時々日記:2004.10.1-10.15

 業界のお仕事
 2004.10.1(Fri) Part1
<本日は特別体勢により2部構成です。御容赦ください>

今日・明日と大阪・南港のインテックス大阪で開催されている展示会にスタッフとして駆り出されることに(会期自体は日曜まで)。 木材加工業界の展示会で、新型機械などの製品の見本市だが、その一角に一般客を呼ぶために幾つかの研究機関が出展しており、そこにうちの研究科や研究所も出展しているため隔年の恒例行事である。
 朝9時には会場に着いていないといけないので、出町柳を7時過ぎには出ないと間に合わない。逆算すると6時くらいには起きないといけない訳で、いつもなら爆睡しているかやっと就寝する(ん?)時間に起きなければならんのはツラい…。なんとか7時過ぎに出町柳に辿り着き、特急に乗り込む。二階車・テレビカー連結の特急専用車でなく一般車の特急だし、朝ラッシュ時間帯でもあるから座るのがやっと。
 車内ではほとんど寝ていたが、終点の淀屋橋から御堂筋線に乗って本町で中央線に乗り換えるのはラッシュ時間帯だけに避けたいので、ひと駅手前の北浜で大阪市地下鉄堺筋線に乗り換えた。堺筋本町から中央線に乗り換え、そのままOTS線に入り、コスモスクエアでニュートラムに乗り換えて南港の中ふ頭へ。ここから徒歩数分でインテックスに着く。南港のコスモスクエア近辺は未開発の空き地も残っていて、どことなく東京のお台場あたりに雰囲気が似ているような気もする。まぁお台場のような観光地化はしていないけど。到着後、出展ブースの準備。
 9:30より開場。平日なのに意外に学生っぽいお客さんも多くて驚く。交替で取った昼休み以外はほとんどブースに張り付いて案内や簡単なイメージ調査。けど意外に人に対する応対は神経を使うもので、後からけっこう胃に来ていた(あとで思うと単に風邪をひきかけていただけかもしれないが…)。夕方5時に終了。帰路は少々時間がかかってもいいので、料金が安い住之江公園-地下鉄四つ橋線経由のルート(第3セクターになるOTS線の料金が高いため)で帰路へ。

大国町から御堂筋線に乗り換えて心斎橋で一旦下車。先月オープンしたAppleStore心斎橋店にまだ行っていなかったので立ち寄ってみた。場所は御堂筋の大丸・そごうの向かい側から少し南の、かつて「おこめギャラリー」が入っていたビルの1・2階を使っているのだが、ビル全体の外観を変更しメタリックなApple風にしているのは銀座店と同じ。
 銀座店は1階〜5階まであって移動はエレベ−ターだけだが、心斎橋店は2フロアしかない代わりに1フロア毎が広くシアターなどもコンパクトにまとめてある。驚くのは入口を入ったところから2階へつながるガラスだけで造られた螺旋階段。ガラスは三層構造で十分な厚みがあるとはいえ、螺旋中央で2階天井からワイヤーで吊られた構造やガラス自体のたわみで微妙に揺れるし、滑り止め加工のために完全に透明ではないとはいえ、これは高所恐怖症の気がある人はけっこう怖いかも(汗)。で、そういう構造だから、なんだか色々と下から見えそうな気が(←何が?)。
 来年早々には名古屋にも、これまた一等地である大津通の松坂屋の向かい側あたりにオープンする予定だが、どんな店になるのかなぁ。さらに今後は札幌・福岡にも出店するらしいけど。

さて、ここで初めて新型iMac G5をじっくり見た(つい先日17インチモデルは見かけたが20インチは初めて)。うーん、これはデザイン的にはスタンド付きiBookというよりは超巨大iPodだなぁ(笑)。意外に大きく感じるのは、これまでのiMacのディスプレイがきわめて薄く造られていたせいか。今回のiMacはディスプレイ部分に本体機能が収まっているので厚みも5cmくらいあるし、ディスプレイ画面の周囲や下部の「余白」も広いし。ただ、流石Appleらしくシンプルでカッコいいのは確か。性能的にもこれでG5だしなぁ。
 iPod・iPod miniもこうやって見てると欲しくなっちゃうよなぁ(苦笑)。特に先日ポータブルMDプレーヤーが壊れただけに。店外のディスプレイには宝石やアクセサリーのようなディスプレイでiPod miniが並べられ、それをファンキーな格好をした10代の女の子達が熱心に眺めていたのが妙に印象的だった。

