時々日記:2005.2.16-2.28

 発表
 2005.2.17(Thu)
今日からうちの学科(森林科学科、院では専攻)所属の4回生の卒論発表会。数年前に改組があり従前の3学科7コース制から6学科(大学院は7専攻)になってから最初の4回生であり、僕が在籍した頃の林産工学科や昨年までの応用生命科学科・生物材料コースでは定員が35人前後だったため1日で発表会が終わっていたのだが、今年の4回生が入学した年からかつての林学科と統合され森林科学科となった(研究室の構成的には林産工学科が独立する以前の林学科に戻った形になる)ので定員が倍増し発表会も2日かけて行われることに。
 で、昨年までは発表者氏名の50音順で行っていたのが、今年から大学院と同じ研究室毎にまとめて順番を回す形式になったので、聴きたい発表がある程度まとまったのは有り難い。…が、まさかウチの研究室の学生の発表が初日の朝イチからになるとは(苦笑)。だから今日は早起き。もっとも、言い換えればさっさと終わる訳だから当事者にとっちゃいいんだろうけど 。

で、早々に終わってみんなホッと一息ついて研究室は閑散としてしまい(苦笑)。こちらも早起きだったから一旦帰宅して仮眠。夕方に研究室に戻り、打ち上げ。今年はなぜかスキヤキ。たらふく食べ過ぎた…。

 守備範囲の広さ
 2005.2.18(Fri)
今日も朝イチから発表を聴きに行く。昨日は旧林産工学科系の研究室、今日は旧林学科系研究室に所属の学生の発表で、朝から面白そうな(というか素人でも聴いて内容が理解できそうな)テーマが並んでいたのでわざわざ朝イチから聴きに行ったのだが、みんなそう思ったのか朝からけっこうな賑わいであった。
 どんなテーマかというと、

・日本の昔話に見られる人間と山の繋がり(京都・秋田の2地域で比較)
・住宅地近郊型の農産物無人販売について
・俳句にみる現代(特に若年層)の日本人と桜の印象(「お〜いお茶」主催の俳句入選作品から抽出)
・大型風力発電施設に対する周辺住民とビジターの景観評価構造の比較
・登山道の荒廃要因の分析
・街路および境界領域における人の滞留行動

…など。僕が学部時代に在籍した旧林産工学科系の研究室は木を切った後の木材を材料として(主に)物理的・化学的に研究していくところなので、全体的に工学部的な研究手法が強く(いちばんかけ離れた分野に行った僕でさえ画像工学的ではあるし)素人が聴いてもさっぱり分からない場合も多いのだけど、旧林学科系では研究室によって文学も経済学も人類学(文化・社会ともに)も生物学(植物学から動物行動学まで)も含んでいるし、フィールドワーク系の研究も多いので、予備知識がない人が発表を聴いていても面白いのは確か。これだけいろんなことがやれるのが学部の入学前に分かっていたら、出願時の志望順位で林学科を上位にしていたかもしれないなぁ。
(当時は10学科制で、全学科に志望順位をつけて出願した。つまり学部全体で得点上位者から合格者となり、あとは成績と志望順位で学科の振り分けが決まるシステムだった。二度の改組を経た今はどうなってるのかなぁ)

ところで、卒論・修論発表会に共通するのだが、旧林産工学科系の研究室の学生は発表時にスーツ着用が常識的だが、旧林学科系研究室の学生は発表時も普段着の人ばかり。このあたりは大抵は所属学会の発表形態に近い筈で、旧林産系でメインの学会はたいてい関連業界の一般企業の協力や研究者発表もあるから発表時スーツ着用が当たり前のようになっているのだけど、林学系で多いであろうフィールドワークなどが中心のところの学会は一般企業の参加がほとんど無いせいか結構ラフな格好でやっていると聞くし、学会の懇親会も開催する大学の生協食堂で済ませてしまう事も多いそうだ(ちなみに3月に控えているこちらの学会の懇親会会場は京都ホテルオークラである)。だから、いま放送中の「不機嫌なジーン」に出てきた学会はフィールドワーク系にしては豪華すぎる…とどこかの動物行動学の先生が新聞に書いてたな(笑)。研究室の雰囲気は京大の霊長研あたりがそっくりとも言っていたが(^^;;)
 PowerPpintの発表資料の流儀も研究室によって蓄積されているノウハウの違いが出ていて面白い。内心でダメ出しをしてみたりこちらも参考になるモノを得たり。

 うつろな喧嘩
 2005.2.25(Fri)
ここ最近、どうもニッポン放送買収をめぐるフジテレビとライブドアの闘いに関する報道がやたら多い、というかはっきり言って過剰な気がする。NHKですらそうらしいから(自分のゴタゴタを棚に上げて?)。まぁ自分に関係ないところでのこういう話は面白い、ということかもしれないけど、こういうことってメディア各社にとっても決して人事じゃない筈だけどなぁ。実際、8年前にはテレビ朝日がソフトバンクとNews Corp.によって当時の筆頭株主だった旺文社所有株を買収する形でM&A工作をされたこともある訳だし、それを思い出しつつ朝日新聞やテレビ朝日の報道を眺めると「喉元過ぎたら…」と思うのよね(苦笑)。あのときテレ朝がマードック傘下になっていたら超保守的な論調になっていたのかなぁ(笑)。

