時々日記:2004.8.7-8.16

 遙かなる大地より
 2004.8.7(Sat)
ファーム冨田
ファーム冨田
今朝もいい天気。荷物をまとめてチェックアウト、バスで富良野駅へ。今日も美瑛の丘めぐりコースの「ツインクルバス」を利用することにした。富良野駅で指定券を予約し、13:05に美瑛駅からバスに乗るので、時間までに美瑛駅に着かなければならない。時刻表を確認しつつ、10:02発の旭川行き列車に乗る。
ファーム冨田
 10:12に中富良野で下車。20分ほど歩いてファーム冨田へ。富良野のラベンダー畑を有名にした(というか一時期はここしか残っていなかった)農場で「北の国から」にも登場している。ラベンダーの最盛期は少し過ぎていたので、富良野ラベンダー消滅寸前の時期も維持され広告やドラマにも使われた「トラディショナルラベンダー」を含めた大半のラベンダーは既に刈り取られていたのが残念だが、時期が時期だけに仕方ない。でも十分に楽しめた。ラベンダーアイスクリーム食べたし(笑)。
 ところで富良野に来てからやたら中国人の団体観光客が目立つ。ファーム冨田でも団体客は中国人が大半だった。なんとなく意外な気がするのだけど、どうなんだろう。北海道ブームなのか?さすがに「北の国から」は知らないだろうと思うんだが。

ノロッコ列車
ファーム冨田を後にしてしばらく歩くと、臨時駅の「ラベンダー畑」駅へ。ここから12:15発の「ノロッコ列車」に乗ってのんびりと美瑛まで。機関車に牽引されるトロッコ列車で、ボックスシート毎に大きな木製テーブルがあり、車内ではグッズや飲食物の販売も行われている。車掌や添乗のお姉さんの制服もオリジナルらしい。
 12:54美瑛に到着、すぐにバスに乗り込むとほどなく発車。やがて窓の外は畑が一面に広がる丘になり、「ケンとメリーの木」「親子の木」が見えてきた。このあたりはCMや広告写真で有名な撮影場所で「ケンとメリーの木」はかつて日産スカイラインのCMで使われ、当時のスカイラインのキャッチフレーズが「ケンとメリーのスカイライン」だったためにこの名で呼ばれている(車の方も通称「ケンメリ」と呼ばれた名車ですな)。他にも「マイルドセブンの丘」「アラポテトの丘」なんてのも(笑)。まぁCMや広告でなく「親子の木」や「パッチワークの丘」のように見た目そのまんまの名前も幾つかあるけれど。アラポテトだけでなく美瑛のジャガイモは多くの生産農家がカルビーと契約しており、道の途中でカルビーの巨大な保管庫も見られた。
美瑛の風景
 バスはさらに進んで「セブンスターの木」で停車、しばし休憩時間ということでバスを降りて写真を撮ったり周囲の風景を眺めたり。このように所々に1本だけ木があるのは、かつて原生林を切り開いて農地化していく過程で、農作業者が休憩するときの木陰を確保するために1本だけ残して伐採したからなんだそうな。
美瑛の風景
 また、丘陵地の地形自体も、長い年月をかけて地均ししてなだらかな形状に改良してきたものらしい。そういう意味では、このあたりの風景は決して自然そのままでは無い訳で"作られた"「緑の環境」ではあるんだが、それでもこの広大な風景を目の前にしていると大自然を感じてしまうのも確かである。
 そのあとバスは「北西の丘」へ到着、展望台から風景を眺めたり店で揚げポテトを買って食べたり。約1時間の丘めぐり観光となった。

