時々日記: 2003.5.1-5.15

 交叉する想いと痛み
 2003.5.1(Thu)
今日はAOIさんのお誘いでシアター・ドラマシティに劇団キャラメルボックスの大阪公演を観に行く。なんでも「ジャパンツアー」中だそうで(笑)しかも2演目でのツアーという。今日観たのは「ALONE AGAIN」で、この大阪が最終公演。もうひとつの「太陽まであと一歩」がこのあと札幌・名古屋を回った後に神戸で公演予定。
 シアター・ドラマシティは茶屋町のホテル阪急インターナショナル・梅田コマ劇場が入っている茶屋町アプローズの地下なので、阪急梅田から歩いて茶屋町へ。途中「茶屋町ブルーノ」でカレーを食べる。最初口に入れた時は甘く、後から辛さが来る旨いカレー。

開演までかなり時間的な余裕があったので入場した時はまだ客席にほとんど人がいなかったが、開演時間には満員。AOIさんが東京でチケットの問い合わせをした時には随分チケットが余っているという話だったのだけど、流石と言うべきか。

 すべての夢を手にしたような…
 2003.5.2(Fri)
今日は夕方から大坂城ホールでCHAGE&ASKAのライヴ。昼食を百万遍の新福菜館でとった後、京大構内をAOIさんと散歩。ひさしぶりに総合人間学部(旧教養部)構内を歩いていたら、図書館の前にゴルゴ像(折田先生像?)がまだあった…。その折田先生像、本物は現在は撤去されてしまったが、銅像本体や銘板は取り外されてこの図書館の地下倉庫に眠っており、台座は構内の隅に捨てられた状態という。昨年解体されたA号館の北側棟(旧制三高時代からの建物)の跡地に現在建設中の新校舎が完成したらロビーあたりに復活するのではないかと思うのだが。
 その総合人間学部図書館と本部の大学附属図書館は学生証によるゲート認証での入館システムなので学外者は申請しないと入れないのだが、文学部図書館や農学部図書室といった学部ごとの図書室はたいていノーチェックで入れるので本好きのAOIさんを連れて行ったら、いろいろ興味深げに読んでいた。

少し早めに出発して、出町柳から京阪特急で大阪へ。大坂城ホールに直行するなら京橋下車でいいのだが今日は終点の淀屋橋で下車、歩いて梅田の阪神百貨店の地下でいか焼き(勿論デラバン)と冷麺を食い、早めの夕食とする。それから環状線に乗って大阪城公園で下車、大坂城ホールへ。開場時間直後に到着したので物販でツアーパンフなどを買っても開演までまだ1時間近くあったのだが。
 さて席についてみると、ステージから真っ正面のスタンド席なので最も遠いエリアなのだけど、前から4列目なのでアリーナ席の最後方とたいして変わらず、むしろ列ごとの段差がある分アリーナ席より観易いかも。今回は大型モニターもあるし。そのモニターと、開演前までステージを隠している紗幕(オープニング・エンディングの映画もここに映される)には、CHAGEがデジカメで撮影した写真がスライドショーで次々と写されていた。かなりヘンな写真が色々あったような(笑)。

意外に曲目や曲順の変更があってびっくり。1月に名古屋で聴いた時には演っていなかった「SAY YES」も「STAMP」版の前半をアカペラのようなアレンジで作り直して入っていた。「そんなもんだろう」「クルミを割れた日」が外れて「SAY YES」「この愛のために」が加わり、2曲目くらいに演っていた「太陽と埃の中で」がラストに回るなど大きな曲順変更もあり。アリーナ公演ということで色々いじったのかもしれないけど、去年はホールもアリーナもほぼ同じで演ってたしなぁ。結果としては今回の方が全体の流れが良くなったような印象は確かにあった。

 大阪通い最終日
 2003.5.3(Fri)
3日続けて大阪にお出かけ。今日は風呂さんのライブが大阪市役所の前であるそうで、前夜に狂授にお誘い電話を掛けたら風呂さんが狂授宅に泊まっていた(笑)。風呂さんの出番は午前11時からで、差し入れに阪神百貨店のいか焼きを買っていくことになり早めに出発。
 淀屋橋で降りて、いちど中之島の大阪市役所の前を素通りする形で御堂筋を直進、梅田の阪神百貨店の開店直後くらいに着いたのだが、既に待ち行列ができていた…。それから歩いて再び中之島へ。ほどなく風呂さんを発見、出演前なので会話もほどほどに。風呂さんから頼まれたデジカメだけでなく自分のも持っていたので風呂さんの出演中はほとんどカメラ担当であったのだが。CDも売れていたようで何より。

風呂さんの出演が終わった後、新サイトの打ち合わせ。風呂さんが現在やっているサイトは今月中に閉鎖されるとのことで、かじりんの容認ファンクラブサイトの内容も統合した上で僕の管理下に移転統合することになったもの。コンセプトを色々と模索中。尚URLはhttp://homepage.mac.com/ryokan/furo/になる予定。
 打ち合わせを終えた後ひとりで京都に戻る。なにしろ連休明けにゼミの当番なのでその準備をしないと…。

