時々日記:2000.6.16-6.30
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 片おしどり
 2000.6.16(Fri)
今日も1日中Macの設定。iMacとAirMacベースステーションはEthernetのクロスケーブルでつなげば問題ないので、これで繋いでベースステーション内蔵のモデム使用でインターネットにつないでみる。iMacから直接繋ぐ場合との最大の違いは、内蔵のモデムを使わないのでコントロールバーに接続時間の表示が出ないことだろう(Windowsでは当たり前みたいだが、Macには標準で付属する。接続/遮断やAP切替もコントロールバーのプルダウンメニューで一発)。接続時間がすぐ分かる方がなにかと便利だし。この状態で、MacOS 9.0.4など、Apple純正のアップデータをいくつかダウンロード。そのあとIEやOEを最新版に入れ替えたり。

昼食で外出のついでに接骨院へ。昨日より状態は良くなっているようだった。
 戻ったあと、ケーブルで繋いだiMacとベースステーションと、AirMacでベースステーションとコードレス接続のiBook、ということで、iMacからiBookへのファイル転送をしてみようと思ったのだがこれがうまく行かず。なんで? これさえうまく行けば、メールソフトやブラウザの設定など、今迄使ってきたiMacの設定を簡単にコピーできるからめちゃめちゃ楽なのにっ。フロッピーじゃ容量足りないし、そもそもiMac・iBookにはドライブがないし、まぁいざとなればCD-Rで焼いたりメール添付で送るという方法もない訳ではないが…。

夕方、皇太后逝去のニュースが流れる。昭和天皇の崩御から11年、「昭和」がいよいよ遠くなっていく感慨を持つ人も多いだろう。昭和天皇との結婚時には家系(皇太后の母が島津家出身)に色盲の遺伝がある疑念があるという理由で山県有朋が反対した「宮中某重大事件」でも知られるが、「維新の元勲が関わってくるような時代の人が今日まで生きていた」という部分で何だか分からないが凄いものを感じてしまった。
 皇太后は久邇宮家(戦後に皇籍離脱)出身だから、おそらく皇族から皇后になった最後の人になるだろう。戦前の皇族・華族(旧公家・大名)は近親結婚かそれに近い婚姻が多かった筈で、サラブレッドでも分かるように(という書き方は失礼だが)近親結婚は生命力を弱めることが多く病弱や短命になることが多い中で、昭和天皇や皇太后は驚異的といってもいい長命を保った。しかもあの激動の時代を乗り越えて、だ。まさに大往生といえるだろう。

今後気になるのは「諡号」である。天皇の場合、明治以降は元号がそのまま諡号になっているが、皇后・皇太后の場合は逝去後に決めなければならない。明治天皇皇后が昭憲皇太后、大正天皇皇后が貞明皇后となっている。この名を決めるのも元号と同様に学識経験者の意見をもとに政府首脳の意向が働くのだろうが、「神の国」発言の首相がどういう意見を持っているのか気になるところだ。もっとも決まる頃には首相が交代している可能性もあるけど(^^;)

けっきょくデータ転送はiMacとiBookを直接クロスケーブルで繋いでファイル共有設定をすることに。ところが通常設定との切り替えがうまくできない。なんで?
 …ということで時間が足りず、明日の午前中も出張サービスということになりました。

 京都へ
 2000.6.17(Sat)
昨日の続き。Macのコントロールバーには作業環境切り替えモジュールが入っていて、作業環境によってPPP接続かEthernetやAirMac等か、あるいはTCP/IPやファイル共有といったコントロールパネルの緒設定のセットを一発で切り替えられるようになっていて、PowerBookやiBookのユーザーにとっては有り難い機能があるのだが、肝心のコントロールパネルが切り替わらないという状態でストップ。いろいろ試しているうちに、各設定の中にデフォルトの「省略時設定」という名前の設定があるとダメ、と判明。名前を変えてみたらあっさりクリアできてしまった。