14:00頃にバスは美瑛駅に到着、14:15発の列車に乗って14:51富良野へ到着。富良野を離れる予定の時間まで3時間ほど、駅前のレンタサイクルで自転車を借りて富良野市内をうろつくことにした。バスは少ないしタクシーは高いし。
北時計
 中心街を抜けて空知川を渡り、北の峰に向かう道の途中で曲がり、やや外れにある「北時計」へ。「北の国から95秘密」にも登場した喫茶店で、純とシュウが待ち合わせに使ったりした店だが、二人が住んでいる場所の設定を考えると、この店ってものすごく離れた場所にあるのよね…。クルマを持っている純はともかくシュウはどうやって行ったんだろ、と気になるのは現地に行ってみないと判らないことだよなぁ(笑)。丸太小屋的な造りの店で、いい雰囲気。ここでお茶を飲んでひと息。(駅からここまでが結構な坂道で疲れた…)
 さらに上り坂の道を自転車をこいで登り「フラノデリス」へ。最近一部で話題の富良野牛乳プリンを買うため。以前は駅前近くにありガイドや案内地図にもそちらの位置で示されていたのだが、今朝そこに行ってみたら6月に下御料へ移転したことを知りまして…。できたばかりの店なのでキレイだし、人気を反映して客も多い。レジに新旧のiMacを使っているのが面白かった。牛乳プリン発送の手続きをして、自分用にも買ってみた。たしかに小振りの牛乳瓶(ホンモノ)の中にプリンが入っている。かなり柔らかくて一般的なプリンとはちょっと違うものだが、うまうま。
 坂道を爽快に下り、駅前を抜けて「北の国から」ロケ地を回っているとやがて出発の時間が近づき、自転車を返して富良野駅へ。行けなかったところもあるし名残惜しいが、いつかまた訪れようと思いつつ17:55発の普通列車で富良野を出発。車輌も国鉄型のディーゼルカーで、まさにローカル列車の旅というか「北の国から」に出てきそうな列車風景というか。空知川の向こうに見える夕焼けが妙に印象に残りつつ、滝川へ。

18:58に滝川に到着、19:30発の「スーパーホワイトアロー28号」で札幌へ。これまた列車名が長いので指定券の表記は「スパホワイトアロ28」。乗車した指定席は数年前に増結された「Uシート」で、背もたれが大きくグリーン車のような立派なシートで、各シートにパソコン用の電源コンセントが付いており、携帯の充電をしながら札幌へ。途中、公楽荘の方の様子を訊こうとK艦長に電話したらいきなりスピーカーに繋がれたらしく(汗)予期せず電車内からの出演になってしまった。宿に戻ってから改めて電話しなおすことにして、20:20札幌に到着。
 地下鉄に乗り換え、コンビニで買い物をして駅から徒歩すぐのホテルにチェックイン。さすがに今日は外出する気力がなく、コンビニで買った夕食で済ませ、改めて公楽荘宴会に電話出演したあと爆睡。

 温泉でウマー
 2004.8.8(Sun)
新撰組スーパー北斗
ここ数日に比べると少しだけ遅めの起床。今日は当初、千歳のノーザンホースパークに立ち寄ってから登別温泉に行こうと思っていたのだが、あまり時間的余裕がなさそうなのでノーザンホースパークをパスし登別に直行することに変更。支度をしてチェックアウトを済ませ地下鉄で札幌駅へ。札幌駅で指定券を受け取り、10:52発「スーパー北斗10号」に乗車。10年前に「スーパー北斗」用に開発されたキハ281系振子車で、現在は全車が先頭車にラッピングを施し「新撰組!!」仕様になっている模様。
 ところでJR北海道の特急車両の大半は窓の部分だけが外板より外に数cm出っ張っているのだが、これは列車の高速化が進んだ結果、冬季に走行時の風圧で雪塊を巻き上げて窓ガラスに当たり破損するという予期しなかったトラブルが頻発したために後から窓ガラスの外側にさらにポリカーボネート板を取り付けた結果で、そのため外見的にはスマートさが損なわれている感がある(キハ281系は元が連続窓なのでうまく処理はされているが)。最近の新造車では最初からポリカーボネート板付きで設計されているので窓の出っ張りはないそうだが。遅い朝食(昼食兼用?)に駅で買った「えぞ賞味」弁当(海鮮ちらし寿司)を車内で食べつつ登別へ向かう。

