が進むかどうか。北総線を延長し新設区間で160km/h運転を行う成田高速線開業の時には160km/h走行用の新型車を入れるだろうしなぁ。

 根も葉もあるかも
 2005.5.23(Mon)
AppleがIntel製MPUを採用か、というニュースが流れているが、なんだかこの報道を見ているとMacがPowerPCからPentiumに移行するような論調だけど、本当にそんなことが起きるかなぁ。というのは、Intel製MPUをMacが採用ということは即ち、MacOS XがIntel製MPUで動作するようになるということで、確かにMacOS XがUNIXベースであるためにMacOS X for Intelの開発はそれほど難しい事ではないだろうし、既にできているという噂も以前から何度も上がっているが、これが現実に販売されると現在Windowsを載せている安価な市販PCでもMacOS Xが動くようになるわけで、いくらデザイン面やOSとの相性でApple純正が勝るとはいえ実際の購買層が安価な方に流れるのは目に見えている。かつてAppleも価格競争に入り込んで収益性を下げその後の暗黒時代に突入した苦い経験もあるんだし、収益面ではハードウェアの売り上げが大きな収益源になっているAppleがそれを手放しかねない、自殺行為にも近いことをするかどうか疑問なのよね。
 iPod+iTunes Music Storeで過去最大の収益を上げているAppleだが、実はiTunes Music Storeでは儲けはほとんど無いという。1曲99セントという安価で提供するiTMSを利用するためにiPodを買う人が爆発的に増えたことが増収に繋がっている訳で、事情は違うにしてもハードウェアで収益を稼ぐ考えはMacについても違わないだろうと思うのだ。単価の高いモデルほど収益性が高いのはクルマでもパソコンでも同じ。それに今更Windowsとシェアで対抗しようとも思ってないでしょ、Appleも。どちらかというと、こういうのってIntel系MPUでMacOS Xを使ってみたい人達の希望的観測記事のような気もするんだが。

それに、将来観測をした時に、今更Intel系MPUに乗り換えるだけの価値があるともたいして思えない。Intel系MPUはRISC的な要素を持ったCISCで、完全なRISCであるPowerPCから今更戻るのもヘンな話だし、AMDはともかくIntelではいまだ64ビットMPU(Itanium)が本格化していない状況で、64ビットMPUのPowerPC G5を既にiMacにまで採用しているAppleが今更退化するようなことをするようにも思えない。まして、PowerPC G5を開発しているIBMは、G5に用いた"Power"を使ってソニー・東芝と共同で新MPU"Cell"を開発中。これはUNIXもWindowsもサポートする予定があるらしいし、開発にSCEも名を連ねているからプレステもいずれCell搭載になる筈。しかも、既にPowerPCを搭載しているゲームキューブだけでなく、近々登場するXbox360もPowerベースのMPUを搭載するという状況である。Appleが敢えてInetelに乗り換える理由はないだろうと思う。

ただ、そういう状況は記事を書く方だって分かっている筈で、それにも関わらずこういう記事が流れてくるとなると、気になるのは最近一部のMacユーザーの間で話題になった別のニュース「タブレットMacの登場の可能性」である。実際にはタブレット型デバイスの特許申請が最近Appleからなされただけのことなんだが、Appleがこれを実際に開発・発売するとなると、Macファミリーの一部ではなく、Macとは別のデバイスにするんじゃないかと個人的に予想していた。つまりiPodのような別ブランドである。いってみればNewton復活みたいなもの。Jobs復帰後にNewtonプロジェクトは終了し、PDAやタブレットPCについて否定的な見解を述べてきたので、はたして今更そういうものを出してくるかどうかかなり疑問ではあるんだが。
 iPodも操作性はMacOS Xファイル表示の一方法であるカラム表示に近いものにするなどMacOS的なインターフェイスを持っているが、OSはあくまで独自のもの(元Newton開発スタッフによる)だし、MPUはアメリカでは携帯電話でよく使われておりかつてNewton用も作っていたARM製を使っている。それと同じように、Macと連携するデバイスのCPUとしてIntel製が採用され、まったく独自のOS(WindowsCEのMac版的なもの)を搭載することはありえるんじゃないだろうか。となると、その新デバイスにはけっこう興味があるぞ(笑)

