時々日記: 2004.5.1-5.15 |
追憶 |
2004.5.1(土) |
■アイルトン・セナが逝ったあの日から10年が経ってしまった。1994年F1サンマリノGP、先頭を走行中、タンブレロと名付けられた高速コーナーを曲がりきれずにコンクリートウォールに激突した映像はいまだに記憶から抜けることのない衝撃だった。 あの年は、前年まで在籍したマクラーレンから2年連続チャンピオンチームのウイリアムズ・ルノーに(最大のライバル・プロストを押し出し引退させた形で)移籍してチャンピオン大本命に見られ開幕戦と2戦目も圧倒的な速さでポールポジションを獲得しながらレースではリタイア続きで、逆にベネトン・フォードの(当時まだ若手だった)M.シューマッハに連勝を許していた状況で迎えた3戦目がサンマリノGPだった。 ■あれからF1は大きく変わっていった。この年からアクティブサスやABSは禁止されていたが、この事故の翌年から車体構造や安全確保に関するレギュレ−ションが厳しくなり、87年より3500ccに拡大されたエンジン排気量も再び3000ccに縮小され、その後もタイヤ幅削減や前後ウイングの高さの制限が細かく厳しくなり、マシンの形も変化していく。 そして、セナ亡き後M.シューマッハの独走状態が始まり、ベネトンで2年連続王者になったあと当時ボロボロな状態だったフェラーリへ移籍。ここでも徐々に勝てる体制を作り上げ、96・97年はウィリアムズに、99・99年はマクラーレンのハッキネンがチャンピオンになったものの97年からの3年間は最後までタイトルを争い、1999年に17年ぶりにフェラーリにコンストラクターズタイトルをもたらすと翌年にはフェラーリでは20年ぶりのドライバオーズタイトルを奪還、ここから4年連続、通算6回のタイトルともに史上最多記録を更新して今も最強に君臨する。もしセナが健在だったらここまで独走状態になったかどうか。 かつてシューマッハとタイトルを争ったD.ヒルもJ.ビルヌーヴもハッキネンもF1を去り、モントーヤやライコネン、アロンソといった次世代チャンプ候補もまだシューマッハに立ちはだかる迄には至っていないしなぁ。そして、セナが生きていたらホンダのF1活動再開の形も今とは違ったものになっていたかもしれない。 |
尚早 | |
2004.5.2(日) | |
ヒトツバタゴは日本国内では東海地方の木曽川流域と長崎の対馬にしか自生していないという不思議な分布を示す木で、絶滅危惧種にも指定されている。この時期になると白い花をつけ非常に美しいそうで、譲渡された新デジカメ(とはいえ3年くらい前のモデルだが)のさっそく出番かと持参したが、残念ながら満開には少し早かった。このあと小牧市内のメナード美術館を観て帰宅。 |
世間と切り離された日常へ |
2004.5.3(月) |
■午前中にもういちど従姉宅に立ち寄りGoLiveのレクチャーの後、名古屋駅までクルマで送ってもらい、駅前のビックカメラでデジカメの純正ケースを入手して新幹線に乗り込む。昼過ぎに京都に到着。北大路からのバスが激混み。よく考えたらこのバスは金閣→銀閣というルートを通る観光路線でもあった。そりゃ連休中だし混むわな。あやうく停留所で降り損ねるところだった。ほうほうの体で下車、下宿へ。を、「WORLD」が届いてる…。 そのあと土産を持参して研究室へ。連休中だが明け7日が学会エントリー締切のためか結構人がいた。こちらも夜までお仕事。 |
来訪 |
2004.5.5(水) |
■連休まっただ中だが休まず学校に通う毎日(苦笑)。 もっとも、この時期は研究室の卒業生が訪ねてくることも多く、結構楽しいのも事実。まぁそれに間に合わせるために、譲渡されたザクとキュベレイの改修を連休前に終わらせて研究室に展示したのだが。(僕が帰省中にI君が来たそうで、置き手紙を貰った) 今日はこの春に修了したN君と、僕と同じ時に修了し実は(先日改装を完了させた)MG量産型ザクの最初の所有者だったT君が来訪したので、夜にな,ってからDC2人と計4人で近所に飲みに出掛けた。 |
