時々日記:2001.9.1-9.15
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 ホンモノの期待
 2001.9.2(Sun)

MGイングラム(AV-98)1号機;制作中。
イングラムの頭って「ナウシカ」のテトみたいだよなぁ(笑)

F1ベルギーGPはスタートやり直しの上にアーバインとブルティの接触による大事故で赤旗中断を挟む大混乱で、結果はM.シューマッハの史上最多52勝&最多タイの年間9勝。今年は誰も歯が立たないなぁ。来年はどうなるだろう。

日本人F1ドライバー中島悟の引退(1991)・ホンダの撤退(1992)・アイルトン・セナの事故死(1994)と続いて日本での人気が低下していったF1だが、昨年のホンダ復帰・来年のトヨタ参戦よりも人気回復の切り札になるだろうと思われているものがある。現在イギリスF3で10勝を挙げ首位を独走する佐藤琢磨、フランスF3で5勝を挙げ首位の福田良、ドイツF3で一時首位にも立った金石年弘の3人である。
 過去の日本人ドライバーがエンジンメーカーの後押しであったり日本企業のスポンサー目当てで抜擢されてきた(フランスF3経験がある片山右京もフランスでは実績を残せず、日本でF3000王者になってから)のに対して、佐藤・福田・金石は海外で実績を挙げている点やまだ20台前半という年齢の若さが全く違う。
 言語面でのコミュニケーションの面で日本人はどうしても不利になりやすく、その点での不利がないのはチームスタッフやマスメディアとの付き合いという点で大きい。中嶋悟の秘蔵ッ子で日本に敵がなく鳴り物入りでF1デビューした高木もF1で活躍できなかったのは言葉の壁が大きかったという。
 中嶋は現役時代から、彼自身のような苦労をすることなくF1へ行けるような道を若手日本人ドライバーに作ってあげることに熱心であったが、現役中に海外修行させていた野田秀樹や中野信治は途中で中嶋の元を離れたし、高木についてもそれが逆に甘えになった部分もありそうである。高木も今は中嶋-ホンダの元を離れCARTでトヨタに乗っているが。

特に佐藤が戦うイギリスF3はF1への登竜門としても知られ、セナやハッキネンはイギリスF3王者からF2(現F3000)を飛び越してF1にデビューし登り詰めていった。フランスF3はプロストやアレジを、ドイツF3は言うまでもなくM.シューマッハを送り出したカテゴリーである。
 佐藤はもともと自転車の選手で、高校時代に自ら自転車部を立ち上げてインターハイで優勝し、早稲田の人間科学部に入ってからカートを始めてすぐに頭角を現し、大学を中退して単身渡英したという経歴を持つ。ある意味で天才でもあるし努力の人とも言えるだろう。福田も16歳で高校を中退し渡仏してレース活動をしてここまで来た。チーム次第ではあるが、彼等がF1でどんな走りをするのか早く見てみたい気がする。
 その佐藤は既に今シーズンからBAR・ホンダのテストドライバーに抜擢されているが、来年はともかく近い将来のF1昇格はほぼ間違いない。佐藤・福田・金石がF1に上がってトップ争いができるようになった時、あくまでホンダ主導だった日本でも今までとは違うF1人気を得るのだろうと思う。

日本のフォーミュラ・ニッポン(FN)はクラス的にはF3のひとつ上、F3000に相当するが、ヨーロッパのF3000がF1のすぐ下のカテゴリーという位置づけに対して、FNは日本国内のトップフォーミュラとして独自の存在位置を築いており、若手よりもむしろ、経験に長けたベテランドライバーが数多く参戦するレースである。エンジンやタイヤも複数のメーカーが参戦し開発競争がなされ、レース戦略の組み立てなど、ドライバー個人の能力では勝てない、チーム体制で勝っていくもので、システム的にはある意味F1にもっとも近い。アメリカのCARTに近いものがあるかなぁ。
 現在ウィリアムズで活躍するR.シューマッハが1年だけ日本でやってFN王座を獲得してからF1に昇格したのは、マシン開発やチーム戦略などF1で必要とされることへの対応を勉強するためだったという。ともかく、これでは若手の登竜門になれない。全日本F3もあるが、将来F1に進むためにはやはり若いうちにヨーロッパに出ることが重要なのは確かだ。が、今度は日本国内に有望な若手がいなくなり、モータースポーツ人気が低下してしまう不安も大きい。これは昨今プロ野球やサッカーで憂慮されていることでもあるが、モータースポーツでもこのあたりがジレンマではある。

