時々日記: 2002.12.1-12.15
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 来年こそは
 2002.12.1(Sun)
早稲田が関東大学アメフト王者になって甲子園ボウルにやって来るのか。たしか早稲田のアメフト部って日本で最初にできたアメフトチームのひとつの筈なんだが、学生日本一を決める甲子園ボウルに出てきたことはないという。関東は長い間日大が最強を誇り(というか全国でも日大と関学の2強時代が長かった)、その日大が90年頃から急速に没落した以後、ここ10年くらいは関東の大学アメフトといえば法政の独走状態なのだが、今年の早稲田はその法政を破って出てきたのだからたいしたものだろう。

関東ではラグビーの人気が高くてアメフトはかなりマイナーのようだが、逆に関西ではラグビーに熱が入るのは同志社と京産大くらいで、野球も含めたアマチュアスポーツの中で大学アメフトがもっとも盛り上がっているのはよく知られていることと思う。
 関西学院の長い独走状態から80年代以降は関学・京大の2強時代に突入、そして90年代は関学・京大・立命館の3強対決が毎年秋の話題だったのだが、ここにきて私学の強みで専用グラウンドなど選手強化に一層の力を入れてきた関学・立命館に京大が遅れを取りつつある、というのが最近数年間の印象で、京大にとっちゃスポーツで強いのはアメフトしかありえないワケだから昨今の状況はやはり悔しいのよ。今年は最終戦で近大にも負け、数年ぶりにシーズン3敗してしまったしなぁ…。
 そりゃまぁ国立大で専用の合宿所を持っている(アサヒビールが寄贈)だけでも凄いことではあるんだけど、やはり内部進学や推薦入試でもともと素質のある人を集められる私学が有利なのは間違いないところで、独立行政法人になっても京大が推薦入試やAO選抜をやるとはやはり思えないし。

それでも、特別な選考方法がない中で入試をクリアして入学してきた素人ばかりを毎年かき集め、徹底した体力強化と卓越した作戦で一時は関学・立命館を圧倒して最強時代を築いていた訳だし、関東で東大が健闘しているところを見ても、(何度でも選手途中交代が効くルールなので)特定の技さえ磨けば戦力になる点もあり、またアメフトの場合ゲーム中の戦術がかなり大きなウエイトを占めるので、国立大でもやり方次第で戦えることを示しているのは確かなんだが、最近の関学や立命館はそれさえ吹き飛ばすような体格差もあるような気がする…。そしてリーグが盛り上がっている関西の方が関東よりおしなべて実力は上で、法政だってなかなか関西のチームには勝てなかったし、早稲田にしても今シーズン無敗で関西リーグを圧倒した立命館に勝つのはかなり難しそう。

学生王座を決める甲子園ボウルが終わると、正月に東京ドームで社会人王者と学生王者が戦う日本選手権「ライスボウル」があるのだけど、最近は圧倒的に社会人が強く、そのへんはラグビーと事情が似ている。いずれライスボウルの形式も変わっていく時代が来るかもしれない。

 身長60cm・御年874歳
 2002.12.5(Thu)
先日予約した「STAR WARS」エピソードI・IIのDVDダブルパックを受け取る。これで「II」から従来のパペットにかえてフルCG化され、遂にライトセーバーを握り最強のジェダイであることを見せつけてくれるヨーダ様の凄すぎる動きを何度も見ることができる…。それぞれ2枚組で映像特典が多く、ぜんぶ見ているとかなり時間を使いそう。
 たしか、まだ旧3部作(エピソードIV〜VIに相当)はDVDで出ていないが、数年前にCGを大幅に追加して再公開した「特別編」から更に手を加えて、新3部作との差を感じさせないようにしてDVD化するのかなぁ。出たら買ってしまいそうだなぁ(汗) いちおう手元には昔LDレンタルがあった頃に借りてビデオに録ったものがあるけど。既にこのLDが出た時には新3部作の制作が決まっていた頃で、第1作でもオープニングで「EPSODE IV "A NEW HOPE"」とクレジットが流れるのだが、もし公開時にこのタイトル「新たな希望」で公開していたら…、たぶんヒットしなかったんじゃないかと思う…(^^;;)

