時々日記:2005.1.16-1.31

 10 Years After
 2005.1.16(Sun)
もう、あの日から10年が経とうとしている。
 あの時に限って、なぜか朝早い時間帯に目が覚めてボーッとしている中を襲った激しい揺れ、すぐに名古屋が心配になり(当時は関西で大きな地震があるとは誰も思わず、以前から東海地震の方が危険性を叫ばれていた。つまり関西でこれだけ大きな揺れなのだから震源地に近い名古屋ではもっと…と考えた)実家に電話したところ何も異常はなかったらしく、やや拍子抜けしつつテレビをつけ、そこで見た衝撃的な風景にショックを受けた、あの日。京都からもよそに電話がつながらず、知人たちのことを心配した時間。そういったことを思い出す。
 昨年には新潟であの時を思い出させるような災害が起きてしまった。こればかりは阻止しようがないだけに、せめて人的エラーで被害が広がらないように心がけたいし、あの日のことを忘れてはならないのだろう。
 この10年で神戸は見事に復興したが(勿論、見えにくい処で多くの問題を残している筈だが)、今でも神戸に出掛けた時、かつてホームの上に覆うように建っていたビルが跡形もなく消え、今も半ば仮設のような阪急三宮駅の建物を見る度にあの頃を思い出す。しかし、神戸空港とかワケ分からん公共事業の数々とか、いちばん肝心なところを忘れてしまったのは行政サイドのような…。

 栄枯盛衰
 2005.1.17(Mon)
下宿で10年近く使っているFAX兼用電話の留守電機能がしばらく前に壊れてしまい、まぁ最近はたいてい留守電に録音することなく携帯電話に直接かけ直してくれる人が多いから、たいして不便を感じていなかったのでそのままにしていたのだが、実家(商売の都合上、FAX専用線を持っている)のFAXの調子がかなり悪く、いっぽう当方のFAX機能はまったく健在であることから、これを実家に送ってFAX専用機として使ってもらい、実家から資金援助を得てこちらのFAX兼用電話を買い換える事になった。で、今日ちょっと時間が空いたので、昼頃に出掛けて機種を選んでいたのだが。
 他の用事もあって久し振りに四条まで出たついでに昼食は久し振りに一風堂でラーメンを食べることに。昼時の少し前に店に入ったため珍しく並ぶ事もなく入れて、すぐにカウンターで注文できたのだけど…。

 最近、一風堂や東龍など人気ラーメン店で食べていると、ラーメン特集だのガイドブックだのを片手に、記事を読んで確認しながらラーメンを喰ってる奴を見かける事がある。こういうの、見てると腹立ちません?
 まぁ有名店に行く気持ちは僕もよく分かるし、店を探したりお奨めメニューを確認するのに本を見るのはいいと思うんだけど、店の中に入ったらしまえよ、という気分になる。あれでは出てきたラーメンが本の解説文通りかどうか確認しているだけのような。店に対しても失礼だろ…。
 味覚なんて自分の好みに合うかどうか自分の舌で感じることだけが全てだと思うのだが。こういうのが出てくるあたりが、似非グルメブーム(?)の弊害なんだろうなぁ…。
 ちょっと不快になりつつもラーメン自体は美味しく頂いた。いつものように赤丸新味。昼時だからランチセット(餃子・ご飯付き)で割安だし、その上に替え玉(バリカタ)と煮卵の追加トッピングを頼んでしまった(汗)。うまうま。

そのあと寺町の電気店街を歩いたら…、どんどん店がなくなっていくなぁ…。ニノミヤも撤退したようだし、大きいところではタニヤマムセンとJ&Pしか残っていないか…(どちらも規模は縮小しているし)。昔はこの通りに2、3店舗あったMac専門店も全滅。そのうちの一つだったJ&PのMac館も閉鎖して久しく、かろうじてJ&P本体にMacフロアが移転して残されただけまだマシな程度で。(今回も立ち寄ったが、流石にiPod Shuffleはまだ置いてなかった)
 寺町通は狭くて秋葉原や日本橋のような拡がりはないし駐車スペースもないからクルマで行きにくく、しかも京都市内各地にもヤマダやコジマのような量販店が進出し(安いしな)、京都駅前にもプラッツ(旧・近鉄百貨店)のテナントとしてソフマップができたり、ネットでも送料込みで安く買えたりと、特に寺町の電気店街に出掛けてまで買う必要がなくなったのは確か。あの立地条件では秋葉原のようにホビーとヲタの街に転換を図ることもムリだろうしなぁ。Macにしても、Apple Storeが京都にできることはないだろうけど、昨年から店舗展開が始まったApple Store miniが四条通に面したどこかのビルや百貨店のテナントとして出来る可能性はありそうだし。今後、さらに寺町は寂れていくのだろうか…。