準備 |
2004.5.7(金) |
■8月初めの学会の発表エントリーと参加申し込みの締切当日。やっと発表タイトルも正式に決まり、これからしばらく学振の申請書書きと同時並行で実験の準備もしていくことになる。いよいよ今年の実験ツアー第1部が近づいて参りました(笑)。今回は東京ツアーやることになるのかどうか未定。AOIさん主催の屋形船宴会(7月下旬)には行くつもりだから上京予定はあるけど、実験の時期にしては遅すぎるからなぁ。今回はうちの学科の1〜3回生を中心に人集めになりそうな気も。 |
王者の貫禄 |
2004.5.9(日) |
■今日も研究室でお仕事。というワケでNHKマイルカップはあとからテレビでゴールシーンだけ見たが、しっかしキングカメハメハ、強いなぁ。2歳王者で皐月賞4着のコスモサンビ−ムに5馬身差の圧勝。これ、ダービーでどういう勝負になるのかしら。キングカメハメハは持ち込み馬なので問題なくクラシックに出られるが、この厩舎と勝負服の組み合わせは3年前のクロフネと同じ。今度こそマイルカップ→ダービー連覇となるか。 それにしてもキングカメハメハという名前、もう少しなんとかならんかったか(苦笑)。いくら父がキングマンボだからってあまりな名前ではある。そりゃ以前キングフラダンスてのもいたけどさ(汗)。しかもこれがキングマンボ産駒かというと全然違ってサンデーサイレンス×ダンシングキイ、つまりあのダンスパートナー・ダンスインザダークの全弟(エアダブリンの半弟でもある)にして今年の桜花賞馬ダンスインザムードの全兄でもあるという超良血血統だが、これがまた全然ダメな馬でたしか2戦0勝で引退した、血統が全てではない事を身をもって証明してしまった馬である。 それまで3年連続で重賞馬を出していたダンシングキイ産駒がこのあと長い不振に陥り、キングフラダンスだけでなくエアギャングスターなど期待を大きく裏切ってロクに活躍馬が出ず、ようやく今年のダンスインザムードで悪循環を断ち切ったものの母ダンシングキイはその桜花賞の1週前、アグネスタキオンの子を出産後に死去している。輸入初期はトニービンと、ダンスパートナー以降(不受胎も含めて)常にサンデーサイレンスと交配されてきたが、SSが死去して久しぶりに別のオトコの子供を身籠もったのが良くなかったのか。ともあれ、まだデビューしていない2頭にも期待がかかる。たぶん吉例に従って「ダンス〜」という名前になるだろうな。 ■F1スペインGPでは佐藤琢磨が昨日の予選で日本人史上最高の3位を獲得(従来は1994年の片山右京および今年の佐藤自身の5位。つまり中嶋悟がロータス・ホンダに乗っていた頃でも6位どまりだったワケか)、決勝レースに挑むということで、あの1990年鈴鹿の鈴木亜久里以来の表彰台の期待も膨らみつつ決勝を待ったが、終わってみればいつも通りM.シューマッハが勝ってフェラーリの1-2、3・4位はルノー。確かに結局BARホンダは速いけど、タイヤ交換などチームスタッフの力が問われる部分でタイムロスが大きすぎる。この辺りはなかなかトップチームに追いつけない部分だろうな。そういう部分も含めて進化しないことにはとても今のフェラーリには勝てないだろう。 そのフェラーリもバリチェロにまるで勝とうという意志が感じられず、あくまでシューマッハの勝ちが優先という状態だけに1992年のマンセル以来の開幕5連勝をあっさり達成。去年頑張ったマクラーレンがトヨタにすら四苦八苦している現状では、今年は8月くらいにタイトルが決まってしまいそうな。まさかM.シューの全戦全勝とかにならないだろうな…。 |