時々日記: 2003.8.1-8.9

 ニンニクはよく焼いてから食べましょう
 2003.8.1(Fri)
今日も少人数ゼミの見学ツアーに同行。四条河原町から阪急で移動、天六の大阪くらしの今昔館へ。江戸時代の大阪の町並みを実物大で精密に再現しているのだが、俯瞰で見られる場所での解説音声が桂米朝師匠というのがなかなか(笑)。AOIさん此処だけでウットリするのかな(笑)。
 夕方の現地解散後、阪急で四条へ戻り、今日は参加しなかった他の研究室の学生も合流して学生9人で焼き肉食べ放題に出掛ける。…食い過ぎました。(^^;;)

 切羽詰まって準備
 2003.8.3(Sun)
なんとか夜中に公楽荘宿泊の栞vol.2を印刷、着替えや幟など他の荷物と一緒に午前中に宅急便に出すことができた…。
 あとは京大さだ研の会誌の製作。ここまで忙しくて対談の内容をメールでやりとりする時間もあまりなかったのだが、この週末で一気に進ませることができて、結果的には去年より多めの分量になった。このため編集に相当苦労するハメになったが(^^;;) ということで今年もまた稲佐山上で待ち時間中にバラマキます。

 出発
 2003.8.4(Mon)
いよいよ今夜に出発。とはいえ研究室のお仕事もさだ研会誌の印刷も残っているのでゆっくりはしていられない。朝から研究室に出て11月開催の学会へのエントリー準備をして、途中で一旦研究室を抜け出して京大さだ研会誌の印刷。今回は例年よりやや多めに印刷してみた。さて人手も足りない中で全部バラまけるのかしら。そのあとまた研究室に戻ってお仕事。
 15時過ぎに帰宅、ようやく出発の準備に入る。荷物の大半は宅急便で宿に送ってあるので、あとは手荷物。とはいえギターだのマイクスタンドだの幟の竿だの宅急便で送れないモノも多く、さだ研会誌の重量もバカにならないから結果的には大荷物になる。なんとか荷造りを終えて19:10に下宿を出発。バスの時間が合わず北大路BCまでタクシーで移動、地下鉄に乗り継いで京都駅へ。

京都駅に到着後、 まず5日宴会時のお土産交換用のお菓子を買い、いちど荷物をコインロッカーに放り込んで新幹線・近鉄側のコンコースに回り「551の蓬莱」にて今夜の肴として豚まんと餃子をゲット。そのあと新福菜館まで歩いて夕食。ラーメンを食べ肴として突き出し肉(チャーシュー)をテイクアウト。
 京都駅に戻り、ソフトドリンクを買っておこうと駅前のローソンに入ったら狂授と遭遇。狂授はビール4L分買い込んでくれたそうで、今夜同行する4人で1Lずつ消費する計算か…(^^;;) その他にもジンロなど。改札を抜けてホームへ。しばらくして新幹線でAOIさんが到着。ホームまで案内して間もなく「ムーンライト九州」が入線したので乗り込む。残る1人の弥生猛さんは梅田でMassan-MLの宴会に出るため大阪から乗り込むものと思っていたが、出発少し前に京都から乗り込んできた。
 21:33京都駅を出発、今年もまた長い旅が始まった。そして今回はいつも以上に長い…。

車内検札を済ませ落ち着いたところで乾杯。肴は先ほど買い込んだ551の豚まん・餃子、新福菜館の突き出し肉に、AOIさんが買ってきてくれた崎陽軒の特製シウマイと、まぁなんと豪華な。うまうま。
 さて列車の中で、つい最近登場した仮面ライダー333(デルタ)の顔が∀だから「仮面ライダーターンエー」だと弥生さんが言ったことから話が転がりだして「仮面ライダーモナー」(´∀`)というネタが飛び出し、そこから次々と「仮面ライダージサクジエーン」だのロクでもないネタが続出しまして。
「ふっふっふっ、仮面ライダーよ、今日こそお前の最後だ!!!」
「オマエモナー」

…イヤですそんなヒーロー。
 当然ショッカーの戦闘員は「(・∀・)イイ!」と奇声を発しながら藁藁と出てくる訳で。そんなこんなで車内での夜は更けてゆく…。ちなみにビール4Lは当然のように空になってます。

