月の兎

この世の始まりの頃、林野(如来が菩薩行を修しておられた時に身体を焼かれた処)に
狐と兎と猿がおり、異なる種ながら仲良くしていました。
その折、帝釈天が菩薩行をしている者を試そうと思われ、地上に降り、身を変え一人の
老夫になられ、三匹の獣に
「あなた達は元気かね。 心配なことはないかね?」
と尋ねられると、三匹は、
「豊かな草の中を走り回り、茂った林の中で遊んでいます。異類のものも仲良くし、
安息でもあり楽しくもあります。」
と答えました。 老夫は、
「あなた達は、情けも細やかに、心ぴったりしていられる話を聞き、
私自身の老衰をも意にかけず、ことさらにこのように遠く尋ねて来ました。
私は今、お腹が減っていますが、何か食べ物を下さい。」
と言うと、三匹は
「暫くお待ちください、探してきましょう。」
と言いました。
そして三匹は心合わせ無心にそれぞれ道を別にして探し求めました。
狐は河辺に沿って行き一匹の新鮮な鯉を口にくわえ、
猿は林の樹に登り珍しい花や果実を採り、一緒にやって来て、共に老夫に進めました。
ただ兎だけは手ぶらで帰って来て、あたりを飛び跳ねて遊んでいました。
老夫は、
「私から見ますと、あなた方はまだ本当に仲良くはありません。
猿と狐はそれぞれに十分に心遣いをしてくれましたが、兎だけは手ぶらで帰って来て、
彼だけが何の贈り物もしてくれません。」
と言いました。 兎はその言葉を聞き、狐と猿に、
「沢山の薪木を集めて下さい。 今からしようと思う事があります。」
と言いました。
狐と猿は走って行き、草をくわえ木を引っ張って来ました。
その草木がうず高くなり、激しい炎が真っ盛りになろうとすると、兎は、
「御老人、私の身体は能もなく、捜し求めるものも手に入れ難い状況です。
どうか私のこの小さな体で一度の食事にお当て下さい」
そう言い、 言い終るや火に飛び込み、すぐに死んでしまいました。
その時、老夫は帝釈天の体に復し、薪木を取り除き亡骸を収容し、暫しの間嘆息されて、
狐と猿に、
「一途にどうしてここまで思いつめたものか。 私はその心根に打たれました。
この事跡を滅ぼさないよう、兎を月輪の中に残しておき、後世にに伝えましょう。」
と言いました。

月にはウサギがいるって、誰もが小さい時にそう聞かされて大人になりましたよね。

だから大人になっても月を見るとついついウサギを探してしまう・・・。

っていうのは私だけでしょうか? (笑)

いつ頃からか、「そんな話は作り話さ」そう思って、何故「月に兎」かさえも疑問に思わなかった。

けれどこれにはとても悲しくて、美しいお話があったのです。

これは今昔物語の一つで、もともとインドから伝わったお話です。