 はいちゃさん(byちよちゃん)
 2002.12.6(Fri)
それにしても凄すぎですヨーダ様…。
 映像特典も見たが、メイキングを見ていると「そこまで手間をかけるか!?」と驚愕の連続。けど一番面白かったのはR2-D2のドキュメントとして作られた冗談ドキュメントで、スピルバーグやコッポラまで引っ張り出してあんな冗談やるってのは豪華なのかバカやってるだけなのかよく分からない(^^;;)

どうも暖かいものを食べると奥歯がズキンとしみるのが続いていたのだが、今日になって冷たいものもダメになってきたのでいつもの歯医者へ。たしかに虫歯があったのだけど、それほど深いものでもなくそんなに痛いはずがないと先生も首を捻る。場合によっては神経の異常で神経を抜くかも、と言われた。ともかく今日は虫歯を削り痛み止め剤で埋めたのだが、削っている間、いつになくゲキ痛だった…。泣きそうでした。
 で、治療後に冷たいものを飲んだらやっぱりしみる…(T.T) 歯茎が下がってきて知覚過敏とかになっているのかなぁ…。週明けは実験のTAやゼミが続くので次回の治療は木曜日。それまでこの痛みと付き合わねばならん…。

 管の日
 2002.12.7(Sat)
今日からさだまさし30周年記念コンサートの最終月公演(第7・8夜)がスタート。開演前にロビー前に作られたピーススフィアのブースに、パスポート(5年前FCのカードが新システムに切り替わった時に、会員にパスポート型のスタンプ帳が配られ、各ツアー毎に新しいスタンプが用意されて自由に押せるようになっている。今回の30周年コンサートでは毎月スタンプの色が異なっている)にスタンプを押しに行くと、どうやらピーススフィア(建設されるのはピースミュージアム)の設計がやっとできあがったらしい。発起人の意にかなったものができず何度もやり直したとか言う話を聞いたことがあったけど、やっと決まったか…。

入場すると、ロビーではゆーびんやさんしのぞーさんと遭遇。今日(第7夜)はブラスが入った、いわゆるフルバンド編成の日。どんな曲で始まるかと思えば…、いきなり新アルバムの曲ですか。一瞬「これ何だっけ?」と考えてしまった(^^;) その次の「」は、やはりブラスが入った20周年コンサート第1夜の1曲目だったので予想はついたんだけど。
 ストリングスが入るさだまさしコンサートは過去に何度もやっているしライヴ盤にもなっているが、今日のようなブラスが入るのは9年ぶりだし、このノリはいつもにない雰囲気。客の手拍子も第5夜についで多かった気がする。エレキギターがいつもの松原正樹さんではなく今日だけは土方隆行さんで、いつもと違うギターサウンドがブラスに合っていた。しかも曲はものすごく通向きという(^^;) この日だけ聴きに来た、しかもコアなファンでない人は知っている曲がまったくないまま終わったのではないか(笑)

今日のトーク大ネタは、ちょうど10年前にツアーでやっていた、彼のトーク大ネタでは珍しい実話でない完全創作の「お父さんとポチ」。まぁポチにあげるペティグリーチャムがオージービーフに変わったのは当然として(^^;) あの歌も唄ってくれたし、なぜか「どうする?アイ●ル?」まで唄うし(^^;;) 10年前にやっていた頃はネタの後半、当時のピアノだった石川清澄さんのピアノ伴奏がどんどん大袈裟になって最後には「GOD FATHER」のテーマに入る暴走ぶりが凄かったのだが、今回の倉田さんはそこまではしませんでした(^^;;)
 けれど今日最大の驚きは、まさかライヴで聴くことはないだろうと思っていた「時代はずれ」を、しかも平成版として歌詞変更で演ったことでしょう(笑)。しかもイントロに倉田さんのアレンジで「未知との遭遇」が足されてるし(笑)。変更された歌詞は時代的に古くなった部分を変えただけではなく、50代に入った人間としての主張も盛り込まれたせいか(?)前より説教臭くなってしまったような。

けど、まさかこの日のバック編成で「1989年渋滞」「天然色の化石」を、しかも連続で聴くとは思わなかった…。これは凄かったです。
(曲目はこちら)

