時々日記:2004.8.1-8.6 |
出発前日 |
2004.8.1(Sun) |
■…になった。いつもなら長崎に向けて色々と準備をしているところだが、今年は逆方向へ向かう支度。まぁ例年も公楽荘の事務やら京大さだ研関連で色々と忙殺されている時期なんだけど。 …で、こういう時にも公楽荘幹事の仕事は入る訳で(汗)、今年はとうとう宿泊の栞を完全デジタル化、PDFにしてダウンロード配布。今夜から配布を始めたので例年より早いくらい? 今後の追加記事にも対応し、つまりその作業は札幌滞在中にiBookで作業しアップすることになるのよ…(^^;;) 便利な時代になったんだか自分の首シメてるだけなんだか。 しかも今日は以前から依頼されていた風呂さんの新CDのジャケット・歌詞カードの部分の制作も完了させて本人チェックに回した。こちらもIllustratorで作ったので当然PDF。新作はカラー印刷のジャケットですぜ。これも場合によっては修正作業を旅行中に行うハメに…。 ■夕方に狂授が来訪。京大さだ研の幟その他を預けた。そのあとまた大学に出て一仕事のあと、iBookを自宅に持ち帰り、ようやく出発に向けた準備に。先に荷造りをしてから寝ないと流石に心配だしな…。それにしても流石に今回は荷物が多く、いつも使っているカートに収まるかどうか心配だったがなんとか押し込んだ。 |
北へ | ||
2004.8.2(Mon) | ||
■ここ数日、寝るのが超遅だったので予定の時刻を寝倒さないか心配だったのだが、なんとか起きて(つーか殆ど寝てない)支度。下宿を出てバス・地下鉄乗り継ぎで京都駅へ向かい、八条口から空港バスで伊丹へ。バス内ではほとんど寝ていた。なんだか空港に着いたらサイコロが用意されていそうな気分(^^;;) 正午過ぎに伊丹に到着。一旦、旅行代理店のカウンター前に行くも誰も知人がいなかったので、昼食を食べに行く。それから改めてカウンターに行くと同じ研究室のM君がいたので、一緒に航空券を引き替えてもらい手荷物を預けに。預けるカートにiBookを入れていたのでその旨を伝えたら念書にサインさせられ、千歳で手渡しということになった。預け終わったところで同じ研究室の他の学生とも合流、しばらく時間をつぶし、13:30過ぎに搭乗口へ向かう。 今日のヒコーキはJALの2009便で、新カラーに塗り替え前(尾翼に鶴マーク)のB747。僕の席は最後方から2列目、中4席の右通路側で、通路を挟んだ隣は席がなく非常口。窓の景色もまったく見えない。14時過ぎに離陸、そのあとは殆ど寝ていた。途中何度か揺れたけど寝ていると気分的には新幹線とたいして変わらないな。 15:40頃に新千歳に着陸。曇空だったせいで、客席正面のモニタで見ていると雲の中にいきなり誘導灯が現れ、あっという間に着陸した印象だった。やや肌寒い。さすが北海道…とこの時は思ったのだが。 ■預けた手荷物を受け取り、JR駅に移動。といっても空港内に駅があるから移動は楽なものだけど。みどりの窓口で「北海道フリーきっぷ」を購入。これで函館に行くまでの間、JR北海道の全区間が自由に乗り降りでき、特急指定席にも乗れる。道内は広いから運賃だけでも結構かかるし、十分モトはとれる(¥23,500)だろう。このあと乗る「快速エアポート」にも乗車前に指定を受ければ指定席に乗れるのだけど、今回は札幌まで同行者がいるから自由席。 乗車した「快速エアポート」は札幌まで快速で、札幌からそのまま特急「スーパーホワイトアロー」として旭川へ向かう785系電車。そうか、これでやっと僕はJR旅客全6社の電車に乗ったことになるのだな。16:19に新千歳空港を発、札幌には16:55着。 地下鉄東豊線に乗り換え(同じ駅だが乗り換え距離が遠すぎる…。