本日のオレ伝説:「伝説〜生涯の全部の一部(^^;〜」より)
つるつるした玉の状態で産まれたりょーかん。しかし、それは世を忍ぶ借りの姿
どうやら自分は
結構フツーの人らしい・・・・・・と思う。時に11歳。
16歳でついに
光速を突破
りょーかんは18歳の時
邪馬台国にいき、女王壱与に会っていた。
27歳の頃りょーかんは
プレイボーイとして本格的に活動し始めた。
りょーかんが
『平成の光源氏りょーかん』と呼ばれるようになったのはこのころからである。
平成の光源氏りょーかんは、ついに
ISO16001を取得した。
さらに!
エコマーク商品としても認定された。33歳にして、この頃が一番輝いてた(頭が!)
この頃
墨の匂いに惹かれ、「コロン・墨」という品物を開発。もちろん売れるわけなし。
ここまでの事を共に成し遂げてきた親友が死亡。
52日間、喪に服す
17アンダーでジャンボを下して初優勝
1999年7月、世界は何事もなかったので、平成の光源氏りょーかんは某誌に
「お詫びと訂正」を掲載してほしい、と思った。
平成の光源氏りょーかん、
不適切な関係を認める。61歳のことである。
平成の光源氏りょーかんは68歳の頃、
親と喧嘩して家出のつもりで渡米。しかし、世の中はそうあまくはなかった。
平成の光源氏りょーかんは83歳の時、真紅にペイントされ、
シャア専用平成の光源氏りょーかんとしてジャブロー攻略戦に参加する。
「悩みを他に打ち明けてもそれが軽くなるわけではない」と知った時、人ははじめて大人になる…

 拡大
 2001.9.4(Tue)

MGイングラム(AV-98)1号機;制作中。
東京ディズニーシーが今日開業。そのうち行きたいなぁ。ディズニーランドにも長い間行っていないけどね…。

ヒューレット・パッカード(HP)コンパックが合併かぁ。HPというとプリンタのメーカーという印象があるけど、パソコンも作っているのよね。Macの場合もAppleが自前でプリンタを出していた頃はCanonが製造していた訳だけど、それ以前はHP製プリンタを使う人が多かったし、今はApple StoreでもHP製品を売っているし。まぁ日本では年賀状の必要上カラージェットプリンタの需要が大きく、EPSONやCanonに比べると地味なメーカーではあるが。
 パソコンのシェアはコンパックの方が上だけど、会社の大きさはHPの方が上、ということで、ブランド戦略があるならともかく、このあとコンパックが吸収され消えていくのかなぁ。

となると、F1でBMWウィリアムズに描かれたコンパックのロゴがHPマークに変わるのかな。BMWの方針でBMWカラーの濃紺と白のツートンカラーに塗られたウィリアムズのマシンだが、例外的に大スポンサーのコンパックだけロゴの影に赤色を使っている。昔のマールボロ・マクラーレン時代に赤白黒以外にシェルだけ黄色が許されたり、フェラーリにパイオニアが小面積ながら青色地を使った時のようなものか。まぁタバコと違って1メーカー1ブランドのスポンサーのみという規制もないハズだから今シーズンはこのまま続くのだろうし、HPはもともとカラーが紺色だから問題ないだろうけど…。

 順調に遅れております
 2001.9.5(Wed)
あれ? いつの間にかCHAGE&ASKAのニューアルバム発売日が10月17日から11月14日に変わっている…(^^;)

 最低最悪
 2001.9.11(Tue)
22時過ぎだった。知人と電話をしている最中に、知人が電話の向こうで「あーっ!!」と声を上げた。急いでテレビのチャンネルを変えて「ニュースステーション」にすると、信じがたい映像が目に飛び込んできた…。1度目の激突炎上のあと、テレビ局が中継している最中に2機目の激突のシーンを世界中が見た。
 過去、飛行機の墜落事故は何度もあったが、映像として我々が見るものはすべて墜落後の残骸であって、激突・爆発の瞬間を見たのは過去にないことだろう。まるで映画かCGの1シーンのような(もし架空の世界の映像だったらどんなにマシだったか…)あの映像は、一生、頭から離れないような気がする…。