 4ヶ月半ぶり
 2003.8.5(Tue)
狂授とAOIさんが落語の話で盛り上がっているのを聞きながらウトウトしつつ、完全に寝たのはさて何時だったか。厚狭を過ぎる前には目が覚めた。
 朝は下関での機関車付け替えの時間にホームで販売される「ふく寿司弁当」を朝食にして、弁当に入っているウニを肴に朝から酒を飲むという人間の屑状態になるのがここ数年の恒例なのだが、いざ下関に到着してみたら今年は弁当販売がないっ!!! 残念。朝食も食えないし。
 そしてトンネルを抜けて九州へ上陸。九州に入ると急に緑が濃くなる気がするのは何故だろう。7:27博多に到着。流石にかなり腹が減ったが、鳥栖で駅弁を買うことを考えてここはアンパン1個で我慢。7:40発の普通電車に乗り込み鳥栖へ。

8:30鳥栖着、ここでやはり恒例の駅弁を購入。ところがその時たまた売店に「かしわめし」の残りが少なく、結局かしわめし+焼麦(シューマイ)という中身の「焼麦弁当」を買う。なにしろ腹が減っていて8:47発の肥前山口行き電車に乗り込むなり食べ始める。うまうま。そのあと暫く爆睡した模様で、気が付くと肥前山口が目前。ここの乗り換えは時間が少なく、急いで階段を駆け上がって佐世保行き電車に乗り換え、定刻よりやや遅れて9:40頃に発車。車内でも半分くらいは寝ていたような。10:30頃に早岐に到着、ここで大村線の長崎行きに乗り換え待ち。けっこう時間があるので一度改札を出て駅前をうろついてみようとしたら…、見事に何もなかった…(^^;;)
 11:03の「シーサイドライナー」で長崎に向け出発。ハウステンボスや大村湾を眺めつつ、12:21長崎にようやく到着。流石に疲れました。4枚きっぷ(1枚あたり2500円)もあるし、来年以降、博多から先は往路も特急を使うかもしれないなぁ。

4人でタクシーに乗り込み、丸山公園そばの公楽荘へ。既にカタノ艦長が到着しており、荷物をバラして栞など準備をした後、密議する時間もそこそこに、到着まもなく部屋で爆睡モードに入った狂授を残して江山楼に出掛けて食事。勿論ちゃんぽんと東坡肉(トンポーロー)。考えてみれば昨日は新福菜館、一昨日は東龍でラーメンを食べてるから三日連続で中華系麺類を食べていることになる。年に一度ここで食べると「長崎に来たなぁ」と実感できる場所のひとつ。春に長崎に来た時は寄れなかったし。
 そのあと久しぶりに自由飛行館に立ち寄り、更に路面電車で移動、例のピースミュージアムへ。写真で見たイメージからもっと大きな建物を想像していたのだが、20m手前まで気が付きませんでした(汗)。海の向こうに見える一度焼けて作り直している大型客船「サファイア・プリンセス」(旧ダイヤモンド・プリンセス)と停泊中のイージス艦にばかり目が行ってしまって(笑)。それにしても最近、建造中に燃えた船だの工作船だの話題の船ばかり見てるなぁ、俺(汗)
 しかし…、これ「ミュージアム」と名乗るべき施設なのかなぁ。将来的に拡張していくつもりだろうけど、エントランスなんか後からハッタリの効いたものを作りゃいいんだし、今の段階では展示スペースと展示物に全てを割いても良かったんじゃないかしら(まぁ狭いスペースで効果的なエントランスを、ということで銀閣寺がモチーフになっているのは確かに分かる気もするんだけど…)。この段階で「完成」と安心して停滞してしまったらけっこう無意味なモノに終わってしまいそうな不安が拭えず、その点では今後も色々頑張って頂きたいと思う部分はある。これまで色々と批判的なことも言ってきたけど。

そのあとギターの弦を買いに単独行動で観光通りへ。弦を買ってアーケード街を歩いていると自販機に「ジョージア九州限定・練乳ミックス」を発見、さっそく買ってみる。原材料のトップには「加糖練乳」が…。これはもうかの千葉名物「ジョージアMAX」の九州版に間違いなく、早速むろかつ氏に電話で連絡(笑)。まぁ本家?が250mlなのに比べてこちらは190mlに抑えているのが良心というべきなのか(違)。
 宿に戻り、洗濯機を借りて洗濯をしたり、ギターの弦を換えて宴会準備へ。宴会は19:00から。今年もド平日と言うことで前日入りは少なく、宴会の顔ぶれもちょっと寂しいものが。とはいえきちんと盛り上がるのは例年通り。

