消息をご存知の方がおりましたらこちらまでご一報お願いします
久住呂勇佑(クジュウロ ユウスケ)昭和53年(1978)5月7日生まれ(現在26歳) 2004年11月4日にドイツ(?)からチェコやクロアチア等の東ヨーロッパ諸国に向かってから年内に帰るという手紙を最後に消息不明。*最後の手紙の消印は、ドイツらしいのですが、日本のように地域が書いてあるのではなく、ドイツの一つの郵便局が一括で消印を押しているらしく、ドイツ国内で投函した事しかわからない。 |
-父親から- 以下は簡単な勇佑の経歴と2004年9月17日ニューヨークを出発して以来届いた4通の葉書の内容のあらましです。 |
久住呂勇佑(クジュウロ ユウスケ)昭和53年(1978)5月7日生まれ(現在26歳) 経歴 1997年9月 高校卒業後「家」より精神的・金銭的独立を志し、 みかん農家の収穫作業へ住み込みで従事 スキーインストラクターとしてスキー場常駐 1998年5月 ヨーロッパ、継いでUSAの無銭旅行へ出発。 1999年以後 USAロスアンジェルスでアルバイトで自活しながら語学の勉学。 2002年9月 USAニューヨークへ転居同上。 2003年4月 USA大学入学資格取得。 2003年9月 LA GURDIA COMMUNITY COLLEGE 入学。 2004年9月 同大学中退。 貿易センター後地(グランドゼロ)に9.16の花を捧げ、17日ニューヨークを引き払い東欧無銭旅行に出発。 |
■届いた手紙1通目より 2004年9月24日消印の葉書(オランダ・アムステルダムより) 常に笑顔で仕事に熱心で忠実、またほぼ全員が英語を始め数ヶ国語に堪能なオランダ人と、整った景色に感激している。「何だかニューヨークをもっと大人にしたようなところです。」(原文)ユースホステルの住み込みなどをしながら現地の人々との交友関係を増やしていたらしい。「今回は旅行ですが、次回はここを拠点に生活する事も考えています。」(原文) |
■届いた手紙2通目より 2004年10月?日消印の葉書(ドイツ・ミュンヘンより) 2日ミュンヘン着、早速オクトーバーフェスト(10月のビール祭り)にくりだしたとか。(ヨーロッパ各地から祭りに来た人々とヨッパライ天国のレストランで盛り上がり)「アジア人は僕ら2人だけでしたが、どの人も皆温かく迎えてくれて、ひとつのドイツの文化を体験することが出来ました。」(原文)この頃日本人男性の健次郎氏(姓は不詳・通称Andy・30歳)と行動を共にしていたらしい。「Andyさんからワーキングホリデーのビザの話を詳しく聞くことが出来ました...。」(原文) |
■届いた手紙3通目より 2004年10月?日消印の葉書(ドイツ・????より) 10日頃?「今回の旅はなるべく1箇所に留まっていろいろな人と出会うことが目的なのでそれを実践しているところです。毎日英語で新鮮な情報が得られるので充実しています。ドイツ語もちょっとずつ学んでいるところです。」(原文)最後に「他の国(今回は東欧の方チェコ・ハンガリー・ブルガリア等)にも行くつもりなので、帰りは未定です。でも年末までには帰ります。」(原文) |
■届いた手紙4通目より 2004年11月4日消印の葉書(ドイツ・????より)最後の葉書ユースホステルの住み込みや新しく出来たベルギー人、ブルガリア人などの友人宅を泊まり歩いているらしい。「いろんな人達の助けを借りて、少しずつ地盤を固めていこうと思っています。」(原文) 最後に「まだもう少しここにいて...中略...チェコやクロアチア等の東ヨーロッパ諸国に向かうつもりです。ヨーロッパでクリスマスを迎えることは僕の夢の一つなので、まだ後約2ヶ月時間を上手く使って過ごしていきたいと思います。」(原文) |
最後の葉書から2ヶ月と時間を切っているので、年末には日本に帰る予定でいたと推測しております。郵便事情などで予定変更の連絡が行き違っているようなこととは思いますが、消息をご存知の方がいらっしゃいましたらkujyuro@yahoo.co.jpまでご連絡頂きたく宜しくお願い致します。また勇佑本人がみた場合は至急コレクトコールで連絡してください。 父親から勇佑へ こうやって君に連絡を取る為の資料を作ってみて、改めて君のことをほとんど知らないことに気づく。ましてや君が何を考え、何を愛し、何に悩んでいるのか、父として恥ずかしいほど何も理解していない。帰ったら君に酒を酌もう。君の話を聞かせてもらおう。今から楽しみだな。しかし、何処であれ、何をなしているのであれ、この地球の空の下ので君が元気に「命のいっぱいに」生きていてくれれば私は嬉しい。母さんが心配で身体を痛めているよ。今、君がどう思っているのか分からないが、私は母さんを尊敬しているし、君のことは誇りに思っているよ。 |