これだけの大規模なテロを行えるグループなど限られるだろうし、反米国家が支援している可能性は否定できないが、これは戦争ではない。あくまでもテロという最悪卑劣な犯罪である。戦争は自らも攻撃を受けるリスクを犯して宣戦するものだが、匿名によるテロ行為では反撃を受けにくい訳で、そんな行為が「戦い」を名乗るのもおこがましい。
 しかも、危険物チェックが国際便に比べて甘い国内便の飛行機をハイジャックし、多くの乗客を乗せたまま自ら爆弾として体当たりするとは…。乗客を人質に取って民間の航空機を攻撃に使えば、ミサイルのような地対空防御もできないし、逆に言えばミサイル攻撃では不可能であっただろう攻撃を完璧に実現してみせたことになる。人間というものは、何故こうも愚かなことにばかり頭脳を使えるのだろうか…。

WTCビルのあの崩壊の様子は、まるで低層部に爆薬を仕掛けてビル解体をするかのような崩壊だったが、おそらく、火災によってビルの構造部分の鉄骨が加熱され、鉄の熱伝導率の高さから急速にビル全体の鉄骨に熱が回って劣化・軟化し、負荷重量の大きい低層部から順に重量に耐えられなくなって崩壊を起こしていったのだろうと思われる。
 また、自動車や電車のモノコック構造と同じで、軽量化のためビル全体の構造によって全重量を支える設計になっていて、上層部が破壊された結果、構造的に耐えきれなくなり下層部まで雪崩的に崩壊したという面もあるのだろう。設計時に耐震性については(日本ほどではないにしても)考慮に入れていただろうが、こういう事態に対する耐性までは考えていないだろうし。そして、そのことを計算に入れて犯人があの位置に飛行機を突っ込ませたのだとしたら…。

200年ちょっとのアメリカ合衆国の歴史で、(南北戦争のような内戦を除いて)本国領土が"攻撃"を受けたのは始めてである。当局にしていれば、テロを受けたことよりも、テロの予測までできていながら阻止できなかったことがショックなのではないか。しかも、攻撃を受けたのは真珠湾などではなく首都と世界の中心都市だったのだから。
 テロの予測をしていたことから、その犯人についても見当はついているのかもしれない。湾岸戦争の時もそうだったが、これだけテレビでいろんなものが即座に目に出来る時代だが、当局が秘匿したい事項は隠したり捏造して必要な時期まで隠し通す術をアメリカはよく知っている気がするのだ。もしかしたら、数時間後には"容疑者"の公表と同時に何処かの地域に報復攻撃が始まっているのかもしれない…。
 アメリカがこのあと実行グループや支援した国を特定して宣戦する可能性もあるが、これだけのことをやられて「戦争に踏み込むのだけはやめろ」とは、とても僕には(少なくとも現時点では)言えない。

 錯綜
 2001.9.12(Wed)
昨日書いたWTCビルの崩壊メカニズムだが、専門家の指摘もほぼ同じだったようだ。いわゆる「チューブ構造」という、中心部のエレベーターブロックを囲む柱以外にはフロアに柱がなく、外壁を構成する鉄骨でビル全体の重量を支え、各フロアはそのフロアにかかる重量だけを支える構造で、どこかのフロアが破壊されて抜け落ちると、すぐ下のフロアでは新たに発生した重量までは支えきれないため抜け落ち、更に下へ…、というものらしい。
 日本では耐震構造として有利なラーメン構造が多く、この場合フロアに存在する柱の数は多くなるが、WTCビルのような理由での崩壊は起こさないだろうといわれる。アメリカではよく使われる爆破解体が日本ではあまり行われなかったり失敗が多いのも、強固な耐震構造による部分が多いのだろう。もっとも、あんな形で破壊されたらひとたまりもないだろうけど。
 「あんな事態がもし日本で起きたら…」と想像してしまいそうだが、WTCビルは110階・440mという日本では考えられない高さ(日本は横浜ランドマークタワーの280mが最高)であり、ビルの真ん中に旅客機で突っ込むのはちょっと難しいのではないかと思われる。というより、標的とするビル1棟に突っ込む「激突」ではなく、むしろペンタゴンの事故に近い形の、周辺エリアを巻き込む形の「墜落」になるのではないだろうか。