 その日
 2003.8.6(Wed)
ほぼ朝食の時間通りに目が覚め、しっかり朝食を食べて、午後に向けての準備。その間に本日長崎到着の方々も続々と公楽荘へ。
 お昼は観光通りに出掛けカタノ艦長・AOIさん・弥生さん・Oさん父子・ゆーびんやさん父子とともに「吉宗」で昼食。いつもの如く茶碗蒸し+蒸し寿司のセットに角煮を頼む。お子様達はお子様ランチ。ここのお子様ランチの食器、今じゃ希少モノといえる初代新幹線電車をかたどった懐かしいタイプのもので、玩具も付いてくる。今年は双眼鏡。早速ライヴにお役立ち?

昼14時過ぎにタクシーに分乗して稲佐山に向けて出発。到着したら、流石にド平日だけに開場待ちで並んでいる人の数が少ない…。京大さだ研の幟を立てて列に並ぶ。
 ちょっと驚いたのは早稲田大学さだ研が幟を立てて並んでいたこと。早大さだ研といえばさだまさし研究会の草分けだが、その後全国に成立したさだ研とは異なり純粋な音楽系サークルであることや、さだ研全盛時にもそれらから距離を置いた独自の活動を続けていたので付き合いは疎遠ではあった(一時、早大さだ研メンバーだった学生が大学院で京大に進学して京大さだ研に顔を出していたことはあったけど)し当時は幟も持っていなかった気が。
 並んでいる顔ぶれを見たらかなり若そう。というか現役の学部生ばかりだなアレは。いまだにあれだけの学部生を集められるのは羨ましい限り。会報を持って挨拶もしたかったが並んでしまった為にそれもできず。15時に開場、人が少ないせいか並んだのが遅かったせいかいつになくサッサと会場内に入れた気が。

(編集中:もうしばらくお待ち下さい…)


今年もゲストの時間帯はAOIさんやK崎さん達と会場後方に移動して、ビールを飲みながら海と夕日を眺めつつ唄を聴く贅沢な時間を満喫。夏川りみの出演時間も此処で聴いたが、ふと見ると近くでTera.氏がビール片手に感慨深げに聴き入っていた。彼女が売れる前から自身のサイト等で強力にプッシュしてきただけに感動は人一倍なのだと思う。
 コンサートの内容も、たしかに例年より(ゲストの関係で)地味かもしれなかったが、いいコンサートだったと思う。京大さだ研の会誌等で色々とキツいことを言ってきているけど、やはりファンであることを再確認する場所ではある。
 来年は学会と日程がぶつかる可能性が高く、はたして行けるかしらん。少しでも学会が前にズレればもちろん行くつもりですが…。

 台風からの逃避行
 2003.8.7(Thu)
けっきょくOさんと話し込んでいたら徹夜になってしまい、そのまま朝食へ。徹夜したのは久しぶりだなぁ。
 朝食後、部屋を片付けて荷物をまとめ、2次会部屋でだらだら。先に東京に戻るAOIさんを長崎駅まで見送りに出掛け、途中でむろかつ氏に遭遇したり。偶然AOIさんと同じ「かもめ14号」に狂授も乗り込んでいたが、狂授はこのあと鳥栖から鹿児島本線を鈍行で南下、鹿児島で一泊した後沖縄に渡って研究集会で英語で講演だそうで…、台風が接近している中、沖縄に無事たどり着けるのか!?
 そのあと長崎駅近辺をうろうろしてから公楽荘に戻って寝ようとしたら、他のメンバーがぞろぞろと出てきて連行され(笑)。M先生のオゴリで思案橋の「天天有」で昼食。皿うどんを頼んだが、待っている間はひたすら寝ていた。食事を終え、公楽荘に戻って1時間半ほど爆睡。そのあと宅急便で送る荷物を荷造り。
 15時過ぎに公楽荘を出発。来年は学会との兼ね合いがあるので来られるかどうかかなり微妙なところだが、なんとかして来たいと強く思う。福砂屋で研究室へのお土産用カステラを買い、タクシーで長崎駅へ。

