One Day  時々日記:2004.2.16-2.29
 誰にだって訪れるさ どうしたって悪い日は 地雷と番犬と腰に機関銃 ドイツ製でもダメでしょう

 一段落
 2004.2.17(火)
4回生の卒論発表会。打ち上げ用に前日に仕込んだ鶏肉牛蒡巻を持参して大学へ。うちの研究室の学生の発表は夕方に集中していたので、それが終わると打ち上げの準備に。4月からうちの研究室に入る現3回生の3人にも声をかけたので、教官・学生あわせて17人の打ち上げに。今日のメニューはタコスと頂き物の蕎麦と持ち込みの鶏肉牛蒡巻。タコスに合わせて(?)何故かコロナビールも登場。今日はどちらかというと先生方が弾けまくっていたような。まぁ色々と理由はあると思いますが。

 今日は7個
 2004.2.20(金)
昼の空き時間に四条まで出て「解夏」を観た。ああいう映画だからカップルや女性が多いのは予想していたんだけど、意外に?男一人らしき観客も居て安心。(←何が) 終わった後、やっぱ泣いてる人が多かったなぁ。まぁそういう作りの映画だからね。カップルで来ていた観客で女の子が泣いていたのはまぁともかく、男の子がかなり泣いた表情をしていたのが意外というか感受性の問題なのか。私? もともと涙腺が緩い方なんで覚悟していたけど意外に出ませんでした。事前にいろいろと知りすぎたせいか?(汗)
 感想だが、前半のまとめ方がどうもバランスが良くないなぁ(うまい表現が見つからないが)と思いつつ、後半は原作から膨らませて映画オリジナルの構成になっていて、まぁ元が文庫本で100頁くらいの小説を2時間弱の映画にまとめるとこうなるのかなぁと。いい作品になっていると思いますよ。キャスティングもいいと思うし。それだけにこの後月9ドラマでどんな形にされるのか不安ではあるけど。
 そうは思いつつも、これ、フジテレビが制作に関わって(クレジットには「踊る大捜査線」の亀山千広氏も制作で出てくる)あれだけ大々的に宣伝しなければ、ここまで話題にはならなかっただろうと思う。正直云って地味な映画だもの、やっぱ。

映画評論家が酷評する理由の一つが「若い男女の話なのに性的な匂いがまったく無い」ことらしいけど、元々原作にもそういう話がないし(さだ氏がそういう部分を小説で絶対に描かないのではなく「解夏」所収の別の短編では描いてる)、この映画の場合はそれをやっちゃいかん映画でしょう(苦笑) 特にこの映画でもベーチェット病患者は「下半身に酷い爛れができる」という話が出ている訳で、そういうのを恋人に見せたくないとう心理も動くだろうし。まぁそりゃ、失明に向かう訳だから、あの女性の性格を考えると「見える間に私の体をよく見ておいて」みたいな夜はあるんだろうけど、それは2時間の物語で特に描かなきゃいけない話でもないだろうし、あのキャスティングを考えても敢えてそういう匂いを薄くしているんだろうし。
 ただし、1時間×11回前後の連続ドラマにするとなると、そういった原作には全くないエピソードを加えていかなきゃならんだろうし、どういう仕上がりになるのか。「精霊流し」の時みたいに別の話(「償い」の話が足されてたな…)を加えてしまうのか。

3月につくば出張が決定。つくばに仕事で行くのは初めてだなぁ。

 帰省
 2004.2.26(木)
今日からしばらく帰省の予定。京都駅で土産を買って「のぞみ」で名古屋へ。

 判決
 2004.2.27(金)
朝から従姉宅にてMacのメンテその他の作業。ということでお昼は回転寿司へ。うまうま。

今日はあの裁判の判決がある。まぁ結果は分かり切ってはいるが、どうせ控訴するんだろうし、確定するまでにはまだまだ時間はかかるだろうな。先日の薬害エイズ裁判みたいに裁判途中で被告が物理的ドロップアウトで終わってしまわなければいいけど。