心斎橋から御堂筋線で淀屋橋へ、さらに京阪に乗り換えて帰路へ。既に19時近くになっており、電車内ではずっと携帯でドラゴンズの試合をチェックしていたが…、18時スタートなのに8時には8回終了って試合進行が早すぎ(汗)。両先発がそんなに良いのか!? これでは帰宅前に胴上げが始まってしまうかも(しか今日中にどうしても一度研究室に行って作業しなければならなかった…)とアセる。まぁ結局試合の方はそのまま得点がなく延長に入り、最後はああいう形で優勝が決まった訳だが。流石にその時間には帰宅していた。

 負けても胴上げ
 2004.10.1(Fri) Part2
正直なところ、去年の秋に山田監督が不可解な形で解任され、その後任候補として報道が出始めた頃はちょっと期待したものの、名古屋の閉鎖的な空気では彼を監督にするのはあり得ないと思っていた。個人的には現役時代から「実は指導者にも向いているのではないか」という気がしていたし、週刊ベースボールで連載していた記事の内容からもその思いはあったのだが。だから、まさかの監督就任と宇野コーチ就任で僕の脳内は一気に祭り状態になった訳で(笑)。
 それでもなお「最強チームになるか大失敗するかのどちらか」と思っていたし(それは日記にも書いた)、いろいろな状況を考えると3:7で後者の可能性が高いと僕ですら覚悟していた。しかもトレードやFA補強の封印、新戦力はドラフト組新人と自由契約になったドミンゴ・川相。そりゃ素人はもちろん専門家だって優勝はおろかBクラスに予想するでしょう。まぁリリーフ投手陣が相変わらず揃っているからそれほど大敗はしないとは思ったが。(それでも大塚が抜けた穴があるし…)

今になって、落合博満という人が現役を引退した98年オフから5年間、評論家として外部から野球をどういう視点で見ていたのかが分かったような気がしてきた。引退直後の逸話などを聞いても、この人こそホントの野球バカ(いい意味で)なのかもしれないと思う。
 将来監督やコーチになれる当てもないのに、評論家時代も、いやもしかしたら現役時代からずっと、キャンプやシーズン中の調整法、試合中の戦術について、現状のセオリーが最適なのか、間違っているのはどういう部分でどのようにしていけば良いのかを考えていたのではないか。監督就任直後の秋季キャンプでも従来にない練習をさせて、その様子を嬉しそうに観ている監督の姿がテレビ映像や新聞の写真で印象的だったが、あれは自分が考えてきた方法論が正しいかどうかを実際に試すことができる喜びだったのかもしれない。
 それは春のキャンプでも続き、それが一般メディアでは珍奇なものとして扱われ冷笑されたが、それは表面上のことで、あの川上哲治氏が「いちばん興味があるのは中日のキャンプ」と漏らし実際に沖縄まで見に行き、そこでも高い評価をしたのは、現在の春期キャンプでの調整方法のセオリーとなっている根幹をV9時代に作り上げたとされている川上氏にとって、落合監督のキャンプが新しい発想で行われていることを最も感じていたからではないだろうか。
 あの鉄壁の守備を誇る荒木・井端の二遊間もこの時の守備練習で完成されたものだが、キャンプ当時はこの時の監督の驚異的な鬼ノックを報じたところはほとんど皆無で「ベテランに白紙メニュー」「10人ブルペン」ばかり取り上げられていたし。で、監督の方もそういうレベルの取材しかできないところは相手にしない(しっかり勉強している相手にはきちんと応対しているようだが)もんだからスポーツ紙や夕刊紙、タレント色の強い解説者から余計に反感を買ってネガティブな報道をされる訳で。

