RYOKAN's Diary: 2001.11.16-11.30
時々日記:2001.11.16-11.30

 放送禁止
 2001.11.16(Fri)
久々にとっちゃん来訪。もっとも夜中1時過ぎに現れた時には既にかなり酒が入っており、暫くギターを触っていなかったらしいこともあって新ネタはほとんど上がらず…、というか録音したモノは危険すぎてとても公開できない(^^;;)

 駆け抜ける青春
 2001.11.18(Sun)
佐藤琢磨、マカオGPも勝ったか。各国のF3シリーズ上位者が出走するレースのうち最も有名なマカオGPを含む2戦を完璧に制したことで、その才能を疑う者はもういないだろう。なにしろ、最も競争の激しいイギリスF3の王者が同じ年にマカオGPも勝ったのは1983年の故アイルトン・セナ以来なのだ。シーズンを通して安定した成績を挙げる実力と、ここ一番の大舞台での強さを兼ね備えているという証明なのである。フランスF3王者の福田、ドイツF3王者の金石がともに期待されたような結果を残せなかったことを思うと、今年のヨーロッパF3で同時に現れた3人の日本人王者のうち、現段階ではやはり佐藤の実力が一枚抜けているということかもしれない。

他にもマカオGP勝者にはクルサードシューマッハ兄弟といった蒼々たる顔触れが並ぶが、いまだに語り草になっているのは1990年。トップを独走していた英F3王者ハッキネンが、残り僅か数周というところで、2位ながら周回遅れになりつつあった独F3王者M.シューマッハを強引に抜きにかかって、シューマッハにブロックされ壁に激突(マカオGPは市街地公道レースなのでエスケープゾーンがない)、まさかのリタイアでM.シューマッハが優勝し、ハッキネンは人目も憚らず号泣していた。まだ二人とも21〜2歳だったなぁ。
 翌年2人は相次いでF1に昇格し、3年後の1994年、セナが逝った年にシューが初のF1王者になり、以後現在までの8年間にM.シューマッハ4回・ハッキネン2回の王座と競り合ってきたのだが、今シーズン限りでハッキネンが休養に入り、また新たな時代を迎えることになる。

佐藤琢磨は、日本人のファンが日本人としてF1に期待する内容を根本から変えることになるかもしれない。今迄の日本人ドライバーと違って、まだ若く成長途上でF1に参戦するだけでなく、チームからもヨーロッパのメディアからも将来のトップドライバー候補としての待遇を受けてデビューするからだ。

 抽選
 2001.11.19(Mon)
ドラフト会議。日南学園の寺原はホークスが交渉権を得た。クジを外したドラゴンズは…え?前田章(中京大中京)
 捕手を1位・2位(田上:九州共立大)で指名ってのは珍しいよな。過去を振り返ると、82年のライオンズ(1位:伊東、2位:金森)や89年のホエールズ(1位:谷繁、2位:宮里)など、意外に成功している(もっとも片方は野手コンバートだが)のも確かなんだけど。
 中村は15年近くレギュラーにいるのだが、かなり若い時から1軍で使って貰って、星野監督や加藤コーチに殴られながら実戦で鍛えられてきた訳で、同じような例は最近ではホークスの城島もそうだったし、ドラフト1位クラスの素質がある若い選手を実戦で使いながら鍛えて、その後10数年は不動の存在となるように強い方針でいくべきなのかもしれない。ファイターズの實松などもそうだが。

中京大中京(昔の中京高)からドラゴンズに行くのも珍しい。東邦・享栄・愛工大名電とともに地元・名古屋の有力校ではあるが、かつてドラフト制度以前に、甲子園優勝時のエースを強引に入団させたものの大成させられずに終わったことなどがあって関係は良くなかったらしく、82〜83年頃に甲子園に何度も出場していた頃のメンバーで84年ドラフトではエース・野中(Br1位)も控えの紀藤(C6位)も指名されなかった(D1位は享栄・藤王)。ともに後年ドラゴンズに移籍してきたが。
 また、87〜88年に甲子園に2度出場したメンバーでプロ入りした後藤と木村はともにジャイアンツである。享栄(近藤真一、川添など)や東邦(朝倉、山田喜など)、愛工大名電(山崎武など)など、他の私学有力校には地元球団入りする選手が多いのに、中京から直接ドラゴンズに入団するのは数十年振りじゃないだろうか。