 両眼視野闘争
 2003.5.6(Tue)
どうにかゼミ発表終了。前日寝ていなくて、しかも今日のゼミは長引いて、いつも13:00から始まるのだけど休憩を挟んで俺の発表を始めたのが16:30から。発表中に寝そうでした…(^^;;) 今日は「両眼視野闘争」を主に視覚と脳内の意識についての記事を紹介したのだけど、神経生理学の用語が頻発するとワケ分からなくなるなぁ…。最近は4回生やM1からの相談や質問を受けることも増えたし、もっと色々と他分野も勉強しないといかんなと痛感する今日此頃。

帰宅後は流石に爆睡。そのあと起きてから、風呂さんサイトをちまちまと作り始めた。

 無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァァッ (by DIO)
 2003.5.9(Sat)
MacのCD/DVDドライブをCD-RW/DVD-RWに交換してから1ヶ月近く経過したが、ふと思い立って試しにCCCDを読み込ませてみたら…、何もトラブルなくあっさりと読み込み成功。勿論MP3・AACへのリッピングも問題なくできてしまった。(^^;)
 現行のCCCDは、CDのトラック部分に意図的にエラーを紛れ込ませて、PC用のCD/DVDドライブで読み込ませる時にファイルが破損しているように見せかけるもので、これをAV機器のCDプレイヤーで読み込ませる場合は、傷が入ったり埃が付着したディスクと同様の処理で機器側でエラー補正を行う。極端な話、AV機器では音飛びしてでも強引に読んでしまう訳で。だからPC用のドライブでもピックアップの精度が低い旧型のCDドライブの方が精度の上がったCD/DVDドライブよりもCCCDを読み込む確率は高いとされてきたのだが、最近のDVDプレイヤーは(CDに比べるとトラックにエラーが含まれる確率が高い)CD-R/RWに対応しているものも多く、ピックアップの精度が広範囲で可変できるものが出てきた上にエラー補正機能も強化されており、いっぽうCCCDにしても、AV機器のDVDプレイヤー(最近はDVDミニコンポというのもあるし)では読めるようにしていないと消費者側からの批判を免れないだろうし、これ以上意図的なエラーの度合いを増やすこともできないのだろう。結果、CD/DVDドライブの機種によってはCCCDの主旨がまったく無意味になってしまうのである。

それでも、読める場合でもエラー補正のために機器側に余計な負担をかけているのは事実で、こんな無意味なCCCDなんぞさっさと止めてしまうべきだと思うのだが…。なおDVDやSACD(SONYが策定した次世代オーディオディスクの規格)ではファイル内に複製困難な電子透かしを埋め込むため規格外のことをやらなくてもコピー防止はできるのだそうで、CDのライセンサーであるSONYが根本的なCDコピー防止対策を施さず子会社SonyMusicが規格外のCCCDを作り始めたのを容認しているのも、ソフトメーカーを早くSACDに移行させたいのが本音で間もなく特許期限も切れてしまうCDに今更技術スタッフを注ぎ込む必要もないと考えているからだろう。
 もっともSACD、DVDオーディオより音がいい(最近さだまさしのCDのリマスタリングでよく出てくるDSDをマスタリングだけでなくディスク自体の記録方式で採用している)のは分かるけど、機器をビデオと共通化できる便利さを考えるとDVDオーディオには勝てないような気がする…。むしろ将来的にはDVDオーディオの音声規格にドルビーデジタル・dtsといったビデオ用の圧縮音声や非圧縮のリニアPCM(CDと同じ、ただしサンプリング周波数が高い)に加えてDSDが追加されるんじゃなかろうか。

 ハイウェイ・スター
 2003.5.13(Tue)
モントーヤがスピード違反で捕まり一発で免停だそうで(笑)。まぁあの手の人達は体感で200km/hオーバーの世界に慣れているし、クルマの限界を見極めた上での運転だから一般人のそれに比べたらまったく危険じゃないだろうけど、違反は違反だからね。そういえばチームメイトのラルフ・シューマッハ(弟)も以前スピード違反で免停になっていなかったっけ。…そんなところで張り合うなよ(笑)。ちなみにミハエル・シューマッハ(兄)やハッキネンがスピード違反で捕まったという話は聞いたことがないな。日本でも星野一義や中嶋悟は安全運転の啓蒙キャンペーンに駆り出されてたくらいだし。片山右京は「周りにクルマがいない時」限定で限界を超えない安全な範囲?でやってるとか言ってたけど(笑)。

F1ドライバーのスピード違反ネタで一番好きな話(^^;)は、10年くらい前、イギリスの高速道路を猛スピードで走るクルマをパトカーが捕まえ、停車させたあと警官が「おいおいオマエはナイジェル・マンセルにでもなったつもりかぁ?」ブリティッシュ・ジョークかましながら運転席をのぞき込んだらアイルトン・セナが座っていたというマンガのような実話。先日(5月1日)で、彼がタンブレロで逝ってからもう9年が過ぎたのね…。