時々日記: 2003.7.1-7.15

 過激な1人遊び
 2003.7.3(Thu)
今日は名古屋でさだまさしのFC専用コンサート「まさしんぐWORLDコンサート」を聴く。会場はセンチュリーホール。去年は小田和正、今年はチャゲアスを此処で聴いているけど、さだまさしで此処は久しぶりかなぁ。名古屋の大きなホールでは此処がいちばん音がいいと思う。椅子も腰の部分のサポートがしっかりしていてとても座りやすい。しかも今回はちょっとワケアリでPA席のすぐ前だから一番音がいい席ということになる。席を取って貰った従姉のクルマで白鳥へ。
 大阪は勿論のこと、東京や名古屋でもさだまさしコンサートに行くと大抵知り合いに会うのだが、今回は「顔は何度も見ているのだけど名前はお互いに知らない」人しか見かけなかった。Sinさんもいらっしゃっていたそうだが。開演前にツアーパンフを買う(物販のブースで販売を担当していた女性が結構かわいかった…)。今回は「WORLD」用のパンフは用意されず、アコースティックコンサート用のパンフレット。

緞帳が下がった状態のまま座長挨拶(笑)のあと、チキンガーリックステーキが登場。…あれ?1人足りない? 兼業の仕事から抜けられなかったか? 今月末の名古屋でのライヴハウス出演時は6人で来ると言っていたけど。6曲唄い、そのあと佐田玲子が3曲(実質2曲か)を唄って休憩に。

第2部はいつもの通りさだまさしコンサート。今回は「まほろばの国で」というサブタイトルが付いて春から季節を一周する形で選曲されていた。最初の座長挨拶の時に「今日はさだ一人で演ります」と言っていたが、ステージ上には立体的な構成でいくつもマイクや椅子がセットされていたので途中からバンドメンバーが出てくるのかなーと思っていたのだが…、なんとホントにさだ一人で、1曲唄う度にセットを移動してギターを換えて唄うのであった。
 しかも1曲目で使ったギターは本体がカーボングラファイト製のギター(日本でもタカミネが作っているが)、そして2曲目はガットギターのエレアコ(たぶんヤマハのAPX)。3曲目ではなんとシンセギターと、さだまさしが使うギターとしては珍しいものばかりが続いた。特にシンセギターはそのあとも「風が伝えた愛の唄」「絵画館」「October」などかなりの曲で使われ、音色もエレキピアノやグロッケン、シンセストリングスなどを使い、ギター1本で別世界を生み出すという珍しいコンサートとなった。1人でやるけど単なるギター1本のコンサートにしないという意向なのだろう。選曲も含めてこういう実験的というか過激なことができるのもFC専用コンサート故か。シンセギターが馴染んでいないせいか弾き間違いがけっこうあったけど(^^;;) しかも1人で演奏しているため間違うと目立つし。
 しかしまさか「敗戦投手」を聴けるとは思いませんでした(笑)。しかも途中のブレイク部分での台詞が「悲しいときー!!」になってるし(27時間テレビの時に"いつもここから"が余程気に入ったか?)。「悲しいときー!! 携帯の番号を変えられた時ー!!」最後の「結論を二人に叩きつける」台詞が明るい口調の「いやー良かったですね、お似合いのカップルじゃないですか〜」になっていてオリジナルの「よ、よかったですね」よりも悲惨さが増している気がするんですが(汗)

気になっていた「長崎から」の今年のゲストだが、いつものレギュラー意外には夏川りみと韓国の歌手が1人とのことで、例年よりもちょっと地味かなぁ(苦笑)。27時間テレビの新幹線の車掌さんの話もあれ以上は分からかったようだし。

[第1部]
<チキンガーリックステーキ>1.Love Love Love 2.メンバー紹介〜Stand by Me 3.鉄腕アトム 4.It's a Brand New Day 5.優しい風 6.ときめくかけら
<佐田玲子>1.予約席 2.島原の子守歌〜風待ち
[第2部:さだまさし]
1.春 2.April Fool 3.チャンス 4.甲子園 5.敗戦投手 6.ナイルにて 7.pineapple hill 8.風が伝えた愛の唄 9.絵画館 10.October 11.秋桜 12.たいせつなひと 13.寒北斗 14.聖夜 15.まほろば [Encore] 16.いつも君の味方 17.祈り

