時々日記:2000.8.1-8.15
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 印刷
 2000.8.2(Wed)
長崎バラマキ用のさだ研会誌と、原稿が間に合わず事前送付の「公楽荘宿泊の栞」に同封できなくなり宿泊者には現地配布(不参加者には郵送)することになった「公楽荘友の会会報」をまとめて印刷。勿論領収書は別にしてます。今日印刷できたので、なんとか明日宅急便で送る予定の荷物に入れることができそうでよかった。冊子モノとか本って、容積の割にかなり重いので、できれば手荷物にしたくないですから。でも、まだ当日配布版の「宿泊の栞」が残っている…。

 準備に追われる
 2000.8.3(Thu)
荷物を宅急便で長崎へ送る。会報・栞といった冊子類、ギターの譜面、譜面台といった重いものやさだ研の幟、衣服(汗かきなので多めに入れている。以外とこれがかさばる)などを詰め込んで荷造りし、コンビニへ。午前中に出せたから間に合うでしょう。あとは手荷物だけど、支度するのは直前になりそうだな…。

で、この期に及んでもまだ当日配布版の「宿泊の栞」の原稿が揃っていない。昨年に続き、出発前夜に徹夜になりそう…(T_T)

 出発
 2000.8.4(Fri)
なんだかんだで結局寝てしまったのだが、目が醒めたのが早朝4時頃。ボーッとしながら再び原稿を書く。8時過ぎにかじりんから電話があったのだが、睡眠不足なここ数日の状況やら何やらでキツい応対をしてしまった。すまん、かじりん。
 で、最終的に原稿が上がったのが9:30AM頃。すぐに印刷に行く。印刷そのものは30分もかからず、製本も含めてどうにか午前中に完了した。
 で、これから手荷物の荷造り(^^;)。

荷造りをしていると、以外と宅急便に入れ忘れたモノが多いことに気付く。そういったものを入れていたら最終的には手荷物もけっこうな重さになってしまった。ギターも担いで行く訳だし…。
 ふと、公楽荘での宴会で使うネタを何にも用意していなかったことに今更気付く。東京ライヴで使った自分のオリジナル曲の音源カラオケMDの空き部分に、狂授が作り僕が手を入れたアレンジの数曲などを追加録音して、これでなんとかしよう。直前まで宴会のネタを考えるだけの余裕がなかったのは後々で後悔するだろうな…。17時頃にどうも寝てしまったらしく、18時にタカハシ氏からの電話で起こされる形になってしまった。

荷物が多いし時間がないのでタクシーで京都駅へ。19:30に京都駅でタカハシ氏と会う。大阪から他のメンバーと「あかつき」で長崎に直行するタカハシ氏に栞その他の手荷物の一部を預け、明日までしばしのお別れ。周辺をぶらぶらした後、改札を抜けて「ムーンライト九州」が出るホームへ。既に自由席の号車が来る辺りにはホーム上に人がいっぱい。同じホームから1時間前に出発する「あかつき」を見送りながらごく軽く食事。そういえば昼飯喰ってなかったな。しかも晩も超軽め。今夜腹に入れるのはひたすら酒とおつまみか…!?
 出発10分ほど前に同乗するN氏が到着。千葉から鈍行乗り継ぎで京都まで来た(!!)のだが、途中で列車事故があって予定より1時間ほど遅れたそうだ。それでも余裕みて早めに出てきていたので、今迄京都駅近くの銭湯でひと風呂浴びていたとのこと。京都から乗る今回の同行組は2人。21:33、京都駅を出発。

新大阪から村川さんたかさんゆーびんやさんが乗り込んできた。更に大阪で狂授が乗り込む。狂授には頼んでビールを買ってきて貰ったので、ここで一同で旅の無事を祈って乾杯。狂授以外にもビールを買い込んできていたので結構余ってしまい、狂授と俺は夜通しビールを飲んでいた…(^^;) これで今年はたっぷり列車内でも寝られるかと思ったが…、けっきょく眠りは浅かった…。

 長崎へ
 2000.8.5(Sat)
なんとなく頭痛を感じつつ、窓から早朝の風景を眺める。下関に到着。ここで機関車を付け替えるため、15分程の停車。下関では「ムーンライト」乗客向けに早朝から駅弁販売があるので、ここで昨年に引き続き下関名物駅弁「ふくすし」を朝食に買う。ふぐの身が入った海鮮ちらし寿司。(下関第一の名物駅弁「ふくめし」は季節限定でこの時期にはない) 流石に昨日ろくに喰っておらず腹減りまくりだけに美味い。