 Every Saga Has a Begenning
 2005.5.25(Wed)
「マガジンZ」今度はウルトラマンの列伝もやるんかい(汗笑)。まぁ「仮面ライダーSpirits」が当たったから、どこかがこういうのをヤルんじゃないかとは思っていたけど…、まさか同じ雑誌でやるとは。「仮面ライダー」(初代〜XZまで)と違って「ウルトラマン」は一時期小学館が独占記事権を持っていた筈で、そのあたりの影響は今月から刊行が始まったファイルマガジンの構成にも出ているけど、このマンガには影響が出るのかどうか。
 「仮面ライダーSpirits」の方は今回からZX編の最終章と思われる第3部に入り、そのあとも続けられるかどうか分からないし(やって欲しいけどZXが終わるとあとは小ネタ集かBlack以降のライダーの話を強引にやるかどちらかしかないもんなぁ)、今後は「ウルトラマンSTORY 0」が「マガジンZ」の看板になっていくのか。どうしても「仮面ライダーSpirits」の村枝賢一と比較されてしまうだろうけど、描くのは「スーパードクターK」の真船一雄。さてどうなっていくことやら。

毎月25日は「マガジンZ」や「ガンダムエース」が出る日で、書店で立ち読みしたりつい買ってくることが多いのだけど。ついでにこの日は「ホビージャパン」「電撃ホビーマガジン」といったホビー誌(模型誌)も出るので「ガンダムエース」とともにガンダムネタを仕入れる日(笑)。を、遂にアッガイがMGで発売されるのか。しかもあの体育座りを可能にするらしいですと?
 ところで最近「ウルトラジャンプ」を近所の書店の店頭で見かける事が少なく「とうとう休刊になったか?」と気になっていたのだが、今月はちゃんと並んでいた(笑) 当然ここで読むのは珍しく(?)連載がほぼ休まず続いている「BASTARD!!」だが…、あれ?いつの間にか此処で荒木飛呂彦が「STEEL BALL RUN」を始めてるゥゥゥゥゥゥ!!!!!!!!!!!!!!!! 今頃になって気が付いた。しかも今回は開き直ってちゃんと「ジョジョ」第7部って書いてるのね(笑)

 圧勝
 2005.5.29(Sun)
ディープインパクト強かったなぁ。相変わらず出遅れたけど皐月賞のようなヒドいものでもなかったし、レースの大半を馬群後方で進める形だから前を塞がれることなくどうやって抜け出すか、だけがこの馬のポイントのように思うのだが、4コーナーでもう大外に持ち出し前がいない状態を作り出せた時に、そこで勝負は終わっていた感じだった。確かにインティライミが前の方でうまく抜け出していたけど、能力差が現段階では桁違い。それを見せつけられた直線の末脚だった。大外を回っていたから内側いっぱいに回っていたインティライミとは50m以上走った距離の差がある筈。それで5馬身差、タイムも去年のキングカメハメハに並ぶレコード同タイムだから凄い。ナリタブライアンやシンボリルドルフを上回る史上最高の単勝1.1倍の支持に見事に応えた。流石に今回ばかりは武豊にもかなりプレッシャーになったようだが。
 92年のトウカイテイオー・93年のミホノブルボンと2年連続で出て以来の無敗二冠馬の誕生。秋にはシンボリルドルフ以来の無敗三冠馬達成の期待は大きいし、よほどの上がり馬が出てこない限り阻止は難しいだろうと思う。

94年のナリタブライアン以来、三冠馬に近いポジションに迫ったのは97年のサニーブライアン(故障引退で菊に出られず)・2000年のエアシャカール(ダービー2着)・03年のネオユニヴァース(菊3着)といるが、ここまでの勝ち方を考えると参考にはならないだろうな。サニーブライアンの二冠は大西騎手の好騎乗、というか1番人気を背負っていなかったからこそできた頭脳プレーという印象があり、エアシャカールは確かに結果だけを見ると非常に惜しかったが古馬になってからの成績を見ると「単にあの年のクラシック組のレベルが低かっただけ」かもしれないという疑念を持たざるを得ない。ネオユニヴァースの場合は古馬になってすぐの春天で故障引退したから評価はしにくいが、菊花賞やJCのレースぶりはあまり評価できなかった。少なくともミホノブルボンが菊花賞の最後の直線でライスシャワーに敗れ2着に終わった時のような惜しさはなかった印象だし、やはり三冠馬までは難しかっただろうなと思う。
 また、故障で菊に出られなかったトウカイテイオーの場合は、やはり父親が父親だけに「もし出られていたら…」と思ってしまう部分はある。翌年の春天でマックイーンに負けた4着も、レース中の故障を考えると距離適性のマイナス要素にはあまりならないかな。同世代に強い馬がいなかっただけに、無事に出られていたらあっさり三冠を取れていただろうと思うけど。
 そういう意味では、ブライアン以後では2001年のアグネスタキオンが今迄で最も三冠の期待が強かったな。デビュー後圧倒的な強さで勝ち進み、01年の皐月賞も勝ったが直後に故障判明で引退してしまい三冠は夢に終わった。あの年のクラシック組はジャングルポケット(ダービー、JC)やマンハッタンカフェ(菊花賞、有馬、春天)がいて、外国産馬でもクロフネ(NHKマイル、JCダート)がおり他の世代との比較でも「強い馬が揃っていた世代」だから、特に菊花賞は難しかったかもしれないけど、無事なら二冠までは大丈夫だったろうと今でも思う。