気コンサート終了後、急いで名古屋駅に直行、新幹線で京都へ。さて次は長崎か。

  輝きは飾りじゃない
 2003.7.5(Sat)
2000本安打まであと3本に迫っていた立浪が今日の対ジャイアンツ戦で2塁打2本とシングル1本の3安打で一気に達成したそうで、これで中日ドラゴンズの2003年シーズンは終了しました(泣笑)。去年も川上のノーヒットノーラン達成の時に同じ事を書いたような。
 前にも書いたけど、2000本安打を達成するような選手って大抵は引退が迫っているベテランが多く(達成まではと代打専業など現役をなんとか続けて達成後まもなく引退する人も多い)、達成目前の「産みの苦しみ」があったりするものだが、立浪の場合はまだ33歳と史上4番目の若さでの達成(試合数では9位)で、しかも今シーズンも主に4番に入って大活躍しているから凄い。そして昨日2安打・今日3安打と猛打であっさり達成して名球会入り。年齢を考えると、このあともまだまだ頑張るだろうし2500安打くらいまでは届きそうな気がする。

今日の達成時に職員の女性から花束を取り上げて(笑)自ら渡していたPLの2年先輩・清原よりも先に達成したというのが彼の凄さを表している気がする。たしかに清原に比べたら大きな故障が少なかったのは確かだが、高卒1年目から大活躍して優勝と新人王を獲った翌年、肩を傷めてほぼ1年棒に振ったこともあったし(翌年には復活ししかも打撃開眼で3割を打ったから凄いが)、チームのナゴヤドーム移転後は人工芝で膝や腰も傷めてしまい、今シーズンも相当に酷い状態の中で出場し続けているという。プロとしては小柄なあの体で、だ。
 余談だが、清原の怪我の多さの原因のひとつに挙げられる死球の多さについて、あれは清原自身にも問題があると思う。危険球から逃げない彼の男気を褒める風潮があるけど、プロなら怪我の可能性を少しでも減らして試合に出続けることが大切な筈であって、あれは「危険球から逃げない」というよりも単に「よけ方がヘタ」なだけではないか?と思うのだが。もし「敢えて逃げない」のであれば、それで故障を増やして自らの出場機会と選手生命を縮めていることになる訳で、断じて感心できるモノではない。話がそれた。

故障により、たしかに守備にはかつての華麗さは見られなくなったし一時は外野を守らされたりしたが、あれで一度も打撃タイトルを獲っていないのが不思議なくらいの勝負強さと2塁打の多さ(現役1位、福本の最多記録にまで残り50本くらい)やチームリーダーとしての統率力は、思い出してみればあの清原・桑田の時代でも為し得なかった甲子園春夏連覇を達成した時のPLの主将で3番を打っていた(4番が片岡)頃から既に備わっていた訳で。
 99年のリーグ優勝も彼の力は大きかったし、普段はクールで物静かなタイプに見られがちだが、1994年、伝説の"10.8決戦"で、なんとしても塁に出ようという気迫で1塁にヘッドスライディングを試み肩から1塁に激突して脱臼したこともあった。あの時の鬼気迫る様子はいまでも忘れられない。

ちなみに今日のタイトルは彼がルーキーの頃を思い出して付けてみました。あの曲をナゴヤ球場ではメジャーに転調して演ってたんだよな(笑)。当時開業したばかりの東京ドームでは鳴り物の持ち込み規制があって、トランペット1本で原曲と同じマイナーで吹いてたけど。

 驚異の店
 2003.7.8(Tue)
前期のゼミも今日で終了、四条東洞院のとある店で打ち上げ。細い道に面している上に店の表に看板も出ていないという、きわめて場所がわかりにくい店で、研究室の学生と連れ立って行ったから良かったものの一人で探していたらまず見つからなかっただろうという位のわかりにくさ。で、料理だが、これがまた2500円でものすごい皿数の創作料理が出てきて、食べ放題でもここまでは出ないだろうという(もっとも、食べ放題だったら最後まで食い切っていないだろうが…)位の量の多さ。普通、1次会って2時間程度で終わるものだが、料理が出終わったら3時間半が経過していた(笑)。なにしろピザが出てきてそろそろ〆かと思ったらその後からタン塩やら鱧の天麩羅が出てきて、さらに漬物の寿司、デザートと出てやっと終わったという。出す順番何か間違えている気がするのだけど…、ま、安くてあれだけ食えりゃいいか。旨かったし。しかし結構ワインを飲んだせいで、チャリでの帰りが大変だった…(苦笑)。