もちろんフジテレビを中心とするフジサンケイグループに隙を突かれる甘さがあったのは確かで、経団連会長のトヨタ・奥田会長のコメントが正しいような気がする。上場しておきながら(フジテレビより)遙かに規模の小さいニッポン放送がフジテレビの経営を左右できる構造がそのままになっていた訳だし、株式を公開している以上、買い付けて支配権を握ろうという考えが出てきても文句は言いづらい筈だろう。
 フジテレビとニッポン放送が上場したのは社屋がお台場に移転した1997年とけっこう最近のことで、長い間創業一族の鹿内家がニッポン放送の筆頭株主として支配権を持ちフジテレビ・産経新聞・ポニーキャニオンなどグループを支配してきた。つまり今問題になっているコクド(国土計画)-西武鉄道と堤家の関係とまったく同じだった訳である。余談だが二代目の鹿内春雄氏(88年に若くして急逝)とさだまさしが親しく、「長江」の借金でさだ企画がヤバくなった時には鹿内氏の指示でフジサンケイグループがさだ企画を支援する話がまとまりかけたこともあった(実際には広義でのグループ企業でもありさだと親密な文化放送が単独で支援した)、という話が一昨年に出た「いつも君の味方」に出ていたな。
 その後、1992年に内部クーデターが起きて鹿内家が経営から追われ、1994年にはニッポン放送がフジテレビを引受先とする増資を行った際、相対的に株式比率が下がる鹿内家が差し止め請求を行ったが棄却され、目論見通り?に鹿内家の株式比率は下がりその後の株式上場もあって影響力は更に低下、昨年初頭には一族で所有していた株のほとんどを大和証券SMBCに売却し、今回のTOBでフジテレビの手に渡ることになる。今回もフジテレビを引受先とする増資でライブドアの相対比率を下げる狙いだが、どういう判断になるかしら。
 そもそも97年のニッポン放送・フジテレビの上場の目的が鹿内家影響力の排除にあったとされており、その段階から株式公開の意味が普通ではなかった訳で、お家騒動の解決手段として選んだ株式上場が結果的に新たな問題を抱える端緒になってしまった訳だが、その危険性を放ったままにしていたのは、よほど鹿内家との争いが激しく周囲を見る余裕がなかったということなんだろうか。

で、今回の騒動で思うのは、堀江氏の語彙の無さ、というか見事なまでの言葉の上滑りっぷりである。今のところ、どうも抽象的すぎるメディア戦略しか打ち出せていないし、既存メディアとネットの融合の具体例にしても割と思いつきやすいものだったり、実現しているがたいして成功していないものだったりで、言っちゃ悪いが出来の悪い学生の「"可"さえ貰えればいい」程度の考えで書いたレポート並みで、斬新かつ周囲を納得させるだけのアイデアが皆無に思える。その上で実際に買収したわけではないグループ他社の将来像についてまで言及している訳だから、あれでは買収を仕掛けられている側が不安と反発しか持たないのも無理もない気がする。
 アメリカでも数年前にAOLがTime Warnerを事実上吸収する形で合併したが、期待ほど業績は上がっておらず、その理由について訊かれた堀江氏は「時期が早すぎた。今ならできる」というけど、その根拠となる具体的なアイデアは何も出てきていない訳で。

その意味で、昨年の球界再編問題の折に、素人考えでは合併よりも売却の方が楽だったろうにライブドアからの提案を一蹴して近鉄が球団合併に走った理由がなんとなく分かってきたような気がする。あの頃に堀江氏の言葉の上滑りっぷりがそれほど気にならなかったのは、彼以上に他の球界関係者(経営側)の言葉が虚ろなものばかりだったからなんだろうなぁ(苦笑)。だからナベツネ氏の「たかが選手」発言が(必要以上に)世間から本音と受け取られ、古田選手会長が見せた涙にあれだけの同情が集まり世論が固まったという見方もあるな。
 ライブドアが最初に手を挙げたことで2リーグ12球団体勢が存続できたという功績は評価するが、あれ、もし最初に球団買収に手を挙げたのが楽天だったら、すんなり楽天バファローズが誕生していたんじゃないのだろうか。そんな気がしてきた。
 で、もうひとつ思う事は、今回ライブドアがフジサンケイグループでなく読売新聞+日本テレビグループに対して買収工作を仕掛けていたら、もうすこし一般からの批判は小さかったのかな?ということ(笑)。政界・経済界はともかく、昨年の球界再編問題とも絡んで応援する論調は今より強かったかも。

 暗転
 2005.2.27(Sun)
かかりっきりの作業を自宅のMacでこなしていたため研究室との往復以外は殆ど外出もしないままのここ数日だったので、昼に近所の本屋でいろいろ買う。「仮面ライダーSpirits」7巻や「ガンダムエース」は勿論、つい「監督不行届」を買ってしまった(汗)。うーむ、ヲタの嫁教育はやはり重要だ(…そーか?)

で、夕方から研究室に向かうつもりで仕事していたら電話があって、3週間前から入院治療されていたうちの研究室の教授が今朝になって容態が急変し急逝されたことを知る。呆然。

 2月の連休中に急に腹部に痛みを覚えて緊急入院され、最初は病名も分からず不安が広がったものの、その後病名も分かり容態も快方に向かっていて3月の学会にも間に合いそう、 という話を聞かされてホッとしていた矢先のことだった。
 なにしろ入院が急なことだったので、直後に控えていた学部4回生の卒論はもちろん僕の学位論文や指導認定の申請に載せる題目などの打ち合わせも途中のままで、木曜日にその打ち合わせで話したことがそのまま最後の会話になってしまった。
 僕にしてみれば、先生には十数年間ご迷惑をかけ通しで恩返しもできないまま、その機会は永遠に失われてしまった…。
 正直、後悔ばかりが残る。

 このあと控える自分の学位論文審査の主査が指導教官と同一でなくなるとか、春からおそらく一年間は研究室に教授・助教授が不在の状態のままで夏には研究室そのものの引っ越しもしなければならないとか、すぐに控える学会の後も含めて自分にとっても色々と大変な事態が待っていそうですが、いまのところ先の事を考える余裕もなく。