かつて映画「パトレイバー2」で東京にテロが発生する事態を実写以上とも言われたリアルさでシミュレーションしてみせた押井守監督が、地下鉄サリン事件の時に感じた感想は「うまくないなぁ」というものだったそうだ。たしかに、今回の、一見荒っぽく、しかし計画的でその計画を狂いなく完全に実行し、実行者は自らの生命を捨てることに躊躇の跡も見せずに民間人数千人の生命を一瞬にして奪ったテロ行為を見ていると、あのサリン事件など所詮は素人がやった中途半端な甘いものだったと言わざるを得ないのかもしれない。そう考えると、死を厭わないほどの主義というか目的意識を持ち、綿密な計画を立て確実に実行できるだけの実戦経験とバックアップがあるテロ組織なんてのは自ずと限られてくる筈で、やはり報道されている通りなのかな、と思う。
 ただ、これが契機で欧米や日本でイスラム排斥運動がやみくもに起きてしまう事態を憂慮する。イスラムだって過激派以外の一般的な人たちはテロなんて反対だろうし、キリスト教系組織だって過激派は存在する訳で、本質はそういうところではないと思うのだが…。

それにしても気になるのは、ピッツバーグに墜落したという旅客機の墜落現場の映像が極端に少ないことである。撮影地点がほぼ1箇所しかなく、しかも、機体の残骸はまったく見えず、地上の焦げた跡や煙も墜落にしてはえらく小さい気がするのだ。
 飛行機の乗員以外の、地上側の死者がいないことやキャンプデービッド付近ということもあるのかもしれないが、何か理由があって(実は墜落ではなく不時着しているとか…)情報操作を行っているのではないか。…いや、あくまで可能性(と願望)の話なんだけど(追記:けっきょく叶わぬ願望で終わった…。乗客がテロ犯に抵抗した結果の標的に当たらずに墜落とか空軍機による撃墜など諸説があるが、空中で爆発、バラバラになって落下散乱したようだ)
 おそらく当局によるメディアの報道管制や情報操作はかなり行われている筈で、現地のメディアの側も混乱と興奮の中だから、アメリカ国内の一般市民よりもむしろ海外の方が冷静で整理された情報を得ている面もあるようだ。

 急遽
 2001.9.13(Thu)
「ニュースステーション」に今日から久米宏キャスターが復帰。どうやら夏休みを切り上げての緊急登板らしい。この事態で久米さん抜きは難しい、ということかな、やはり。

アメリカがイスラム過激派の標的にされるのはイスラエルへの過剰な肩入れが理由なのだろうけど、アメリカでのユダヤ系住民の力を考えると仕方ないのかなぁ。アラブ系住民だってかなりいる筈なんだけど、ユダヤ系は財界や文化面で大きな影響力があって政界にも力が及んでいるということだろう。中立の立場で見ればイスラエルの行動を正当化し容認できるとは思えないのだが。
 そういえば太平洋戦争中にハワイの日系移民が強制収容されたり、日系人へ向けられる厳しい視線を変える為に日系人の志願兵による部隊が勇猛な活躍(をせざるを得なかったと思われる)をしたり、ということがあったけど、今回もし戦争状態になると、アラブ系人の志願兵部隊が組織されたりするのだろうか…。

 余波
 2001.9.14(Fri)
ハッキネンが1年間休養、代わりに21歳の同郷の新鋭ライッコネンが抜擢かぁ…。既にイギリスF3チャンプを決めた佐藤はどこのマシンに乗るんだろう。ライッコネンがいたザウバーか、またはジョーダンの残る1シートをアレジと争うことになるのか…。福田(フランスF3)も金石(ドイツF3)も現在ランク1位でじゅうぶんチャンピオンの可能性がある状態でシーズン終盤に入っているし。
 一時は中止も噂されたF1イタリアGPは予定通りの開催が決定したが、本来ならダブルタイトルを決めて地元GPへ凱旋、祝賀ムード一色だった筈のフェラーリは今回のGPは哀悼の意を込めてスポンサーロゴをすべて外し、ノーズを黒く塗って走るらしい。

