時々日記: 2003.12.1-12.15

 僕らの問題も積み上げればきっと同じ高さになるね
 2003.12.1(月)
そういえば今日から首都圏・関西・名古屋で地上波デジタル放送が始まるのよね。まだ京都までは電波は届かないそうだし、そもそも対応したテレビなんてしばらく買えそうにないから関係ないんですが。
 で、この放送に対応するために名古屋圏では瀬戸に新タワーを建てたのだが、関西は生駒山頂、首都圏は東京タワーと従来からの設備の改造で対応。このため東京タワーの場合、地上250mの特別展望台の更に上の位置に地上波デジタル放送用の設備を収めたブロックを追加したので外観が少し変化したのだが、このことを意外に東京在住の人も知らないようだ。「東京タワーって最近ちょっとだけ外観が変わったでしょ」と言うと「え!? いつ?」と驚かれることが多くて。

東京タワーといえば東京を代表する都市風景のひとつだろうと思うが、開業後も保守用スペースを改造して特別展望台を新設したり紅白の塗り分けが微妙に変化したり(近年では150m大展望台の部分が赤→白に変更)今回の地上波デジタル放送対応改造と外観は少しずつ変化しており、そういう部分を観察していると何気ない風景も実は特定の時期だけのものだったりするのだ。それに何度かモスラやゴジラに倒されてるしな(←違)
 現在もタワーのの麓(?)の芝公園では東京プリンスホテルの新館"パークタワー"が建設中で再来年には開業するらしいので、周囲を含めた風景もまた変化していくのだろう。また、あの紅白の塗り分け自体、昔は航空法で高層タワーや煙突には義務づけられて絶対に必要なものだったのだけど、今は頂上に常時点滅型のフラッシュランプを取り付けてあれば塗装は自由ということになったようで、今後あの塗り分けで新しいタワーが作られることもない筈である。それから、これはかなり有名な話かもしれないけど名古屋テレビ塔札幌テレビ塔通天閣・東京タワーの設計者はすべて同一人物(内藤多仲)。長兄は名古屋。

今日から久しぶりに学生実験のTA。実験自体はてきぱきと終わらせることができたのだけど、学生のレポート書きを待っていたらかなり遅くまで時間がかかってしまった。まぁ一番大変なのは学生さんではあるのだけど、実験の取り組み方やレポートの書き方を観ていると、今年の3回生は真面目だなぁ、というか。やはり学科が改組されたせいで取り組み方や興味の持ち方が去年までとは違うのかな。それにしても話には聞いていたが女の子がやたら多いわ…。そのあと自分の論文の書き直しなどをして帰宅したら25時近く。最近日付が変わる前に帰ったことが殆どないな。水曜日はゼミの当番だし。

 袈裟懸けにばっさり
 2003.12.3(水)
今月はうちの研究室が関わる学生実験の担当の関係で、ゼミが毎週火曜から水曜に移動。で、今日は僕自身のゼミ発表で研究経過報告。年内最後…というか年度内最後のゼミ発表でもある。
 先月に学会で発表し、そのあと学会誌に投稿する論文を現在取りまとめている段階なので、その原稿がそのまま今日のゼミのレジュメの内容でもあった。論文は教授と連名での執筆という形になる以上、当然何度も原稿のチェックも受けている訳で、そのダメ出しもほとんど終わった原稿をそのままレジュメに使うのだからたいしてクレームやダメ出しも出ないだろう…と思ったら考えが甘かったっす。論文には直接関わっていない先生から何か言われるのはともかく、教授からもダメ出し喰らいまくとは…。_| ̄|○  「いま此処で言うならもっと前に原稿チェックの段階で指摘してくれ…」という感じ。なんだか背後からバッサリ斬られた気分…。
 ともかく再びデータの洗い直しと図表の作り直し…。論文の締切はとうに過ぎてるんだけどなぁ…。

 東へ
 2003.12.5(金)
週末は上京することになり、その途中で先日セットアップした従姉のPCの様子も診ることになって今日は名古屋へ。昼前に名古屋に到着、無線LANの更新作業や先日やり残したプリンタ等の設定を行う。そして、今年2月以来10ヵ月に渡ってお借りしてきたiBookSEを返却。

夜に名古屋から「のぞみ」で東京へ。乗った「のぞみ」はJR西日本の700系で、たしかこれって東海道直通「ひかり」用に製造された車両の筈(のぞみ用は500系)だが、今秋のダイヤ改正からの「のぞみ」増発・「ひかり」減便で転用されたのかな。発車してまもなくするとオルゴール音のあと案内放送があるが、以前はたしか東海・西日本で同じだったように思うのだけど今日乗ったらオルゴールのメロディが「いい日旅立ち」になっていた(笑)。たしか東海も「AMBITIOUS JAPAN!」に変更された筈で、これだったら鉄ヲタでなくても車両の所属がどちらか分かるな。

