「江南焼臘飯店」香港全(上に草冠)灣
香港で地下鉄に乗って最終駅「全(上に草冠)灣」に降りると、そこは庶民の街だった。ちょうど私の訪れたのが朝ということもあって、一日の始まりを感じさせる街角にひっそりとその店はあった。
うっかり、見過ごしてしまいそうな店頭脇の路上で、新聞、雑誌等が売られており、地元の客は新聞片手に入る人が多いようだ。ちょうど朝飲茶の時間ということもあり、店内はごった返しており、満席状態。立ちつくしていると2階へ案内された。もうもうと湯気の上がる蒸籠を横目に、「本当はここで指さし注文したいのに…。」と思いつつ2階へ…。
実は、今回この店に入ったのは目的があった。ここは店名の焼臘飯店からも伺えるように、焼臘(日本では焼豚がポピュラーだが香港ではローストグース等がある。)が売り物の店である。30年の歴史を持つこの店のローストグースを食べたかったのだ。
店のおばさんが端の欠けたプラスチックのコップにプーアル茶を注ぎ、いよいよ注文。日本語は勿論、英語も通じないため、壁に貼ってある焼臘メニューを指差して注文した。だが、ここで重大な失敗が発覚した。早朝はまだ、焼臘が焼けておらず、飲茶メニューだけだったのだ。残念だが無いものはしかたない。と辺りを見渡すと客が皆、アルミでできたマグカップのようなものを持っているではないか?1人や2人ではない。少なくとも、私の目に入る全ての客が同じものを食べているのだ。これは食べねばなるまい。早速、例によって指差し注文。
待つこと暫し、問題の料理が出てきた。それはちょうど、日本でいう炊き込みご飯のようなもので、おそらく、炊きあげたものを一人前づつカップに入れ、蒸籠で蒸しあげたのだろう。ホカホカと湯気がたっていかにも旨そうだ。早速頂こうとレンゲを手にしたとき、突然、隣で同じものを食べていたおじさんが、ニコニコと笑顔をたたえながら卓上の醤油差しを持ってきた。これをかけて食べろと言っているようだ。「なるほど」と思い醤油をかけようとすると、店のおばさんが凄い剣幕でおじさんを叱りつけた。「余計なことをするな」と言いたげだ。困った私を後目に一階へと駆け下りていったおばさんは、程なく新しい醤油を持ってきて私のカップに注いでくれた。なんだかわからないが「こっちの醤油の方が美味しい」ということのようである。隣を見るとおじさんが申し訳なさそうにニコニコ笑っている。とりあえず、おじさんにお礼を言った。
さて、問題の一口をレンゲで口に運ぶ。「旨い!」これは皆がたのむのも無理はない味である。米は、我々がいつも食べているジャポニカ種ではなく長粒米、湯気と共に吟醸酒を思わせる独特の香りが感じられる。おそらく、炊きあがりにラードを混ぜ込んでいるのだろう。パサパサ感はなく、しっとりと甘い。具は小さく切った骨付き肉、鶏のようでもあるが、我々の普段食べているものとは何か違う。ここの看板料理がローストグースであることを考えると、ひょっとしてこれがガチョウの肉なのだろうか。それにちょっと甘めの溜まり醤油に似た中国醤油をかけて食べる。これは絶品だ。
後、おばさんが薦めてくれた「焼売」、米粉のクレープで肉を包んだ「腸粉」、定番の海老の蒸し餃子「蝦餃」の点心3品を食べた。点心はさほど美味ではなかったが、家庭的な味付けがホッとさせる感じだった。何より、これで2人分日本円約¥600の勘定は安い。こんな店が近所にあれば、毎朝でも朝食に通いたい。もし、今度香港を訪れることがあれば、食べ損ねたここの焼臘を食べに行こうと思っている。庶民の価格で庶民の味、庶民の親切に触れられる名店である。
ちなみに、おじさんは私のテーブルに爪楊枝を持ってきてくれ、そのままやはりニコニコと笑いながら去っていった。