 雨の嵐山
 2001.9.15(Sat)
今日はAOIさんとの似非カップルデートごっこ第3弾:京都嵐山編。9時過ぎに四条烏丸で待ち合わせ、阪急でひと駅先の四条大宮で下車…なのだが話をしていてあやうく乗り過ごしそうに(^^;)。慌てて下車、嵐電に乗り換え嵐山へ。
 バスで今回最大の目的地(?)大覚寺へ向かう。大覚寺は嵐山のメインストリートからは少し離れているのでバスで移動するのが楽。大覚寺はもともと嵯峨天皇の離宮が寺に改められたところで、真言宗大覚寺派の本山(仁和寺・泉涌寺など皇族ゆかりの寺の多くは真言宗)・生花の嵯峨御流の本山でもある。日本史では南北朝の原因のひとつである大覚寺統(南朝、北朝は持明院統)の名の由来として知られる。御所と同様、前庭に左近の梅・右近の橘を配した宸殿や真影堂前の舞楽台が皇族ゆかりの寺という雰囲気。
 大覚寺の隣、というか境内には時代劇のロケでよく使われる大沢池があり、拝観の後に散歩。事前は「これで君も北大路欣也」とか言ってた割にはAOIさん「あぁ此処で吉右衛門様が〜!!」とか言ってませんでしたか(^^;;)

大覚寺からひたすら歩いて嵐山の奧、鳥居本まで。古い町並みが保存されている区域で、鮎料理で有名なお店がある。この頃から雨が降ってきた。そして化野念仏寺へ。もともと空海が野ざらしの無縁仏たちを拾って葬り、のちに法然が念仏道場にした。風化して形もはっきりしない小さな無縁仏や墓石が一面に並ぶ光景を写真などで見た人も多いだろう。つまり、この寺で拝観料を払って見る対象のメインは墓場なのである。お盆などの夕方には蝋燭火が墓場一円にともされ(千灯供養)幻想的?な風景になるのだろうけど、まだ昼。しかも天気は良くない。こんなところで写真など撮ろうモノなら何かの影が写っていたりしそうだ…。
 境内の美しい竹林を抜けた先にはまた墓場があるのだが、ここに円柱を背にして囲む形で6体の地蔵が並ぶ六体地蔵尊というものがあり、折角だから一体ずつ柄杓で水をかけながらお参りしていたら、視力のよくないAOIさんが目測を誤って柄杓でお地蔵さまの頭をひっぱたき…。(^^;;) 効果てきめん、雨が本格的に降り始めたのであった…。
 そんなワケで雨の中、持ち合わせの傘は折り畳み1本しかなく、期せずして(?)カップルらしく相合傘でその後の行程を歩くことに…。どきどき。

土産物店が建ち並ぶ通りを抜け、途中の店で昼食。そのあと清涼寺前にある有名な豆腐店「森嘉」で豆腐と納豆を買う。更に歩いて天龍寺へ向かう。
 天龍寺は足利尊氏が後醍醐天皇の供養のために建立した臨済宗の寺で、その建設費用を作るために出した貿易船が天龍寺船として有名である。京都には臨済宗の古刹が多いが、建仁寺・相国寺・東福寺などとともに「京都五山」のひとつであり、その中の第1位だった時代もあった(南禅寺が別格として最上位)。流石に庭が見事で、しばし座敷に座り込んで眺める。

残念ながら雨だったということもあって、ちょっと早めに切り上げざるを得なかったのだけど。
 帰る前に、ソフトクリームを買って食べることにした。抹茶ソフトクリームを最初に始めたのは嵐山らしいのだが、紅葉ソフトクリームってのは…喰ってみたが、これは一体…? 俺は「紅葉」というからにはまるで紅葉麩のような派手な色を想像したのだが(^^;)、割と地味な色でした(当たり前か)。AOIさんは「桜餅のような味」と言ったが、桜ソフトクリームはちゃんと存在するので別のものなのだろう。で、結局、いったい何の味なのかは分からずじまいだった…。

京都駅の売店で秋限定の「栗味」生八つ橋を見つけた。いつの間にそんなモノが…。

AOIさんの「あんぽんたん紀行:似非カップル・嵐山を行く編」もお読み下さい。