それにしても、寺原にしろGの1位:真田や2位:鴨志田(できればDが獲って欲しかった…前田は1位でなくても獲れたような気がする)にしろ、あの眉毛はいったい何なんでしょう(苦笑)。

 大きな間違い
 2001.11.22(Thu)
先日からダウンロード可能になったAppleの音楽再生/インターネットラジオソフト「iTunes」の最新版「iTunes 2.0.2」は、Win Media Playerなどと同様、CDをパソコンに入れるとCDDBサーバーでデータ検索をして曲名やアーティスト名を表示してくれるのだが、今迄は日本語が文字化けしてしまいどうしようもなかった。今度の「2」から文字化けが無くなってやっとCDDBが実用的になった…。
 このデータベース、CDの曲数と各曲の時間の組み合わせでどのCDかを判断する仕組みなので、10曲以上収録されているアルバムならまず間違いは起きないが、2〜3曲しか収録されていないシングルCDの場合、複数のCDが候補として表示されることも多い。先日、石井竜也の新曲「遠くへ…」をMacに入れてCDDB検索をかけたら、肝心の曲名が表示されずいきなりさだまさし「となりの芝生」が表示されたのは爆笑(^^;)

 指先痺れるまで
 2001.11.23(Fri)
今日は京大さだ研恒例のNF神出鬼没ゲリラライヴ。わざわざ東京から来て頂いたAOIさんとともに京大の時計台前へ。さだ研新人のNくんや、助っ人ギタリストとしてこれまた東京から来て頂いた東大さだ研残党の弥生さん、そして狂授、という顔触れで朝10時頃に定番「きみのふるさと」でスタート。それにしても今日は暖かく、風邪ひきの身には有り難い。昼過ぎには暖かくてコートなしでも十分だったり。
 途中で京大さだ研のメンバーも更に何人か加わり、京都観光がてら郷里から学祭を観に来たNくんのご両親からは差し入れまで頂いてしまいました(^^) それにしても、今年が初参加となるNくんはギターが上手い。何曲かリードギターをさらっとこなしていた。聞けば俺とかよりよほどキャリア長いし。
 なお、今年は曲目記録が途中からつける余裕がなくなってしまったが、全部で40〜50曲はやっているかな。 1曲目が「きみのふるさと」で最後が「鳥辺野」だった(!!!!)というのは間違いないのだが。終了は日没少し前の17:00。

18:00頃から、北白川の某店で、狂授・弥生さん・AOIさん・京大さだ研のAくん・りょーかんの5人で飲み食い。狂授の「問いつめたい経済学」の話を聞いてウケまくっていた。お開きは20:30頃、そのあとりょーかん下宿で更にダベっていたり。

しかし久々にギターを弾いたんで(しかもあれだけ長い時間)、指先がめちゃめちゃ痛い…。毎日まめに弾かないとなぁ、やっぱ。
 今年は少人数で唄う隊が少なかったですけど、来年は大勢で是非。

 日本を休もう
 2001.11.24(Sat)
午後からAOIさんさんと紅葉を観に出掛ける。いってみりゃ似非カップルデート第3.5弾か。(笑)
 京大近辺で紅葉の名所といえば真如堂と永観堂である。真如堂は吉田山付近の寺で、紅葉シーズン以外は閑散としているところなのだが、今日は寺付近はタクシーや自家用車で大渋滞。周辺は道が細いので、不慣れな自家用車が道を塞いで更に渋滞という状況である。車の間をすり抜け、お寺へ入る。
 ここは拝観料も取らずタダで境内に入れるのである。山門を抜けると見事な紅葉が拡がる。紅葉が陽光に透けて見える感じが好きで、ここは木陰もあって光のコントラストが素晴らしい。三重塔など絵になる風景が撮れるので、大きなカメラと三脚を持ったおじさん達が随所で構えているのも毎年の風景。

山を下って白川通を南下し、永観堂(禅林寺)へ。浄土宗西山禅林寺派の総本山で、本尊の「見返り阿弥陀」という真横にそっぽを向いた阿弥陀像も有名だが、やはりメインは紅葉。堂内拝観には通年で拝観料を取るが、ここは境内に入るのにも紅葉シーズンだけ拝観料を取るのである。そのお陰か、山門が新築で建て替えられていた(笑)。まぁ永観堂はシーズンになると夜間ライトアップもするので維持費もかなりかかるから拝観料は仕方ないのだけど。楓の赤・黄・まだ緑のままの葉も残り、光の加減が織りなす様。下に生えた苔の緑に落葉の赤や黄が映える。やはり午後、特に夕方の紅葉の風景はいい。永観堂は真如堂以上に大変な人の列で、境内の茶店も大賑わいであった。