オープン戦もぱっとしないまま監督発言のみ取り上げられる形で開幕。いきなり川崎を開幕投手に起用で「やっぱネタに終わるのか…」とガックリしかけたが、それ以外の部分では手堅い作戦と、選手の状態を見極めた起用や交替は流石だった。いま思うと、川崎が開幕投手でもチームに不協和音も出ず逆転勝ちし開幕3連勝したことから、世間一般もチームの結束ぶりや監督がチームをしっかり掌握している部分に気付くべきだったのだろう。
 5月中旬までは采配ミスも多く観ている側にもイライラが多かったがそれを勉強材料にしながら修正(というか敢えて試行錯誤期間だったのか!?)6月初めの東京ドームでのG戦3連敗で「けっきょくダメかも…」と思わせるもそこから盛り返し、逆に月末には札幌ドームでG戦3連勝、首位へ。以後一度も首位を譲ることなく此処まで来てしまった。
 福留・岩瀬が抜けるオリンピック期間中は最もダメージが大きいチームと予想されG・T寄りの解説者から「どうせ8月にドラゴンズが落ちてくるから勝負は8月」と言われたが結果的にはオリンピック期間中に最も貯金を稼いだのがドラゴンズだったし、9月に福留が復帰早々に骨折してまたも4番不在になった危機もペースが崩れることなく勝ちを拾ってきた。
 前回の優勝は開幕11連勝の貯金が最後まで生きた形で、8月末のマジック点灯後はチーム全体が不調になりイライラすることも多かったが、今回は4連敗が一度もないことから分かるように長いスランプがなく、開幕以後の月間成績で4月・7月が5割以外は全て5つ以上の勝ち越しと、負け越した月が1つもない安定した戦いぶりだった。逆にいうとこの安定ぶりが「なんとなく勝っている」ように見えるのかもしれないけど、実はこういうのがいちばん強いのではないか。

基本的に打撃で打ち勝つチームでなく投手力で守り勝つチームであるのはナドヤドーム移転2年目からの7年間まったく変わらないが、今年が大きく違うのは、「いい投手の力で抑え込む」というよりは「内外野の鉄壁守備で最少失点に抑える」部分が大きい点。
 普通ならヒットの当たりをことごとくアウトにする二遊間、ふつう打撃優先で守備には目をつぶるポジションである一塁に守備専業の渡邊(通称"ナベの嫁の旦那")。7月まで打率1割台だったのに9月はリーグ最多安打を狙えるくらい打撃も良くなってきたのはどういう訳だ(笑)。
 そして走者2塁での単打や走者3塁での外野飛球で得点が入らない強肩外野陣、これは一昨年の福留の外野固定・昨年のアレックス獲得でほぼ完成されていたが、これに(蔵本)英智が加わって鉄壁になった。地元出身で背番号57、強肩の守備要員からレギュラー昇格という点でかつての平野や彦野を思い出させる。極端な話、イライラすることも少なくなかった攻撃よりもむしろ、あの守備の方が楽しみで試合を眺めていた時期も多く、こんな見方は今年が初めてだった。つうか普通ありえない。
 その英智も内野の荒木・井端も、シーズン終盤で活躍した高橋も森も前回優勝の99年には既にチームに在籍していたがまだ戦力ではなかった。今回の優勝はそういう選手も多い。逆に前回は大活躍で今年も在籍しながらほとんど活躍できなかった野口・関川のような例もあるが、山本昌・立浪・福留・川上・岩瀬・落合英といった前回も活躍した主力と、前回にはいなかった新戦力や谷繁・平井・川相といった優勝経験があり実績も十分の移籍組(特に川相がこれだけ早くチームに馴染みファンからも人気を得たのは意外だった)、そして成長してきた若手のバランスがうまく取れて勝ってきたのは見ていて楽しかった。とにかく今年のドラゴンズは選手達が「楽しそうに」野球をやっている姿が印象的だった。それが今迄との最大の違いかな。
 監督の采配における駒というよりは、選手一人一人が自分の特徴を考えた上で期待されている仕事をこなそうという姿勢。監督が選手をここまで大人扱いしたのはドラゴンズでは初めてのように思う。全盛時の西武ライオンズや広島カープを思い出させる(あの頃ドラゴンズはいつも苦渋を舐めさせられていた…)隙のない野球を目指す一方、選手に対する監督の態度はベイスターズが優勝した98年の権藤監督に通じる部分があると思う。

