時々日記: 2003.3.16-3.31

 再び撃沈
 2003.3.17(Mon)
リハーサル2回目。いまだ結論が確定しておらず、そこに至るまでの過程の説明もまだまだの状態。やはり集中砲火を浴びて撃沈です。はぁぁ、明後日までにきちんと出来るのだろうか…。

そのあと急いで京都駅のアバンティホールへ。かねてより狂授からお誘いのあった「都丸・ざこば二人会」を聴くため。落語を生で聴くのは約1年ぶりで、都丸師匠やざこば師匠の落語を聴くのは初めて。まぁ都丸師匠というと僕の¥からしてみると最初に知ったのが「仮面ライダー」(スカイライダー)の「がんがんじい」役なんですが。
 狂授が近所のお好み焼き屋で都丸師匠の後援会の人と仲良くなってからいろいろ付き合いが広がって、そこから僕にもお誘いが来たのだが、この話が最初に出た時にはまさか俺も自分自身がここまで修羅場になっているとは思っていなかったので(汗)興味があったから喜んで承けたのだけど、リハーサルが押したため到着時には前座が終わって都丸師匠の「竈突泥棒」が始まっていたところだった。その後ざこば師匠が出てきて「竈突幽霊」。竈突(へっつい、かまどの意)の噺が続く。
 中入り後、都丸師匠が出てくるのかと思えば先にざこば師匠が出てきたのだが、なんと枕だけで噺を終えてしまった(笑)。最後は都丸師匠の「花筏」でおしまい。そのあと、後援会の方々に連れられて飲み会にも参加させていただいた。

 そうともそれだけで十分に僕等は忙しすぎる
 2003.3.20(Thu)
ここ数日ろくにニュースを見ていなかったので、今日がブッシュのいう「48時間」経過後になるということに気づいていなかった。いよいよ開戦ということか。長引けば勿論いろいろなところに影響が出るだろうし、早期に終結してもその勢いのまま別の方面にも手を出して(北朝鮮とか)けっきょく混乱した事態が世界中で続いていく気もするのだが…、どうなるのかなぁ。
 ただ、国連の動向を無視してこれだけアメリカが動いてしまうことが現実にできてしまっている事実は重い。どのようにアメリカが暴走しても現実問題としてどこも止めることがはできていない訳で、もう国連もG8によるサミットも今迄のような意味を持てないのではないか。となると、それが理想的でなく倫理的に疑問があるにしても、日本としてもこれまでの国連重視から、今まで以上にアメリカとの関係を重視した(もちろん追従とは違う方向であるべきだが)新たな国際秩序の構築に早く切り替えるべきかもしれない。理想論でなく実利をとるなら。

そんな時にブッシュと大統領の座を争ったゴアがAppleの取締役に就任するというのも奇妙なものである。まぁ元々この人はMacUserだったという話は聞いてはいたけど、タイミングがタイミングだけに、「たられば」話は無しとはいえど、あの選挙の結果が逆に出ていて、ゴアが今頃Apple取締役でなくホワイトハウスの主だったら、あの9.11も今回の戦争も無かったか、あるいは別の形になっていたのだろうか…、とふと考えてしまった。

で、今日が最終リハーサル。というのは先生方をはじめ大半の学生が今日出発してしまうからで、けっきょく昨日「結論はまだ出ない。うまく説明する方法について検討中である」という結論で発表することが確定し(血涙)、その方向で内容を練り直してきたのだが、今日のリハーサルでもまだ説明が足りなかったり解りにくい場所があるということで、今夜もまだPowerPointファイル・口頭で説明する原稿の練り直しで更けそうである。明日の夜出発だというのにまだ全然旅行の準備をしていないのよ。いつもの長崎行きよりヒドいなぁ…(汗)

