時々日記: 2003.12.16-12.31

 恒例行事
 2003.12.17(水)
年内のゼミ最終日。年明け以後のゼミは1度きりだし、内容も通常とは異なって外書輪読も文献紹介も研究経過報告も行われないので、実質的にはこれで今年度は最後ということになる。あとは個人の頑張り…ということで4回生とM2は年末年始もほとんど関係ない生活になる筈。例年ならDCやM1も学会発表(3月下旬〜4月)が近いので4回生やM2同様に切羽詰まるのだけど、来年の学会は8月に北海道で行われるため少し余裕があるのだが、論文投稿のことを考えるとあまりノンビリしてられない。そして、このスケジュールのために来年夏の長崎行きは不可能になりました…(嘆息)。その分、学会後に北海道で遊ぶしかなさそうだが。

17時過ぎにゼミが終わり、19:30から祇園の店で忘年会。ほんとに祇園の真ん中(四条通の北側)で、向かいの店から芸妓さんが出てくるのを見た。ホンモノは久々に見かけたような気がする。忘年会の料理は鍋。 味噌仕立てがなかなか旨かった。そのあと2次会はカラオケ。割と今年の新曲ばかり唄うという意外な行動に出てみたり。終わったのは25時過ぎで電車もなく、学生5人(!!)でタクシーに乗り込んで大学へ。そのまま帰ればいいものをうっかり(?)研究室に戻ったものだから更に延々と話し込んで、やっと帰宅したのは28時過ぎでした…(滝汗)

 冬の風物詩
 2003.12.21(日)
高校駅伝の日。京大周辺もルートに入っているので、午後からの男子のレ−スで先頭がが今出川通を通り過ぎる時間帯に研究室一アスリートなM2(かなり本格的で市民マラソン大会に出ておりつい先日も鈴鹿サーキットのコースを走る大会に出たそうな)と一緒に今出川通まで出掛けてみた。この時点で既に仙台育英が2位に1分以上の差をつけて独走していたのだが。仙台育英のメンバーは1・2年生しかいないそうで、それでこれだけ強いと来年は一体どうなってしまうのだろう。
 それにしてもどこの学校も外国人留学生が増えて、たしかスタート直後の1区ではテレビに映し出される先頭集団はほとんど外国人選手ばかりで、高校駅伝というよりは何かの国際大会のようであった(笑)。

ようやく年賀状のデザインを決めて印刷。さすがにプリンタを新型PX-G900に換えたので早いしキレイだし、フチなし印刷も可能になったし。今迄は印刷エラーで何枚も失敗していたのが今回は設定ミスでの失敗を除くと途中のエラーは全く無し。足りなくなった年賀ハガキはインクジェット用を初めて使ってみたのだが、この仕上がりが滲みが全くなく非常に良くて、いくら普通紙でもキレイなのがウリの顔料インクジェットでも専用紙を使えば更に仕上がりが良くなることを実感。流石だ。来年からは絶対インクジェット用紙にしよう。

 終了
 2003.12.22(月)
今日が学部および院の年内の授業最終日で、12月になって担当してきた学生実験のTAも終わり。TAといっても実験方法の説明から補助まで教官のサポートがほとんど無い状態で任されていたので、こっちも勉強しなければいけないことも多いし、意外な質問を受けてうろたえることも時々あって勉強不足を痛感したが、なんとか終えることができた。この実験を受講しているのは3回生で、秋に僕が実施したイメージ調査に協力してくれて顔を知っていた学生が何人かいたのが昨年よりやりやすかった点かな。また、この3回生のうち3人(男1、女2)が来年うちの研究室に分属されるので、実験の合間には研究室についていろいろ説明することもできた。「こんなんでもDCつとまるんだ」と思われたかもしれないけど(^^ ;;)
 学生実験のTAは年明けにも1回だけあるのだけど、これは今迄のと内容が異なる上に初めての担当なので、年末年始の空き時間に勉強しておかないとなぁ。

