時々日記:2004.10.16-10.31

 炎のヘッドスライディング
 2004.10.16(Sat)
今日から日本シリーズが開幕するが、そんな日にドラゴンズの関川の公式サイト退団・移籍表明のメッセージが出て、その文を読むと思わず涙しそうになった。関さん…アンタ漢だよ…。・゚・(つД`)・゚・
 矢野・大豊とのトレードで久慈とともに98年ドラゴンズにやって来てレギュラーに定着。ガッツあふれるプレースタイルで星野監督はもちろんファンの支持をしっかり掴んだ。翌99年に優勝した時のあの大活躍を忘れない。立浪・山崎らが不調だった打線の中で唯一人といっていいほどシーズンを通して好調を続けた彼は間違いなく99年シーズンの打撃面で最大の功労者だった。
 しかし、その99年の日本シリーズでホークス投手陣に徹底的にマークされ不振に終わり「逆シリーズ男」となって以来、長い不調に苦しむことになる。今シーズンも数度のチャンスで結果を出せないまま2軍生活が続き、しかし決して腐らず全力のプレーと姿勢で2軍の若手選手を鼓舞し続け、今シーズンのドラゴンズ2軍のリーグ優勝・日本一の原動力になったと聞く。まだまだドラゴンズで復活してプレーを見たかったが、来シーズンもどこかのチームで活躍できるならドラファンも声援を送るだろうと思う。移籍でドラゴンズに入ってきた選手としては過去に例がないほどの熱い声援を受けた選手だった。今迄ありがとう。

 レポート読み
 2004.10.18(Mon)
ふたたび学生実験のTAが始まった。ここ数年間、ずっと同じ実験内容を担当してきたのだが、スケジュールの都合から今回は別の実験担当に変更。こちらも一から予習し直しということになる。その1回目、ちょっと手間取ってしまった。こちらもしっかり勉強しないとなぁ。
 35人定度の受講者を4グループに分けて、それぞれローテーションを組んでグループ毎に別の実験を行ってもらう(←機材の数の限度による)形を取っており、だいたい1グループ4人くらいになるのだけど、去年は平均すると男1:女3くらいの比率でびっくりしたのだが、今回も女子学生が多い気がする。環境問題とリンクしやすそうに見えるので「森林科学」という分野への女子学生の志望者が増えているのかなぁ。あとは実験を受講することが某国家資格の受験資格を得る条件になったことも理由か。

 延期
 2004.10.20(Wed)
さて今日はさだまさしコンサート"恋文"を聴くために午後から名古屋へ向かう予定だったのだが、この天気のため昼過ぎに公式サイト上で来年3月2日に延期決定の報告が出た。もちろん名古屋行きは中止(まぁ頼まれ用事があるので週末には改めて名古屋に行くのだけど)。しかし3月2日では、はたしてスケジュール空けられるかな…。3月は年度末の上に京都で学会があるんだよなぁ。

当然のように日本シリーズも延期が決定。これが両チームにとってどういう影響をもたらすか。ドラゴンズは第4戦先発を山井や小笠原でなく中4日でエース川上ということが可能になり、ライオンズは今日に予想されていた張でなく初戦で好投した石井貴という選択肢が出てきた。ここまで両チームとも前評判の高かった筈の投手陣が(初戦を除いて)予想外に打ち込まれている結果になっているので、どう立て直してくるのか。川上がL打線の勢いを止めてくれるといいのだけどねぇ…。

 松明と人混み
 2004.10.22(Fri)
"日本三大奇祭"のひとつに数えられる鞍馬の火祭(時代祭と同じ日の夜に行われる)を観に妹が来た。9月に休日出勤があったため代休を利用してとの事で、立命館に通う従妹も呼び出して京大本部のカンフォーラで早めに夕食をとり、出町柳駅へ。既に電車に乗るための行列ができており普段では考えられない行列が。叡電は電車が小さく2両編成だから1編成でさばける人数に限りがあるから余計に混むのよね。まぁ叡電もこの日の乗客で年間の収益の8割を挙げているわけだから(←ウソです)。 駅にあるロッテリアは入口で特別に電車待ちの行列に向けて「火祭り特別セット」メニューを売り(^^;)、入口を行列に塞がれてしまう蔦屋と銀行ATMは本日臨時休業。
 並んでから30分ほどでようやく電車に乗車。叡電はしばらく前に「スルッとKANSAI」加入を機に全車ワンマン運転となり、2両編成の電車では一部の扉を完全に閉め切って出口・入口を編成で1箇所ずつにしている(バスのような料金清算システムを採用)が、今日は特別体勢のようだ。少しでも空いてる車輌へ移動を禁じるためか車輌間の貫通路には柵がはめ込んであったが、それを全く気にせず柵の下をくぐって空いてる車輌に移動するおばちゃん達…(^^;;;)