南北線札幌駅との距離は大阪の本町や東梅田-西梅田のような感じか?)、ゴムタイヤの電車に乗って豊水すすきの下車。ここから徒歩で、途中で他の学生とも別れ一人で宿へ。 ■チェックインの後、荷物をバラし、徒歩でお出かけ。先程は荷物があったから地下鉄を使ったが、とりあえず札幌駅前通(地下鉄南北線が通っている真上)をてくてく歩いて北上。それにしても涼しい。ホテルの人は「今年は暑い」と言っていたけど、あの蒸し暑い京都からいきなり飛んできた身にとっては涼しくて過ごしやすい。冷房の稼働期間がめちゃくちゃ短い筈だ。ところどころ飲食店に「冷房あります」と張り紙されているのには笑ったが。 ススキノを通り過ぎ、札幌駅(ここも最近できたばかりだが、デカいし妙に豪華だ)を通り抜けて、けっきょくまだ日が沈む前に北大にたどり着いてしまった。いや、地図では確認していたものの、これほど札幌駅から近いところとは思わなかった。もっとも、北大の校内は京大とはケタ違いに広いんだけど。 京大の場合、敷地がかなり狭く、しかも景観上の問題で建物の高さ制限が厳しい(だから桂に一部が移転した)ので、どうしても古い歴史的な建物でも一部を除いては保存できず取り壊して跡地に建て替え、ということが多いのだけど、ここの場合、十分に敷地があるので、古い建物をそのまま残して近接する新たな敷地に新設できるものだから、明治・大正期の建物が数多く残されている。木造板張ペンキ塗りの、札幌時計台(これも元は札幌農学校の施設)のような建物もいくつか残り、緑の多さもあいまって、大学なのに観光名所になる所以である。さすがに歩いている間に日が落ちたが、そんな中でもクラーク像のところには観光客がいっぱい居たしな(俺もだが)。 うろうろ歩いて、有名なポプラ並木も見た(現在はポプラが老朽化し倒壊の危険があるため通り抜け禁止になっている)。日を改めて明るい時間帯にもう一度来よう。(今回の学会は北大が事務をしているが、去年の九大と同じような理由なのか、大学内でなく別の場所が会場になっているのだ) ■店を出たあと、宿に戻る前にコンビニに立ち寄ると、カウンターのところに「るるぶ」「マップル」など北海道の観光ガイドに並んでススキノの風俗ガイド誌が数種類平積みで置かれていた…(^^;;) さすがだ。 部屋に戻って風呂に入った後、明日の発表の練習をしようと思ったが睡魔に勝てずとりあえず寝た。深夜に目が覚め、それからiBookを立ち上げて練習。 |
発表・そしてジンギスカン | |
2004.8.3(Tue) | |
■今日から学会。初日に自分の発表があるので緊張するものの、終わってしまえば残りは気楽に聴いていられそうではある。朝8時過ぎにホテルを出て中島公園から地下鉄南北線に乗る。 南北線は札幌オリンピック時に建設された最初の路線で、ご存知の通り最初のゴムタイヤ式電車。当初の車両と二世代目は2両1ユニットの連接車で8両編成、1両あたりの全長が短くドアは2箇所というかなり変則的な車両だったが、現在導入中の新型車は一般的なボギー車で1両あたりドア4箇所。このため車両によってドア位置が違うので、ホームでの案内もそれに対応したものになっている。あとから建設された東西線・東豊線は最初からボギー車だが1両あたりのドアは3箇所で、これはやはり南北線がメインルートで混雑が激しいからということなのかな。大通りで南北線から東西線に乗り換え、東札幌で下車して、歩いて会場の札幌コンベンションセンターへ。 札幌コンベンションセンターはまだ新しい施設で、付近もまだ開発途上という感じだ。決して市街地から大きく外れた場所ではないので不思議に思ったのだが、センター内の案内を見ると、此処はもともとJR貨物のターミナルだった跡地らしい。