登別温泉地獄
約1時間後の11:56に登別へ到着。しかし北海道の駅は札幌近郊を除くとどこも国鉄時代の雰囲気が濃厚に残っている感じだな。旅をしている気分に浸りやすいというか。駅前からバスに乗って登別温泉へ。
 流石に超有名温泉街、ホテル風の大きな旅館が幾つも並んでいる。入浴だけOKのところにあとでゆっくり入るとして、まずお約束?の地獄巡り。ホテルや土産物店が並ぶ坂道を登り、看板に従ってただひたすら歩く。やがて地肌がむき出しで煙が立ち上る風景が見えてきた。此処もかつて初代「仮面ライダー」最初の大規模ロケで撮影に使われた場所で、たしかに今にも仮面ライダーやショッカー怪人が出てきそうな場所ではある。
 地獄めぐりというと、昔、さだ研の連中で別府旅行に行った時に別府の地獄巡りをしたが、別府のものは海地獄・血の池地獄など源泉ごとに名所として整備されており自然のままの地形が残っているところは殆ど無く、そういう意味ではむしろ箱根の大湧谷の方が近い雰囲気なのかな。ガスや湯気が噴き出している地肌むき出しの中に作られた通路の終点に源泉のひとつがあり、間欠でゴボゴボと泡を立てて熱湯が湧き出ていた。
 そのあと遊歩道を登って大湯沼・奥の湯沼へ。木陰が多いけど暑いのに変わりはなく、汗だくで山道を登り、別の意味で地獄を見た(笑)。大湯沼・奥の湯沼は沼(というよりは池)自体が温泉で水面から湯気が立っている景色。池のすぐ近くの山からもガスか湯気が吹き出ていた。大湯沼から川沿いに下り(川自体が温水で諸成分を含んでいるので流域の岩が変色していた)、しばらく歩くと車道に出て旅館街へ。
 バス亭に最も近い登別グランドホテルで日帰り入浴券を買って入浴。何種類かの温泉のほか露天風呂もあり、代わる代わる浸りながら骨休め。ついでに汗だくになったTシャツも洗面台で水洗い。どのみち濡れているんだからたいして変わらないだろうと。駅に戻る頃にはほぼ乾いていたし。

スーパー北斗
バスで登別駅に戻り、16:11発「スーパー北斗16号」に乗車。今度の車両は「スーパーおおぞら」用に開発され後に「北斗」増発用にも製造されたキハ283系で、連続窓でないため窓回りの追加処理がキハ281系とは異なり、また「新撰組!!」ラッピングも施されていない。車内もちょっと違う雰囲気。メジロの本拠地がある洞爺・長万部・大沼公園を通りすぎ、18:24函館に到着。
 函館駅は連絡船時代の頃から駅を移転させて全く新しい駅に生まれ変わっており、港に保存されている洞爺丸までは少し距離がありそう。頭端式のホームや港に迫る駅の風情はやはり長崎に似たものがある。駅が移転したせいで駅前はずいぶん広い空地が。その向こうに有名な朝市の市場があり、泊まる宿は市場の目の前だった。チェックインを済ませ、着替えてから外出。
 腹も減っていたし、路面電車に乗ってまず向かったのは五稜郭の方にあるラーメン屋「あじさい」。塩ラーメンと小ライスを頼む…と、普段喰っているラーメン屋での大盛以上に盛られたご飯と何故かキムチの皿が(汗)。思わず「小ライスを頼んでこれなんですか?」と訊いてしまった。ラーメンも結構な量。「キムチはゆっくり食べないと後で来ますよ〜」と言われ、ゆっくりと食べたつもりだったが…、やっぱり来ました(笑)もぉ汗ダラダラ。けど塩ラーメンめちゃウマでした。