鞍馬の火祭
30分ほどで鞍馬に到着。鞍馬駅の正面でなく普段は使わない専用出口から駅を出て行列についてゆっくりと動いていく。
 鞍馬に僕等が着いた段階で既にものすごい人混みだったが、時間が経つにつれ更に人が増えていく。そうか、この雰囲気は大晦日の八坂神社〜知恩院や東大寺のお水取りの雰囲気にちょっと似ているぞ(苦笑)。ただ単に自分の意志に関係なく特定の進行方向に歩かされるという極端な人混みというだけだが。特にここは道を巨大な松明が通っていくので只でさえ狭い道幅の大半を松明の通過のために空けておかねばならないので余計に混雑が激しい。寒い中を待っていると松明が担がれて通っていく。そして次々と道沿いに立てかけられ、鉾が通り過ぎた後に松明が再び担がれて由岐神社に向かって進む。そのあとを一般客がぞろぞろついて行くのだが、松明の燃えかす(時々まだ燃えている)や松明を縛っていた蔓が道路上に落ちており、時々足がもつれそうになるわ靴は真っ黒になるわ(笑)。

 移動日と天災の相関
 2004.10.23(Sat)
昼に近所の店で妹とスープカレーを食べたあと、夜に名古屋へ。いや別に日本シリーズを見に行った訳ではありません(チケット取れるワケがない)。夕方6時頃は京都駅でちょうど電車に乗った辺りの時間帯だった筈なので、関西でどのくらい揺れたのか分からない。その後、電車に乗っている間にたまたま携帯のimodeでニュースを読んで地震発生のニュースを知った。関東でもかなり揺れたのを知ったのはそれから更に後の事。
 日本シリーズの浮ついた気分も地震ですっかり吹っ飛ばされてしまった。つうかドラゴンズは優勝の度に何かしら起きるよなぁ…。 (99年はリーグ優勝翌日に臨界事故、その前の88年は昭和天皇重体で自粛ムード一色)

名古屋を過ぎてそのままJR在来線に乗っていたのだが、笠寺で大量に若い女性客が乗り込んできた。間違いなくレインボーホールでコンサートがあった証拠だが、物販の買い物袋にオーラツーの広告が載っていたから多分ゆずかなぁ。(追記:後日ライヴスケジュールを確認したらその通りだった)

 残された宿願
 2004.10.25(Mon)
日本シリーズ最終戦は予想外の一方的な展開となり、ドラゴンズの宿願「50年ぶりの日本一」は達成できなかった。 悔しいけど、まぁ面白いシリーズではあったと思う。少なくとも過去にドラゴンズが出た日本シリーズで僕の記憶にある中では一番面白い戦いだったし、そもそも星野監督時代の88・99年は1勝4敗、それも最後は3連敗という悪夢だったからなぁ…。先に王手をかけただけでも大健闘。 (ま、それだけに余計に惜しかった訳でもあるが…)
 結局、50年間の呪縛は今回も解けなかった。まぁライオンズの方にしても、日本シリーズにはよく出てくるものの92年に日本一になったのを最後に93・94・97・98・02年と5回連続で日本シリーズに負けていた(5回連続シリーズ敗退は過去タイ記録で、今回ドラゴンズが並んだ事になる…)ので、呪縛はどちらにもかかっていたということかな。ドラゴンズは50年間で5回だが、ライオンズは最近12年間で5回とシリーズ経験者は多いのに負けてばかりだったから、こちらの方がもっとイヤなものだったかもしれない。気が付いたら日本一経験者の選手は引退が決まっている潮崎だけになっていたのか…。(工藤や清原など他チームにはまだ経験者が残っているが)

