時々日記:2000.12.1-12.15
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 A Hard Day's Night
 2000.12.1(Fri)
ビートルズを聴いていると不意にチューリップを思い出すことがあるのは…やっぱ当然なのかなぁ(笑)。
 そういえば今日から始まるBSデジタルの番組でシャ乱Qの活動休止を発表するらしいつんくが、アビー・ロード・スタジオでレコーディングを行いビートルズを完コピした(ポールがミスった箇所までわざわざ再現しているそうだ(^^;))アルバムを出すらしいが、ヴォーカルで財津和夫さんがゲスト参加しているらしい。財津さんといえば昔「長崎から」に出たときも自分の出番のラスト曲が「Yesterday」だったなぁ。「心の旅」は唄わなかったのに。

制作中のMGグフのヒートロッドを完成させるだけで4日もかかってしまった…。MGグフのヒートロッドは従来のキットと異なり自由自在に曲がるようになっていて、ザク/グフの動力パイプ同様、芯線にビーズ状のパーツをひとうひとつ通していくという構造になっており、ビーズ一つ一つのゲート跡処理やバリをキレイに取ってやる作業が必要となるので、集中力を使い果たしてしまうのだ。細かいパーツだけに、キレイに仕上げないと見栄えが悪いし。MG初期キットのザクに比べればグフではかなり精度が上がったが、それでも手間のかかる作業に変わりはない。
 グフの場合、ザクと違って膝の動力パイプはないが、それ以上にヒートロッドのビーズ状パーツが50個というとんでもない構成で、1日10個程度仕上げるのがやっと、というペース。まだこのあと頭や胴の動力パイプが残ってるんだよなぁ…。しかもザクと違って通す順序がある(パーツが部位によって微妙に大きさが変わる)し…。全体の完成は年を越すかも。

 蒼き巨星
 2000.12.2(Sat)
MGグフの装甲裏側などをグレーで塗る。あとはスミ入れを残すのみ。それが終われば一気に組み上がりそうだが、やはり動力パイプは時間がかかりそうだな…。部屋にシンナー臭が籠もってしまったので、妹が来るまでにしっかり換気しとかないと…。

妹が学生時代にいたサークルの宴会に出席するため上洛してきた。宴会のあと下宿で一泊。
 今日は「Love Love あいしてる」200回記念の生放送。ポルノグラフィティの「アポロ」広島弁Ver.は爆笑した。そのあと、なぜか遅くまで「笑う犬」のビデオを見ていた。

 テイエムレボリューション…は文字数制限(9字)に引っかかるので馬名にならない。(^^;)
 2000.12.3(Sun)
起きた後、妹は永観堂まで紅葉を観に行く。そのあと近所のビストロっぽい店で妹と昼食。最近この近辺にもフランス料理やイタリア料理を1000〜1500円くらいのランチで食べられる店が増えた気がする。そのあと妹は名古屋へ帰っていった。

阪神3歳牝馬Sはテイエムオーシャンが優勝。社台グループ以外の馬主で2週連続でG1勝ったのって珍しいんじゃない? 少なくとも僕の記憶にないな。以前はお笑い馬っぽい感じのが多かったテイエム軍団もオペラオー以来すっかり様変わり。
 なお、同一年にG1を5勝した馬主は新記録だそうだ。従来は84年のシンボリ牧場(シンボリルドルフ3勝、シリウスシンボリ1勝)と86年の社台レースホース(ギャロップダイナ1勝、ダイナコスモス1勝、ダイナガリバー2勝)の4勝。もっとも、社台グループは馬主が幾つか分かれ勝負服も異なる(社台RH・日本ダイナースクラブ・吉田オーナー個人名義など)ので、グループ全体ならもっと多い年がある筈だし、86年はメジロも商事(メジロデュレン1勝)と牧場(メジロドーベル3勝)を足せば4勝している。
 来週の朝日杯3歳Sもテイエムの有力馬がいるそうで、もし勝てば3週連続同一馬主G1制覇は史上初。さて、その朝日杯3歳Sにはメジロブライトの弟メジロベイリーが登録されていることが分かった。除外されずに出られるといいけど…。