途中で従兄から呼び出しを受けて、従兄宅に向かうと、中学時代にお世話になった先生が来ていた。従兄が昨年までの先生の勤務先の中学のPTA役員をしていたり、従兄の子が生徒会役員をしていて、その先生が顧問だったということもあって親しくなったんだそうだ。僕も中学1・2年に社会科を教えて頂き、生徒会役員を務めた時にも顧問としてお世話になった先生である。
 卒業以来13年ぶりにお会いして、先生の最初のひとことは「…大きくなって…」であった(汗)。そりゃ俺、横幅めちゃめちゃ増えましたから(泣)。まぁ中学入学時の俺は身長140cmそこそこのガリガリに痩せたチビだった(俺にもそんな時代があったなぁ…)から、そこから身長で30cm以上、体重なんかもしかして倍近く増えた訳だし(^^;)。近況を話したあと、僕の出身中学の話も出たが、最近は荒れまくっていて大変らしい。僕の頃には想像つかなかったことだけど。僕が中学2・3年の時の担任だった先生は今年校長になられたそうで、「来週会うから話しとくよ」と言われた。カラダがデカくなったことばかり言われそうな(泣)

実家に戻ってから昼食、そのあと駅まで送ってもらうついでに買い物。けっきょく名古屋駅に着いたのは3時半過ぎ。そのあとは接続がスムーズで5時半頃には下宿に到着できた。

うっわー、ほんの数日間空けてただけなのにメールが随分溜まってる…。

 意味不明瞭じゃ困るのよ
 2000.6.18(Sun)
へ? 7点差を追っつかれて逆転されたの? 昨日のお返しかいっっ。 なんでDは北海道に行くと大差を追いつかれたりひっくり返されたりするんだろう。これで3年連続だぞ。

深夜、ニュース速報で竹下元首相の死去を知る。ちょうど昭和天皇が崩御し「大喪の礼」があった時の首相だが、「平成」という元号には当時の竹下首相の意向が強く働いたといわれる。しかし現実には「平成」は字義とはほど遠い時代になってしまった…。竹下元首相自身、そういう結果を生んでしまった元凶の一人に違いないだろうけど。
 それにしても先日の皇太后逝去や、官房長官として「平成」を発表した小渕前首相と「平成」元号決定に強く影響を与えたとされる竹下元首相の相次ぐ死去は、やはりひとつの「時代」の終わりを感じずにいられない。ついでに「竹下的な政治支配手法」もそろそろ終わって欲しいものであるが。

 いつの間に
 2000.6.19(Mon)
ありゃ、気がついたらアクセス6000超えてるぢゃないの。誰が6000ジャストだったんだろう? 心当たりのある方、メール頂ければ幸いです。

 生き残った者のつとめ
 2000.6.21(Wed)
昨日グリーングラスが亡くなっていたそうだ。先日亡くなったハイセイコー同様、勿論リアルタイムでそのレースを見ていた訳ではないが、テレビ番組やビデオでそのレースは何度も見ているから、それなりに思いはある。
 デビュー戦がトウショウボーイと同じ(4着)だが4歳秋まではまったく無名のままで、ギリギリ間にあった76年菊花賞で勝利目前のテンポイントを抜き去り3強の仲間入りを果たし、以後約1年間、トウショウボーイ・テンポイントとともに"TTG"と呼ばれ数々の激闘を繰り広げたが、春の天皇賞はテンポイント悲願の優勝、宝塚はトウショウボーイ-テンポイント-グリーングラスの1-2-3、3頭による最後の決戦となった77年有馬記念では最初から最後までTT一騎打ちの展開に最後に絡んでテンポイント-トウショウボーイ-グリーングラスで1-2-3、と、どちらかというとTT2頭の引き立て役の感が強かった(出世レースの菊花賞ではグリーングラス-テンポイント-トウショウボーイで1-2-3だったが)。今ならG1に位置するレースで3度も1-2-3があった「3強」というのは以後も記憶にない。

この有馬記念を最後にトウショウボーイは引退し、最強馬の座に就いたテンポイントは海外遠征の壮行レースの筈だった翌年1月の日経新春杯で故障し非業の死を遂げ、あとにはグリーングラスだけが残ったのだった。
 しかしグリーングラスの凄さはむしろここからで、その年の78年春天皇賞を勝ち、以後の約2年間を1着2回2着4回3着2回、連を外した1回も6着と安定した成績を挙げ、ラストレースとなった79年有馬記念を勝ってトウショウボーイ('76)・テンポイント('77)同様に年度代表馬にも選ばれている。常に2頭の引き立て役に回りながら、2頭が先にターフを去った後も常に強さを見せ続け"TTG"3強の強さを改めて示したのがグリーングラスだったと思う。
 引退後は種牡馬となったが、トウショウボーイが三冠馬ミスターシービーをはじめG1馬を7頭も輩出したのに比べるとグリーングラスの代表産駒はトウショウファルコ(AJCC・金杯)くらいにとどまり、種牡馬を引退後は九州に渡り佐賀で余生を送っていた。既にトウショウボーイは'92年にこの世を去っており、ここでもグリーングラスは最後まで生き残っていたことになる。