で、決めた機種はPanasonicの一代前の機種で、デザイン的にはちょっと…であるが(最新機種はめちゃめちゃコンパクトでなかなかだけど)まぁ機能的にはいい線だったのと、今迄使ってきた機種がPanasonicだから機能登録などの設定手順が似ていて扱いやすいだろうという判断。もっとも当時はB4対応感熱紙FAXが主流だったが今はA4普通紙が主流で、消耗品もA4普通紙とインクリボンシートということになる。これが昔のワープロ専用機のようにA4感熱紙が使えたらいいのだけど、流石にそういう訳にはいかないか。勿論コードレス子機が1台ついているから、普段の電話はこちらを使う。昨今の機種だから当然ナンバーディスプレイ対応で、P製は子機が漢字表示できる点も選択理由。よく使う部分だからねぇ。
 帰宅後、旧機を取り外して新品に取り替え。電話帳機能が以前のような「短縮ダイヤル」的なものではなく、十字キーとフリガナの頭文字検索で呼び出せるのは便利なもので、このあたりは携帯電話の機能が固定電話の方にも導入されている印象。留守電機能も、昔は留守電といえばマイクロカセットテープを使っていたからテープも伸びるし、これまで使っていた機種のように駆動部分が機械的に壊れることがあった訳だけど、最近のはメモリに録音する形式だからその心配もない。メモリが安くなった影響というのはパソコンだけでなく色々なところに表れているのね。電話なんてそうそう買い換えるモノではないから、十数年での進化に感心しつつ、しかし呼び出し音のベルはともかく着信メロディ(流石に携帯みたいにダウンロードできる訳じゃないから固定で4パターンくらいだが)がどうも電話が鳴っている気がしない(^^;) とか言いつつ、ナンバーディスプレイ(購入時に店でNTTと代行契約)が明後日に動作しはじめたら相手によって鳴り分ける機能とか設定しそうだけど。

 早すぎたのか、遅かったのか
 2005.1.20(Thu)
NTTがICカード公衆電話を廃止するそうで。99年から導入が始まったのだが、既に携帯電話の普及が進んで公衆電話自体が激減しはじめており、ICカード導入の契機になった偽造磁気カードへの対策も進んだからということだそうな。
 僕自身、携帯電話をまだ持っていなかった頃に磁気カード公衆電話が減り始めたためICテレカも1枚持っていたが、よく使う番号を登録できたりとたしかに便利ではあった。ただ、使用期限があったのはちょっと面倒くささを感じたし、その後携帯電話を持ったために公衆電話をほとんど使わなくなり、まだ使用度数が残ったままICテレカは使用期限を過ぎてしまった。

磁気カードよりも偽造される危険が少ないというや多機能にできる可能性を期待されてきたICカードの利用例としてはICテレカはかなり早かった訳で、最近でこそJRのSuikaICOCAや電子マネーのEdyなどが一般的に使われるようになり、大手銀行でもいよいよ磁気カードからIC型に切り替えが始まるし、うちの大学の生協組合員証も去年からICチップが入ってプリペイドカードとして使えるようになったりしているが、ICテレカはその先駆者として登場し、一般に普及が始まった頃に消え去ろうとしている訳だ。結果的にはなんだかNTTの技術的能力を示しただけに終わった壮大な全国規模の実験になってしまった気もするが、それだけ携帯電話の普及が予想外のことだったのだろう。
 もっとも「技術的な部分にこだわりすぎて現実が見えなかった」例はISDN開発にこだわりすぎてADSLに遅れを取った時にも明らかだったのだが。

 難点解消
 2005.1.23(Sun)
「そーいや、もうAdobe Reader7.0が出たんだっけ」と思い出してダウンロード、インストール。従来の6に比べて起動が格段に早くなりイイ感じである。しかしそれ以上に有り難いのは、ようやくブラウザソフトのプラグインとして機能するようになったことで、実はMac OS X登場以降、OSレベルでPDFをサポートしているにも関わらずブラウザで直接PDFを見られない状態がここまで続いていたのだが、これでようやく解消された。(どうもMac OS X v10.4"Tiger"ではプラグインなしでPDFを見られるようになるらしいが…)
 ただし、対応しているのはどうもApple純正のSafariだけのようで、IEは勿論のことNetscapeや最近正式版が登場したMozillaのFirefoxでもプラグインが動作しない模様。只でさえSafariが圧倒的な情勢なのだから、既に開発が止まったIEはともかくFirefoxや有償のOperaは早急に対応しないと更に差を広げられそうな。