 窓の外には林檎売り
 2003.12.6(土)
上京した理由のひとつには、実験で使う特殊な紙を探すというのもある。現在メーカーで生産されておらず、東京の大きな専門店なら在庫があるかもしれないと考えて。ともかく今日は銀座に出て、まずは先月末に開業したばかりのApple Store Ginzaへ。和光(旧服部時計店)から少し歩いた場所だから一等地に設けたことになる。もともとあったビルを改装したものだが、これが如何にもAppleらしい外観で。1〜3階の外装はアルミ系のパネルでAppleマークが白く光り、なんだか銀座の街中に巨大なPowerBookG4が置かれたふうではある。それより上の階(Store自体は4階まで)はガラス張りで、もともとのビルの外壁の上から被せるように取り付けてある。
 中に入るとこれま如何にもな内装と備品で、パソコンが置かれたテーブルは何も塗っていない素材の白木で作られ、全面ガラス張りのエレベーターもPowerMacG5風。ここで初めて20インチiMacを見た。うーん、でかい。最近よそのメーカーが大型液晶モニタのコンシュマー向け省スペースタイプのデスクトップPCを続々と出しているので、PowerMacG4 Cube以降モニタ分離型の省スペースデスクトップマシンを出していないAppleとしてはiMacで対応してきたのだろう。こういう面では、本体から延びたアームで液晶モニタを支えるあの独特な構造が、本体部の設計を変えることなくモニタサイズの変更を可能にしている訳で、設計・製造のコストを考えると大きい。
 ちなみにこのApple Store、レジもiMacにUSBでバーコードリーダを接続して使っており、レシートはA4サイズで打ち出される。小物でも買い物するとヒモ付きのリュック状ビニール袋に入れてくれるのがよい。まぁ確かにこの袋が欲しくて買い物したんだけど(笑) その間、NECユーザーであるAOIさんと弥生さんはiMacが並んでいるコーナーでネットを閲覧しており。記念に(?)僕も自分のBBSに書き込み。
 先日のオープン時にジョブスが来日した際の発表で、来年春には大阪にも直営店を出すということだが、何処に作るかなぁ。秋葉原でなく銀座の一等地に作るくらいだから、大阪でも日本橋ということはまず無い訳で、となると心斎橋くらいかなぁ。たぶん御堂筋沿いだとは思うのだが。

そのあと専門店で紙を探したが、やはり生産中止されているために見つけることができず。今後を考えると他の手段を考えた方がよさそう。更にそのあとK大佐と待ち合わせ、イギリス出張の折の土産のウイスキーやK大佐が余らせたガンダムのボトルキャップ(^^;)を受領。

 犬は死にますか
 2003.12.9(火)
まさか今週が「笑う犬の太陽」の最終回だとは思っていなかったので、いつもならビデオに録画して見ているのにたまたま今日だけ予約を忘れてしまい、最終回を見ることなく終わってしまった(このところ帰宅時刻が日付の変わる前だったことがほとんどない…)。この10月の番組改変で日曜8時から火曜8時に移動、途中にバレーボールW杯中継などもあったから実質的に2ヶ月くらいで打ち切られたことになる。金曜11時台の30分枠の「笑う犬の生活」から5年、途中で「冒険」「発見」「情熱」「太陽」と変えつつ、人気キャラを生み出し何度も2時間Spを放送するほど人気の番組の最後が、最終回なのに特別なこともできずこれほど呆気ないものになるとは予想もしなかったが、やはり放送曜日の移動が痛かったかなぁ。

「笑う犬の生活」が始まった当時、バラエティ番組ではロケ中心のドキュメンタリー的な手法やゲーム形式の内容ばかりでスタジオコントが殆どなく、唯一スタジオコントをやっていたのが「SMAP×SMAP」くらいだったという状況だった。たしかにスタジオコントはセットなど手間もカネもかかる上にクレームも付きやすいので敬遠される向きがあるらしいが、元々映画監督を志望していたウッチャンにとってきちんと作り込んだスタジオコントができない状況は憂慮すべき事態であり、そしてネプチューン・オセロ中島知子・遠山景織子とともに「笑う犬の生活」を立ち上げた(この男4人+女2人というレギュラー陣容はあの「夢で逢えたら」を意識したとか)
 「全編コント」を打ち出して「てるとたいぞう」や小須田部長、ミル姉さんなど次々と人気キャラを創り出し、宇多田ヒカルをいちばん最初にテレビ画面に引っ張り出しもした。どちらかというと「ボキャブラ天国」以来の人気先行の感があったネプチューンが成長したのはこの番組の影響が大きいと思う(もちろんオセロ中島知子も)。そして視聴率好調の中、金曜夜11から日曜夜8時というゴールテンに進出してナンチャンやビビる等レギュラー陣を追加した後も好調が続いた。

しかしマンネリに陥りやすいのもコントの特性であり、それを打破するために番組名を変えたりレギュラーの変更、新キャラなど試行錯誤が続き、やがてゲーム形式やドキュメンタリー形式のものも入るようになって「普通のバラエティ番組」になっていってしまった。視聴率維持のためには仕方なかった面もあるだろうが、やはり「全編コント」に拘って欲しかったという気持ちは強い。最終回でもモーニング娘。をゲストにゲームをやっていたというのは象徴的でもある。
 エンディングトークでウッチャンは「"太陽"は終わりです」と発言して「"笑う犬"は終わり」とは言わなかったそうだが、もう一度期間を置いて、拘った番組をまた立ち上げる気持ちがあるのだろうか。