 千秋楽
 2002.12.8(Sun)
今日がさだまさし30周年記念コンサートの大阪公演最終日(第8夜)。いつもと違うルートで大阪に出てフェスに到着。ここまでの7日間と違うのは最初から緞帳が上がっていること。今日はオーケストラの日だからこれは半分予想していたことではあったのだけど。
 そして1曲目は「夢ばかりみていた」でした。第4夜でOverture「北の国から」というパターンを既にやっているので、ある程度予想がついたかな? けど2曲目で「主人公」が来たのは早すぎです(笑)。20周年の第4夜同様、いつ緞帳が降りてきても違和感のない曲ばかりになりそうな(笑)。けどストリングスで「極光」や「デイジー」を聴くことになるとは意外だった。なんで第5夜か第7夜に「デイジー」をやらなかったのか不思議ではあったんだけど。
(曲目はこちら)

終演後、ロビー前のスタンプコーナーを覗いてみると、9月〜11月は2日とも同じ色のスタンプだったのだけど、最終日はさすがに虹色のインクを用意してあったので、列に並んで押してみた。が、既にみんなが押した後なのでインクの色が混じってしまってキレイに出ない(笑)。おまけに、後ろに長い列が出来てるってのに2個用意されたスタンプのうちの1つを一人で占領して持参した大量のハガキやら何やらにベタベタと押し続けるおばちゃん(おばぁちゃん?)が居て、うっとーしくて後ろから蹴りを入れてやりたかったが(苦笑)。
 スタンプを押した後、京大さだ研メンバーのAくん・Kくんと合流。「出待ち」をした後、同じ京阪で帰るKくんと一緒に帰宅。しかし終わってしまえばアッという間の4ヶ月間・8回だったけど、1回毎に思い出してみるとやっぱ長かったよなぁ(笑)。今年は長崎なども含めて結局さだまさしコンサートに12回も行った訳で(笑)、これだけ行くのはもちろん空前だし今後もまずないだろうなぁ。

 潜入
 2002.12.12(Thu)
ふたたび歯医者へ。原因がやはり不明のままで、確かなのは知覚過敏ではないということ。やはり神経がおかしくなっているのかなぁ…。ということで痛み止めをまた塗って様子見ということに。

次の学会発表の試料として、ここ数ヶ月間いろんな建物等の壁・塀などをデジカメで撮っている。んで昨日は京大から今出川通を西に進んだところにあるD志社大学をうろついてみた。(←伏字になってねー)
 D志社は明治時代に建てられた建物から最近の建築までほぼ全てが赤レンガで統一されていて、真東にある某大学に比べたら別世界のようなキレイな構内が広がっている。ミッション系だから教会まであるしなぁ。それだけに経年変化による変色や風化・劣化のパターンも取りやすいということで集中的に撮ろうと思い、まぁ時期によっては観光客までいるくらいだから気楽に構内に入り込んでみたのだが。(ちなみにD志社の真北が臨済禅の古刹・相国寺、真南が京都御所。つまり仏教・キリスト教・神道が一直線に並んでいるといえなくもない。)
 そしたら、いきなり職員の人に呼び止められてしまいました(笑)。まぁそりゃ大学構内をデジカメ持って、しかも建物の全景でなく汚れた壁なんぞ選んで撮ってるヤツは明らかに怪しい。(^^;;)
 んで、「京大の博士課程の学生で…」と説明したら納得して貰えた(苦笑)。やっぱ京大のDCともなれば怪しい研究していても不思議はないと思われたんでしょうかね。(^^;;) そんな訳で堂々と(?)撮影を続行。

D志社大学に隣接した敷地にD志社女子大というのがあり、ここは女子中・高も同じ敷地内に併設されている。ここにも武田五一(京大建築科の初代教授で京大時計台などを設計)が設計した建物とか、年代物の素晴らしい建物が幾つかある。隣同様に赤レンガの建物が中心なので、間違えたフリしてでもぜひ潜入したい(←それだけが理由か?)ところだが…、足を踏み入れた途端に捕まるだろうなぁ。ということで断念。うーむ残念。(←おい)