 9年前のあの事件の日、たまたま僕は上京していた。今みたいに年に何度も所要で上京するようなこともなく、たしか4年ぶりの上京だった記憶がある。 とっちゃんと二人して鈍行乗り継ぎで東海道線を東上し、その日の夜はタカハシ氏のお宅に泊めて貰い、翌日のライヴに備えて上京していたWさんも含めた4人で修学旅行の夜のようなトークが繰り広げられたっけ(汗) で、翌日はMCのライヴが行われ(たしかこみなみくんの卒業記念ライヴだったような)、たまたま学会だったか研究集会だったかで狂授も上京していて観に来ていた(つまり当時"京大さだ研四天王"と呼ばれたうちの三人が上京していた)。ライヴ後の打ち上げにも参加し、その夜は再びタカハシ邸に泊めて頂いたのだが。
 このとき一緒にタカハシ邸に逗留していたWさんはよくタカハシ邸に泊まるためタカハシ氏の父上にもよく知られており、その時の上京前に土産として「赤福」をリクエストされていたらしいのだが、Wさんは出発まですっかり忘れており、空港で慌てて探したところあったのは「お福」であった。で、それを買って参上したところ父上の御機嫌が宜しくなかった(ちなみに僕は漬物を持参した記憶が)。ここまでが伏線。
 その翌朝。タカハシ氏は早々に仕事で出掛け、Wさんと僕だけがまだ寝ていたが、僕も晴海で催されていた木材関連の展示会に出掛けるため早めに起きて準備しようとしたところWさんから「頼むからりょーかんももう少し寝ててよ」と頼まれた。つまりタカハシ父の御機嫌を損ねたW氏は一人でのうのうと寝坊する事態を恐れた、と。ということで僕も付き合いでもう少し寝坊することに。
 で、8時頃に起きて朝食を頂いていると、テレビのニュース速報で「営団地下鉄日比谷線が不通」と流れた。タカハシ邸から最寄り駅は日比谷線の入谷であるが、不通なら仕方ないのでバスで日暮里に出てJRで有楽町に出る事にした。もし予定通り早めに出掛けていたらそのまま入谷から日比谷線に乗っていたであろう。

そしてバスとJRを乗り継ぎ有楽町で晴海行きのバスを待っていたところへ、けたたましいサイレンを鳴らしながら数台の消防車と救急車が立て続けに通り過ぎていった。ここで異常に気付き(まだこの段階では地下鉄の不通とは頭の中で結びついていない)、当時使っていたヘッドホンステレオにはラジオが付いていたためラジオを聴き、事件を知った。この時点ではまだ全容が分からず「電車の車内でガソリン臭がして、築地駅にて爆発があった」という報道だったが通常番組は全て中断されており、後から考えると「ガソリン臭」はアセトニトリルだったようだ(サリン自体は無色無臭らしい)
 そしてバスに乗って晴海に向かう途中、築地駅付近を通り過ぎた。事件から約2時間後のことである。
 そこで僕が見たのは、警察・消防の車が何台も列を連ねて車道を埋め尽くし、歩道には多くの人々が仰向けになって倒れ転がっており、治療を受け、あるいは治療を待っている姿だった。
 あの光景は僕にとって絶対に忘れられない記憶であり、もしかしたらあの中に自分もいたかもしれないのだ。


予定より1時間遅く出掛けたために僕は事件に巻き込まれずに済んだ。この2ヶ月前に起きたあの震災とこの事件での体験はその後の僕の死生観に大きく陰を落とし、一時はかなりそれが悪い方向に出てしまった時期もあった。今でも何処かで影響しているだろう。
 そういう経緯があるだけにこの裁判は決して他人事ではなかったが、予想通りの判決が当然のように出たものの、あの事件に至るまでの詳細な解明というのは、このあと控訴審が行われてもあの教祖がヒキコモリを続ける限りもはや無理なのだろう。それを思うとやりきれない気分になるが。
 しかし即時控訴しておきながらこの後の控訴審は担当せず全員辞任という弁護団も一体どうなんだか。まぁ気分的には分からないでもないけど。

まだ先の話になるだろうけど、死刑が確定したら、すぐに処刑するのではなくある程度の期間を置いて、その上で死刑台に送られるまでの毎日の彼の言動を克明に記録して(できれば映像がいいのだけど)公開してもらいたい、と思う。仮にも最終解脱者を名乗った宗教家なのだから、いつ訪れるか分からない処刑(死)への恐怖も克服して超然としていてもらいたいものだ(まずムリだろうけどな)。で、それが出来なきゃ解脱なんて程遠い単なる嘘つきのデブな訳で、その実体をきちんと分からせないと未だに彼の呪縛が解けない人達を救うことはできないだろうと思う。黙秘したままの単なる「死」では彼等にとっては殉教になって更に信仰の対象になってしまうだろうし。
※今回の日記は「京大さだ研会誌」1995年4・5月合併号に掲載されたりょーかん自身による記事を参考にして書いてます。