15:50発の「かもめ32号」に乗車。折角の4枚きっぷだから指定席に交換したのだが既に禁煙席が埋まっており、喫煙席へ。これがハイパーサルーンの先頭車の前半分の室なので運転席の背後が大きなガラス張りで展望室のような眺めの良さで、煙草もさほど気にならず、肥前山口で「みどり」「ハウステンボス」を連結するまでは前方の眺めを楽しむことが出来た。
 ただ、台風の影響で少しずつ遅れが出始めており、僕の乗った「かもめ」は定刻より数分遅れただけで済んだが、これより後の列車ではけっこう遅れが出たようだ。18:05頃に博多到着。
 いちど荷物をコインロッカーに預け、地下鉄で天神に移動してウロウロ。例によって「一風堂」で夕食。ラーメン自体は京都の店でも味わえるけど焼豚飯はここでしか食べられないし。うまうま。博多駅に戻ってホームに向かい、しばらく待っているとK崎さんや弥生さん、Aくんなどが集まってきた。20:53「ムーンライト九州」で博多を出発。

K崎さんは別の席を取っているので就寝までこちらの席に来て過ごした上、暫く車内をうろついて隣の車両にいたもりかげさんをナンパ(笑)してきて、改めてご挨拶させて頂いた。
 K崎さんも僕と同様、明日夜の「ムーンライトながら」で東上する予定だそうで、なにしろ往路からして仕事帰りから直行で「MLながら」「ML九州」と連泊し公楽荘に一泊、帰路も夜行に連泊で、東京に着いた日の9時半にはもう仕事の打ち合わせなんだと…(^^;;)
 ただ、この段階で気になるのはやはり台風情報。明日の「ムーンライトながら」がはたして運行されるのかどうかが心配で、みんなで台風情報をノートパソコンや携帯で確認していた。流石に今日は早めに眠りに落ちた模様。

 東へ
 2003.8.8(Fri)
ウトウトとして起きてるのか寝てるのか曖昧な状態で気が付いたら明石あたり。K崎さんは大阪で下車して午後まで時間をつぶす模様。7:05京都に到着。このまま鈍行で東上する弥生さんやもりかげさん、山陰線に乗り換えるAくんと別れて1人でバスに乗り自宅へ。
 8時過ぎに到着。すぐに手荷物をバラし、衣類を洗濯機に放り込む。このあとの分も考えると部屋に残した分では足りないから、今洗って乾かさないと。使った衣類は宅急便で送った荷物にも入っているが、もし台風の影響で今日の夕方までに下宿に届かなかったら…、11日以降に帰ってきてから汗だくの洗っていない衣類が詰まった箱を開けるのは想像するだけで怖いです…(^^;;) 幸いなことに昼過ぎに宅急便が到着。これも速攻でバラして洗濯機をフル稼働。

研究室に出掛けて土産のカステラを置いて、12日エントリー締切となる学会参加の準備の打ち合わせ。そんな中、事態は更に悪化し、けっきょく今夜の夜行列車はすべて運休とのニュースが(ほとんど同時にK崎さん・あいびすさんから連絡を頂いた)。仕方ないので、取り敢えず早めに名古屋まで移動し、名古屋から新幹線に乗ることにした。てな訳で大学で学割を急遽確保。
 名古屋まで…というのは、従姉のiMacがこの長崎旅行開始の頃から起動できなくなるというトラブルに見舞われているそうで、短時間でも立ち寄って様子を見ようと思っていたのと、まぁ18きっぷで少しでも動けるところまで動いておきたかったのと両方の理由からである。17:29京都発の長浜行き新快速で出発。
 途中でK崎さんに連絡をとってみたら、「いま名古屋で、これから松本に向かう」とのこと。セントラルライナーと鈍行を乗り継いで松本に出て、そこから夜行の「ムーンライト信州」で朝5時に新宿に辿り着く算段らしい。つ、強者すぎる…。 米原で豊橋行きの新快速に乗り換え19:33名古屋到着、普通に乗り換えて従姉宅へ。

さっそく様子を診てみると、どうも不正な強制リセットをかけすぎたせいで内臓HDDのファイルシステムのカタログ構造が壊れているらしく、色々試した結果ハードウェア的に壊れた訳ではなさそうなのでホッとする。以前FireWire外付けHDDに最低限のMac OS XシステムとNorton先生を入れておいたのがあったので、これを使って起動させ、内臓HDDを修復したら何事もなかったかのように復活した。あーよかった。
 本格的なメンテナンスは東京から戻る際にまた、ということで、急いで再び電車に乗って名古屋に戻り、運行中止の「ながら」指定券の乗車変更扱いで「ひかり」指定券を取り、21:47発予定の東京行き最終「ひかり134号」に乗り込む。名古屋でこのひかりを追い抜く「のぞみ30号」が少し遅れた影響で若干遅れて出発。従姉が買って持たせてくれたテイクアウトの中華料理をたらふく食べつつ東京に向かった。