函館山からの夜景
金森レンガ倉庫の夜景
そのあと路面電車で移動し、十字街の電停から歩いてロープウェイ山麓駅へ。その途中でいかにも観光客な人から「あのぉロープウェイはどちらに…」と訊かれた(汗)。俺も観光客なんだっての(笑)。長崎でもしょっちゅう地元民と間違えられて尋ねられ関西弁で返事していたが、俺ってそんなに地元民っぽいかぁ?
 坂道を登って山麓駅から函館ロープウェイに乗って山頂へ。このあたりもなんだか長崎に似てるな。違うのはロープウェイの発着駅の近くまで路面電車で行けることか(長崎はバスしか手段がない)。ロープウェイの搬送機はかなり大型のもので、登り始めると眼下に美しい夜景が広がる。ほどなく山頂に到着、そのまま展望台へ。こんなところに男1人で来るのもちょっと寂しいモノがあるが(泣)やはり港町の夜景はいいなぁ。長崎や神戸の夜景を思い出しつつ見とれていた。
 下山した後、すぐ近くの教会のライトアップされた夜景を長め、坂道を下って港の方へ。ベイサイドエリアのライトアップされた金森赤レンガ倉庫を眺めつつ散歩。既に22時過ぎと遅い時間で店は閉まる頃だが、綺麗な風景を眺めつつ、ぶらぶらと宿まで歩いて帰った。
 明日はとうとう北海道旅行最終日。函館で一日ぶらぶらする予定。

 海辺の坂のある町で
 2004.8.9(Mon)
目が覚めてチェックアウトすると、ホテル前では既に朝市が始まっていた。いったん荷物を函館駅のコインロッカーに預け、朝市をうろつく。そのあと路面電車一日乗車券を買い、五稜郭へ。ルートとしては昨晩と同じ。五稜郭タワーには登らず、1階の資料室だけ眺めた。土産コーナーは当然のように?新撰組関連ばかりなのだが、土方はいいとして近藤・沖田は函館と全く関係ないだろうに…(^^;;) そういえば以前、日テレが年末に大型時代劇を放送していた頃、ここが舞台のドラマの時にはさだまさしが主題歌だったなぁ…(遠い目)。もう15年も前か。
五稜郭
 それから五稜郭へ。タワーからでなくとも石垣の幾何学的な組み方はよく分かる。日本の城郭は、山や川・海・池など天然の地形を利用して濠や建物等の配置を設計するのが当たり前だが、五稜郭のような西洋式の城郭はよほどの山地でない限り地形とは関係なく機能的な要素で濠や塀のレイアウトを設計していくことが多いようで、このあたりの発想は「自然環境を生かす」発想と「自然環境を制御する」発想の違いともいえるが、これは城郭の設計思想だけでなく庭園の構成にもみられることで、庭園内部に山河を再現しようとすることの多い日本庭園と幾何学的なレイアウトが多い西洋的庭園の違いと根幹は同じだろう。
 五稜郭内にある函館市立博物館分館へ。今年の大河ドラマに合わせて此処でも新撰組をテーマにした特別展を開催中だった。京都の新撰組の主立った連中のうち函館まで来たのは土方だけで残りは下級隊士ばかり、北海道に向かう過程で新たに会津藩士などを組み入れていったので、箱館で戦った新撰組(新撰隊)はほとんどが新メンバーだったことになる。勿論、京都時代のような内部粛清はなかっただろうしその性格は全く異なっただろうけど。しかし此処でも近藤に関する展示があるのはどうなのか(笑)。まぁ永倉新八(二番隊長)は函館戦争時にはいなかった(甲州鎮撫隊敗戦の直後に近藤と決別)が元々が松前藩士で離脱後に帰参し維新後には北海道に渡って一生を送っているから関連資料が多いのも頷けるのだけど。