ネットを適当に眺めていたら、どうも明治村で久し振りに新規の建物移築復元が始まるらしい。10年前の震災で半壊したまま寄贈された西宮の邸宅(旧芝川邸)で、設計したのが京大建築科の初代教授であの時計台や建築学科本館などを設計した武田五一というからちょっと興味が湧いた。京大はもちろん同志社の建物も数多く手掛けており、関西の大正・昭和初期の建築では必ず名前の挙がる人だが、京大に赴任する前は名古屋にいたこともあるらしい(岐阜の名和昆虫館もこの人の設計だったというのは初めて知った)。たぶん彼の作品が明治村に保存されるのは初めてじゃないのかな。基本的には大正〜昭和初期に活躍した人ということもあるが。
 明治村の創設に尽力した当時の名鉄社長・土川元夫と建築家・谷口吉郎(東工大教授)が旧制四高(金沢)の同級生だったせいか旧制四高の建物が明治村には幾つか移築されていて、また地元だから当然(?)旧制八高(名古屋)の正門なども移築されているが、旧制三高(京都)の建物はない(まぁ吉田寮など現存かつ今でも使われている建物は建設年代的にじゅうぶん明治村の範囲内だけどなぁ…そういう貴重品扱いは全くされてないけど)し、関西の大きな建築もあまり移築されていない(たしか土川氏は京大OBでもある筈だが…)。関西ではよそに比べると比較的、明治期の建造物が現地保存されてきたというのもあるかもしれないけど。
 明治村ができた頃は日本全国で開発が進んだ時代で、貴重な明治期の建物の価値が顧みられることなく取り壊されることが多かったが、現在は現地保存の意義が理解されて古い建物を利用して改装や外観保存をすることが多くなったため、明治村に移築される件数が徐々に減っていったのは確かだ(今回のが10年ぶり位? 昔は毎年のように増えていた)し、それは良い事だと思うのだけど、今回復元される邸宅が10年前に寄贈されながら資金難から解体材のまま保管され続け、その復元作業がボランティアの協力を得て4年計画の工事ということを聞くと、やはり名鉄の苦しさが色々なところに影響しているのかなぁ…と思ってしまう。この3月末には岐阜の路面電車路線が全廃されるそうだし。もしかしたら寄贈されても解体された状態で保管されている建物もまだ幾つかあるのかなぁ。かつて20年近くを費やして帝国ホテル中央玄関の内外装を移築・復元した時のような熱意と投資は今の名鉄ではムリなんだろうな。
 それでも明治村は重要文化財指定建造物を多く抱えているから、もし名鉄が手放しても何らかの形で存続するだろうけど、リトルワールドなんかはもっと危ないだろうしなぁ…。アレも資料価値はかなり高い筈なんだが。

 恐るべきセンス
 2005.1.28(Fri)
まもなく中部国際空港(セントレア)が開港ということで、明日から名鉄の空港線(常滑線の延伸)も開業。僕の実家は常滑線沿線なので、帰省時に名古屋から乗る名鉄電車の行き先が「常滑」から「中部国際空港」に変わることになる。従来は岐阜−豊橋間にしかほとんど走っていなかった一般席ありの特急が空港向けに常滑線にも入ってくるようになるから、その分乗れる電車の本数も増えるな。

さて「平成の大合併」が進む中、来年には知多半島の先端部の2町(知多郡美浜町南知多町)が合併して市になるらしいのだが、その新市名について選考委員会で全会一致したのが「南セントレア市」…ってあまりにセンスなさすぎ(苦笑)。 なんで普通に「南知多市」にしないかなぁ…たぶん美浜町サイドが「南知多町に吸収されるようでヤダ」ということなんだろうな…。しかも一般公募を行ってその中には全く無かった名前なのに選考委員から候補に挙がって決まったものらしい。
 ま、確かに美浜・南知多は中部国際空港のある常滑の南には位置しているんだが…、「南セントレア」という名前では、名古屋から中部空港に向かうルートで更にちょっと南へ行けば着きそうに勘違いするんだけど、鉄道も空港道路も直通している訳ではないしなぁ。美浜(河和・内海)へは河和線ルートだから常滑からは一度太田川まで戻らないといけないという、ものすごく大回りになるし。空港道路だって一度知多半島道路のJCTまで戻らないと行けない。そもそもセントレアって名前自体がは浸透しないと俺は踏んでいるのだが…(^^ ;;)