以前は、行き先に合わせて貨車の編成を1両ずつ組み直すための大規模な操車場設備が必要だったのだが、コンテナ輸送が主流になってその必要も薄れ、本線に近い場所やトラックとの接続に便利な場所に貨物ターミナルが移転し、その跡地の再開発が各地で行われているものの一つらしい。 これまで出席した学会はすべて大学が会場だったが今回は専用の会議場を使うということで、発表がある部屋を移動するのも楽だし(動線を考慮して設計されているのだろう)案内表示もわかりやすい。自分の発表時間すこし前までは興味のある発表を聴いて過ごした。11:00に自分の発表を行う部屋へ移動。 ■11:30から発表。今回は1年半前の前回と異なり、私物のパソコンを持ち込んでモニタ出力端子に接続してプロジェクターに映写するため、自分の発表の少し前に発表会場でパソコン起動やモニタ接続の準備をする必要があり、その準備をして自分の順番を待つ。 で、いよいよ自分の番となりモニタ出力が切り替えられてプロジェクターにPowerPoint資料の1枚目の画面が映っ…ていない。(汗) 係員の人が近づいてきて色々チェックして、けっきょくもう一度iBookの外部出力端子からコネクタを差し直して解決したが、この時に余計に喰った時間も自分の発表時間の内に入れられていることに(この段階では)気が付いていなかった。 ともあれ発表を始める。緊張するものの滞りなく進めていたのだが、予定よりもかなり早い処で「発表終了3分前」を示す鈴が鳴って慌てた。つまり、最初のモニタ接続のトラブルに手間取った時間が差し引かれていた訳だが、そこまで考える余裕もなく焦りまくり。終盤のいちばん重要な部分を急ぎ足で説明することになり、更にはPowerPointの動画がうまく動作しないトラブルにも見舞われボロボロでした(涙)。けっきょく発表だけで質疑応答を含めた持ち時間を使い切ってしまい、恐れていた某先生の質問もなく座長の先生の質問だけで終えられたのはせめてもの救いだったか?(全然救われてねーよ… orz) 昼食・ポスター発表のフラッシュタイムを挟んで、その後15時過ぎまでうちの研究室の学生の発表が同じ部屋で連続したので、それを聴いた後、他の部屋に移動して発表を聴き、17時頃に会場を出た。 予定よりやや遅れて全員が集合し、ジンギスカン食べ放題にありつく。ジンギスカンは羊肉(ラム肉)なので臭いに癖があるというが、流石に獣っぽいもののそれほど臭いとまでは感じなかった。肉も思ったより柔らかく、うまうま。ビール片手に肉をひたすら食べまくり。発表が終わった気楽さも手伝ってか、滅多になく酔っ払ったな…。帰路はタクシーでホテルへ。風呂に入る体力もなくベッドに倒れ込み爆睡。 |
小樽の午後と札幌の夜 | ||||
2004.8.4(Wed) | ||||
■普段が不眠症気味のせいか泥酔気味なほど翌朝はすっきり起きられるのだが(^^;;) 例に漏れず今朝は快調に起きられた。昨夜脱ぎ散らかした服や髪からジンギスカンの煙の臭いがものすごい(^^;;)。風呂に入って身支度して学会に出掛ける。今日は朝イチからうちの研究室の学生の発表があるので、遅刻しないように急いで行って…、なんとか間に合った。
■午後は発表はなく、講演会の方はパスして(汗)夕方からの懇親会までの時間を使って小樽に出掛けることにした。一旦ホテルに戻って私服に着替え、札幌から快速電車で30分ほどで小樽に到着。駅前から港の方に向けててくてく歩く。 博物館やガラス製品のショップなど、多くは古い建物(石造や煉瓦造の倉庫)を再利用しているようだ。古い建物が並ぶ港町で、街ごと観光地化しているという点では少し長崎に似ているかもしれない。おまけに暑い。たしかに蒸し暑くはないが日射しは強く、今日は風もないから汗ダラダラ。北海道が涼しいなんてウソです(断言)。