23:42東京着。京浜東北線・常磐線と乗り継いで金町へ。弥生さんがクルマで迎えに来てくれた。そう、この時はクルマに何の問題もなかったのだ…(以下次号)
 AOIさん宅に到着すると、既にみみなも到着しており、犬も交えて(?)軽く酒盛りの後就寝。ぐうぅ。

 さて明日はホントにライヴ決行されるんだろうか。

 約束
 2003.8.9(Sat)
目が覚めたら気になるのは台風情報。どうやらゆっくり動いているらしく、まだ京都あたりに居るらしい。前日から今日のライヴ開催について決定は朝8時と告知されていたので8時になってから電話をかけるがなかなか繋がらず。ネットでチャゲアスのオフィシャルサイトのBBSの情報も読みつつ、15分ほど過ぎてやっと繋がり聞こえたのは「決定は8時30分に…」。少しイライラしつつ再び8:30から電話を何度もかける。
 そして8:38、繋がった電話から「決行」の案内が…。おっしゃ行くぞ!! 中央線は止まっているらしいけど、中央高速はまだ通行止めになっていないからクルマで飛ばすのみ。

荷物の準備をして、弥生さんのクルマに乗り込んで11時頃に出発。…ところが、最初からCDプレーヤーがやたら音飛びしたり妙だったのだが、走り始めて5分ほどした時にエンジンがかからなくなり止まってしまった。細い道にけっこうなクルマの量だったので、とりあえず人力で押して道の脇に。バッテリーが上がったか?
 急ぎJAFに電話して、待っている間に弥生さん以外の3人で近所のコンビニにドリンクを買いに行く。戻ってきたら既にJAFの人が到着していて、バッテリーの問題ではなく発電機が壊れていることが判明。これじゃ修理に出さないと走れません。

ということで急遽レンタカーを借りて行くことに。かくして12時ちょっと過ぎ、借りたistでようやく富士急ハイランドに向けて出発。このist、カーナビもCDも付いていたので、AOIさんが持ち込んだチャゲアスのCDをかけまくってひたすら予習。小田さんの曲は4人ともよく知ってるんだけどチャゲアスは弥生さんだけちょっと縁遠かったので。
 首都高を抜け中央道に入り、途中、石川PAでトイレ休憩。雨がひどくて駐車場から建物まで走る。たこ焼きを頬張り、再び出発。相変わらず雨はひどいが、微妙に空が明るくなってきた気が。さらに西進して談合坂SAで昼食。まだ雨は降っている。レストランでカツ丼を食べ出発。大月JCTで分岐、河口湖へ。終点の河口湖ICを降りたところが富士急ハイランド。雨は止み、空もかなり明るくなっていた。

トイレを借りる為に園内のホテルへ。ロビーでふたたび携帯でネットをチェックすると、「18時以降の降水確率0%」の予報が。意味もなく勝った気分になってみたり。
 で、そろそろ並ぶことにしたのだが、これがまだ物凄い長さで、荒天で運転を中止していたフジヤマが再開されて客の悲鳴を聞きつつ並ぶ。スタッフの不足もあって途中からの割り込みが公然とされる状態になったりで、正直あまり気分のいい待ち時間ではなかった。ともあれ何とか入場。物販にもけっこうな列ができていたが、FC通販でも売ってるチャゲアスの夏イベント用Tシャツ&タオルしかない(小田さんグッズの販売はなし…)ということで特に興味もなく。隣のCDコーナーやドリンク販売は空いていたので席を確認してから行くことにした。
 で、席を確認。Hブロックというから余り期待はしていなかったのだが、もともと左右に広い会場で、Hブロックは中央付近(照明用櫓の左)の階段の部分で、僕らの席は階段のいちばん上。その後ろにも席はあるのだけど、階段席だけにコンサート中立ち上がって動いても前列もきにならないし後列にもあまり迷惑をかけないし、しかもかなり真ん中に近いのでステージも観やすく、もっと前の平面部分の席より観やすいのは間違いない。会場自体の奥行きがそれほどないので、ヘタするとアリーナクラスの会場のアリーナ席後方よりよほどイイ席かも。
 ステージの両脇にはトラック作りつけの移動式大型モニターが設置され、メインステージから花道が延びてセンターステージが作られていて(開演前は下げられていたが)これが気になるところ。