もっとも間隔が短いだけにシリーズ経験者はドラゴンズより多かった訳で、その辺りも最後には微妙に影響したかなぁ。荒木・井端・英智といった辺りは前回の優勝時(99年)には既にチームにはいたけど試合に殆ど出ておらず、今回が事実上の初優勝体験だし勿論シリーズも初で、特に第1戦を見ていると未経験の緊張が悪い方に出てしまったし、シリーズを通して井端は守備も打撃でも何となくおかしかった。
 逆に井端以上におかしくなるんじゃないかと予想していた荒木が好守備を連発したり第5戦で見せた走塁など意外にもいい面を沢山見せたけど、あれは緊張しなかったと言うより何も考えていなかったのかも(^^;;) いずれにしても、彼らが今回の経験と悔しさを次につなげてくれることに期待。前回のシリーズでは全く活躍出来ず悔しい思いをした井上が今回活躍したように。
 あと、シーズン中はそれほど痛手にならなかった福留の離脱が最後になってキツかったかなぁ。ドラゴンズの打線がライオンズ主軸と比べるとどうしても長打力の恐怖感が違うだけに、数少ない長距離打者としての福留の存在は大きい。また福留は長打力と守備だけでなく、真面目で大舞台にカタくなりがちなドラゴンズ打者の中ではいちばん大舞台慣れしているし(まぁリナレスもそうだが)、キャラクター的にも追い込まれた時に開き直れる、いい意味で「空気を読まない」部分があると思うので。(tanisigeもとい谷繁にもそういう部分はあるが…)

まぁ、去年の監督解任後の騒動や開幕前のことを思えば、今日までシーズンを楽しめたのはある意味では望外の出来事だったとも言える。僕が野球をみるようになってから二十数年経つが、今迄でいちばん(色々な意味で)楽しくドラゴンズを観られたシーズンではあったと思う。そりゃま、ドラゴンズ以外の処では嫌な事がたくさんあったけどな…。
 振り返ってみれば、黄金時代の阪急ブレーブスも広島カープも、90年代を通して見れば最も好成績を挙げただったヤクルトスワローズも、最初の日本シリーズ挑戦ではみんな敗れて課題を残し、 それを克服して後の黄金時代に繋げていった訳だから、まだここからスタートなんだと言えるでしょう。落合監督は就任時から「常勝チームを作る」長期計画を最初から描いているようだし、その意味で1年目から優勝というのは開幕前には我々にとっちゃ十分に予想外だったしな(笑)。
 また、今シーズンの戦いぶりは1年だけの確変ではなく、「長期的に強さが永続するチーム」を作るという意志が随所に見えて楽しかったし、来年以降も期待できそうな内容だったと思う。最後になって来年に向けての課題が残った分、あの監督がまた何かしでかしてくれるでしょう(笑)。リーグ優勝前から「覚悟しとけ」と地獄を宣言しているらしい秋期キャンプがまた楽しみな。

 呪いが解けた日
 2004.10.28(Thu)
風邪をこじらせて酷い状態になり、起きる事もままならず1日中寝込む。げほげほごほごほ。

ついにレッドソックスがワールドシリーズを勝って86年間の「バンビーノの呪い」を解いた。プレーオフでヤンキースに3連敗のあと奇跡の4連勝でリーグ優勝を決め、その勢いのままワールドシリーズも負けなしの4連勝と、ポストシーズンを最後は8連勝で駆け抜けた。まぁ呪いを解くにはこれくらいの神懸かり的な勢いが必要かもしれない。
 レッドソックスが前回ワールドシリーズに出た1986年には、メッツに対して3勝2敗と先に王手をかけ、延長10回表に2点を入れてリードし、その裏「あと1人」でワールドシリーズ制覇というところまで行きながら、そこから同点に追いつかれ最後はエラーによるサヨナラ負けで3勝3敗に追いつかれ、第7戦にも負けてシリーズを逃した悪夢もあった。
 同じリーグ・地区にヤンキースがいるためシリーズ出場が(「バンビーノの呪い」の起源であるベーブ・ルースが放出された)1920年以降で5回(合計10回)と意外に少ないが、過去4回はいずれも3勝4敗で敗れているから惜しい負けばかりだった訳だ。このくらい試練があった上での86年間の呪い。そりゃ、なかなか3勝もできなかったドラゴンズでは50年間ってもまだまだ甘いのかもなぁ。