試合終了後なかなかベンチから出てこず、選手に促されて登場した監督の胴上げ。そこには昨日ウエスタンリーグ優勝を決めた二軍の選手も参加し、監督だけにとどまらず、チームリーダーの立浪、選手会長の井端、はては白井オーナーまで捕まえて胴上げしてしまった(笑)。かつてスワローズの選手がやっていたように、荒木がデジカメを持ってグラウンド内の選手やコーチを撮ったり、監督・コーチと選手が気軽に輪になってみんなで写真に収まったりと、今迄のドラゴンズでは見られなかったいいシーンが沢山あった。だからゲームには負けたのに不思議なくらい今回の優勝はとても楽しかった。そして、監督のインタビューでの発言がとても良かったと思う。(追記:翌日、星野SDがそれを見て自らのサイトで落合監督を讃えていたのも印象的だった)
 今回の優勝はドラファンとしてよりもむしろ落合ファンとして痛快なのではないかと思う。僕自身、星野氏が監督になり落合氏がトレードでドラゴンズにやって来た時からドラファンになった人間だから、今でも二人ともファンだし、去年タイガースを率いた星野監督が優勝した時も複雑な思いも抱えつつ嬉しかったし、今年もやはり嬉しい。
 さて、残るは50年ぶりの日本一になるのだが、相手はいったい何処だろう。

 業界のお付き合い
 2004.10.2(Sat)
とりあえずスポーツニュースをチェックした後に就寝、朝が早いので結局3時間も寝ていない…。出町柳駅に向かう途中で中日スポーツ(京都ではサンクス&サークルKで滋賀版を買える)をゲット。土曜だから流石に昨日ほど混んでいないし特急もきちんと特急専用車が来た。車内で中スポを読んだ後しばし眠りこけ、今日は天満橋で地下鉄谷町線に乗り換え、谷町筋四丁目から中央線へ。あとは昨日の経路と同じ。さすがに眠い…。ちょっと風邪もひきかけているかな。これまた昨日同様に9:30開場、土曜日ということで昨日とは多少客層が違うかな。
 で、昼少し前に会場内に緊急放送が入って何事かと思えば「シアトル・マリナーズのイチロー選手が…」(汗) 緊急放送する事ぢゃねーだろ(笑)。ま、みんな「おおーっ」と拍手してましたけど(汗笑)。
 それにしてもイチローは凄いよなぁ。前記録保持者のシスラーの頃は年間試合数が今より少ない訳だけど、昔は今のように投手の継投があまりなく試合後半はかなり打たれていたことが多かった(だから昔は4割打者も多く出た)から、どちらにも有・不利な面はあって単純比較はしにくいかもしれないけど、イチローがいなければ誰も振り返らなかったような大昔の記録を次々と書き換えていくのはやっぱり凄すぎ。彼はいったい何処まで行くのだろう。

昨日と同じく17時に終了、明日も展示会はあるのだが僕の担当は今日まで。しかも、終了に先立って今日の夜に道頓堀の某ホテルで研究機関の出展ブースした人達の打ち上げがあるということで参加、なんばへ。中華の立食パーティーで、あまり体調が良くなかったのだが結構飲んでしまいヘベレケになって帰宅。

 やっつけ仕事
 2004.10.5(Tue)
風邪気味で土曜の打ち上げに参加したのがマズかったか、日曜・月曜は体調を思い切り崩して殆ど寝込んでいた。しかも火曜にゼミでの発表が迫っている状況。今のところデータが揃ったばかりで解析や考察まで進んでいない状態だし、体調も最悪だし、いっそバックレて逃げようかとも思ったがなんとか資料を作って印刷し、這々の体で乗り切った…。
 ゼミ終了後は早々に帰宅して、夜まで爆睡。上京する週末までに体調を戻さないと。