丁度会場に入った頃からステージでお馴染みの音楽が流れていて何だろうと思ったら…、前座として松本晃彦さんが「踊る大捜査線」サウンドトラックの曲をライヴで演っていた。松本さんはここ数年ドラマや映画音楽での活躍が多いが「Something There」のアレンジでチャゲアスと仕事をして以来関係は深く、ASKAソロツアーのバンマスでもあり、いつのまにか所属もチャゲアスの事務所に移っていたり。考えてみれば松本さん(踊る大捜査線)・小田さん(東京ラブストーリー)・チャゲアス(振り返れば奴がいる)と、今日はみんな織田裕二のドラマ代表作に音楽面で関わっている人達でもあるのだが。
 みみなと共にトイレに行ったあと販売コーナーへ。CD売り場は意外に空いていて、6日に出たばかりの「THE LIVE」DVDを買う。みみなは以前うちで観て欲しいと行っていた1999-2000年の福岡ドームでのカウントダウンライヴ「千年夜一夜ライブ」DVDを買っていた。そのあとビールを買い込んで席に戻る。もっとも今日は涼しいのであまり飲み物を必要としなかったのだが、まぁコンサート中に買いに行くのもナンだし。

<センターステージ>
1. (メドレー) SAY YES
 〜ラブ・ストーリーは突然に
 〜青春の影
2. めぐり逢い
3. 眠れぬ夜
4. SAY YES
5. Yes-No
<小田和正>
6. キラキラ
7. 夏の日
<CHAGE&ASKA>
8. NとLの野球帽
9. not at all
<センターステージ>
10. 終章(エピローグ)
11. たそがれ
<Special Guest: 財津和夫>
12. 心の旅
13. サボテンの花
<センターステージ>
14. ラブ・ストーリーは突然に
15. 僕はこの目で嘘をつく
16. 言葉にできない
17. 太陽と埃の中で
<メインステージ>
18.YAH YAH YAH
19.Yes-Yes-Yes
<アンコール:センターステージ>
20.青春の影
開演予定時刻より40分ほど遅れて3人が登場。一気に会場内のボルテージが高まる中、なんといきなり花道を通ってセンターステージへ。そして3人だけのアカペラによる「SAY YES」のサビからライヴが始まった。メドレーでそのまま「ラブ・ストーリーは突然に」のサビ、そして今回のライヴのタイトルにもなっているチューリップの名曲「青春の影」を唄ったあと、3人がギターを抱えて演奏。
 センターステージはライヴ途中のイベントコーナーみたいなものかなと思っていたら、このライヴの大半がセンターステージ上での3人だけによる演奏で、メインステージでのバンドを従えた演奏は小田さん・チャゲアスそれぞれのコーナーと最後だけだった。なるほど、たった1日のために2ヶ月も前からリハーサルをする訳だ…。
 小田さんはチャゲアスの二人を「柴田&宮崎」としきりに本名で呼んでいおり、その理由は「君らもその歳で"チャゲ" "飛鳥"はないだろう」だって…(^^;;)小田さんらしいというか。CHAGEが「じゃ今日は小田さんのことを"カズリン"と呼びます」と言ってたが(笑) それに小田さん「君たちキャーキャー言われるんだね」とか「今日は65%が君たちのファンだから」とか言うし(^^;;) 隣で負けずに(?) AOIさんが「小田さ〜んっ!!」と叫んでましたけど。
 センターステージからメインステージへ移動して、チャゲアスが一旦下がって小田さん単独のコーナーとして2曲。バックはチャゲアスのツアーバンドメンバーで、(一応アレンジのクレジットとして"Elder Street Boys"という名前が存在するのだが)バンド名は無いということで小田さんがつけた名前が「台風一過バンド」…(^^;;;) 次のツアーからこの名前になるんだろか。
 小田さんのあとはチャゲアス単独で2曲。今日も「NL」のラストではCHAGEがいつも通りギター掻き鳴らして弦ブチブチに切りまくり。ピックは放り投げなかったけど。