強い日射しの中を観光客に混じって歩き、北一硝子のショップでガラス製品を眺めていると一瞬長崎にいるような錯覚に陥る。「あれ?何で俺、いま此処に独りでいるんだろう?」と思ったり。 最後に小樽の中心街からは少し離れたところにある小樽交通記念館へ。もとの手宮線の終点・手宮駅構内を利用した鉄道博物館で、機関車庫や転車台は明治時代のものがそのまま残され、特撮ファンにとっては初期「仮面ライダー」ロケ地としても名高い(?)。屋外展示で多くの車両が並んでいるのだが、塗装が剥げて車体がかなり傷んでいたのが痛々しかったなぁ。あの立地では潮風も浴びるだろうし冬の雪を考えると傷みやすいのは仕方ない事かもしれないけれど。つい最近その存在が明らかになり話題となった現金輸送車「マニ車」も展示されてあった。時間的にギリギリのため記念館前でタクシーを拾って駅へ直行。もっとゆっくり小樽で過ごしたかったなぁ。またいつか来たいと思う。 途中、学部時代の同期Fがいる研究所の方々に紹介して貰ったり、昨日の発表を聴いてくれていた東大の方のほうから僕を見つけて挨拶に来てくれて「同じ世代でこういう研究をしている人が少ないので今後もよろしく」なんて話になったり。 ■20時過ぎに、うちの研究室の教授(次の大会委員長なので)の挨拶と締めでお開き。その後もしばらく会場に残って話をしていたが、研究室の先生とOBの先輩と学生5人で別の店に出掛けて2次会(?)。で、ホテルに戻ってからナゴヤドームの試合結果を知る。え?延長で一旦種田に勝ち越し打を喰らって、その裏にササキ様から4連打でサヨナラ? なんだかムチャクチャな。 |
気分は東へ | ||
2004.8.5(Thu) | ||
■今日の午前中で学会の大会は終了。今日は同じ研究室の学生・先生の発表もなく、知人の発表などを聴いて回った。昨日までに比べるとかなり気楽かな。 北大は中央の通りにもポプラ並木があったのだけど、老朽化で倒壊の危険から数年前に全部切り倒してしまったそうで、この時は反対運動も起きたらしい。さすがに現存のポプラ並木のように立ち入り禁止にする訳にもいかず仕方ない処置だったとは思うが。樹齢100年くらいで倒壊の危機ということは、あの樹の形態では街路樹には向いていないということなのかなぁ。まぁポプラを切り倒しても北大にはエルムなど十分な樹木や緑の環境が維持されてはいるけど。 さて明日からはいよいよ札幌を後にして富良野へ。 |
空知川だ… (←田中邦衛調で) | ||||||
2004.8.6(Fri) | ||||||
やがて長いトンネルを抜けた頃、車内にお馴染みのあの曲が流れてきた。窓の外には空知川が見える。根室本線はずっと空知川沿いを走っているのだけど、この辺りの車窓風景を見るとつい五郎さん口調で「空知川だ…」と言ってみたくもなる(笑)。11:01富良野到着。駅のホームでは流石に流れていなかったが、駅の隣にある観光案内所や土産物店ではやっぱり「北の国から」が流れっぱなし。おそらく此処が日本でも最もさだまさしの曲が聞こえる街なんじゃなかろうか(苦笑)。まぁドラマに関係する数曲限定(しかも歌詞なし)だけど。しかもオリジナルVer.・オーケストラの唄なしVer.・オルゴールVer. 等々と様々なアレンジでそこらじゅうから聞こえるという(^^;;;) ■で、JR利用者は「ツインクルバス」という巡回観光バスを利用できるということで、今日はこれを使って「北の国から」の舞台を回る事に。麓郷は富良野市街からはかなり離れた場所で路線バスもきわめて少なく、どうやって回ろうか考え込んでいたところだったので、時間制限があるものの巡回観光バスは有り難い。発車までの空き時間に、富良野駅前にある「北の国から」資料館を見物。