 東へ西へ
 2003.3.21(Fri)
ほとんど徹夜で発表用のPowerPointファイルの修正を行い、最終版に。早朝に大学に出かけWindowsでの表示確認を行い、必要な原稿などをプリントアウトして帰宅。
 で、9:30にはお出かけ。河原町の京極東宝で「黄泉がえり」を観るためである。これだけ話題になっているし、AOIさんからも強く薦められたこともあって、出発当日になってエアポケットのように空い(け)た時間にようやく観ることができた。映画の紹介&レビューはAOIさんの文章が流石なのでそちらにお任せするとして(←手抜きだ)、かなり良かったですよ、やっぱ。キャスティングだけ見るとちょっと意外というか不安もあったけど、実際に観たらこれが非常に良かったり。映画を観ること自体が久しぶりだったけど、いいものを観ることができました。AOIさんありがとう。

このあと寺町四条に出て、今回のPowerPointファイル移送用にUSBフラッシュメモリを購入。128MBあって、ドライブもいらないから今後ZIPや100程度の書き込み内容ならCD-RWの代わりに頻繁に使いそう。キーホルダーのようになっていて、ストラップを取り付けられるので、今回はネックストラップで携帯電話とともに首からぶら下げて保管することになるだろう。
 昼食をとったあと帰宅、ようやく着替えなど出発の準備に入る。(^^;;;)

20時に下宿を出発、バスと地下鉄の乗り継ぎで京都駅へ。京都駅ホームから狂授に電話したら、狂授もこのあと研究集会のため東京に向かうのだそうで、年度末のこの時期はみんなバタバタしていますなぁ。
 21:33、夏にはいつもお馴染み「ムーンライト九州」で出発。もっとも友人もなくたった一人で乗るのは久しぶり(たぶん94年の夏以来)で、あまり楽しくないのは確か。やっぱ仲間と大勢で乗って、飲み食いしつつ馬鹿話して過ごすのがイイのだよなぁ。ともあれ、こうしてExperiment Tour 2002-2003"りょーかんちゃん、年度末も色々と大変ねぇ。" ツアーファイナルの地・福岡への旅が始まった。

 前夜
 2003.3.22(Sat)
6:30頃に下関到着。例によって早朝の駅弁販売があり、いつものように「ふくすし」を買って食べた。もっとも今回は日本酒を持ち込んでいる訳ではないので、ここ数年の夏のように早朝から弁当に入っているウニを肴に日本酒を喰らうという人間の屑状態にはなってません(笑)。
「ムーンライト九州」に使われる客車はもともとスキー列車用に改造されたもので大型荷物置き場や更衣室があり、その更衣室で7時頃にスーツにお召し替え。
 博多到着は7:27。すぐに宿泊先のホテルに向かう。雨が降っているけど駅から歩いてスグなので楽だ…。チェックインは午後からなので、大きな荷物だけ先に預け、博多駅に戻って普通列車に乗り九産大前駅で下車、今回の学会の会場となる九州産業大へ。会場として使われる建物の1階ロビーに設けられた受付で手続きを済ませる。

しかし流石に私立大学はキレイだなぁ。ここの大学は芸術学部もあって美術館や陶器を作るための窯まであり、その美術館や芸術学部が入っているポストモダン的な建物にはバーらしき設備まであった…。しかしキャンパス内に郵便貯金や銀行のATMがあるのは便利で羨ましいぞ。
 今回、会場がホストである九州大学のキャンパスでないのは、九大が移転統合計画の進行中で施設が古いことやシンポジウム会場に使えるようなサイズの講堂がないことが理由で、その結果なのか、今回の学会から発表にPowerPoint + プロジェクターを使った発表が可能になった(従来はOHPのみ)。どうしてもOHPだとスクリーン表示に歪みが出てしまうし、最近は動画やアニメーション効果を使ってわかりやすく説明するのが当たり前になってきているのでこれは有り難い。
 それに加えて今回は要旨集が原則的にPDFファイルによるCD-ROMになり、渡される冊子もかなり薄く軽くなったし。ただ、現地で要旨を見たい場合は私物でノートPCを持ち込まない限り不便だなぁ…と思っていたら、会場にノートパソコンとプリンタが用意され自由に出力できるようになっていて、興味ある内容だけプリントアウトして発表に臨むことができるようになっていた。