逆に、ダービー不出走で皐月賞・菊花賞を勝った二冠馬がもしダービーに出られていたら…、ということを考えてしまうのが85年のミホシンザンと87年のサクラスターオー。ともに故障でダービーを出られなかったが、これだけ距離の違う2レースを勝てているなら中間であるダービーくらい…と思ってしまいやすい条件だし。
 特に85年のミホシンザンの時は、前年まで2年連続で三冠馬が誕生するという、競馬史を俯瞰で眺め直すと奇跡としか言いようのない状態の中で、しかもミホシンザンの父が他ならぬ三冠馬シンザンだったから当時のマスコミの報道過熱ぶりが凄かった記憶がある。鞍上の柴田政人騎手も当時は「ダービーだけ勝てない」ことで有名?だったし(スペシャルウィーク以前の武豊みたいだな…。そのユタカも初めて勝つと翌年も勝って史上初のダービー連勝するわ、今回の勝利でダービー史上最多勝になるわで…)。また、あの年のダービーを勝ったのはシリウスシンボリだったが、ミホシンザン以外の馬のレベルはさほど高くなかったからミホシンザンがダービーに出走できていたら前代未聞の3年連続三冠馬(翌年のメジロラモーヌ牝馬三冠も足すと4年?)も史上初の親子三冠馬も達成され、柴田政人悲願のダービー勝利も93年のウイニングチケットまで待たなくて済んでいたんだろう。そのミホシンザンも有馬記念ではシンボリルドルフに可哀想なくらいぶっちぎられての2着だったから能力差は歴然だったが…。
 一方のサクラスターオーはちょっと微妙な気もする。スターオーは脚が弱く、もしダービーに出て勝っていたら逆に菊花賞がダメだったんじゃないかという気がするのだ。杉本清さんの「菊の季節に桜が満開」で有名になった菊花賞に勝った後も脚の疲れが抜けず、万全でないまま出走した有馬記念で故障を発生しこの世を去るという悲劇の主人公になったサクラスターオー。彼の同世代には古馬になってから時代を築いたタマモクロスとイナリワンがいるが、どちらもクラシックには出走すらしておらず(イナリワンは地方所属だった)クラシック組のレベルはさほど高くはなかった。サクラスターオー自身も1番人気で重賞に勝ったことがない。皐月賞はノーマーク、菊花賞は半年間の休養開け、それもぶっつけ本番の鉄砲だったので人気を背負う筈もなかった。それを考えるとダービーに出られなかったからこその二冠馬だったかもしれない。

ともあれ、ディープインパクトには無事に夏を過ごして、万全の体調で菊花賞まで出てきてほしいもの。

 宿命の終焉
 2005.5.30(Mon)
僕が小学生の頃、たしか図工の授業で紙相撲の力士を作ったことがあった。当時(昭和50年代前半)、土俵上では北の湖が大横綱への道を歩み始め、輪島もまだ健在、若三杉が横綱に昇進して二代目若乃花となった頃のこと。自分は特に特定の力士をイメージして作った記憶はないが、クラスメイトの大半は実在の特定の力士の四股名をつけて作っており、圧倒的に多かったのが「貴ノ花」だった。次に多かったのは高見山だったかな。
 昭和50年代前半、たしかに実力では北の湖と輪島の「輪湖」が主役だったが、この時期の大相撲の人気を支えたのは両横綱ではなく高見山と貴ノ花だった。当時の最重量力士であり、勝っても負けても歓声が上がる高見山と、100kgそこそこの軽量で大関を死守しその相撲にファンの悲鳴が上がる貴ノ花。相撲ぶりも含めて何かと対照的なこの二人が、後年師匠としてそれぞれ曙と貴乃花を育て一時代を築いたことはどうも因縁めいている。