ふたたびセンターステージに3人が出てきて唄う。そして、ゲストの登場が告げられた。一部では噂になっていたそうだし、タイトルから安易に想像がつかないこともなかったのだが、それでも3人が「夢中さ君に」「魔法の黄色い靴」をメドレーで唄う中、財津和夫さんが登場した時には流石に震えた。もう大盛り上がり。
 小田さんと同い年で親友の財津さんが出演者でなくゲストになったのは「今更ひとの曲まで覚えられない」からだそうで(^^;;) 小田さんも想い出話モードになっており、最初に会ったのがポプコンの前身ライトミュージックコンテストの第1回で、この時の優勝が赤い鳥、2位がオフコース、6位がチューリップ。「ちなみに(南)こうせつは予選落ちでした」って小田さんそれをオチに使いますか(笑) たしかさださんも予選落ちだった筈だけど。チャゲアスにとっては同郷の大先輩で高校の頃はコピーをしていた訳で、今日はひたすら先輩に気を遣う役割です。小田さん延々と喋りまくるし(しかもオチがなかったりする…)。そして財津さんを迎えて唄ったのは誰もが知っている名曲2曲。小田さんも財津さんも56歳になる筈だけどあの綺麗な声は変わらないよなぁ。

財津さんがステージから下がった後、チャゲアスのバンドのドラムの今泉さんをリズムセクションに呼んで引き続きセンターステージでのライヴが続く。「ラブ・ストーリーは突然に」はラストのサビの前のパートをASKAが唄ったのだけど、小田さんとは全く違うあの唄い方で「君を誰にも渡さない」と唄った時に会場の客の大半がヤラレたような気が(笑/いわゆるASKA固め)。
 個人的には「言葉にできない」で泣きました。これもまた、3人がお互いの持ち味をじゅうぶんに引き出した1曲だったと思う。
「太陽と埃の中で」は最初の1コーラスが3人だけのアコースティック版で、間奏に入るところからバンドが加わって(STAMP版)一気に勢いをつけて、間奏中に3人がメインステージに移動して後半を唄った。そのままの勢いで「YAH YAH YAH」へ。小田ファンも何の躊躇もなく全員で拳を振り上げていた。で、凄かったのはこの勢いに負けずにラストの「Yes-Yes-Yes」を演ったこと。ここが小田さんの凄さだろう。
 ステージを一旦下がることをせず、そのままセンターステージに移動してアンコール(?)。ラストはやはり「青春の影」だった。1番は普通に唄ったのだが、2番が替え歌になっていた。

 みんな今日はとても 本当にありがとう
 こんなとこまで来てくれて
 楽しい日はいつも 早く過ぎていく
 忘れられない想い出になったけど
 いつかまた遠い夏の日
 こうして この場所で会えたら
 その日 その時までの約束
 みんな元気で その日まで


 空に花火が打ち上げられ、ライヴ終了。単なるジョイントライヴでない、本当の意味でのスペシャル・ライヴだった。最後の「約束」が何年後に果たされるのか分からないけど、その時は何処でやることになっても絶対にまた行こうと思う。とりあえず今日の模様はDVDにして欲しいなぁ…。この天気で断念した人もいるんだし。

会場を出て、折角来たのだから23時まで営業している富士急ハイランドに入場(ライブのチケットで入場できる)。夜じゃドドンパもフジヤマもそこまで面白くないだろうし、目的はただひとつガンダム・ザ・ライド。東京ディズニーランドの「スターツアーズ」みたいなもので映像+立体音響+振動する客席を組み合わせた最近のテーマパークではお馴染みのものだが、ガンダムでやっているのはここだけ。たしかにガンダム好きには細かい部分で色々くすぐってくれるのだが、なにぶん揺れが凄いのと展開が早すぎて、そういった細かいネタを堪能するには何度か乗らないといけなさそうな。(後で買ったパンフレットで確認したくらいだし) そのあと併設のショップでグッズを土産用に色々買ったのだが、以前売っていたはずの限定品ガンプラは売り切れて存在しなかった。残念。
 流石に腹が減ったので、園内で軽く食べて富士急をあとにし、一路東京へ。首都高ではいわゆる首都高バトルを見た…というかバトルの果てに急カーブでミスってエンジンルームを壁にめり込ませたクラウンと追突寸前で止まったソアラで一車線規制になった現場を通過したのだが。高速を降りた後デニーズで襲い夕食の後、26時過ぎにAOIさん宅に到着。