 必ず今夜なら言えそうな気がした
 2003.12.24(水)
クリスマスイブ。けど普段とまったく何も変わらず、午前中に歯医者で治療を受けた後は研究室で仕事な1日。微妙に研究室の人口が少ない気もしたが、どちらかというと単にゼミが終わって休み気分になっているだけだろう(苦笑)。僕は風邪気味のため夜は帰宅して早めに寝たのだが、僕が帰った後から逆に研究室の人口は増えて、朝方近くまでどんちゃん騒ぎだったらしい。それはそれでどうかとも思うが。

今年もうちのHarbot:PARTYにギフトどうもありがとうございました。>くださった方々 ちなみに今日はサンタクロース(?)が通り過ぎるのを確認できなかったようだが…しっかり背後を通っていたのに…。

 やり直し?
 2003.12.25(木)
で結局、Harbotがもらったのは(右端の画像の青い球)「ダブルXボール」。去年は「Xボール」だったかな。毎月こうしてイベントの度に拾ったアイテムが増えていくけど、これ一体どうなるのかしら。PostPetの宝物のような「うんちく」も特に記されてないので謎のままだしなぁ。

 押し迫る
 2003.12.30(火)
けっきょく今日も仕事が片付かず、帰省は明日に。大晦日に帰省というのは、修論の追い込みで年が明けてから帰省した2年前を除くと何年ぶりだろうか。たしか卒論を書いていた時がそうだったかな。あの年の正月から2週間後に震災だったな…。

 世界に一つだけの花
 2003.12.31(水)
初めて耳にしたのは一昨年の9月のことだったと思う。「SMAP×SMAP」の特別編として放送された「同学年2」という、木村拓哉が彼と同学年(1972年4月〜1973年3月生まれ)である有名無名の人達と対談する番組の第2弾をたまたま見ていたのだが(異字ながら同姓同名でも有名な広島カープ・木村拓也や柔道の篠原信一が同い年というのは驚いた。まだ出演していないが貴乃花も同い年)、この番組のエンディングでかかった曲が「世界に一つだけの花」だった。ちょうどアルバム「SMAP015/DRINK! SMAP!」が出た直後だったのかな。
 イントロを聴いた瞬間にどう聴いても槇原敬之の曲な訳で(笑)一発で分かったのだが、これがアルバム収録曲とは知らず、てっきり元々槇原敬之の最近のアルバムに収録された曲をSMAPがカヴァーしたのだと思った(だってあのアレンジ、まんまマキハラでしょ。普通ほかの歌手に提供する場合ってアレンジくらい違えたりしそうだし)。これが全くの新曲と気付かない程に、僕が彼の曲をきちんと聴かなくなって久しかった訳で。
 あの事件以降、別に躊躇していた訳ではないのだけれど、シングル曲など耳にはするがアルバムを毎度買っていた訳でもなく、メディアに登場することも少なくなった彼の新曲を耳にする機会も減り、そういう中で復帰後たまたま聴いた曲が内向的な雰囲気の曲でいまいち馴染めないものを感じて「どうも以前とは違うし、やはりああいう雰囲気の曲はもう作れないのかなぁ…」と思っていたところに「世界に一つだけの花」を耳にしたため「あ、完全に復活したな」という印象を強く受け、とても嬉しかったのだ。もっとも、その印象を口にしたらずっと聴き続けている真面目なファンの人から「そんなの、とっくに復活してたわよ」と怒られたが。