 めくるめく光の中、僕は
 2003.12.13(土)
午前中にようやく論文を郵送。締切から1ヶ月半遅れたことになるが(汗)はたして受理されるかしらん。そのあと研究室でしばらく作業をしたあと、本部構内に用事があって久しぶりに出かけた。週明けに時計台記念館が全面開業(地下の生協購買などは既に営業開始)するのだが、先月のNFの時にはまだ工事用の柵に囲まれていて見えなかった時計台や正面の楠の大木が見えるお馴染みの風景がすっかり蘇った。
 京大のシンボルともいえる時計台の正面からの外観をそのまま残し基礎部分だけを耐震構造に改築、時計台に取り付く形で存在した旧法経1番大教室は取り壊され大ホールを新築、もとは事務棟や総長室があった部分には京大の歴史を展示する資料室、教官および名誉教授が利用できるサロンのほか、本格的なレストランまで入り、とても国立大学とは思えない施設になった。ちなみに以前あった事務および総長室は数年前に建物を新設して既に移転済み。
 その時計台に入るレストランも、すぐ目の前にできたばかりのカンフォーラや学食を営業する生協ではなくルヴェソンヴェールが担当するという本格的なもので、学内のレストランで競争が発生することになる。危機感を抱いたか、カンフォーラではつい先日から昔京大の学食で出していたステーキを復刻してランチセットを出し始めて人気だそうだが。今年だけでセルフサービスでない本格的なレストランが2つも学内にできた訳で、まぁとても京大とは思えない…つーか国立大学とは思えないと言った方が正しいか(苦笑)。レストランの入り口付近には開業セレモニーに使うのか鶴の形の氷の彫刻が運び込まれていた。うーん、やはり大学とは思えない風景だよなぁ。

夕方にAOIさんがお越しになるということで京都駅に迎えに行くと、「今からルミナリエを観に行く」とのことで新福菜館でラーメンを食べたあとJRで神戸へ。なんでも18きっぷ利用で東京から鈍行乗り継ぎで上洛中、携帯で自分のサイトのBBSの書き込みをチェックして知ったんだそうで、こちらも行ったことがないから同行。その書き込みをしたラテン系関西人氏とも連絡が取れ、元町で合流。昨日(初日)も観たというラテン系氏に「アホや」と言われつつ、会場に向かうと…、ものすごい行列。まさかそこから2時間並ぶとは思いませんでした(笑)。流石に綺麗で、並んだ甲斐ありましたけど。
※この部分はAOIさんの「あんぽんたん紀行」もご覧ください。

夜中にサダム拘束のニュースが流れたが…、これ本物なのかなぁ。つーか何人目の奴なんだろ。

 落語とシャンソン
 2003.12.14(日)
お昼はAOIさんとカンフォーラまで出かけ、AOIさんは本日のランチセットを、こちらは折角だし「思い出の京大ステーキランチセット」を頼む。他にビール(京都1497)とパスタを。値段だけは学食レベルなので、これだけ食って全部で2300円というのは凄い。ステーキもなかなか。そりゃま、値段を考えると先月米沢で食べたステーキと比べる訳にはいかないが。スープとサラダ、パンorライスが付いて700円と破格の値段だが、昔は230円くらいだったそうで、それでも「数日分の食費を我慢して貯めて食べた」ものらしい。このメニューが始まった初日は(招待されたのか自発的に来たのか不明だが)総長が食べに来たとか。

そのあと狂授から電話。今夜、北山のライヴハウスを兼ねたお店で「落語とシャンソン」の会があるので行かないか、との事。狂授はここ数年落語にハマッており、縁あって桂都丸師匠と知り合いになったこともあって僕も落語会にお誘いを受けたりしているが、AOIさんも落語好きで4月に来たときもやはり狂授の誘いで桂一門の落語勉強会にいきなり行ったことがあったが、今回ももちろんAOIさんが乗らないワケがなく、かくして夕方5時に地下鉄北山駅で待ち合わせということに。
 …ところが、待ち合わせ時刻になっても狂授が来ない。まぁ遅刻・寝倒しは学生時代からあの方の常ではあったが、とりあえずPHSに電話すると「いま四条烏丸の近く…」と息の切れそうな声。6時少し前にやっと到着。聞けば、京阪四条駅(四条川端)から四条通を歩いて地下鉄四条駅(四条烏丸)まで移動していたのだが歩道が混んでいて、一本北の錦通を通ることにしたのだが、そこは更に混んでいて…というかオバチャン達の群れが道を塞いでいて(笑)抜くことができなかったんだそうな。で、時間がかかったという次第。急いで会場の店に向かう。中に入ると、既に客でいっぱいになっていた。
※この部分はAOIさんの「あんぽんたん紀行」もご覧ください。