 落ち着かない腰つき
 2004.10.8(Fri)
今日のうちに東京へ移動。用事があったので一旦名古屋に立ち寄り、夕方に名古屋駅近くの「山ちゃん」で手羽先を買い新幹線へ。流石に明日から三連休ということと、しかも明日は台風でどうなるか分からないので今日のうちに移動しておこうという考えの人が多いのか、5時半から8時台まで全ての東京行き「のぞみ」「ひかり」指定席が満席。ここまで混んでいるとは思わなかった。
 かろうじて出発直前のキャンセル分を携帯からのエクスプレス予約で抑えて発券し、改札からホームへ猛ダッシュ。で、ホームを駆けているる間にベルトが切れました(泣)。しかも今日穿いてるジーンズは以前もっと腹回りがあった頃に買ったブツでベルトが無いとずり落ちるのよ。シャツを外に出しているから外見では分かりにくいものの、期せずしてゆるーく「腰で履く」最近の若い人の穿き方になってしまった(汗)。なんだか落ち着かなくてイヤです、これは。
 ともあれ何とか列車に乗り込み、18:12発「のぞみ」で名古屋を出た。19:53東京着。流石に名古屋−東京で「のぞみ」だと早いなぁ。八重洲口でAOIさん・弥生さんと待ち合わせて、最初に向かったのは東京駅構内の紳士服売り場(笑)。ベルトを買ってその場で装着、やっと落ち着く。AOIさん宅で手羽先を喰らったあと茸鍋を頂く。うまうま。

 でんぢゃらす・じゃぱん
 2004.10.9(Sat)
ということで「10.9」当日。2次会からの参加ということで夕方に会場に着けばいいから時間的な余裕はあるのだけど、なにしろこの天候だから早めに出掛ける事にして、AOIさんと一緒に出発。JRを乗り継いで浜松町へ。お茶を飲んだあと、モノレールの駅に行ってみたら、羽田空港の航空便発着案内がことごとく「欠航」となっている中、なぜか熊本便だけ搭乗案内が出ており…、あれは一体どういうことだったのだろう。機長がチャレンジャー?
 浜松町からタクシーで竹芝へ。「ここ」と降ろされたものの会場が何処なのかよく分からず、しばし迷い、ゆりかもめ竹芝駅や竹芝客船ターミナルをうろつく。そこへNHKの取材スタッフが来ていたので、あれは台風時お約束の現場中継の準備だったのだろう。なんとか会場を見つけた後、時間まではまだ余裕があったので、道路を挟んだ向かいのウェンディーズで時間をつぶして待った。
 今日の主役のひとりであるむろかつ氏との付き合いも、もう10年以上という事になる。最初に顔を合わせたのは1992年8月、かの「公楽荘」であった(勿論、顔を合わせる前からウチのさだ研に会報を送って頂いたりしていたので名前は知っていた訳だけど)。当時まだ高校生だったんだよなぁ…。もっとも、当時から大学生でいまだに同じ大学で学生やってる俺の方がどうかしていますが(滝汗)。以前はネット上で大喧嘩もやりましたけど(汗) あの当時を思うとお互い丸くなったよなぁ…いろんな意味で(泣)  体質的にも俺と似ていそうだから、マヂで体調には気を付けましょうね、お互い…

やがて予定の時間が近づき、タクシーで続々と本日のスタッフや客らしき方々が到着していく姿を確認して会場の方へ。

2次会のあと近所での3次会カラオケに参加。いや何だか凄い盛り上がりようでした。 ともあれお二人とも末永くお幸せに。

 あの頃、僕等は…
 2004.10.10(Sun)
昨夜の帰宅が遅かったので午前中はほとんど寝ていたような。起きてからは持ち込んだ「STAR WARS」のボーナスDVD(メイキング)を見ていた。
 折角の機会なので、夕方から都内在住の公楽荘関係者に急遽連絡を入れて、浅草でキャプテンタカハシ・りょーかん・こみなみ先生・K野艦長・K村大佐・AOIさん・Tera.氏・むじるし氏など10人ほどで飲み会となった。当日の夕方になってから連絡を入れて10人集まったというのも考えてみれば凄いよな(笑) ある意味、今年の公楽荘より集まりがいいし(汗)
 19:00に雷門の前で集合、すぐ近くの「和民」で飲み会。この顔ぶれとの付き合いも15年近くになるけど、久々に会う顔でも懐かしさだけで昔話を語り合うのではなく、先を向いた話も沢山できるのがいいところかなと思う。公楽荘でもライヴでも、これからも一緒に楽しい事を色々とやっていけるんじゃないかな。ともあれ皆様どうもありがとうございました。