 山に登る船
 2000.12.5(Tue)
内閣改造。ひろむちゃん野中幹事長が突如京都に帰る辞めたのでどうなることかと思ったら、…首相経験者を2人も入れたの? けど2人とも選挙で惨敗してクビになった人でしょ(笑)。まぁヨーダまたはE.T.宮沢喜一は就任時期が違っていたら名宰相になっていたかもしれない資質はあると思うけど、現在の状況では、本来やりたい筈の方向とは正反対のベクトルに亀井静香に押し切られてるしなぁ。

とかく世間に人気の高い田中真紀子は入閣できなくて正解だったのかどうなのか。まぁどちらにしても、結局あの人って政局や他の政治家を鋭く切り捨てるだけで、現役の政治家なのに評論家以外のことをできていないじゃないか、という気はするのね。そういう意味で、僕の中ではかなり評価を落としている。
 政治家なら、言うだけでなく実際に動かなきゃダメだし、そのための手段として人脈を作ったりしておくのも使命でしょう。どんなに素晴らしいビジョンを持っていたとしても、独りだけでは何もできない世界だろうし。その点では、敵前逃亡したものの一度は立ち上がろうとした加藤紘一の方がマシかもしれない、とも思うのだ。

 ジョン・レノンのニュースが街を流れた日
 2000.12.8(Fri)
ジョン・レノン20年目の命日。 つい先日出たビートルズのベスト盤「1」の売れ行きもあるし、このことの報道は多そうだけど、太平洋戦争開戦日については新聞の社説くらいしか触れられていないみたいだなぁ。

朝日杯3歳Sの抽選、4/13の倍率をくぐり抜けメジロベイリーの出走が決定。メジロは基本的に生産馬をセリに出さないオーナーブリーダーのため、2歳や3歳でセリ目的で早めに体を仕上げる必要がなくじっくり育てるので、デビューも遅めだし本格化も遅い馬が多く、メジロの馬で3歳G1に出たのは大昔のメジロボサツと最近のメジロドーベル(しかも共に勝った)位。ラモーヌやブライトも3歳重賞で勝っているけどG1は出なかった。
 ベイリーは96年阪神3歳Sを勝ったドーベル以来の3歳G1に出走するメジロ馬、ということになる。…あれ?もしかして牡馬ではメジロ史上初なのかな? 父サンデーサイレンス、母レールデュタン、半兄に天皇賞馬メジロブライト。ブライトより更に年長の兄メジロモネは今なお高崎で頑張っている。
 父SSで母父マルゼンスキーという血統はあのスペシャルウィークに近い配合ということになるし、どちらかというと今後クラシックに期待したいので今回はあまり期待はかけていない(^^;)のだけど、今年引退したブライトの弟ということもあるし、珍しく心情馬券など買いたい気分だな。

 やっとのことで
 2000.12.9(Sat)
来年2月10日のさだまさしコンサート(at フェスティバルホール)のチケットを確保。以前のさだまさしの大阪公演は10月に3〜4日連続公演というパターンだったのだけど、最近は秋に2日、年明けに1〜2日というパターンが多い。
 3〜4日連続だと、その中の1日しか行かない人も多いだろうけど、2つに分けるとそれぞれ行くという人が多そうだよな。つまりリピーター狙いというか、同じ人からカネをたかるというか…。ともかく、この方がチケット入手は難しくなりそう。まぁ、その方が確実にチケットがさばけるワケで、恐らくそれが主催者側の狙いなんだろうけど。
 新聞等の告知には「追加公演決定!!」とか書いてあるけど、FC会報にはどちらの日程も同時に発表されてるしなぁ(^^;)。