そのあと哲学の道を歩き、日が暮れた後、京都駅へ。京都駅は既にクリスマスツリーが建っており、電飾も飾り付けられていた(この時に撮った写真は近々トップページでお見せしましょう)。そーか、今年も残すところあと1か月ちょっとか…。

 復刻
 2001.11.27(Tue)
学研の「電子ブロック」が復刻される。最近人気の「大人の科学」シリーズ第7弾として復刻されるものだ。
 電子ブロックは個人的にも非常に懐かしい思い入れがある。たしか小学1年生のクリスマスのプレゼントがこれだった。EX-30だったかな(30種類の実験ができるタイプ)。その後、誕生日やクリスマス等の度に追加キットを買い足して、最終的にはEX-120相当まで進化させた筈で、その当時の最高機種が今回復刻されるEX-150だった記憶がある。その後、シンセサイザーを足したEX-181が登場した筈だが。いつ頃まで販売していたのか知らないが、「復刻」というからには永く絶版になっていたのだろう。
 実験の中にはAND回路とかOR回路とか、コンピュータの基礎的なものも含まれていて、子供の頃にはよく分からなかったが、いま思うとかなり内容の濃いものだったのではないかという気がする。基本的には文系人間であった筈の僕が理科系に進んでいった背景には、小さい頃こういったもので遊んでいたこともあるのかもしれないな。学研の「学習」「科学」の購読と電子ブロックはそういう意味で僕の素養に大きな影響を与えているかもしれない。エレクトーンもそうだが。

 特例
 2001.11.30(Fri)
ジョージ・ハリスンが逝った。僕は決してビートルズフリークでもないが、やはり一抹の寂しさは拭えない。そういえば昔、彼がプロデュースした映画「バンデッドQ」を家族で観に行ったことがあったなぁ。たしか日本では「幻魔大戦」と併映だった(これで時代が分かるな)が、「幻魔」は観ずに「バンデッドQ」だけ観た記憶がある。

来年、新潟競馬場で初のGIレースが開催されることになった。というのは、来年のダービー後に東京競馬場が改築工事に入る為に、秋のGIレースのうち例年は東京開催の天皇賞・ジャパンカップダート(2100m→1800mに短縮)・ジャパンカップ(2400m→2200mに短縮)が中山で代替開催されるため、例年は中山開催のスプリンターズSを新潟開催に変更するんだそうだ。
 新潟といえば、今年改装されて日本最長の直線を持ち、新設重賞アイビスサマーダッシュでは日本初の直線1000m重賞を開催したところ。恐らくGIは1年限りだろうが、どんなレースになるのかちょっと楽しみではある。
 また、東京で行われるNHKマイルカップも、5月5日(日)が地元・府中の祭礼と重なるための配慮で前日の4日(土)開催になる。JC前日のJCダートがあるとはいえ、中央競馬が土曜日にG1レースを開催するのは異例のこと。

それから、中央競馬の競馬場の最寄駅を持つ大手私鉄のうち、唯一自社の名前が付いたレースが無かった(=カネを出していなかった)名鉄だが、来年の中京開催の下級条件戦で遂に「名鉄杯」が登場するらしい。
 中山の京成杯・京成杯AH、府中の京王杯SC(AHとSCは開催場に合わせて数年前に交換)、阪神の阪急杯、京都の京阪杯に並んで「名鉄杯」が重賞になる日は果たして訪れるのか…!?
 そういえば、以前、ナリタブライアンやナリタトップロードでお馴染みの山路オーナーの持ち馬に「ナリタエクスプレス」と名付けて京成杯か京成杯AHを勝ち、表彰式でスポンサーの京成電鉄関係者からナリタエクスプレス関係者が表彰を受けたらサイコーというネタがあったなぁ(笑)…実現しないかな(^^;;)

それにしてもアンカツが中央競馬の騎手試験に落ちるとは…。筆記試験で落ちたということだけど、地方と中央の壁はまさに紙一重ということか(違)