函館の坂道
函館公会堂
五稜郭を後にして、昨日食べた「あじさい」の向かいにある「ラッキーピエロ」に入る。函館市内に数店舗があるハンバーガー店(千葉にもオーナーの親族が経営する店が存在するらしい)で、GLAYのお陰で全国的に有名になった(笑)。チャイニーズチキンバーガーをテイクアウト。なかなか旨かった。なんか、メニューの中に1個800円くらいの超巨大ハンバーガーがあった気が…。
 五稜郭電停からふたたび路面電車に乗って末広町で下車、昨夜も歩いた山の手へ向かう。まずは基坂を登って元町公園へ。函館の坂道は基坂や二十間坂など道幅が広くまっすぐ伸びた坂道が多く、また、そういった坂道がほぼ並行に走っているところが長崎の坂道とは違うところ。さらに基坂・日和坂・八幡坂などは坂道を下るとまっすぐそのまま港まで道が延びており、これらの坂が海運と関連して計画的に造られたものであることを伺わせる。
 基坂を登ったところが元町公園。それほど広い公園ではないが、かつては箱館奉行所があった場所で、現在もかつて道庁函館支庁舎の建物だった函館市写真歴史館の木造洋館や開拓使函館支庁書籍庫の赤煉瓦の建物が残っており、公園のすぐ一段上には旧函館区公会堂がある。これも明治時代の木造洋館で、壁が水色に、枠が黄色に塗り分けられていて今でも新鮮なカラーリングの印象的な建物である。
 札幌時計台や北大の建物もそうだが、北海道に建てられた明治時代の木造洋館はほとんどがアメリカ式だから、この建物も最初期のツーバイフォー(枠組み壁工法。2×4インチ寸法の木材を主に用いた面構造の建築工法で、輸入住宅や工場生産住宅の大半がこれ)なんだろうなぁ。大規模な補修は既に施されているのだろうけど日本の伝統的な木造建築と違って表面にペンキを塗るので補修もしやすく傷みも少ないように見えた。

ハリストス教会
公会堂前を通る港が丘通りを歩いて、昨夜も来た函館ハリストス正教会へ。ハリストス("キリスト"のギリシャ語・ロシア語読み)というのは「東方正教」とか「ロシア正教」「ギリシャ正教」と訳されるキリスト教の一派(Orthodox Church)で、キリスト教の本来の誕生地である中近東からギリシャ・東欧・ロシアへ広まったため、カトリック・プロテスタントを「西方」と考えて「東方」という呼び名になったようだ。日本では幕末に函館のロシア領事館に付属する形で最初の教会が建てられ、その司祭としてニコライが来日して布教が始まったが、その最初の教会が函館ハリストス正教会である。
 函館以外にも東京(ニコライ堂)や京都・白河豊橋の教会など、ロシアのビザンチン様式を用いた建物が大半で、個人的にはハリストス教会=白壁と銅板葺き屋根の緑青が印象的な教会、という印象がある(実際には必ずしもそればかりではないのだが)。どうも同じ人が大半の教会の建設に携わったり、既に建設された他のハリストス教会を参考にして新築したりしたために各地によく似た様式の建物が増えたようだ。
函館教会
 いちど坂を登って上からハリストス教会や函館聖ヨハネ教会(こちらは1979年改築の近代的なデザインの建物)を見下ろして眺めた後、坂を下りてカトリック元町教会の前を通る。こちらも緑青の屋根の塔が印象的な教会。写真をうまく撮るには電線や付近の建物がちと邪魔になるのだけど。
 長崎だと山の手の大浦天主堂と浦上の浦上天主堂が有名で、特に大浦天主堂は坂を登ったところにある点でもちょっと似た部分があるけど、長崎の2つの教会は位置的にかなり離れており、函館のように3つの教会が一度に眺められることはない。これだけ教会が同じ地域に集中しているのはむしろ長崎の寺町などを思い出す部分がある。
…どうしても今回は日程的なこともあって、函館を歩きながら長崎を思い出す旅になっているなぁ(笑)。函館のロシア、長崎のオランダ(+中華)という、影響を受けた文化の違いはしっかり反映されているし、まぁ函館には中華街もないし山の上に野外コンサートステージはありませんけどね(^^;)。もしそんな設備ができたらGLAYが「函館から」とかやるかなぁ。北島三郎と組んで(笑)