7:27に博多に到着。村川さんとたかさんは此処から「かもめ」で長崎へ。残った4人は更に鈍行乗り継ぎで長崎へ向かう…。まず7:40発の大牟田行き普通で鳥栖へ。いつもならラッシュ時間帯だが土曜ということで比較的空いていた。50分ほど揺られて鳥栖に8:29着。
 鳥栖で駅弁「かしわめし」を買う。これは毎年のお約束。九州の駅弁は「かしわめし」がやたらと多いが、これは九州では来客があると鶏をつぶしてもてなす昔からの風習に由来するんだそうだ。鶏でとったダシで炊いた飯の上に鶏肉ソボロと錦糸卵が乗るのがパターン。特に折尾と鳥栖のものが美味いといわれていて、確かに鳥栖の駅弁は美味い(鳥栖の場合はもうひとつ「焼麦」(シュウマイ)が有名)。折尾の方もいちど食べてみたいのだが、いつも「ムーンライト」で通るときには時間がないし、そもそも駅弁売ってる時間じゃないもんなぁ。
 なんとなく全国的な傾向として始発駅より中間駅の駅弁の方が美味い気がするんだが、始発駅は何もしなくともある程度売れるのに対して、中間駅の場合はいろいろ努力しないと売れないからなのかな。まぁ始発駅でも美味いところはあるし、中間駅でもダメなところはダメだが。

鳥栖からは長崎本線を8:48発の普通・多良行きで。多良は長崎本線の途中駅で、この電車に乗って多良で長崎行きの普通電車を待つと3時間近くも待たされるハメになる(しかも特急は通過)ので、途中の肥前山口で佐世保線に乗り換えて早岐から大村線経由で長崎に行くことになる。肥前山口には9:35着、階段を上り下りして9:37発の佐世保行きに駆け込む。
 10:28早岐に到着。ここで大村線に乗り換え。ホームではこの春の改正で国鉄時代からの485系からステンレス車の783系「ハイパーサルーン」に切り替えられた「ハウステンボス」が待っていたが、改造された先頭車以外はまだ改装が間にあっておらず、外装は「かもめ」「有明」時代のまま、扉には「かもめ」のステッカーが貼られたままだった…。
 10:40に長崎行き快速「シーサイドライナー」が入線。近郊電車タイプのの新型気動車ではなく、国鉄時代からの旧型車が来た。これ、改装されていて内部のシートが昔の特急車両のグリーン席の再利用で、席間が広いので座った人には快適かもしれないけど、その分座れる数は少ないのよね…。ま、次のハウステンボス駅でほとんど降りたから座れたけど。そのあとゆったり座って、車窓からハウステンボスや大村湾を眺めながら駅弁を食べる。12:10、ようやく長崎に辿り着く。長崎駅は改築工事も仕上げ段階に入っており(9月開業とか)、いつもと違う場所にある改札を抜けて、路面電車に乗って思案橋へ。

思案橋のアーケード街を抜けてカステラ福砂屋本店を通り過ぎれば公楽荘はすぐ。ロビーでママさんが迎えてくれた。先に着いた人たちはみんな出掛けている模様。部屋でしばらく狂授とギターを弾いたりした後、14時頃に仮眠を取った…つもりが、目が醒めてみたらなんと18:30。狂授によると、寝ている間はピクリとも動かず、「寝ている」というより「気絶している」状態だったようだ。たしかに2時間くらい寝たつもりだったからな…。他の部屋をまわって再会の挨拶のあと、宴会まで時間があるので近所のリンガーハットでちゃんぽんと炒飯を喰う。

21:00から宴会。なんだか今年はみんな疲れ気味。移動手段のせいかスケジュールのせいか、単にトシのせいなのか…!?(^^;;) 今年は子連れや夫婦参加もあって、なんだか時の流れを感じるなぁ。ここでトラブル。公楽荘の電源が落ちた。それも照明は落ちていないのにコンセントの電源がダメになったり。修理のため一旦ぜんぶ落とした間はローソクの光で自己紹介を続けたり。なんだかそういう雰囲気の店で飲み食いしている気分だった(笑)。ま、明日のこともあるので今日の宴会はムリせず、2次会も含めて体力セーブモード。明日も暑くなりそうだ。