手続きを済ませた後、まだ時間があるので休憩室に充てられた部屋に行くと、S総研に勤める研究室の先輩がいたので挨拶して雑談。この業界は東大・京大の関係者が多く、特に京大は木質科学研究所という付属機関まであるので殊に多いのだが、そういった方々に会って挨拶するたびにうちの研究室の教授のこと(入院中)を聞かれた。まぁ当然といえばそうなんだけど。
 いちど1階に降りて、ロビーで準備中のポスター発表を見ていると、研究室のメンバーが到着したので合流。きょう発表する人も何人かいるのだが、初日に発表が終わると後は気が楽でいいいよなぁ(笑)。こちらは明日の発表までは気が抜けない。
 夕方までいろいろ発表を聴いた後、芸術学部の美術館(OBのカメラマンの写真展であった)を見て、博多に移動してホテルへ。クラス的にはさほど高くないビジネスホテルなのだが、浴室が広い!! 久しぶりにゆっくりと風呂に浸かりました。

ひと眠りした後、夜8時過ぎに天神に出かけて「一風堂」大名本店へ。一風堂は支店でも味が変わらないから通常メニューの赤丸新味・白丸元味なら京都で食べりゃいいのだが、数年前からここの本店だけは「かさね味」や醤油ラーメンといった別メニューをやっており、ぜひとも行きたかったところである。かさね味と明太子ご飯を頼んで食べた。うまうま。
 で、帰り道で見かけたタイトー直営のゲーセンに立ち寄ったら、期待通り、売れ残り処分らしきプライズでありましたよ、ハボぬいが(笑)。ということでフーボンのぬいぐるみをゲット。どんな遊び道具が増えるのだろうか。むふ。

ホテルに戻った後、iBookで明日の発表用のPowerPointファイルを開け、翌日の練習。ひとりリハーサルである。このあたりの過ごし方は東京開催のライヴに出る時とほとんど変わらない気が(笑)
 ところでこの部屋、電話とは別にモジュラージャックが用意されていて、iBookもつないでみたんだけど、どう設定してもネットに接続してくれない。なんでだろう〜。

 で、本番
 2003.3.23(Sun)
とうとう来てしまいました。8時過ぎにホテルを出て会場へ。9時からうちの研究室の感性系の研究をしている学生・先生の発表が集中し、俺がトリを務める形。しかも直前の発表は学生でなく先生で、こういう発表で非常にわかりやすく説明する人だけに、余計に俺が可哀想である(泣)。

10:15、いよいよ出番。部屋はある程度暗いとはいえ、やはり緊張する。かなり早口になっているのが自分でも分かるし、しょっちゅう噛んでるし。スライドの動作のタイミングも一度間違えたが、こちらはなんとかカバーでき、スクリーンの写り具合からアドリブでいくつか追加説明もできたので、実はある程度の余裕はあったのかもしれないが、やってる本人はとてもそんなぢゃ無かったです。
 で、かなり早口になったと感じていたのに発表が制限の12分をちょっとオーバーしてしまった。噛んだり追加説明したせいだろうけど、あれで早口でなかったら一体どれだけかかったのだろう…。
 そのあと質疑応答。このとき、特に質問が出なければ最低ひとつは座長から質問がされるのが通例で、その場合はあまり突飛な質問が出ることも少なく、事前に想定しておいた返答で済むケースが多いのだけど、一方で誰からも興味を持たれなかったような気がして寂しいのも事実。で、はたして今回は座長ではなく聴きに来ていたS総研の方から質問が出たので少しだけホッとしたのだが、やや説明に困った。で、説明を終え時間が来て演台を降りて聴講席に戻る瞬間に、もっといい説明を思いついた…(涙) そこがアドリブの難しさなのですが。まだまだダメだよなぁ。