特にフェスは音がいいので、遠方からわざわざ聴きに来る人も多い。年明けの大阪公演は今回は1日のみ(前後に奈良や京都での公演)の上、2月10日は土曜日だから競争率はいつにも増して激しそう。本当は秋に行ければ良かったんだけど、都合がつかず断念。で、2月10日公演のチケットを取ることにしたのだが、FCの先行申し込みでは抽選に外れ、その抽選結果が届いたのは2/12の京都公演の先行電話予約の直後というタイミングの悪さ。京都公演の一般電話予約の日は約束が入っていて電話をかけられず、今日のフェスの一般電話予約が今ツアー「日本架空説」を聴くラストチャンス?ではあった。
 そういえば最近、電話かけまくってコンサートチケットを取るということがなかったなぁ。いつもはさだまさしもチャゲアスもFC先行予約を使えるから。10時の電話予約開始から5分後、あっさり電話がつながり確保。ホッとした…。

 呆然。
 2000.12.10(Sun)
心情馬券、というか応援馬券のつもりが…、コンサートチケット代になってくれるとは(^^;)

昨日予約したチケットの受け取りのついでに祇園花見小路のWINS京都に立ち寄ってみた。今日のG1は、来年から日本での馬の年齢表記が従来の数えから満年齢に変更される為この名前で行われるのは今年で最後となる朝日杯3歳S
 3歳戦はまるで読めないし、予想通りに2頭とも来るなんて考えられないし、更にWINS京都では馬連は1000円単位でしか売らないから勿体なくて(^^;)とても馬連なぞ買えない…と思う。今回は勝負を度外視して10番人気メジロベイリーの応援に徹して馬券を…、あ。いや、学生は勝馬投票券を購入してはいけません。(汗)

で、下宿に戻りテレビでレースを観る。スタート良く飛び出し先行して好位につけるレースぶりは、スタート下手で後方待機・切れ味勝負だった兄メジロブライトとはまるで正反対だな…、と思っていたら、最後の直線で、ベイリーが2戦目に負けた相手タガノテイオーと地方から参戦の期待馬ネイティヴハートが競り合う間をメジロベイリーが割って抜け出し優勝。ついた配当が単勝4050円、複勝810円。もうテレビで見ていたこちらが呆然としてしまった。万馬券とるより嬉しいかもしれない(笑)
 まぁ血統的にも裏付けがあるし、4戦目の未勝利戦を勝ち上がったばかりの抽選出走だったとはいえ、負けた過去3戦の相手が評判の有力馬ばかりだったということを考えると、決してフロックではないのだろうけど…。
 2着に粘った1番人気タガノテイオーはゴール手前200mで故障し、今後のクラシックはほぼ絶望の模様。故障していなければこのレースを勝っていただろう。明暗くっきり分かれる結果になったな…。と書いていたら、結果は予後不良という最悪の哀しい結末になってしまった。今日朝日杯を走った他の15頭には今後、彼の分まで頑張って欲しいと思う。

ベイリーの鞍上は新馬以来の武幸四郎から乗り代わりで横山典弘だったが、横典がメジロの馬に乗ってG1に勝ったのは91年宝塚のライアン以来かな? 横典は大久保洋師と並ぶ関東メジロの拠点・奥平師と親戚ということもあって、以前ほどではないにしろ関東のメジロには今も時々乗っているが、関西のメジロ(ベイリーは武邦厩舎)に乗るのはきわめて珍しい気がする。今後もこのままコンビを続けるのかな?

 お馬さんがお札をくわえてやって来る
 2000.12.11(Mon)
昨日に引き続きメジロベイリーの話。昨日の夕方以降、メジロ・ファンが集まるHPの掲示板はもぉエライ騒ぎになっていた(笑)。去年までドーベルとブライト、障害のファラオなどの活躍で4年連続でメジロから重賞(4年連続G1も含む)勝利が続いていたのが今年はここまで重賞勝利ゼロ、「このまま今年は終わるのか…」と思っていたところへ望外のG1勝利だったから喜ぶのもムリはない。
 とはいえ、ベイリーの血統的背景から、メジロ・ファンとしてはやや複雑な思いもあるようだ。ベイリーは父サンデーサイレンス・母レールデュタン(母父マルゼンスキー)と、両親の血統にまったくメジロの馬が存在しない、いわゆる「メジロ血統の馬」ではないからだ。
 半兄ブライトの場合は父がメジロライアンだから、ライアンの母系からメジロサンマンやシェリルといったメジロ血統の基礎になっている血が入っているのだけど、ベイリーにはそういう血がまったく入っていない(だからこそ3歳のマイルで勝てたのかもしれないが)