貴ノ花は入門当時からあの大横綱・初代若乃花の齢の離れた弟ということで注目と期待を集め続け、次々と大鵬が作った最年少記録を塗り替えつつ(すぐに大半を北の湖に塗り替えられたが)順調に出世するも、輪島と同時に大関に昇進して以降は苦しい土俵が続いた。輪島は大関昇進からほどなく横綱へ上りつめ、後から出てきた北の湖にもすぐ追い越され、自身には3度巡ってきた横綱へのチャンスも全て逃し、部屋の後輩・若三杉にも追い抜かれていった。
 貴ノ花と同じように軽量の千代の富士が一気に頭角をあらわし大関昇進を賭けた1981年初場所中に引退した時は大ニュースだった記憶がある。あとを引き継ぐように千代の富士がその場所を優勝、場所後に大関に昇進し半年後には横綱へ駆け上がっていく。あの当時、まさに貴ノ花の人気まで千代の富士が引き継いだような勢いだった。だからこそ千代の富士が引退を決めた貴乃花(貴花田)との対決(1991年)が因縁めく。

初代若乃花が横綱だった頃は幕内力士の大半が体重100kg程度で、105kgという体重は決して軽量ではなかった。若乃花の最大のライバル栃錦が横綱時代後半になってから技能派から正攻法の寄り相撲に転身して成功できたのも体重が20kg以上増えて軽量でなくなったせいだし、いわゆる「栃若」時代はその直前の時期に多数存在した巨漢力士が相次いで現役を去ってから始まっている。ところが、貴ノ花の時代には既に幕内力士の大型化が進み、兄とほぼ同じ程度の体重では体力差が大きすぎた。考えてみると三代目若乃花は130kgくらいあったから父・叔父の現役時と比べるとかなり大型なのだが、あの当時は200kgクラスの力士が揃い日本人力士の平均体重でも160kgを超えるような時代になってしまい、かなり小さく見えてしまったが。
 過去を振り返っても、幕内力士平均体重を下回りながら最強時代を築くことができたのは、あの千代の富士と現在の朝青龍の2人しかいない。栃の海や三代目若乃花は小さい身体で無理を重ねたために怪我も多く、若くして引退を余儀なくされた。一時は横綱も期待された貴ノ花や若嶋津は好調が長続きせず結局は大関に終わってしまった。横綱貴乃花にしても、ハワイ勢などに対するため無理に体重を増やしすぎた弊害が内臓疾患や膝の負傷という形で出て、26歳までは大鵬・千代の富士を超えるペースで優勝を重ねながら結局は22回の優勝で終わってしまった。横綱として長く務めるには体格面での優位はかなり大きいようだ。だからこそ千代の富士と朝青龍は特筆すべき存在といえる。
 軽量ゆえに貴ノ花も好成績を持続させることはできず、大関を死守するのがやっとだった。「大関在位50場所」という史上最高記録は、言い換えれば若くして大関に上がったにもかかわらず横綱になれないまま必死に大関の地位を死守した、ということでもある。成績をみると、2ケタ勝ち星が非常に少なく9勝6敗や8勝7敗が多い。大関としてはあまり褒められた成績でないのは確かだ。それでも一度も陥落せず引退まで大関を守り抜いたところに貴ノ花の悲壮さが現れている。そして、その悲壮感があったからこそあの人気を呼んだ。最近の力士でこういう人気を得た力士はいない、というか貴ノ花の存在が空前絶後なのだろう。勝負に対する執念は兄譲りと言われ、また二人の息子たちにも伝わったが、現れた形はずいぶん違っていた気がする。
 引退後、師匠として横綱2人を育てた功績は、それが実の息子ということと関係なしでも十分に大きい。そもそも1人で横綱2人を育てた親方が数少ないのだから。まして、あれだけ入門時から注目されマスメディアに追い回され続けた二人を横綱にまで育てあげ、そのほかにも大関貴ノ浪や貴闘力・安芸乃島といった役力士、幕内力士も数多く育てた。兄弟が現役中の時だけでなく引退後現在に至るまでも土俵外でさまざまな騒動に見舞われ続けたまま、55歳というまだ若すぎる年齢で亡くなったのは気の毒だった。合掌。