お昼は学部時代の同期で同じ研究室だったF、研究室の先輩のHさんなどS総研の方々とご一緒して近所の中華料理屋で定食。午後からはシンポジウムだったが、今年はあまり面白くなかったなぁ。どうもうちの研究室の人は学生どころか先生も来ていなかった気がする(苦笑)。
 適当なところで会場を退出して、近所にある香椎宮に行ってみた。福岡にある香椎宮や箱崎宮って、よそのように「神宮」ではなく「宮」と呼ばれるのは何故なんでしょうかね。香椎宮まで続く参道は街路樹がものすごく古くて、道路上も緑で覆われているくらい立派なものだった。香椎宮自体はそれほど広い境内でもない。
 祭神は仲哀天皇と神功皇后(八幡宮の祭神である應神天皇の両親)で、本来なら「神宮」と呼ばれる格になるのかな。じっさい近所の香椎線の駅は「香椎神宮」となっている。仲哀天皇が熊襲征伐のため筑紫に赴いた時に大本営を置いた場所がここで、けっきょく天皇は此処で崩御した(この周辺の話はいろいろな考えを巡らせられる処で面白いのだが割愛)。このため、ここは廟所という扱いでもあったらしい(天皇陵自体は河内にあるが)

夕方からは懇親会だったがこちらには出席せず、屋台で飲み食いしたりキャナルシティで遊んだり。昨日と違ってもう発表が終わったから、かなりお気楽に遊べた。
 ホテルに戻ってからiBookを色々といじっていたらようやくネットに接続。けっきょく電話とは別に用意してあるモジュラージャックを使わずに、電話を外してケーブルをつなぎ変えるという手で解決したが、28.8kbpsでしかつながらない…。え? ドラゴンズ、去年変えたばかりのビジター用ユニフォームをまた変えるの? 今回は前立てラインが入ったクラシックスタイルで、ロゴや背番号などに白い縁が付いた、ドジャースのビジター用とまったく同じデザインである。これまでの青地のものもMLBではよくあるオルタネイトと呼ばれる第3ユニフォームと似ていたけど。ドラゴンズも去年のを第3ユニフォームとして残して、デーゲームのビジター用とかにして使い分けてもいいんじゃないかなぁ。あれはあれで結構良かったと思うし。

 オフ突入
 2003.3.24(Mon)
昨日までより少々遅めに起きて支度、荷物を預けたままチェックアウトして駅に向かう。今日は研究室の人の発表は先生のが1つあるだけで、あとは研究室や同期や先輩の発表などを聴く予定。
 学会自体、今日が最終日で午前中で発表が終了、午後からは大半の人が帰路へ。京大は今日が大学院の修了式、明日が学部の卒業式というスケジュールなので、みんな早々に京都に帰るようだが、こちらは卒業も修了も当事者ではないし、卒業式後のコンパなどをパスして暫く九州に残ることは既に宣言済みでご承知の通り。ここ数ヶ月はろくに休みもなかったので、束の間のオフである。

で、とりあえず福岡市内をうろついてから夕方に長崎に向かおうかと思ったのだが、考えてみれば今日は月曜日で公共施設の大半はお休み。福岡市立博物館で金印を見てこようかと思ったのだけど。まぁ長崎からの帰りにでも時間を作れば見られるかなということで、予定を早めて15:00発の「かもめ25号」に乗車、長崎へ。もちろん885系電車の「白いかもめ」なのだが…、走行中しょっちゅう耳障りな音がしていたのが気になる。アルミ製車体で剛性が低いとか、そういうことではないと思うんだけど。振子制御動作時にパンタグラフの位置を固定するためのワイヤーの音かしら。