坂道を下り、ベイエリアへ。北島三郎記念館Art Style of GLAYが入った建物(ホテル)の脇を通り過ぎて岸壁沿いに歩き、金森赤レンガ倉庫へ。昨夜も来たが既に閉店時刻だったから、中に入るのは今日が初めて。
海鮮丼
 明治〜昭和(戦前)に隆盛を誇った海運および北洋漁業の全盛時代の名残ともいえる明治末期の赤煉瓦の建物で、戦後はすっかり衰退したものの観光名所として定着し、現在のようなショッピングモールやレストラン、イベントホールに改装されてからも15年くらいが経過している。こういう、港に面した場所にある明治期の倉庫が(外観だけでも)これだけまとまって残っていて、こういう施設に改装されて活かされている例は他に横浜くらいで全国的にも珍しいのではないかなぁ。小樽の運河に沿って並んだ倉庫は木骨石造が大半で、おそらく長崎や神戸には赤煉瓦の倉庫自体が殆ど残っていなさそうだし。
 はこだて明治館(もと函館郵便局)をぶらぶらした後、再びベイエリアに戻って函館西波止場のレストランで海鮮丼を食べた。うまうま。ついでに地ビールを飲み、さらに追加で夕張メロンを頼んでしまった(^^;;) 満足。そのあと土産を色々と買い込む。

やきとり弁当
ベイエリアを離れる前にハセガワストアやきとり弁当を購入。これまた函館にしかないコンビニ(?)だが知る人ぞ知る存在。「やきとり」という名が付くものの実は豚肉を焼鳥風の味付け(北海道の一部地域では一般的らしい)で、串に刺さった"やきとり"が海苔をのせた飯の上に乗っているシンプルなもので、スチロール容器のフタをしたまま串を一度に引き抜けるように容器に微妙な溝があるのが凝っている(笑)。以前からけっこう有名な弁当だが、これまた最近はGLAYのおかげで有名になり(笑)、店内にもGLAYの情報やFC会報のハセガワストアに関する記事を掲示していた。その場では食べず、帰路の寝台列車で食べるつもり。
 これで後は函館駅に戻って列車に乗るだけとなった。今回の学会にかこつけた北海道旅行、駆け足で回ったため、それぞれの土地でもっと落ち着いて回りたかったところも多いけど、とても楽しかったし、いつかまた来たいと思える場所ばかりだった。まだ行っていない処も多い(道東や道北は全く回っていないしな)し、また北海道に来たいと思う。…もう少しだけ涼しい時期に(^^;;) いや北海道とはいえ今年は流石に暑かった…

ドラえもん列車
ベイエリアを後にして末広町から路面電車で函館駅へ。 函館駅でロッカーの荷物を持ち改札を抜けると、ホームには青森から乗る「日本海」(函館からの寝台券が取れなかったのよ)や781系を改造した「ドラえもん列車」とともに、JR東日本所属485系の「白鳥」が既に入っていた。できればJR北海道の789系「スーパー白鳥」に乗りたかったところだが時間が合わず。もっとも485系といっても大改装されて元の面影はほとんど無く、内装も新型車とたいして変わらない装備なんだけど。
 16:51発「白鳥30号」で函館を出発。木古内までは海沿いに走る江差線を電化しただけだからさほど速くないが、木古内からは青函トンネルとともに建設され新線(将来は新幹線に使われる予定…)だからスピードも速いが、地上区間もほとんどトンネルだからよく分からない(汗)。青函トンネルに入る時と出る時は車内のLED案内にテロップが流れるから分かるけど、海底駅通過時以外はほとんど真っ暗だから鈍行で丹那トンネルを潜っている時とあまり変わらないかも(笑)
白鳥
青森駅にて。
左側の車輌が此処まで乗ってきた「白鳥」
 18:40青森着。青森を通るのも勿論初めてだが、ホームにまだ青函連絡船当時の乗り換え口が残っている(さすがに閉鎖されているが)のに驚いた。函館の方は駅自体が移転して港から離れたため保存されている連絡船や桟橋からは少し距離があるのだけど、青森はホームもほとんど当時のままで、保存されている連絡船もかなり近い場所に見える。
 1時間ほどコンコース周辺やホームで時間をつぶし、19:47に「日本海4号」で青森を出発。寝台列車に乗るのも10数年ぶりだな…。車内でやきとり弁当を食べ、iBookを開いてデジカメ写真を整理しつつ、やがて就寝。「MLながら」「ML九州」など列車でなかなか寝付けない僕ではあるが、流石に寝台で横になれるから寝付きは良かったような(笑) どうも秋田あたりで大雨のため列車運行が遅れたらしいのだが、ぜんぜん気付いていなかった(^^;;)