ブライト&ベイリーの母レールデュタンは「マルゼンスキーの血を入れたい」と考えたメジロ牧場が他の牧場から購入してきた牝馬で、自家生産馬以外によそから導入する繁殖牝馬については輸入が大半というメジロでは、内国産の牝馬購入は珍しい存在である。そしてその思惑はG1兄弟を産んだことで成功した訳だが。ライアン(ブライト)のあとパーマー(オーキッド:1勝)・マックイーン(ジャクソン:0勝)と交配させたがオーキッドとジャクソンは活躍できないまま引退。マックイーンの仔を産んだ翌年は「後継繁殖馬を期待して」サンデーサイレンスと交配させたら牡馬が産まれ、G1まで獲ってしまった(笑)。
 実はここまでメジロの牝馬はSSと相性が悪く、10度の交配で競走馬になれたのが僅か2頭(うち1頭がラモーヌとの仔ディザイヤーで、活躍できなかったが超良血のため青森で種牡馬になり活躍中)というヒドさだったのだが、メジロ血統でないレールデュタンで成功したのは皮肉である。

実は、今年の3歳馬、つまり2001年にクラシックを迎える世代の中でメジロ・ファンの期待をもっとも集めていたのはメジロドーベルの半弟メジロキルデア(父アンバーシャダイ・母メジロビューティー)だった。3戦目で初勝利を挙げた後、期待ほど走っていないが、今も「来年のダービー馬候補」に挙げる評論家がいる位の評価は受けている。
 また、期待の割に仔がまったく走らないことが有名(?)な牝馬三冠メジロラモーヌの仔メジロフラックス(牝、父ラムタラ。このため馬名が決まるまでファンの間では「ラモタラ」と呼ばれてた(^^;))が昨日の中山で初勝利を挙げ、ラモーヌの仔の中では最も早い出世をしそうだ。今度こそ活躍するか…?

思い起こしてみると、86年クラシック世代のメジロは牡牝1頭ずつのG1馬(デュレン&ラモーヌ)が引っ張り、4年後の90年クラシック世代からは最終的にG1馬が3頭(マックイーン・ライアン・パーマー)が出た。そして97年クラシック組もまた牡牝1頭ずつのG1馬(ブライト&ドーベル)が現れて低迷していたメジロ復活の狼煙となった。…歴史は繰り返すのか? となると4年後となる来年:2001年クラシック組はかなり期待が持てそうだが…。

「東京大学物語」、あれだけ長々とやってきて結局は夢オチかいっっ。(厳密にはすべて妄想) 夢オチということ自体が何かのパロディなのかもしれないが…。

 がっかり。
 2000.12.13(Wed)
は? 紅白でさださん「無縁坂」唄うの?…なんだかなぁ。つまんない選曲、ったら失礼か。で、香西かおり「無言坂」との対決なんですか?(^^;)

 ふらふら
 2000.12.14(Thu)
朝から病院で検査。前回はレントゲンも検尿もあったので今回も同じかと思い、昨晩は早めに夕飯をとって朝は喰わず、小便もガマンして病院に行ったら…、血液検査だけでした(^^;)。結果と診察は来週。血を抜かれたらなんだかフラフラしてしまい、それで1日が過ぎてしまった…。

「長いドラマ」は日本でなくアメリカの政局の方であったようだが、終わってみればどちらも茶番だったような(笑)。

 物凄い競馬をしましたッ
 2000.12.15(Fri)
三冠馬ミスターシービーが逝った。1983年のクラシック三冠と翌年秋の天皇賞を全て後方から一気の追い込みで勝った型破りな三冠馬。当時、小学生だった僕を競馬の魅力に引き込んだ馬である。それだけにとても寂しい。