 父来たりて
 2002.12.15(Sun)
今日は1日パパとデート。…いや、T&Rの"T"の方と1日中ギター抱えてネタ作りまくったり改造シビックで爆走ドライブしたワケではなく(笑)、ワタクシの設計製造責任者2名のうち1人が名古屋から出掛けてきたので1日お供をさせて頂いた、という話なんですが。
 なにしろ父はめったに電車に乗らない人で、仕事で毎日トラックに乗って回っているし休みはよくクルマで出掛けるけど、過去に何度か両親で京都にやって来た時も自家用車やトラック(俺や妹の引っ越しの時)だったし、新幹線でやって来たのは何年か前の祇園祭の時だけ。母は何度か1人で新幹線に乗って来ているけど。そもそも父は1人で新幹線に乗ったことがない上、新幹線で関西に来たのが祇園祭に来る以前には大阪万博の時と花博の時しかないという凄さなのである。
 そんな父がわざわざ関西にやってくる理由は、最近発掘が進み大規模な埴輪群が発見された今城塚古墳を見るため。高槻にある前方後円墳で、真の継体天皇陵という声の高い古墳である。第6次発掘結果の説明会が数週前にあったのだけど、それには都合がつかず、せめて実物を見たいということで。家庭の都合で家業を継いでいなければ大学に進んで歴史学の研究者にもなったんじゃないかと思うくらいの研究熱心な素人歴史マニアではある。まぁ興味ある分野で徹底的に掘り下げる辺りはさすが俺にDNAを与えた人という気がしないでもない(笑)。

朝9時すこし前に京都駅新幹線ホームで出迎え。新快速に乗り、高槻で各停に乗り換えて1駅の摂津富田で下車。ここからバス利用で、ほどなく目指す今城塚古墳に到着。かつて二重の周濠だった部分の一部は畑と化し、一部はほとんど釣り堀のような状態で、その他は荒れ地なのか湿地なのかよく分からないが濠の跡をとどめていた。木が生い茂る墳丘に登ってみると、かなり大きい。関西あたりだとある程度の大きさの前方後円墳はたいてい天皇陵か皇族の陵墓、または陵墓参考地に指定され立ち入りができないことが多いので、ちょっと珍しい体験ではある。
 やがて今回の発掘現場を発見。工事用のトラ柵で囲まれているので距離をおいて眺めるだけだが、付近をうろついていると、現場に円筒埴輪の列が発掘された状態の、地中に埋まった状態で残されているのが確認できた。しかもこの円筒埴輪の列、二重周濠の間にある内堤に存在しており、そうなると本体である墳丘部には築造当時どれくらい埴輪が置かれていたのか…。やはり此処が真の継体天皇陵だと言われる筈である。現在指定されている継体天皇陵(太田茶臼山古墳)は改修の際に一部が発掘され(天皇陵としてはきわめて珍しいことだが)、その出土物から継体天皇陵とするには時代が合わないことが確認されている。
 明治時代に継体天皇陵を決める際、なぜ今城塚古墳でなかったのかは歩いてみて分かった。たしかに前方後円墳の外形は保っているものの、墳丘部や内堤の地形がかなりガタガタに崩れているのだ。ここは戦国時代末期にその二重周濠と墳丘を利用して城が造られた(三好長慶と言われているらしいが実際には織田信長のようだ)ために「今城塚」という名前があるのだろうが、築城の際に墳丘部の地形がかなり改造されてしまったのだろう。そこで前方後円墳の原型を比較的保っていて修築に手間がかからない太田茶臼山古墳に決められたのではないか。

その後、富田から今度は阪急で東向日に移動し、そこから歩いて物集女車塚古墳へ。こちらはかなり小ぶりの前方後円墳ではあるが、墳丘部の傾斜がかなり急で、小型にしては頂上の高さがかなりある。発掘の際に多くの刀剣類や装身具などが発見され、また石室内部の盗掘の様子が生々しい状態で発見されたそうで、石室や石棺は毎年春秋に公開されているるらしい。現在は公園としてすっかり整備されており、小高い墳丘の頂上には杉の木が1本だけ生え、墳丘が崩れないように新しい技術で改修されてあった。そして石室に通じる部分はコンクリートで固められた上にステンレス製のドアがついて鍵がかかっていたのだった(笑)。整備されすぎ。しばらく墳丘の頂上に登って周囲を眺めながらひと休み。

向日町からJRで京都に戻り、新福菜館でラーメンを食べた後、まだ時間があるので京都国立博物館に行ってレンブラント展を観た。レンブラントを見るのは久しぶりのような気がする。日本では妙に人気があるレンブラントだが、そのせいでけっこうな混雑ぶりだった。
 そのあと京都駅の新幹線ホームまで父を送ったが、クルマ利用で普段あまり電車に乗ったり歩かない処を今日はかなり歩いたので結構お疲れの様子で、名古屋を寝過ごしてしまわないか心配になったり(苦笑)