 帰洛
 2004.10.11(Mon)
午前中はほとんど寝こけており、昼過ぎに松戸に出掛けてバンダイミュージアムガンダムカフェでちと遅めの昼食(^^;;)。流石に混んでいて、店内に入るまでに並び、注文してからも時間がかかったけど。今日はチャイニーズプレートとカクテルの「黒い三連星」。しかし最近どんどんヘンな名前のメニューが増えてるな(笑)。ディナーメニューの「敢えて言おう、カスであると」(たぶん鮭の酒粕漬けの焼き物)は結構ハマった。ここまで来たら全メニューを「らしい」名前にしてほしいところだが。

AOIさんの見送りを受けて16:30東京発の快速「アクティー」で出発。まもなくダイヤ改正が行われJR東日本管内の東海道線(いわゆる湘南電車)は国鉄以来の113系からE231系に置き換えられる予定。余剰となる113系連結のステンレス製2階建グリーン車は211系に組み混まれて2階建てG車2両連結となり、玉突き的に余剰となる211系平屋グリーン車は東北・高崎線系統に転用されていくそうで、いずれにしろ僕が東京近郊で国鉄型の湘南電車に乗るのはこれが最後になるだろう(静岡近辺では当分残りそうだが、昼間の鈍行移動は滅多にしないだろうしなぁ)
 17:41小田原着、ここで18:10発の「ひかり」に乗り換え、1時間ちょっとで名古屋に到着。ちょっと買い物をした後、20:00発の新快速で米原へ向かう。乗車中、時々Yahooモバイルでプレーオフの様子をチェックしていたが、接戦が続くので早く様子を知りたくなり、つい2ちゃんねる携帯版の実況スレでチェックしてしまった(笑)。すると流石に電池の消費が早くなり、同点になったところで電池切れ(汗)
 電車は21:10米原に到着。通常のの時間ならここで殆ど待たずに大阪方面行きの新快速に接続するのだが、時間帯が遅いせいか次の新快速まで30分ほど待ち時間があり、先に出る鈍行の方がほんの少しだけ早く京都に着くのでこれに乗車、けっきょく22:25ようやく京都着。流石にツカレマシタ…。

帰宅してテレビを点け、けっきょくライオンズが一度は同点に追いつかれ延長に突入したものの、すぐに勝ち越して逃げ切り、リーグ優勝したことを知る。プレーオフ1年目からシーズン勝率1位チームがリーグ優勝できない事態となったか…。まぁMLBでは既に何度も起きている事態だし、去年のマーリンズだってワイルドカードからワールドシリーズ制覇だったんだけど。
 ホークスのシーズン勝率1位は対ブルーウェーブ戦の23勝4敗・貯金19による部分が大きく(他にバファローズ戦で貯金9)、投手陣が揃っているライオンズ(-3)とマリーンズ(-5)には負け越しているのに対して、ライオンズは対バファローズの借金1以外は全て+3以上で勝ち越しており、バランスの良さという点ではライオンズの方が上回っていたと考える事もできる。正直、ドラゴンズとしてはホークスの方がやりやすかったのではないかなぁ。どちらも過去に日本シリーズで負けて悔しい思いをした相手ではあるけど。

それにしても、今年ここまでプロ野球界を混乱させた「球団数の削減・1リーグ化」の動きを操っていた一人で、自分のチームが所属するリーグの消滅をもくろんでいたオーナーのチームがプレーオフを勝ち進みリーグ優勝したというのはちょっとした皮肉ではある。勿論それは選手には全く関係のない事で、ライオンズの選手・スタッフはよく緊張感を切らさずプレーオフ8試合を闘ったものだと感心し拍手を送りたいし、こういう形での優勝に対する価値が劣っているものだとも全く思わない。