 唄い、聴く
 2000.8.6(Sun)
6:30に目が醒める。外出してコンビニでスポーツ新聞と野菜ジュースを買う。朝食は7:30。例年、起きられずに朝食を食べられない人が結構出てくるのに、今年はほとんどみんな8時前に起きてきた。みんな、どーしたの?(^^;)
 で、今日は早めに稲佐山に登って2年ぶりに待ち時間ライヴを演るのに付き合う予定。今年は「ギター番長1号」滝口くんがいないものの、「うたいびと はね」のファンが来て演っているだろうと予想してそれに対抗すべく「ギター番長2号」タカハシ氏が俄然ヤル気である。ま、あの人、敵がいると燃えるからなぁ(爆笑)。で、「ギター下僕1号2号」小南くん・りょーかんの2人がつき従う、という(笑)。10時30分頃にタクシーで出発、稲佐山へ。やはり暑そう…。

到着すると既に人が並んでいたが、思ったほどの数でもない。さすがにこの暑さで、開演直前まで並ばないという人が多いのかな?
 ギターの準備をしていると、成田さだ研のむろかつ氏・上野氏たちと遭遇。ここ数年、細かいトラブルが幾つかあったけど、直接会ってみれば意外となんでもないことだったように感じる。ま、今後も自分たちのスタンスを守りつつ 相容れない部分は議論し、協力できる部分は仲良くやっていければいいのではないかと思う。
 で、ライヴ開始。弾いていると、どこからともなくギターを抱えた(知らない)人が現れて一緒に弾いてくれたり、いきなり京大さだ研への加入を希望する仏教大の学生さんが現れたり。更に、なんとなくギター弾きたそうな顔でこちらを見ている子がいたので、「弾いてみる?」と俺のギターを貸したらこれが上手いし声も出る。聞けば岐阜でストリートライヴをやっていたんだそうだ。「参加券を持っていない」というのでこちらで余っていた分を2人分(彼女連れだった)渡して、更に同じ場所で観ようということになり。久しぶりにこういう形で新たな知り合いを作った気がするぞ。そもそも今の公楽荘メンバーの原点ってこういう出会いから始まっている訳だし。
 ライヴは14時頃にお開き。それから開場待ちの列に並んだ。

2年前にUV対策を何もせずにどピーカンの中でギターを弾き開場待ちで並びコンサートを聴いたところ肌が真っ赤に火膨れして後がタイヘンだった経験から、今回は出発前に日焼け止めクリームをたっぷり腕と顔に塗り込み、山の上でももう一度塗りたくって万全。
 そうしたら、顔に塗りすぎて、傍目には肌が白すぎ、というか青白く見えたらしく、俺を見て「あの人、顔がムラサキ…」と言っていた人がいたらしいし、肌は焼けなくても汗は大量に出るから(僕はたいへんな汗かきである)、そういう事を知っているはずの仲間達でさえ俺を見て心配そうに「りょーかん、大丈夫か?」
 …どうやら脱水症状を起こしているものと勘違いされたらしい。(^^;;)

15:00に開場。僕等の席はいつもの場所、テレビ用の櫓の左隣あたり。開演まで近所をうろうろ。開演時間間近になって京大さだ研の若:浅尾くんが合流。なかなか来ないから現地で会えるかどうか心配したんだけど。
 で、「長崎小夜曲」でコンサートが始まった。曲目はどこかで探してみてください。
 佐田玲子の後のゲストが「うたいびと はね」。もう緊張しまくっているのが見ていて分かった。とうとう最後まで自分たちの氏名を言わなかった(たぶん忘れてたな)位だし。ま、そりゃ、今迄のライヴの最大観客数の10倍近い観客の前で唄う訳だし、楽屋じゃテレビで見た人ばかり並んでいる訳だし、ムリもないけど。
 流石だったのはBEGIN。いーわー、やっぱ。さださんのヴァイオリンとのセッションもよかった。
 もはやレギュラーと化した(^^;)加山雄三の時は、実はヤキソバ買うために後ろの方で並んでいる最中であった(^^;)。なにしろ買うのに時間がかかる…。流石な衣装を着て出てきた小林幸子も良かった。やっぱ衣装と歌が合わない(^^;)。
 で、さださんのステージに戻る訳だが、「続・帰郷」を出したせいか、古い曲が多かったのは嬉しかったな。後半は曲目だけでなくMCも一部先日の「まさしんぐWORLDコンサート」とカブっていたけど、まぁあの豪華なバックメンバーが同じだから、リハの時間も取れないし仕方ないかな。そのメンバーに「ごめんねぇ予定にない曲やって」と謝ってから弾き始めた「甲子園」だが、待ち時間中にリハーサルで演ってるのを聴いたぞ…って、書いちゃマズイのかな(^^;)
 アンコールでは例年通り「祈り」を出演者全員で唄ったが、白いスーツに着替えてきたさださんと、、やはり白の豪華な衣装に替えてきた小林幸子がほとんど「新郎新婦、お色直しで入場」状態で笑えた(^^;)。で、このあと宴会準備のためタカハシ氏と2人で会場をあとに。なんか、ラストの新曲「最後の夢」が21:30を過ぎてしまって、NHK-BSが放送を5分ほど延長したそうだが、それを知ったのは翌日の話。