テンポイントのように「挫折を繰り返し、遂にライバルを倒して頂点に立ち、絶頂期にいたまま夭折」するのはひとつの生き方として憧れる部分もあるだろう(僕自身には未だにどこかで夭折願望というものがある。ただし夭折するにはそれまでに実績を残さなければ無意味なのも確かだ)。その一方で、グリーングラスのように「常にライバル達を引き立てる最強の脇役であり、ライバル達が去った後も生き続けて強さを示し、ライバル達の強さを身をもって示した」生き方もカッコいいよな、と思うのだ。

ところで、"TTG"3強世代でダービーを制したのはTTGではなくクライムカイザーである。が、ダービー後は1勝も挙げられず、またダービーの勝ち方が今なら間違いなく降着処分になる(トウショウボーイの進路を意図的に塞いだ)アンフェアなものだったこともあってダーティーなイメージがつきまとい(直訳したら「犯罪皇帝」だしなぁ)遂に"4強"と呼ばれることはなかった。こういう生き方は、…ちょっと嫌かもしれない(勿論馬に責任はないが)

 寝た子を起こす
 2000.6.22(Thu)
今度は「寝ててくれればいい」発言ですか。わざわざ選挙期間に入ってからも野党の攻撃のエサ与えるような発言をしなくたっていいだろうに(苦笑)。無党派層の動向に頼っている自民党候補もいると思うんだが…。こうなってくると「現首相は自民党を内部崩壊させるために野党が送り込んだスパイ」説も信憑性を帯びてくるな(こないって(^^;))
 そういえば問題発言で自チームのファンにまで嫌われているG球団の某オーナーも「共●党が讀賣を潰すために送り込んだスパイ」説をどこかで読んだことがあるけど。勿論冗談100%の記事だが、将来あながち冗談でもなくなるような気がする。過去50年の歴史を調べても、口を出しすぎるオーナーがいたチームってみんなダメになってるし。

最新の世論調査結果では「けっきょくは自民大勝」みたいだけど…、たしか前回の参議院選挙の前もそういう結果が出ていなかったっけ? 事前に「自民圧勝」という結果が出るから実際の投票行動、特に無党派層のバランス感覚による投票が事前調査と逆の結果を生んでいるような。これもマスコミの世論操作なのだろうか。

 こんなふうに
 2000.6.23(Fri)
今日は京都会館で小田和正コンサート "SAME MOON !!" を聴く予定。ということで今夜はここに3人泊めることになる。部屋のスペースを確保するため朝から部屋の片付けに追われた。

16時前にみみなが到着。 17時過ぎに下宿を出発、バスで京都会館へ。ちょうど開場時間の18時頃に浅岡君かじりんと合流。かじりんは例によってひらひら服姿。チケットを渡して、すぐに会場内へ。ツアーパンフ(\2000)を買って席へ。今回はかなりヨイ位置だぞ。開演時間までツアーパンフを読む。
 いつも小田さんのツアーパンフは、前回ツアーから今回ツアーまでの間のできごとを追う形式だが、今回衝撃的だったのは2年前の交通事故の写真。グシャグシャになったセルシオの写真まで載っていた。あと、入院中に包帯グルグルでベッドに寝たまま見舞客との記念写真(?)とか。こんなんまで載せるのか…。さだまさし「佐世保」のコーラス録りの時の写真も出ていた。さだサイドでは公表されていないショットって奴。

18:30過ぎに開演。コーラスで加藤いづみさんが参加しているのに驚く(もっとも前回・前々回ツアーには山本潤子さんがいたけど)。このページ読んでる人で今後小田さんのコンサートに行く人もいるだろうから、曲目はナイショです。ただ驚いたのは、前回までのコンサートと小田さんの雰囲気がガラリと変わったこと。いい意味でラフになったというか。トークの内容も以前よりさばけている気がした。やはりあの生死に関わるような事故で、何かが変わったのだとしか思えない。コンサート後半、一気にボルテージを高めていく「持っていき方」は相変わらず流石ですが。
 小田さんのコンサートでは恒例となった、公演先の名所などを小田さん自身が訪ねたビデオをステージ上のスクリーンに流すコーナーは今回も健在。今日の午前中、小田さんは嵐山でトロッコ列車に乗ったり美空ひばり記念を見たり(小田さん「港町13番街」を鼻歌で唄ってた(^^;))、しまいにゃ円山公園で「あの素晴らしい愛をもう一度」弾き語りしてるし(^^;) このコーナーが毎回楽しみなのよね。同じツアーでも毎日ここは変わるから、何度でもコンサートに行く人が大勢いるのも分かるわなぁ。
 終演は21時近く。以前の小田さんのコンサートに比べると長い。トークが増えた分かもしれないけど、このあたりも変わった点かな。