さだまさしが鉛筆で最初に書いたあの曲の譜面や、泥の付いた1万円札や、宮沢りえ演じるシュウが過去にAV女優だった設定で作られた出演ビデオのパッケージまで展示してあった。 最初に向かったのは「拾ってきた家」。「2002遺言」で登場した、五郎さんが廃品で建てた家が2棟と、「'92巣立ち」で五郎さんが住んでいた家がある。「拾ってきた家」はゴンドラや卵パックや公衆電話ボックスや廃材をうまく組み合わせているのが間近で見ると面白い。軸組の木造建築としての構造も特に無理している訳でもなさそうだし、その辺りは専門家が設計の段階で入っているのだろう。 驚いたのは、実はこの夏からここの空き地に「純と結の家」の建設が始まっていること。どうも廃車のバス車体を中心に作るようで、この建設のニュースは北海道ではけっこう取り上げられたらしい。「2002遺言」の時に「テレビドラマは終わったとしても物語は続いていく」と倉本氏が言っていた事を現実に実行しているということなんだろう。いつかフジテレビに復活を決意させるだけのスタッフが揃って再開され、ここが撮影に使われる事があるのか…。 奥に入ったところには丸太小屋が焼けたあと「'89帰郷」まで住んでいた家(離農した農家の廃屋、設定では大雪で潰れ「'92巣立ち」で前述の家に移った)もあり、純が作った風力発電も屋根上にあった。これがセットとして作られたのか本当に廃屋を利用したのか知らないが、かなり老朽化が進んでおり、何らかの手段で維持しないと最初の家同様にいずれ倒壊しそうな気もする。 ■このあとバスは富良野チーズ工房(アイスミルク旨かったー)と新富良野プリンスホテルのニングルテラスを回って16:00に富良野駅へ。北の峰方面の路線バスに乗って宿へ。北の峰という地域は富良野市の中心部からは離れており、空知川を挟んでいるので別の町のようなところだが、富良野スキー場がありペンションやホテルが建ち並び、富良野プリンスホテルもこの地域にある(新富良野プリンスはやや外れにあるが)。だから町に生活臭があまり無いけど。 で、今夜は富良野プリンスホテル…の近くの安いペンション(汗)に予約を入れてありバス停から徒歩で辿り着き夕方5時頃にチェックイン。基本的には冬場のスキー客向けの宿のようで、風呂トイレ共用・部屋に冷房無し(北海道の民家では当たり前らしいけど)、電話もない。しかもテレビが2時間100円の有料(こういうテレビは久しぶりやな…)で、当然BSが見られる筈もなく今夜の「長崎から」中継は全く見えない。後からビデオで頂ける予定ではあるけど。で、部屋でiBookを起動させたら何故か無線LANを受信してネットに繋がった(笑) おかげでネットだけは無料・高速で使えたので随分助かったが。 ■少し部屋で休んだ後、近所の洋食店に出掛けてカレーライスで夕食。富良野では近年、地元で穫れた農産物を使ってカレーを研究しているんだそうで、最近ではガイドブックでも取り上げられている。たしかに米も野菜も肉も地元で生産されているからスパイス以外の素材は地元産で賄えるわけだが、富良野カレーといっても各地のラーメンのような特色がある訳ではなく店ごとの個性になっているようだが。ともあれ、食べた英国風カレーはなかなか旨かった。 部屋に戻ったあと長崎・公楽荘の宴会に電話出演。何年か前に、携帯電話のハンズフリーキットを改造して、宴会場のスピーカーに繋いで会話が出来るようにしたのだが(「笑っていいとも」のお友達紹介を想像してみて下さい)、あれを自分が経験する事になるとは…。当然、iBookを使ってBGMに「北の国から」を流しつつの出演である(笑)。携帯電話のマイクは指向性が強くBGMを拾わないだろうから、わざわざこちらもハンズフリーキットを携帯に繋いでいたという無駄に芸の細かい事をしていたのはナイショだ(←言ってるって)。 |