公楽荘に戻ってひと風呂浴び、宴会の準備。意外とみんな早く帰ってきたが、それでも宴会スタートは23時。長崎大学の溝田先生と板倉先生も登場。昨年AOIさんのチャイナドレス姿に悩殺(^^;)された板倉先生は、学生さんも数人連れてきて、アフリカのスライド上映の他1曲やってくれるそうだ。ところが今日もまた電源が落ちてしまい電気使用モノはあとまわし。生ギター勝負できる人が先に演ることになり、山上でつかまえて結局宴会まで拉致した岐阜の坂本クンにも唄わせた。
 途中、トイレに行って個室に入りズボンを下ろしてしゃがみかけた瞬間に照明も停電。この瞬間がめちゃめちゃ怖かった…。真っ暗の中で用を足し、壁を手で触りながら紙を探して拭き、水を流してなんとか脱出。ようやく電源が復旧したあと板倉先生のスライド上映やMDをオケに使う歌などを演ったが、今年はあの灼熱の山上でみんな体力を使い果たしたのかお疲れモード。まぁこの時点で既に2時を回っているから仕方ないってば仕方ないけど。はて、お開きはいったい何時だったんだろう。

宴会お開きの後、場所を移して2次会。だが今日はタカハシ艦長はじめ大半がこの時点で沈没。残りはそれでも延々と喋っていたが。狂授も4時前に轟沈、そのまま2次会場で寝てしまった。5人くらいでいろいろ喋っていたが、こちらも5時頃に部屋に戻って就寝。

 また来年
 2000.8.7(Mon)
7:40に目が醒める。隣の布団では狂授が寝ていた…いつのまに戻ったの? すぐに朝食へ。
 そのあと、早めに発つ人を見送ったりしながら、部屋でだらだら。お昼に溝田先生がやってきて、残っていた人たちでちゃんぽん・皿うどんを出前でとって食べた。溝田先生が京大さだ研の会誌を持っていったが…、え?2冊持っていくってのは1冊さださん本人に渡るの? …あのー、今回けっこうさださんにキツい事書いてるんですが(^^;)

帰りの電車が一緒の狂授とN氏は、17時の出発まで長崎市内をぶらぶら回るとのこと。こちらは疲れが抜けず、出発直前まで公楽荘でだらだら。(^^;) それぞれの出発時間まで暇な4人にママさんを交えてずっと喋っていた。
 ママさんの話で興味深かったのは、先日はじめて長崎で行われたプロ野球オールスター戦にまつわる話。オールスターの前日(前々日だったかも)、長崎でドラゴンズの山崎を囲む会が催されたんだそうだが、ママさんのご兄弟が山崎の中学時代(…って、俺が通ってた中学の隣の中学だよ…)の恩師と知人なんだそうで、その会のあと、山崎が岩瀬を連れて「かたろう」(公楽荘1階の飲み屋)に来て飲んでいたんだそうな…!!! で、ママさんのご兄弟の子供が野球をやっているのでバットにサインを貰ったんだそうで、あとから周囲に信じて貰えるようにサインを書いている様子まで写真に撮ったらしい(^^;)。
 更に翌日、別のパーティーにママさんが出掛けて、星野監督にもお会いしたそうな!!!!!!!
「いやーとても紳士な人でカッコよかったわー、ばってん緊張して折角カメラ持ってったのにお願いできんかった」とのこと。成程…。

16時過ぎに、Kさんと共に最後に公楽荘を発つ。長崎駅で狂授たちを待っていると、幟の竿とギターで判断したのか、見知らぬ方から「昨日唄っていた方ですか?」と声をかけられた。しばらくすると狂授達が到着。観光中、またネタを思いついたらしい…。夕食をここで買っておく。新型「かもめ」を記念して登場した「かもめ弁当」を買って列車へ。乗って発車待ちの間に先程声をかけてきた方が僕に駆け寄ってきて「来年も頑張って下さい」だって…(^^;)。