で、明日からまた教授が入院ということでしばらく羽を伸ばせる実験や論文、学会発表の準備などの進みがまたノロくなるかなぁ。まぁゼミも終わったので、とりあえず来週まではライヴの準備にシフトしますが。

 罪と罰
 2003.7.10(Thu)
こういう事件が起きる度にやりきれない気分になる…。色々と書きたいこともあるけど、今は自分自身のことで手がいっぱいで、うまくまとめるだけの時間がない。もちろん個人的に良く知っている街の、毎年のように歩いている商店街で起きた事件で、現場として紹介されている電気店も何度か買い出しに行っているし、あの商店街がテレビに映る度に今迄の個人的な記憶と重ねてしまうのは仕方ないことだろうけど。
 そういう個人的な衝撃もあるのだけど、いちばん怖いのは、加害者の年齢を聞いた時に「あー、またかよ…」という感慨を持ってしまう「慣れ」というか、こういう事件が起こる度に少しずつ麻痺していく感覚のような。

 昇天
 2003.7.11(Fri)
帰宅途中にコンビニで混ぜご飯系の弁当を買って、下宿で電子レンジに入れて「チン」を待っていたら…、途中でいきなり電子レンジの動作音が消えてしまった。当然「チン」も言わず。スイッチを押しても何も反応せず、コンセントその他を調べても異常は見つからず。色々チェックした結果「あたため途中で逝ってしまわれた」という結論に。まぁ10年以上働かせてきたから仕方ないか。…しかし、この微妙に温めかけ状態で残された(ほとんど冷めてるが)弁当はどうしてくれる(苦笑)。けっきょく冷めたまま食ったけど。
 流石に一人暮らしで電子レンジがないと困ることが多い。ので、明日にでも買いに行くしかないか。オーブンのない単純な機能の電子レンジなら1万円くらいか。上京&長崎行きを前に思わぬ出費だなぁ(涙)。

 おかいもの
 2003.7.13(Sun)
てな訳で、スタジオワーク(笑)を中断して四条寺町の電気店街まで電子レンジを買いに出掛ける。ついでにマルチトラックMDレコーダー用のMD-DATAディスクと、公楽荘でのテレホンショッキング状態(昨年初めて試みたもので、携帯のイヤホンジャックを使って宴会場と参加できなかった人の会話を実現)にも使えるステレオマイク(以前からとっちゃんとのネタ収録用に狙っていた)も購入し、溜まったポイントを使う形で電子レンジを購入しようという算段。
 さて、四条までバスで出たら、通りの一部が柵で囲われて祇園祭の山鉾が既に組み上げられていた。そういえばもう明後日は宵々山だものな。雨天ながらデジカメやカメラ付き携帯を持った人達がさかんに写していたが…、スーツ着たおじさんがカメラ付き携帯で撮っている姿を見ると、カメラ付き携帯は日本の町中の風景を明らかに変えたと実感する。(まぁ携帯電話そのものがずいぶん風景を変えたけど)

けっきょくSHARP製の電子レンジを購入。税込みで9500円くらい。そのまま持ち帰りは流石に重かった…。

 そろそろパニック
 2003.7.14(Mon)
やっとのことで公楽荘友の会の今年の宿泊案内を含む会報を印刷。ホントは一緒にライヴのパンフレットの印刷も終わらせたかったのだが、まだ原稿に完成していない部分があり取り敢えず印刷できる分だけ(っても全8頁だからB4両面印刷で2枚、つまり印刷したのは1枚分ということだが)
 さて、ライヴが目前に迫り準備も煮詰まりまくってキレそうなこの状況下で、印刷した会報を製本して袋詰めして郵便局に出さねばならん…。