ともあれ17時頃長崎に到着。今日は一人だしギターを持っている訳でもないので(苦笑)タクシーではなく路面電車で思案橋に向かう。季節が違うから当然だがあの暑さもないし、こちらの格好も学会からの直行だけにスーツ姿+ロングコート。ものすごく違和感である(笑)。しかし、コンサートがある訳でもないのに、公楽荘に向かう時の不思議な高揚感は夏と同様に沸き起こるものですね。結論として最早コンサートは関係ないということか?(^^;;)
 思案橋電停で降りて通りを抜け、福砂屋を過ぎて丸山公園に差し掛かったところで、買い物に出かけるママさんと遭遇。いつものようにロビーにたどり着いたところでソファに座りぼーっとしていると、ほどなくママさんが戻ってきたので、iBookを開けて今回の学会発表のスライドを見せたり、先日あいびすさんが送ってくれた92〜94年の公楽荘/「長崎から」の写真を見せたりしていた。なにしろ92年は小浜開催で、宴会で土人さんがセーラー服だの狂授から借りたチャイナドレスだの着てコスプレ大会があった時で、その写真がぞろぞろ。ママさんも大ウケ。

そのうち土人さんもやってきたので先程の写真を見せたら断末魔の叫びを(笑)。そのあと「かたろう」に移動、二人で飲み始めた。先月、俺が東京で実験をしていた頃に土人さんは肺炎にかかって入院してしまい、更に咳のしすぎで網膜が破れ(!!)その手術もしたという大変ぶりだったということで、ホントに無理しないでねと思う。まもなく例のピースミュージアムが完成し(4月予定)、そのあとは事務の仕事を辞めるそうで、現在も仕事は午後だけで徐々に新たな仕事に入りつつあるようだ。とにかくあの仕事は色々な意味で大変だったろうと思うので、そういう状況であることを聞いて少しだけ安心したというか。
 伺っていた予定時間より少し遅れて長崎大のM田先生も合流、昨今の情勢や色々な話を伺うことができた。22時ちょっと過ぎにお開きとなって二人が帰り、こちらはそのまま部屋に戻って熟睡。ぐう。

 チューリップと海と煉瓦
 2003.3.25(Tue)
今日はハウステンボスへ。例年、長崎に向かう時には、普通列車のダイヤの都合上、佐世保線の早岐経由で大村線を通って長崎に向かうので、毎年ハウステンボスが海の向こうに見えるのを眺めてはいるのだけど、実際に行くのは初めて。まぁ夏に行くのは流石に暑そうだし(笑)。今回は園内のチューリップなども楽しめるだろうし、天気も穏やかで昨日の雨も上がり、一日ゆっくりするには良さそうである。
 9:08発の快速「シーサイドライナー」で長崎を発ち、約1時間でハウステンボスへ到着。駅から海にかかる橋を渡り、JR全日空ホテルの前を通り過ぎると入口。意外に?客は多い。もう春休みというのが勿論あるだろうし、「いつ閉鎖されるか分からない」ということでみんな来ているのだろうか(苦笑)。昨日ママさんから聞いた話(諸事情により書けません。怖くて/汗)では、閉鎖に追い込まれることは当分なさそうな気配だけど。

園内に入って最初にあるのがテディベア・キングダムというテディベアの博物館。何故にハウステンボスにテディベアが?と思うが、これにはきちんと理由がある。「テディベア」という名前の由来が、26代アメリカ大統領セオドア・ルーズヴェルト(Theodore Roosevelt, 日露戦争の講和斡旋をしたことでも知られる)が趣味の狩猟に出た時に、他のハンターが小熊を捕まえて撃つことを薦めたところ「スポーツマンシップに反する」と拒否、逃がしてやったというエピソードに由来している(Theodoreの愛称がTeddy)ことはご存じの方も多いと思うけど、このルーズヴェルト家(後に大統領がもう1人:32代フランクリンが出たが)というのはオランダからの移民の子孫なんだそうである。たしかに英国系の名前ではなさそうな気はしていたけど。ミュージアム内には1900年代初期のアンティークのクマたちが並んでいた。
 博物館を出たところに売店があって、クマ達を眺めていたら、ここのオリジナルのテディベア以外にも色々並んでいて、その中にはうちにいるクマ(おかいものクマ3匹以外にテディベア2匹もいる)と同じブランドの大きなテディベアもいた。…いや買いませんよ流石に。(^^;;)