16:59に鳥栖行き普通で出発。はじめは車内も混んでいたけど、諫早を過ぎた辺りから空いて余裕で座れた。が、どこかで事故があったらしく途中で最大18分ほど遅れて焦った。乗り換えに遅れると「ムーンライト九州」がヤバい…。が、途中でなんとか遅れを取り戻し、また他の列車も遅らせたようで、予定通りの乗り継ぎで博多に到着。博多駅で少し買い物をして、21:15に「ムーンライト九州」で博多発。

 到着
 2000.8.8(Mon)
往路よりはよく眠れた。他の同行組はみんな大阪で下車、ひとり列車に残って7:10に京都に到着。地下鉄で北大路に向かい、そこからタクシー。7時40分過ぎに下宿に到着、旅は終わった…。風呂に入って寝て、そこから醒めれば再び現実が待っている…。

 延伸
 2000.8.10(Tue)
阪神電鉄西大阪線延伸京阪電鉄中之島新線の計画がようやく実現に向けて動き出した。10年後の営業開始を目指すという。
 阪神西大阪線は現在の終点である西九条から安治川を渡って九条・岩崎橋・汐見橋を通って近鉄難波駅に直通し、全通後は奈良−神戸間で相互直通運転の予定。もともと30年前からこの計画だったし、事実、20年以上も前に造られた西九条駅は延伸を見越してJR大阪環状線を跨ぐ高架構造だが延伸されないまま年が経ち、相対式ホームの片方は20数年間も使われないままになっている。また、現在の近鉄難波駅は地下線だが、ここの長大な引き揚げ線は阪神から免許を借り受けて造られたらしい。つまり延伸後は阪神線の一部になる。
 長い間延伸されなかったのは資金難が大きいのだろう(その上阪神は先の震災で大被害を被った)が、それを第3セクターが建設費の7割を負担して鉄建公団が建設し阪神が借り受けて営業する形にすることで解決するようだ。

相互直通運転となると車両面で気になるのはどちらに合わせるのかということ。神戸高速を介して乗り入れる阪急・阪神・山陽は18m3扉車でほとんど同じ規格だから、どこの車両が来てもホームでの並び位置がたいして変わることはないが、近鉄(と南海)は関西の大手民鉄では珍しい20m4扉車である。地下鉄との相互乗り入れのように厳密に規格を揃えるのか神戸高速のように一定の基準だけで済ませるのかは分からないが、利用者の利便を考えるとどちらかに揃えるべきだし、そうなるとどちらかが車両運用面で大変な思いをすることになるだろう。

いっぽう京阪中之島新線も10年前の鴨東線(三条−出町柳)延伸直後から計画に上がっていてようやく実現に動き出した。以前に聞いていた話では天満橋駅のふだん使っていないホームから路線を延ばして現路線より更に地下に潜り、北浜と淀屋橋は地下鉄線を中に挟んだ2階構造でホームを作って、そのあと川を横切り中之島の下を西に進む、というものだったが、今回発表された計画では天満橋から潜った後すぐに川を横切って中之島を西進、新北浜・大江橋(御堂筋、淀屋橋の北)・渡辺橋(四ツ橋筋、肥後橋の北)に駅を作って玉江橋に至るもの。
 特急と急行も将来はこちらへ乗り入れるになるようだ。いつもフェスティバルホールに行く時は淀屋橋で降りて土佐堀川沿いに肥後橋近くまで西に歩くわけだが、これが完成すると渡辺橋で下車して四ツ橋筋を南に歩くこといなるのだろうか。…って、10年後に京都から京阪電車に乗ってフェスに行くなんて状況はまずありえないと思うけど(苦笑)

