2002.6.8  ワールドカップ「イタリア対クロアチア」観戦記

当日にチケットゲット!

イギリスバイロム社のネット販売により、徹夜の毎日と裏技を屈指で弟がチケットをゲット。
チケットが取れたのが当日の午前1時、朝になって大慌てで荷造りをし、
本当に取れているか午前9時になってカード会社に連絡を入れ、請求書の確認をしました。
それから宿の予約をし、当然鹿嶋の近くはもう全部満員です。
仕方がないので、途中下車のできる千葉で泊まることにしました。
そして弟と弟の彼女、3人で茨城のカシマスタジアムまでサッカー観戦です。
と、その前にキオスクでチケットを受け取らなくてはなりません。
東京にて弟の彼女と合流し、東京フォーラムへとチケットの交換です。
とにかくそこは警備が厳しくて、入り口では私と弟の彼女は警備員からさっと前を遮られ、
「同行者なんですか?」
と質問されました。
もちろんそうだと分かると途端にVIP待遇で通してもらえました。
写真を撮りたかったんですが、とてもそんな雰囲気ではありませんでした。
あしからず・・・。


カシマスタジアムへ!

東京から鹿嶋までは臨時特急列車が出ていました。
時間ギリギリで電車に飛び込んで、そこは日本人、イタリア人、クロアチア人が。
小さな電車に国際色豊かな乗客となってまいした。
ネットで交通手段を調べていた時は2時間と書いてありました。
しかし鹿嶋へ到着は3時間近く、?の訳は後々分かりました。
とにかく線路が思いっきり田舎道。
電車同士がすれ違う時は待っていなくてはなりません。
それが長いこと・・・。
おまけに駅ごとの区間は3分くらいで着くのに殆ど無人の駅で止まる時間は8分とか・・・。
最初はみんな楽しいサッカー観戦の前とあって我慢していましたが。
アナウンスで8分の停車と言うとどよめきが・・・。
空気も濁って、冷房もただの生ぬるい送風・・・。
そのうち停車するとみんな外の空気を吸いにホームで座って寛いでいました。
小さな田舎の無人駅で、国際色豊かなサッカーユニホームをまとった人々の風景はなんだか不思議で微笑ましかったです。
列車内のアナウンスももちろん、日本語、イタリア語、クロアチア語を順番に放送です。


イタリア対クロアチア!

5時間かかって着いたのは5時ギリギリセーフってとこでした。
私達の席はメインバックの真ん中に近い席、こな良い席が余りなんて勿体無い・・・。
おまけに私の隣は空席、その前後も空席が幾つかありました。
行きたい人は一杯いたのに・・・。


ここが私達のゲートです。
ここで買ったペットボトルのジュースは
紙コップに入れ替えます。
私のチケットです。
これは記念に大切に取っておきます。
イタリア対クロアチア
選手の入場
バックスタンドから見ていると
変な感じです。
お決まりの写真撮影
いきなりネスタが負傷です。
まだまだ余裕のイタリア。
デルピエロも笑顔。
クロアチアが攻めます。
おっと危ない。
ブッフォン、落ち着いてます。
ハーフタイム。
この時はデルピエロも軽く流すだけ。
今日は出そうにないと分かりました。
後半、イタリアのチャンス。
イタリア、1点先制!
が、すぐにクロアチアが同点。
不安そうにベンチの上でデルピエロ。
そして悪夢の2点目。
思わず立ち上がり
不安そうに試合を見つめる。
余り調子の良くないトッティに代わり
インザーギ。
結局クロアチが勝ち点3をあげました。
試合後は花火が打ち上げられました。
カシマスタジアムでは最後の試合です。
スタジアムを後に
バスに乗り込んで帰りました。
デルピエロは試合に出ませんでしたが、生のアズーリをもう一度見られて幸せな夜でした。
残念ながらクロアチアに負けましたが、次の試合には接戦の末デルピエロのゴールでメキシコに同点。
決勝トーナメントに2位で進出しました。
デルピエロはこのクロアチ戦後、トラップ監督に直談判したらしいです。
「トップでも下でも何処でもやりますから僕を出して下さい。」
トラップ監督とはWカップ前に確執があったようで、複雑な経緯もあったようです。」
でも勝つ為にはそんなこと言ってられないのでしょうね。
デルピエロはなんと言ってもサッカーが大好きだから!