RYOKAN's Diary: 2001.11.1-11.15
時々日記:2001.11.1-11.15
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 高山から会津へ
 2001.11.1(Fri)
9月末日に名鉄・JR 東海(高山本線)を直通する名鉄特急「北アルプス」(新名古屋ー高山)が廃止され、その専用車両8500系ディーゼル車の動向が注目されてきたが、今日会津鉄道に譲渡されることが発表された。…ということは東武鉄道・野岩鉄道との3社直通列車で浅草−会津若松を結ぶことになるのだろうか。
 今でこそ小田急がJR東海と共同運行する「あさぎり」や第3セクター智頭急行の「はくと」など、民鉄の車輌が特急としてJRに乗り入れる例は多くなったが、国鉄時代は「北アルプス」しか存在せず(当時「あさぎり」は急行)、注目度の高い列車であった。平成になってJR東海が新型キハ85系を「ひだ」に投入して性能面や客室設備で格差が出てきたので、名鉄もキハ85系と同一性能で併結運転も可能な8500系を投入して現在まで運行してきた。
 8500系は製造後10年経っておらず、おそらく減価償却終わっていない筈だが、途中から「北アルプス」と併結されて高山へ向かう「ひだ」が臨時列車から定期化され、「北アルプス」の意味がほとんどなくなってしまったこと、「ひだ」では使える新幹線乗り継ぎ割引が「北アルプス」では使えないこと、東海北陸自動車道など高速道路の延伸と高速バスの発達(名鉄自体が最近は名古屋−高山間の高速バスに力を入れている)などの諸理由により乗客が減少し、この特急だけのためにディーゼル車用の保守設備や免許等を持つのが非効率ということから廃止になったものらしい。
 名古屋での集客を考えるのではなく、数年後に開港する中部国際空港からの高山直行客のための特急にすればいいのではないかと思っていたのだが。常滑線−空港線はJRが競合できないワケだから。

同一性能ということから、JR東海が購入して急行「かすが」に使うとか、西日本が購入して大阪発「ひだ」(現在はJR東海の車両による運転だが、以前は同区間を急行「たかやま」がJR西日本の車両で運転されていた)に使うとか、かつて「北アルプス」が旧型8000系で富山まで運転されていた時代に乗り入れていた富山地方鉄道が購入する(…で、何処に使うの?)とか、果ては床下機器をJR東海に売り飛ばし車体のみ名鉄が再利用して電車にするなど様々な噂が流れたが、けっきょく会津鉄道に行くことになった。
 会津鉄道はもと国鉄線の第三セクターだが、その終点である会津高原と東武鉄道の新藤原を結ぶ野岩鉄道が国鉄時代の建設凍結を解いて電化開業して東武と直通運転を始め、会津鉄道も会津高原−会津田島間を電化して、浅草から東武の列車が乗り入れるようになった。しかし会津田島から西若松までは未電化のままで、会津若松への直通列車はなかったため、そういう利用をするのではないかと思われる。
 塗色は変わるのかもしれないが、元名鉄の車両が会津地方を走ったり、もしかすると北千住や浅草にまで乗り込んでくるかもしれないというのは、ちょっと不思議な話ではある(笑)

 徘徊
 2001.11.2(Sat)
データ取りのため奈良を歩き回る。大和高田にある「大和民俗園」という奈良県内の古い民家を移築保存した公園で、遠足に来た小学生たちが芝生で遊んでいる片隅で、民家全体ではなく壁をひたすら撮影している怪しい男…。或いは、奈良の古い寺社で、古建築の全体や風景には目もくれず、壁をひたすら撮っていたりトイレや倉庫など新築の(木の壁の)建物や民家の塀やを撮りまくる男…。
 どこからみても怪しい。(滝汗)

せっかく奈良まで足を延ばしたのだから、ついでに正倉院展も観てきた。例年なら正倉院展のついでに他の寺社にも行くのだが…。

 過熱のあと
 2001.11.6(Tue)
風邪気味。やばっ。

3勝3敗で迎えたMLBのワールドシリーズは、奇跡的な9回裏の同点・逆転サヨナラでアリゾナ・ダイヤモンドバックスがニューヨーク・ヤンキースを破り、大激戦を制した。
 で、ちょっと気になるのはアリゾナのリリーフエースで韓国人のについて。ご存じの通り、彼が2試合連続で土壇場にサヨナラホームランを浴びたり同点に追いつかれたりで一時は窮地に追い込まれたワケで、そういう状態でも韓国メディアは「アジア人選手初のワールドシリーズ制覇」として華々しく報道をしているのだろうか。(注;ヤンキース時代の伊良部はシリーズに登板していない)
 というのは、今年のオールスターの時、ドジャースの朴賛浩がイチローを凡退に抑えたことだけを大きく報道し、あのリプケンに決勝ホームランを浴びたという事実をほとんど扱っていなかったという話なので。ちょっと意地悪な見方なのだけど、そういう辺りが気になったりしている。まぁ今年のシリーズはアリゾナの二枚看板:ジョンソン&シリングのためのシリーズーだったのは誰が見ても明らかで、珍しい2人MVPも納得なのだけど。