 喫茶店のテレビでは夏の甲子園
 2000.8.14(Mon)
今年の甲子園に岐阜代表で出てきているのが中京商業高。今日は那覇との対戦で惜しい負け方をしたが。野球以外にもスポーツで名の知られた学校だが、昔から気になっていたことがある。今回の愛知代表は甲子園史上最多優勝&最多勝を誇る名門・中京大付属中京高だが、以前は単なる「中京高校」、更にその前、戦前から昭和40年代は「中京商業」だったのだ。時代的にズレがあるとはいえ、学校名がカブっているのだ。
 更に、5年ほど前まで中京大中京のユニフォームは襟付きのクラシックなものだった(現在は襟なしで胸のロゴ書体も変わった)が、今日テレビで見た岐阜・中京商のユニフォームは、襟付きで、胸のロゴ書体("CHUKYO"と"CHUSHO"の違いはあるが)も往年の中京高校と同じ、帽子の「C」書体も色こそ違うがまったく同じものだった。プロ野球チームや有名大学(たとえば明治や早稲田)のユニフォームを真似る例は多いけども、いかに名門とはいえ高校のユニフォームを真似ることはないだろうから、やっぱ系列校か何かなのかな?
 …そういう話をみみなと電話でした後、Web等で調べてみたのだが(^^;)。
 岐阜・中京商高は「安達学園」という中京学院大学を中心とした学校法人で、中京大学の「梅村学園」とは別の学校法人だ。しかも創立時は現在の「中京商業高校」が「中京高校」だったんだそうで、1967年に同時に校名を改称、いわば校名をスワップしているのだ。ややこしい…。で、どちらも「建学の精神」って奴がまったく同じ(『学術とスポーツの真剣味の殿堂たれ』)。このあたりを考えると、元々の起源は同じところにありそうではある。歴史の新しい中京商業高-中京学院大の方が、いってみれば「分家」みたいなものなんだろうか。でもやっぱり謎だなぁ。別にどーでもいいコトなんだけど、妙に気になってしまったので、OB等で事情を知っている方いましたらメールください。

最近は大学進学率が上がったせいで商業高校が普通科に転換することも多いし、大学の付属をアピールする校名になったところも増えたな、というのが甲子園出場校の校名を眺めていて感じることである。
 愛知県の高校野球4強といえば中京・東邦・享栄・名電(愛工大名電)とされてきた(最近は豊田大谷など新興勢力も出てきたけど…)が、中京・東邦・享栄は昔はみんな商業高だったのが普通科に転換されて、それぞれ校名から「商業」が外された訳で、名電にしても工藤(現ジャイアンツ)が大活躍した頃は「名古屋電気高校」という工業系の高校だったのが、やがて愛知工業大学の付属を前面に押し出して、山崎やイチローがいた頃は「愛知工業大学付属名古屋電気高校」略して「愛工大名電」。今は普通科が半数ということで「電気高校」といえないし、かといって通称として名の通った「名電」を外す訳にもいかない、ということから「愛知工業大学付属名電高校」というのが正式名称なんだそうである。なんだかヘンな気もするけど。
 ま、この面で一番ヘンなのはかつて大阪一の野球の名門だった浪商で、本来は「浪華商業」という商業高校だった筈だが、牛島-香川の大活躍(っていいかげん古いけど)のあとPL学園や上宮の時代に入り甲子園に現れず、気がついたら校名が「大体大浪商」になっていた。学校法人ごと吸収合併されたようだ。正式名でいうと「大阪体育大学付属浪商高校」ということになる。大体大の付属校で商業科って訳がないし、たぶん普通科ばかり(あって体育科くらい)の高校に転換しているのだろう。それでも「浪商」の名を絶対に残したかった、ということなんだろうな。
 東邦や享栄みたいに「商業」を外してもカブる校名がなければ万事オッケーだけど、カブってしまう場合は馴染みの深い校名を変更せざるをえない場合も多そうだな。甲子園常連の鹿児島・楠南(←鹿児島商工)がそうだっけ。

 背番号14の白いユニフォームが
 2000.8.15(Tue)
今日は昨日ネタに書いた中京大中京が智弁和歌山と対戦。中京には小学校・中学校時代の同級生が野球推薦で行ったんだが、ちょうど現ジャイアンツの後藤や木村がいた頃で、1年生の時に中京が甲子園に出場して、アルプススタンドで応援している彼の姿をテレビで見た記憶がある。彼もその後レギュラーを獲ってクリーンアップを打っていたのだけど、僕が高校生の頃は(元ドラゴンズの)山田喜久夫がいた東邦が強い時代で、結局甲子園には出られなかった。卒業時、幾つかの大学から野球特待の話もあったそうだが、既に肩・肘がボロボロで、全部断って就職したんだ、という話を7年くらい前の同窓会で本人から聞いたな。そんなことをふと思い出した。
 しかしこのブロック、ものすごい激戦区だな…。2回戦で明徳義塾−PL学園・中京大中京−智弁和歌山が続くって、これ準決勝・決勝レベルの組み合わせのような気がする…。けっきょく大熱戦の末にPLと智弁和歌山が勝ち上がったが、次はこの両者が対決するワケで…。シンドイやろな…。