美浜町と南知多町は杉本美術館や南知多ビーチランド、かつては内海フォレストパーク(閉鎖)と、名鉄が観光客誘致のためにいろいろ作った地域であり、海水浴やドライブコースでもあるので、そういう点からは行政が一元化される合併自体のメリットはあると思うけどね。昔は野間大坊(源義朝が平治の乱で敗れたあと落ち延びた先で、此処で裏切りに遭い暗殺された)くらいが観光地だった筈だが。もちろん漁港もあるのでお魚が美味しく、そういうお店も多い。ああ活魚料理や浜焼きバーベキュー食べてぇ。 もっとも、バブル期に開発しようとしたリゾートマンションやホテルはほとんど失敗したようだが…。
 そういえば、かつての吉田拓郎のオールナイトコンサートで有名になった篠島も南知多町でしたな。ええ、デビューまもない長渕剛がゲストで出演して客から「帰れ」と野次られる中「帰れっつーならオマエらが帰れ!!」と怒鳴り返しギターの弦切りながら唄った、あの伝説のライヴです(笑)

ま、この合併自体がこのあと行われる合併の是非を問う住民投票の結果によるものなので、否決される可能性はあるだろうし、この新市名が先に発表されたために、「合併自体には賛成だがこの市名になるのが嫌」という人が多くて合併案が否決されそうな気がする(笑)…、あ。まさか選考委員が合併自体に反対で敢えてこの名前を選んだのか?(^^;;)

 恐るべきセンス(II)
 2005.1.30(Sun)
…うーん、福岡ソフトバンク・ホークスの新ユニフォーム、微妙だなぁ…。つーか今迄のユニフォームがキマっていて強いイメージで定着していただけに、これまでの意匠をもっと残しても良かったんじゃないかと思う。只でさえ黄色って白地には目立たなくて使いにくい色なんだから。企業カラーはあるだろうけど、黄色に添えてアクセントになる色を入れないと遠目では真っ白に見えるぞ。それと、ビジターはまだしもホーム用ユニで「HAWKS」の上にあれだけ大きく「SoftBank」と入っているのも正直ダサいよなぁ…。

 白いワニが出る
 2005.1.31(Mon)
学会の要旨締切。M2にとっては修論の提出日でもある(もっとも後から差し替えが効くので最終版でなくとも良いのだが)。という訳でここ数日はろくに眠ら(れ)ず仕事してました。
 要旨はPDFにしてネット経由で送るのだが(要旨集CD-ROMにもそのまま載る)、その原稿はWordで作る。で、印刷時にプリンタをAcrobatに選択してファイル作成(いってみれば仮想プリンタ)、という流れになる訳だが、実はWordに貼り付けたExcelのグラフオブジェクトはPDFにするとプロットや軸線、文字はそれぞれ独立したベクトルデータではなく、グラフ全体をひとつの画像として処理されてしまう(これはWordの性能のせい)。このため、Acrobatでの画像解像度の設定次第ではひどくぼやけたモノになってしまうし、画像だから当然ファイルサイズもかさばるし。要旨PDFはある程度のサイズ制限があるので解像度を極端に高くもできないので、グラフ部分をベクトルデータで処理できないか考えた。
 かなり手間だが、Acrobat上でふたつのPDFファイルから編集することに。まず、Word文書に貼り付けたExcelのグラフオブジェクトをExcelの別のワークシートに貼り付け、Wordに貼り付けた時の縮小率で印刷設定を行い、PDFに出力。Word文書の方もPDFに出力し、この2つをAcrobat(Adobe Readerではない)で開いて編集する。ExcelからPDFに出力した場合はグラフもベクトルデータのオブジェクトになるので、これをコピーしてWord文書からPDFにした全体の文書のグラフ部分と置き換えるのである。この芸当を考えて実際に調節するのにえらく時間がかかった…。でもうまく出来て要旨も締切までに遅れたのでオッケ。

でも、この芸を覚えたことで、今後別のことにも使えそうではある。この応用で、かつてMacOS9時代に一太郎で作った文書をPDF化したあとに細かいところを編集、ということもできるな。Mac導入後のさだ研会誌のデジタル化作業をスキャナーからの取り込みではなく原稿ファイルからの直接PDF化や、懸案の(?)風呂さんの1stアルバム・2ndアルバムのジャケットや歌詞カードを完全PDF化して今後の印刷用データにすることにもできるかな。
 いや、実は風呂さんの3枚目のアルバム、最初の作成分は従来と同じCD-Rによる手焼きで歌詞カードもコピーや個人のプリンタ頼みだったのだが、今後の追加分は業者に発注して印刷とCD制作を行う事になり、そのためのデータ調整と打ち合わせを年末から少しずつやっていたのです。で、今後1stアルバム・2ndアルバムも業者依頼する可能性もあるだろうし、印刷データとしてPDFがあった方が良かろうと思っていたので。ううむ、問題はいつ作業できるかということだが…(汗)