 復活
 2001.11.8(Thu)
永く絶版だった、さだまさしの著書「自分症候群」(新潮文庫)「せとぎわの魔術師」(講談社文庫)が今月に復刊されるそうだ。「自分症候群」は1985年のアルバム「ADVANTAGE」「自分症候群」のライナーノートとして書かれた短篇小説を中心にまとめた本(たしか当時は「さだまさし初の本格小説に挑戦」とか言ってたぞ(笑))、「せとぎわの魔術師」はエッセイと小説を含む1983年に単行本で発刊し数年後に文庫化されたもの。数年前にサンマーク出版から出た「絶対温度」「心の時代」も12月に文庫化される。
 これだけ復刊や文庫化が続くのは、やはり小説「精霊流し」が相当売れていることの影響だろうな、やはり。どのくらいの部数が売れているのか分からないけど、ここ数年のCDよりはるかに売れていることだけは間違いないからなぁ(苦笑)

 今でも愛してる
 2001.11.10(Sat)
今中が正式に引退表明か…。まだ30歳という早すぎる引退になってしまったのは本当に残念。
 天性のヒジのしなりが生む速球と大きなカーブを武器に実働わずか7年間で91勝を挙げた天才左腕は、今ではチームメイトの川崎(津久見高→スワローズ1位)・前田幸(福岡第一高→オリオンズ1位)と同い年で、88年オフのドラフト1位指名で大阪桐蔭高から入団。ドラゴンズが優勝した直後のオフで、2位指名が大豊だった。
 直球とカーブだけで2年目に早くも2桁勝利を挙げ、93年には山本昌と最多勝を分け合い、山本昌が防御率1位、今中が最多奪三振と沢村賞を獲って、90年代前半のドラゴンズを2人の左腕で支えてきた。シーズン最終戦をジャイアンツと同率首位で望んだ94年の「10.8決戦」の先発マウンドに立って敗れたのも彼だった。しかし96年シーズン終盤に肩を痛めて以降不振が続き、99年のドラゴンズ優勝時には活躍できず、ついに優勝を味わうことなく去っていく。

いま球界を代表する左腕と言えば野口(D)・石井一(S)、少し前なら工藤(L-H-G)や山本昌あたりなのだろうけど、(流石に澤村や金田を見ている訳ではないので史上最高かどうかまでは分からないが)僕の記憶に鮮明な中では全盛期の今中慎二ほど「凄い」左腕投手はいなかったと思う。
 何が凄かったかって、打者がバットに当たると思って引いたくらいのスローカーブが打者の手元で急に曲がりストライクゾーンに入って三振を取ってしまうこと。そして、2アウトからそんなスローカーブを投げた後ボールがミットに収まる前に審判の方も見ずにさっさとベンチに歩き出す姿。捕手の中村もミットで受けた瞬間に審判の判定を聴かずベンチへ帰りかけた処で審判から三振の宣告。アレが堪まらなくカッコ良かったのだ。もうこんなピッチャーは出てこないだろうなぁ。

 覚醒
 2001.11.11(Sun)
今日の「アギト」でやっとG3-X:氷川もアギト=津川翔一と分かって(遅いよ)ショックを受けていたようだが。
 ふと思ったのだが、アギト:津川翔一(記憶喪失の為この名前自体が本当は違うが)は、歴代ライダーの中でも最もノーテンキに見えるライダーかもしれない。(クウガの五代雄介も、闘う悩みを抱えながらも割と軽い雰囲気だったが…)
 まぁかつての仮面ライダーの多くは無理矢理改造人間にされたり親兄弟や友人・恋人を殺された復讐とか、改造人間になってしまった悩みや正義感や使命感ってのがあるから、どうしても深刻な人が多くなっちゃうのは仕方ないし、その点ではライダーになった経緯を記憶喪失で忘れている翔一のノリが軽いのは当然なのかな。「アギト」劇中でそういった悩みを抱えているのはギルス:葦原涼の方なのだが。しかし能力増強されたギルス、とても正義の味方とは思えんフォルムになってきたな…。背面には自在に伸びる触手があるし。

歴代ライダーで俺が一番「深刻なタイプ」だと思うのは、やっぱ、何か事件・事故が起こると全てゴルゴムの仕業と思い込みろくに調べもせずに飛び出していたBLACK=南光太郎でしょうな(笑)。

 ペケボックス
 2001.11.15(Sat)
アメリカでXbox販売開始の様子をニュースで取り上げていたが、両腕をX字形に交差させてカメラにPRしている人を見て「そーか、とうとうアメリカまで「ダメダメ」が流行り始めたのか…やるなぁ明石家マンション」と思った俺はもっとダメダメかもしれません(^^;;)