京都会館からゆっくり歩いて下宿まで帰る。荷物を置いた後、4人で下宿近所のお店で食事。紫明ビール・青がなんだか美味しかった。
 下宿に戻ってから「ウルフルDVD」を見る。もともとの所有者はみみなで、ビデオテープにダビングして貰ったのだが。浅岡君もかじりんも爆笑してました。やっぱコレは傑作でしょう。
 そのあともだらだらと夜更かし。みんなで「ももシス」読んで夜更かしするのって、どう考えてもヘンな図だ…(^^;)

 セッション
 2000.6.24(Sat)
のそのそと起きて、支度をした頃にはもう昼。「天下一品」本店にて4人でラーメンを喰ったあと、かじりんと浅岡君はバスで帰っていった。その足で買い物。天気もあまり良くないし、夕飯は外食でなく何か作ろうと考えた。鶏肉安いし、野菜もあるからクリームシチューに決定。

下宿に戻ってから、みみなが持ってきてくれたビデオを見る。以前BSで放送されたもので、AAAのエリック・クラプト(桑田圭祐)のライヴ(ライヴ当日、クラプトンの日本公演もあった(^^;))忌野清志郎30周年トリビュート・ライヴなど。もー面白すぎ。

夕食を作る準備をしながら、マルトラックMD(ミキサー卓になる)を引っぱり出しステレオに繋いでモニターにして、Midi音源ユニットやキーボードやマイクをつないで部屋の中スタジオ状態(^^;)で俺ギター+みみなキーボードで適当に弾いて唄う、ということを始めた。途中から何故か(笑)さだまさし唄いまくり。うーん来週の予行演習になったか?(^^;;) 途中、飯喰いながらこの状態が続く。先日頂いたスコッチもけっこう飲んだなぁ。こんな状態で夜通し。

 みんな負けです。
 2000.6.25(Sun)
けっきょく寝たのは朝7時頃(^^;)。目が醒めたらもう昼近くになっていた。みみなが下宿を発ってから、 投票ついでに買い物。近所の小学校が投票所だが、この辺りって学生が多く住んでいる筈の割には投票に来ていた人に若い人は少なかった。行った時間帯の問題?天気もたいしてよくないし。

宝塚記念はテイエムオペラオーの順当勝ちグラスワンダーは故障発生、引退することになってしまった。あの3歳時の圧倒的な強さや、昨年の宝塚記念でスペシャルウィークを問題にしなかったレースを思うと、今年に入ってからは寂しいレースが続いていたが、こういう形で引退するとは…。
 故障がなかったらグランプリ以外にもG1を幾つか勝てただろうし、JCでエルコンドルパサーやスペシャルウィークと激闘を繰り広げてくれただろうと思うと残念でならない。引退後はエルコンドル・スペシャルと同じ社台SSで種牡馬となるそうだ。

宝塚のテレビ中継を見た後ふたたび爆睡。起きて「投票率伸びず」というニュースを見る。これは無党派層がホントに「寝て」しまったのか、天気のせいか、どちらなのか。
 天気が悪い時は組織票が強い、というのが従来の常識だから、自民・公明・共産が有利で、労組以外はほとんど浮動票頼みの民主には厳しい結果になるのだろうか…。

投票締切とほぼ同時に各局とも特別番組がスタート。どこも一斉に出口調査による議席予測を出していたが、局によるバラツキがこれほど大きいのって初めてだぞ。
 特にNHKがもっとも自民に厳しい予測を出していたのは驚いた。「野中責任ライン」とされた229議席が微妙、とこの時点で予測していたのはNHKだけで、民放は230後半〜240という予測だった。