(ハウステンボス紀行はまだ書きかけです。続編はこれから…)

19時過ぎにようやく公楽荘に戻ると、既に大広間で「かたろう会」(またの名を丸山大学)が始まっていた。これは、M田先生が発起人で定期的に行われているもので、色々な方面の人を講師に呼んで講演を行い、そのあと宴会になるという、市民講座にようなもので、前日に先生からお誘いがあったので参加させて頂くことにした。
 今日の講演は、昭和初期に日本とアメリカの間で人形による交流があり、その時に日本から「ミス長崎」としてアメリカに渡った日本人形「長崎瓊子」の話。長い間所在が不明だったのがアメリカで確認され、ちょうど今長崎に里帰りしているんだそうで、いろいろな話を聴くことができた。
 で、そのあと宴会に入ったのだが、M先生に促されて前で挨拶や感想を述べる人たちの肩書きを効いていると、某大新聞の支局長だとか県会議員だとか市の前教育長だとか、なんだか凄い顔ぶれである。長崎大の先生も多数来られているようで(普段から「かたろう」の客には多いようだが)、今日は卒業式のため欠席だったが長崎大の学長も来ることがあるらしい。というか、ここの繋がりで結束した先生方の力で学長選挙を勝ったとか(いーのか?/汗)
 で、初参加者は自己紹介があるということで、こちらにも回ってきまして、「さだ研」と「公楽荘友の会」の話をしたら、後から参加者の女性の方々からいきなり歌の所望が来まして。(イヤな予感はしてたんだけどな…) ギターもカラオケもない状態でどーしよーかと思いましたが、けっきょく唄いましたよ。「案山子」をアカペラで。喉の開きが良くて、たぶん音程も取れていたっぽいのでホッとしたが…、それにしてもアカペラでさだ唄うのは恥ずかしいです。(^^ ;;)
 宴会が終わった後も更に残って6人ほどで2次会にも参加させて頂いた。ここでは、今度ピースミュージアムが完成する場所のすぐ近くのお寺の住職が釣ってきた巨大な鯛の活き作り。これがめちゃくちゃ旨かったっす。和尚が殺生してイイんかいな?と思うのだが、「俺が釣ったんだから絶対に成仏する」…なるほどぉ。

 帰途へ
 2003.3.26(Wed)
朝食を食べてから11時頃まで部屋およびロビーでのんびりと過ごす。お昼少し前に土人さんがやって来て、お土産を頂いた。それから公楽荘を出発。12:50発のハイパーサルーン「かもめ号」で博多へ。「白いかもめ」よりこちらの方が静かな気がする。途中、けっこう寝てしまった。
 15:00に博多に到着、しばらく近所をウロウロして、それからバスで福岡市博物館へ。福岡ドームや福岡タワーがある方面にあり、政令指定都市の博物館にしてはかなり新しく、妙にスペースに余裕のあるでかい建物であった。恐らくバブル期に建設されたものだろうけど、ほとんど、あの有名な「漢倭奴國王」金印のために作られたモノなんだろうなぁ(笑)。勿論、金印はあくまで展示物の一つで、福岡市・福岡県の古代からの歴史を追う形で構成される展示内容だが、東アジア諸国との交流の歴史でもあるところが如何にも博多らしい。

博多駅には20時過ぎに戻り、土産などを買ってホームへ。20:53発「ムーンライト九州」で出発。

 ツアー終了
 2003.3.27(Thu)
7:05京都到着。地下鉄とバスを乗り継いで7:40頃下宿に辿り着く。

で、帰宅してメールチェックしたら何だかクレームのメールは届いてるし(苦笑)。それから、いきなりHarbotで新サービスが始まっていてびっくり。去年の1周年記念でもらったタネから咲いた花が、つい先日お別れで空に消えていったのだけど、どうもアレは実験だったようで、この度新ショップ(ノートやゲームなどを扱う「ばらん」・フレームデザインを扱う「フレーマ」に続く3店目となる)「ZO-KA」がオープンしていた。無料ユーザーでも可能な1種類+有料ユーザー用の5種類から1つを選んで蒔くことができるので、さっそく「ビー・トリ」のタネを蒔くことにした。もし枯れたらまた何度でも選べるようになったのね。無料ユーザーの楽しみも増えるようで、なかなか。

