ご存じの方はご存じかと思いますが、PHSは通話品質がいいです。一般電話と何ら遜色のない通話品質を得ることができます。にもかかわらず、PHSの音声通話は衰退の一途をたどり、現在ではPHSといえばせいぜいデータ通信に利用されるくらいで、しかもそのデータ通信ですら「次世代携帯が安くなったら無くなる」とまで言われています。どうしてこのような事態になったのでしょうか。
たぶん、その原因としては色々考えられると思いますし、分析する人によって微妙に違う結論になるかと思います。というわけで、「個人的な見解では」と前置きした上で分析しますと、まずはイメージ戦略の問題があったように思います。「PHSはエリアが狭い」「安っぽい」「070はちょっと…」みたいな感じでネガティブイメージが広がり、電話番号で070を言うと「えっ、PHS?なんで?携帯にしないの?」といわれるようになってしまったわけです。なぜイメージ戦略に失敗してしまったのかですが、キャリア(事業者)の戦略ミスと同時に、時流の流れがPHSには逆風過ぎたということもあったのだと思います。
今でも、PHSの料金は決して携帯に劣るものではありませんし、エリアだけ見ても、PHSで十分な人も数多くいます。また、圏外になる場所が多いと言っても、そんなに四六時中電話やメールがくるわけではありませんから、実質的には支障はなかったはずです。ところが、携帯・PHSの急速な普及およびメールという新たな連絡手段の登場により、多くの人は携帯依存症になりつつあります。携帯がないと不安でしょうがなくなるのです。常に着信やメール受信に気を遣い、圏外になることを非常に恐れます。こういった携帯依存症(程度問題なので、重度の人もいれば軽度の人もあり、潜在的な人もいるかと思います)の増加により、圏外の多いPHSは避けられるようになったのだと考えます。
また、もともと日本人は人と違うことを求めながら、人と同じことに安心を覚える傾向があります。上記のような携帯依存症・圏外恐怖症と併せて、急激に「PHSは使えない」というイメージが浸透し、その結果将棋倒し的に携帯への移行が進んだのだと思います。
今となっては老いも若きも男も女も(って、こんな表現は今はあまり聞かないですね)携帯電話を利用していますが、PHS最盛期の頃はお金のない学生はPHSで、携帯はわりとリッチな人たちが持つというイメージでした。それ自体はそんなに悪いことではなく、今は携帯電話において、例えば機能重視の人向けのモデルですとか、エントリーモデルですとか、異なるカテゴリの消費者をターゲットにした商品を全てカバーしているに過ぎません。当時は、携帯電話にはそんなにカテゴリ分けがなく、それが登場したのはiモードの50xシリーズの登場が初めてなのではないかと思います(もちろん、単発的なモデルはありましたが)。
こうして携帯がほとんどの消費者を満足させるだけの商品群をそろえるようになってしまい、PHSの存在意義が薄れ、携帯のカバーしていない分野、すなわち高速(当時)データ通信の分野だけがPHSに残った、ということになるのだと思います。