 旅の終わり
 2004.8.10(Tue)
目が覚めた時には高岡。その後、車掌が各寝台を回ってきて「列車が遅れているので希望者には金沢から「サンダーバード」に乗り換えて頂く」旨だったが面倒くさいのでそのまま「日本海」でGo。けっきょく最後まで遅れを取り戻せず、予定より30分ほど遅れて京都に到着。

 開幕
 2004.8.13(Fri)
けっきょく夜中3時頃に偶然目が覚め、そのまま生中継でオリンピックの開会式を見てしまった。今回は入場行進でいつも先頭のギリシャが開催国で最後に登場の上、いつもは英語のアルファベット順に行進するのが今回はギリシャ語のアルファベット順に行進ということで順番が読めず、その部分でもなかなか面白かった(笑)。しかしイタリアの選手、調子にノリ過ぎです(笑)。テレビカメラにチューするし、流石は入場行進で他国の選手どころか観客までナンパする人達だわ(笑)
 びっくりしたのは陸上・女子短距離のマーリーン・オッティ…ってまだ現役なの?しかも今回は国籍が変わって?(ジャマイカ→スロベニア) たしか彼女の最初のオリンピックって1980年のモスクワの筈(200m銅)なんですが…、シドニーの時点で40歳だった(!!)と記憶しているから今は…しかも短距離ですよ? まさに化け物(^^;;) それだけ一度もオリンピックで一度も獲れない金メダルに対する執念の深さということかもしれないけど。

 送り火の後は騒がしく
 2004.8.16(Mon)
今夜は京都・五山送り火(いわゆる大文字送り火)。例によって狂授が夕方から来て、大学の建物の中で送り火を見た。ここからなら鳥居以外は全て(大文字・妙法・左大文字・舟形)見えるので、明らかに学生に見えない子供まで建物の中にいたり(笑)。もう何度も送り火を見ているが、実は初めてデジカメで撮影してみた。確かにみんなデジカメや携帯で撮っているんだけど、この距離じゃフラッシュ使っても意味ないんだってば(笑) よく見ると天火直前の大文字の中からもフラッシュの光が見えたから、火を点ける人たちも記念撮影とかしているんだろうな。
大文字妙法

そのあと、これまた例年と同様に下宿で飲む。今日は柔道が男女とも準決勝に残れなかったこともあり途中まではビデオを見ていたのだが、そのあとオリンピック中継に切り替えたら体操男子団体の決勝が始まっており、日本が下位から徐々に追いつめてメダルを狙う位置に。そりゃもう2人して大興奮ですよ(笑)。そして最後の鉄棒で3人とも高得点を叩き出し大逆転の劇的な展開に震えた。あの長野冬季オリンピックのジャンプ団体を見ていた時のような興奮。金メダルが確定してテレビの前で狂授と何故か握手した(笑)時には既に朝5時半過ぎ。
 しかしNHKのアナウンサー、あの「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架橋だー!!」て台詞は最初から考えていたのかどうか。何も知らずに聞くと格好いいんだけど、「栄光の架橋」って今回のNHK中継のテーマソング(ゆず)のタイトルな訳で、それを知っているだけに「遂にNHKもタイアップな実況かよ…」と若干白けたのは確かで(^^;;) まぁ、ゆずは喜んでるかもしれないけど。