ミスターシービーは父トウショウボーイ・母シービークインの血統。奇しくもこの2頭はデビュー戦が同じ(勝ったのはトウショウボーイ。なおグリーングラスもこのレースでデビュー)だった。「天馬」と呼ばれたトウショウボーイはテンポイント・グリーングラス達と2年間に渡って歴史に残る激闘を繰り広げ、皐月賞・有馬記念・宝塚記念を勝ち1976年の年度代表馬。シービークインもまた快速馬として毎日王冠を勝った名牝。
 千明(ちぎら)牧場ではこの2頭を配合することで「屈指の逃げ馬を作ろう」という意図だったという。千明牧場最大の期待を込めて「Mr.CB(Chigira Bokujo)」と名付けられたその馬は、吉永正人騎手とのコンビで順調にデビュー戦を圧勝したが、2戦目にスタートで出遅れる。しかしこのレースでシービーは最後方から後半怒濤の追い込みで勝った。以後、「屈指の逃げ馬」を期待されて産まれたミスターシービーは日本競馬史上屈指の追い込み馬として名を残すのだ。何度ビデオで見返しても、ダービーと菊花賞は物凄い(もっとも、ダービーは今なら降着処分確実なラフなレースっぷりだが…)

シービーの翌年現れた無敗の三冠馬シンボリルドルフに代表される「好位差し」が近代競馬の常識であり、それから外れた追い込みだけで4冠を獲ったシービーはまさに「常識外れな馬」だったが、その「常識」ルドルフには3度直接対戦して1度も勝てないまま引退した。しかし、ファンの人気は常にルドルフを上回っていたのも確かである。
 種牡馬として大きな期待をかけられ社台SSに繋養された(これには当時社台ファームが藤正牧場サイドと関係が悪く、トウショウボーイを種付けできなかったのも大きな理由と言われる)、初年度産駒からヤマニングローバルが重賞勝ちし「骨折さえしなければクラシックも間違いなかった」と言われるが、以後は翌年シャコーグレイドが皐月賞で2着(1着はルドルフの仔トウカイテイオー)した程度で目立った成績を残せず、期待を裏切る結果となった。その点でも初年度にトウカイテイオーを出したシンボリルドルフに負けている。もっともルドルフもテイオー以後は重賞勝ち馬こそ出す(現役ではツルマルツヨシ)ものの超大物は出していないが…。
 その後、ミスターシービーは社台からレックススタッドに移って種牡馬を続けていたが昨年限りで引退、千葉の千明牧場三里塚分場で母シービークインとともに余生を送っていたが、この冬に患った蹄葉炎がもとで21歳の生涯を閉じた。奇しくも、父トウショウボーイ、そして父の好敵手テンポイントと同じ病因である。

シービークインは初仔ミスターシービーのあと何故か一度も受胎できず、ついにシービーの兄弟は産まれなかった。また、シービーの仔で唯一種牡馬になったヤマニングローバルもまだ中央競馬には産駒を送り出しておらず、父が同じサクラホクトオーも後継種牡馬を出せないまま死亡しているため、種牡馬トウショウボーイの系譜はここで途絶えることになるかもしれない。トウショウボーイの父の大種牡馬テスコボーイの系脈はやはり今年種牡馬を引退(受精能力枯渇のため)したサクラユタカオー−サクラバクシンオー&エアジハードの系譜で続いていきそうだが…。ただ、社台SS時代に期待されてかなりの種付けをこなした為、繁殖牝馬を通して「母の父」としてミスターシービーの血統は残っていきそうである。

この数年でシンザン・ナリタブライアン・ミスターシービーと三冠馬が相次いで死亡し、生き残ったのはシンボリルドルフだけになってしまった。カツラギエースもハイセイコーも今年亡くなり、次々と名馬たちが記憶の中だけの存在になってゆく…。