7/26

今日は特別な日。
7月26日はバフェと祖母の命日。
同じ日に、一年違いで天に昇った。
祖母の写真の横に、そっとパフェの写真を置いた。
経を読んでもらい、ののを膝に乗せて合掌する。
「元気でいますか?」
「私はこの子と元気でいますよ。」
この日は毎年、辛いものになるだろうと思っていたが、違っていた。
この日はふたりに会える日、目には見えないけど、気配を心で感じて・・・。

夜はみんなで盆踊り、ののももちろん一緒だ。
どこかのおばさんがののを見て、
「人間が好きな子だね〜。うちにもマルチーズが居たんだよ。
3年前に死んじゃったけどね。」
私、「うちも、前の子が3年前の今日、亡くなったんです。」
おばさん、「辛いよね〜。うちはもう飼えないよ、私の方が先に死んじゃうからね〜。」
お互い、愛しい子を懐かしく思い出していた。
ねぇ、パフェちゃん、こんな日にあなたのことを話すなんてね。
これもあなたの仕業かな?
「いつまでも、私のことを忘れないでね。」って・・・。


7/23

今日、あるサイトのトップを見て感じた。
ずっと見ていたが、今日強く感じたこと・・・。

私は積極的に人と関わりたいとは思わない。
人が嫌いな訳でも無いし、協調性が無いわけでもない。
どちらかと言うといつも回りは賑やかな方だった。
ただ、面倒臭いのだ。
人と係わり合いになると言うことは、全てを受け止めなければならない。
人間関係はいいことばかりじゃない。
自分は避けたくても避けられないことも出てくる。
もっとも、自分はそれだけの器が無いことも自覚している。

沢山の友達が欲しくて、付き合って。
楽しくて、幸せで・・・。
そうじゃなくなったら、悲劇の主人公。

楽しい時間があれば、それだけの苦労もあるんだよ。
一度全てをまとめようと思ったら、腹括ってやんなきゃね。

私は友人と、言い合いをしたこともある。
真剣に言ってくれるのが、本当の友人なんだ。
誰だって嫌われることはしないよ。

広くは愛せないが、傍にあるものは深く愛したい。
門は広いが、家は狭い。
だが、この家だけは絶対守る。
たとえ全てを敵に回しても・・・。
それが正しいことと自分自身が判断したならば・・・。
これが私の器かな・・・。

7/21

最近、ずっと欲しかったデジタル一眼レフを買った。
3年待った。
私は衝動買いは殆どしない。
どちらかというと、買いたい物を頭の中で希望して、それが現実になった時買う。
もともとカメラを撮るのが好で、毎年数回友人と旅行に行くたびに写真を撮った。
普通のインスタントカメラだったが、撮るうちにどんどんと要求が激しくなる。
3年前、デジカメがコンパクトになってポケットぐらいに入る、200万画素で出たら買おうと思った。
念願叶って、IXYを手に入れた。
その時、インスタントカメラに限界を感じていた私は、本当はもっとレンズが大きな、露出などがいじれる物が欲しかった。
しかし、値段も12,3万するし、中途半端なものならばいっそのことレンズ交換ができるカメラが欲しかった。
そして、その時決めた。
いつかデジカメの一眼レフが10万台になったら買おう!
(多分19万が最初だと思ったがその通りだった))
そして、それまでにフィルムの一眼レフで馴れておこう。
レンズも少し揃えておけば、無理せず買える。
こうして、その日までこつこつ貯蓄に励んだ。
そして、ようやくこの春待望の20万を切るカメラが出た。
その間も、迷ってはみたがもやはりずっと待ち望んでいたものだから、欲しい気持ちは変わっていなかった。
フィルムの時よりすぐに結果が出る。
フィルムの値段を気にすることなく、じゃんじゃん撮れる。
次回は私の写真を撮る時のコンセプト(・・・、なんて偉そうに言うことでもないが・・・)