 今度こそ
 2003.3.28(Fri)
いよいよ日本のプロ野球もシーズンに入った。で、開幕戦のG-D戦、上原も川上も互いを意識しすぎたかいつもの投球ではなかったけど、失点を重ねつつも気迫の見えるいい投げ合いだったようには思う。結果的にドラゴンズが逆転で快勝したが、ゲームの流れを変えたのはセンターを守るアレックスが2回裏に見せた驚異的な強肩だったのではないか。普通ならヒットで2塁から走者が楽々と本塁に帰ってこられるような状況で、あの物凄い球速かつ正確なコントロールで谷繁に返球する様子を見せつけられては3塁で止まるしかないし、以後の展開でも走塁が消極的にならざるを得ない。普通なら入っているはずの得点をクロスプレーになる以前の段階で防いでいる訳で、ああいうのが「攻撃的な守備」というのだろう。
 そりゃイチローや福留の外野守備も凄いと思うのだが、アレックスのあの返球を見てしまうとモノが違うと思わざるを得ない。捕殺数が多くなる以前に「走ろう」という意欲をなくさせてしまう守備である。今日はホームランを打って打撃でも貢献したけど、あの守備だけでじゅうぶんミラーの悪夢を払拭したと思うし、彼の守備を見るためだけにナゴヤドームに行っても損はないんじゃないか。ともあれ、アレックス・福留の右中間に加えて左翼に大西が入った時のドラゴンズの外野守備は(オールスター編成は別として)チーム編成での外野守備としては全盛期のブルーウェーブの本西・田口・イチローに並ぶか、それ以上の鉄壁さではないだろうか。

 桜はまだ
 2003.3.30(Sun)
母と妹が京都に来るというので一日付き合う。目的のひとつだった桜見物にはまだ一週間ほど早いのだが…。8:50に京都駅で待ち合わせ。地下鉄と阪急を乗り継いで松尾大社のある松尾へ。ここにある和菓子屋の作る「お萩」が実は今日最初にして最大の目的なんだそうで(笑)。たしかに色々なお萩があって、あとで1つ松尾大社で食べたけど確かに美味しかった。
 そのあと松尾大社へ。ここは醸造の神様でもあり、ここにある一木造の女神像(重文)は宮尾登美子が「藏」でも書いたそうで(僕は読んでませんが…)、映画( 一色紗英主演、さだまさし主題歌でした)もNHKドラマ(松たか子主演)も此処でロケを行ったらしい。そのあと徒歩で鈴虫寺へ。すでに凄い行列が。ここは和尚の説法をみんな聴きに来るところで、特に若い女性が多い。なんだかディズニーランドのアトラクションの待ち行列のような…と思っていたら、和尚もそんなネタ(^^;)を言っていた。あの説法は流石に面白い。

そのあと阪急に乗って四条河原町へ出て、先斗町の「たまゆら」で昼食。そのあと祇園を歩いて(桜が少し咲いていた)、バスで五条坂へ。陶器店が並ぶ坂道を寄り道しながら歩く。登り詰めたところが清水寺だが、何度も来ているので今日はパス、そのあとも店を眺めつつ歩いて三寧坂・二寧坂へ。母が花瓶として使う為にいい感じのビールグラスを探しているんだそうで、最終的に見つけたのはなぜか清水焼でなく信楽焼であった(笑)。まぁ安いというのがあったからだけど。それから高台寺を拝観して、八坂神社にも立ち寄って帰路へ。