結果をみる限り、「自公保」の選挙協力がうまくいかなかった現実があるようだ。公明党・創価学会の組織票ってのは候補者が誰であれ上部からの指令に従って投票する訳だから、自民党候補にとっては十分ゲタになるのだろうが、個人後援会が基本である自民党の組織の場合、いきなり公明党候補に投票しろという指示があっても抵抗が強かったのは容易に想像できる。
 もしかしたら今回の投票率が低かったのは、公明候補への投票をいやがった自民支持者が棄権したためで、「寝て」いたのは無党派層ではなく自民支持者だったのかな("ふて寝" ?)。しかし公明党にとっては犠牲になるばかりで何の利もなかった選挙協力のような。けっこう有力者が落ちたみたいだし。創価学会がこのまま黙っていられるのかな?
 保守党も「連立を離脱すれば選挙が危ない」という意識から自由党を割った筈なのにこの結果。自由党の方はむしろ議席を増やしているだけに、悔いを残す人も多いだろう。それにしても小沢一郎という人は、連立を離脱して党分裂を招き取り巻きを大幅に減らしながら、選挙で結果を得て生き残る足場を作るとは、先を読む能力だけはいまだ健在というところか。

…しかし、これ、判断に悩む結果だな…。連立与党は60以上も議席を減らしたし、特に自民党は大物議員が次々と落選したものの、元々の議席数が大きいから絶対安定多数を確保してるし、民主党は30以上の議席を増やしたものの政権を狙うには程遠く、個人的には150議席くらい獲らなければ「躍進」と言えないんじゃないかと思っていたから、数字ほどの「躍進」は感じないんだよな。特に公明の組織票がしっかりしている関西の小選挙区ではほとんど自民党候補が勝っているし。小選挙区の結果だけを見ると、関西の大都市部も田舎みたいな結果になってるぞ。比例区はさすがに民主も強かったが。

 まぁ、俺の率直な感想は、関西の某漫才コンビ風に
「ちゅーとハンパやな〜」
 と言ってみたい気分だな。(笑)

京都で強い筈の共産党が京都はおろか全国でも小選挙区でひとつも取れなかったのも意外といえば意外。ここ数年ソフト路線もあって全国的にも躍進してきたが、党名や綱領を変えないままでの限界に来たのかな。党首脳部が言うネガティブキャンペーンの影響なんてたいした筈ないし、自らを反省しないでよそのせいにするんじゃ先は望めないでしょう。

全国的には「都市部=民主、地方=自民」という前回参院選でも出た傾向が強まったようだ。まぁ都市部の住民に対してはろくな政策も打ち出せないまま税金だけ巻き上げて、それを自分たちのカネのような顔をして地方に分配するのが自民党政治の手法だから、都市部住民の不満や期待を吸収しているのが民主党であり石原慎太郎都知事なのだろう。
 一方で自民党政治家は「地方でも都市のような便利な生活を」と言って公共事業を誘導しているんだが、ほんとに都市化が進んだら自民党は自らの支持基盤を失うだけじゃないの?

 ぼくたちの失敗
 2000.6.30(Fri)
別に選挙とかは関係ないと思うんだけど、ホントに今週は取り立てて日記に書くことがない。こんな毎日もつまらないってばツマラナイけど。

なんでも「伝説の教師」の後番組となる日テレ系土曜21:00〜のドラマ「フードファイト」の第10回放送(9/9予定)にさだまさしがゲスト出演するんだそうだ。企画があの野島伸司、主演は草なぎ剛と深田恭子なんだそうで、草なぎクンにしろフカキョンにしろ、どう考えてもさだまさしと噛み合わなさそうな取り合わせで、一体どうなることやら今から思いやられるな…(苦笑)。まだ第1回放送もしていないドラマな訳だから、随分先の話ではあるが。
 …そうか、考えてみりゃこれがヒットメーカー脚本家・野島伸司とさだまさしの初の接点ということになるのか…。しかも主題歌ではなく役者としてかい…。(今回のドラマの主題歌は野島自身が作詞してSMAPが唄うらしい)

野島伸司脚本のドラマといえば、重たいストーリーとともに(^^;) その主題歌も大ヒットが数多い印象を持つが、新曲を主題歌にしたのはCHAGE&ASKA(ご存じ「SAY YES」)と中島みゆき(よほど野島がみゆきさんの歌を好きなのか「空と君のあいだに」など3曲もある)位で、あとは森田童子・尾崎豊・チューリップ・レベッカなどや、洋楽のS&Gやカーペンターズといったところの往年の名曲をドラマの主題歌に使ってリバイバル・ヒット、ということが多いのも特徴といえる。さて、この出演がキッカケで今後さだまさしが野島脚本のドラマの主題歌になる日は来るか!?

さて、明日は京大さだ研10周年宴会。久しぶりにお会いできる方々も結構いそうだし、楽しみ。明日に備えてギターの弦もMartin SPに張り替え。がんがん弾くぞっ。