今更語るまでもないが、曲と同様に歌詞の内容も槇原敬之以外には書けないであろう詞で、「同学年2」を僕と同じように見ていた視聴者の琴線にも響いたのだろう。放送後この曲に対する問い合わせがかなり多かったらしく、僕自身も友人たちに何度もこの曲について「シングルで出たらかなり売れるんじゃないかなぁ」などと語っていた。まだシングルが発売される半年前の話で、あの曲がその後「反戦歌」とか色々な意味で語られるなんて思いもしなかった頃。
 「SMAP×SMAP」を共同制作している関西テレビに問い合わせが集中しテレビ局側も興味を持ったのか、12月には翌年から始まる関西テレビ制作・草なぎ剛主演のドラマ主題歌に新曲ではなく敢えてこの曲を使うことが決定し、SMAPとしては珍しいアルバムからの後発シングルカットが決まった(イントロ部にサビのパートを追加、各メンバーが唄う部分を交替)。この段階でヒットはもう目に見えていたのだが、まさかここまで売れるとは流石に予想外だった。まぁ近年不調が続くレコード業界全体で大ヒット曲を生み出そうと頑張った成果とか、いろいろ理由はありそうだけど。
 また、内容が重いだけにさほど期待されていた訳ではなかった(らしい)ドラマ「僕の生きる道」の視聴率も尻上がりに上昇し、ドラマが終盤を迎えた頃に草なぎ剛主演で公開された映画「黄泉がえり」も期待以上にヒットしただけでなく主題歌「月のしずく」(RUI= 柴咲コウ)もヒット、この時期はなんだか草なぎクンを中心に世間が動いているような気さえした。そして「世界に一つだけの花」は今年唯一のミリオンセラー(200万枚超)となり、アイドルグループとしては史上初の大トリとして、今日の紅白歌合戦に登場する。

色々なところで指摘されているように、SMAP自身がナンバーワンでもオンリーワンでもあって、彼らの立場だからこそ唄える曲bだというのもある意味で当たっており、その辺りのあざとさを嫌う向きがあるのも分かる。しかし、以前に槇原敬之が「これを今唄えるのはSMAPだろう」と語った意味もとても分かる気がするのだ。
 SMAPも槇原も致命的な危機を経て、復帰後も世間からの(決して好意的でない)視線を浴びた時期があって、それでもこれだけのヒットを生み出したのは普通のことではないと思う。それこそ「プロジェクトX」になりそうな話がありそうだが…、やれないよな流石に(汗)。
 SMAPファン以外にあまり知られていない頃にこの曲の存在を知り、ここまでの個人的な経緯があるために、僕がこの曲に対して抱いてきた印象や想いは他の大ヒット曲とはかなり違っており、あれだけ売れたことが色々な意味で嬉しい気持ちがあったのは確かだ。「紅白」でも感慨深く聴くことになるのかなぁ。

そんな訳でやっと今日帰郷。上りの「のぞみ」は流石に空いていた。昨夜はあまり寝られなかったので実家に着いてから2〜3時間ほど爆睡。そのあと早めの夕食の後は「紅白」を見て過ごす。
 今年のさださんは「たいせつなひと」を唄ったが、結構良かったんじゃないですかね。声も結構出ていたし。その年のシングル表題曲でなく、これから公開する映画(フジテレビ制作)の主題歌を唄うというのもなかなかな判断だったと思うけど、「紅白」は普段そのアーティストを聴かない視聴者へのアピールも出来る訳だから、何度も同じ昔の曲を唄うんじゃなくて、新しいファン層を開拓するくらいの姿勢で行って欲しいと思っているので、今年の選曲は個人的には高評価です。

で、世間一般と同様(?)に、途中でやはりチェンネルを変えて曙−ボブ・サップ戦を見たのだが…、まぁ半分は予想通り、半分は意外だったというか。あれだけボブ・サップを押し気味にできたのは曙が初めてだろうけど、もちろんそれはサップが自身以上にデカい相手とやるのが初めてだから意外ではなかった。相撲が基本的に短時間勝だから決着までの時間の短さもさほど意外ではなかったが、僕にとって意外だったのは曙があんなに危ない落ち方をしてしまったことで、一瞬(一般人の生活すら)再起不能になったのではないかと危惧した。まぁ大丈夫だったようだけど、今後も契約の関係で何戦かはやらなくちゃいけないだろうけど、かつての東富士(偶然にも曙と同じ高砂一門で、若手有望力士だったころ所属部屋をめぐって一門を超えた一悶着があり、親方との軋轢などから引退直後に力道山に誘われてプロレス転向したが結局は力道山の引き立て役で終わった)のような末路にならなければいいのだが。

再び紅白の続きを観る。大トリのSMAPの唄う前のあのメッセージは、…年明けにまた話題になるのかなぁ。しかしあんなに審査結果に大差が出るとは…、紅組にとっては屈辱的を通り越して笑ってしまいそうなあの結果は、まさに今年はSMAPのための紅白だった、ということだろうか。